慌ただしい日

 離れでは大勢のあやかし達が慌ただしく目の前の仕事に終われていた。

 いつも以上に忙しないのは、先ほど女性が報告に来た一件が噛んでいるせいだろう。誰もかれもが余裕のない様子であちこち走り回っていた。

 広大な中庭には沢山の魂たちが一所に集められザワザワとざわめいている声が煩い。

 屋敷の最前線には長い机にずらりとあやかし達が並び、現世からやってくる人間たちの魂の業の数を数えている。


 魂たちに手を翳すと、現世で犯した業の数が大小様々な黒い石としてゴロゴロと溢れ出し器の中に落ちて行く。器に入った石を後ろにいるあやかしに回すと、受け取ったあやかし達は素早くその中の数を数え、報告書にまとめて麟の所へ持ってくることになっていた。

 麟はその数を元に、魂たちに幽世で生きる為の姿と職を与えるのだ。


 そこへ行くまでに魂たちの先導役を担う者もいればトラブルの対処に追われる者、一人一人の統計をまとめあげる者など休む間もないほど。


「麒麟様、報告書お届けに上がりました」


 そう言って手にした盆の上に山盛りに乗った巻物が届けられる。

 少し席を外しただけでも同じような巻物が山盛りにあると言うのに、次から次へと同じ量の巻物が届けられてくる。おかげで麟の執務部屋は所狭しと巻物の束が積み上げられなかなか片付かない。


 麟は届けられた巻物一つ一つを手に必要事項を筆でサラサラと書き込んではそれを丸め、定期的に取りに来るあやかし達に盆ごと持たせていく。

 入って来るものと出て行くものがひっきりなしだ。



「麒麟様。お茶です」


 多くの人間たちの情報が書かれた巻物に目を通していた麟の元に、先ほど屋敷に麟を呼びに来た女性が温かいお茶を持って現れる。

  彼女は自らの事をマオと呼び、ヤタに続いて麒麟の身の回りの世話をする人物だ。

 きっちりと着込んだ藤色の着物が彼女の品格を現しているかのようだ。


「ありがとう」


 目の前に積み上げられている巻物の束は、一人ではすぐに見切れるような量ではない。だからと言って悠長にしていられないのも事実。

 いつもであればヤタが麟の片腕として後片付けや取りまとめ、脱走を図った魂の確保や現世で行き場を無くし、路頭に迷った魂を導きに行ったりと忙しく動き回ってくれるのだが今日はいない。


 ヤタが抜けた部分を補うために、彼女もまた忙しく働いてくれている。 


「先ほど、10命ほどの魂が現世に戻ってしまったそうです。現在、先導員のあやかし達が数名、捕獲しに向かいました」

「今日はいつになく多いな」

「説明はさせて頂いてるんですが、やはり業の深い人間に与えられる容姿を見ると嫌になるようですわ。自らが犯した罪の重さを直視できないものがいるのは分かっていることですもの。その重さが形としてハッキリ目に見えると、恐怖と嫌悪から脱走を図る。人とはとても脆く、弱い生き物ですから」


 業が深ければ深いほど、この世界で与えられる容姿は崩れ去る。

 理想が高い人間たちにしてみれば、とてもではないがその姿を一目見ると嫌だと思ってしまうのも分からないわけではない。

 その醜さが自分の犯した罪であり、その姿を持って向き合う事で改心させると言う目的ではあるのだが……。


「なかなか、骨が折れるよ」

「地獄や極楽と比べて、この幽世は忙しいように思います」

「全ての魂は基本的に赦されるべき存在だ。閻魔も帝釈天も業を多く積んだ人間には反省と贖罪を望んでいる。その最後の采配を振るために、ここは必要な場所だからね」

「そうですね……ところで麒麟様」


 ふと、彼女はすんすんと鼻を動かし不思議そうに首を傾げた。


「今日は何だかいつもとは違うニオイがしますね?」

「そうか?」

「えぇ、この世界ではあまり馴染みのないニオイと言うか……」


 馴染みのないニオイ、と聞いて麟は「あぁ」と短く呟いて頷く。


「訳あって今人の子を私の屋敷に住まわせている」

「えぇ? 麒麟様のお屋敷に? でも……なぜ実体ある人の子を?」


 興味が先走るのだろうか。マオは麟に詰めより話の続きを催促してくる。

 彼女の口が堅いのは重々分かっているのだが、いささか踏み込んだ話を聞きたがるのが玉に瑕と言うべきだろうか。


 麟は困ったような顔をすると、すぐに察したマオは短い声を上げ「踏み込んだことをお聞きして申し訳ありません」と頭を下げた。


「いや、いいんだ。さて、早く仕事を片付けてしまおう」

「はい」



 麟は仕事の合間、湯飲みの中に一枚の桜の花びらが舞い落ちる。それに気付いた麒麟はふと手を止めて、湯飲みから外へと視線を巡らせた。

 ひらひらと舞い落ちる桜の花びらは、ひながいる屋敷から時折風に運ばれてくる。

 同じ敷地内の別棟での仕事場ゆえにそう言う事はしばしばあった。


「……」


 自分の傍にただ置いておくだけと言うわけにはいかない。人の子を幽世に連れてきたことは黙っていても知れ渡る。ならばひなの件について、近い内に閻魔と帝釈天にも話をしておかねばならないだろう。


「もしかしたら、ひなは……」


 大きく息を吐き、麟はもう一度窓の外に目を向ける。

 太陽と言う概念はこの世界にはないのだが、僅かに日が陰ったかのような暗さにはなる。

 いつの間にか長い時間仕事に専念していたのだろう。もう帰らなければ。


 麟は巻物を紐で閉じて机の横に置くと席を立ち、ひなの待つ屋敷に戻って行った。

 その後ろ姿を見つめる人物に気付くこともないまま……。



    

                 *****




「ただいま」

「お帰りなさ~い!」


 屋敷に戻ると元気な声が出迎えた。

 ヤタと二人でいたおかげか、すっかり打ち解けたようにひなは顔を紅潮させたまま駆け寄って来る。


「あのね麟さん! すっごいの!」

「うん?」

「ヤタさんおっきいでしょ? でね、肩車をしてもらったんだけどね、すっごい大きくなりすぎて、ひなお屋敷の屋根に頭ぶつけちゃった!」


 嬉々として喜んでいるひなのおでこには、おそらくシナが手当をしたのだろう。四角に折られた小さい白い布が当てられていた。

 ひなのその様子にオロオロとしているシナと、そんなシナの後ろの柱の陰で体に見合わず小さくなっているヤタの姿がある。


「八咫烏……」

「ち、違うんだ! それはその、わざとじゃなくて……っ!」


 いつもは優しい雰囲気の麟が、いつになく不穏な空気を出していることにヤタは狼狽えていた。そのただならぬ様子に、ヤタが怒られるのではと察知したひなが今度は慌てて間に入り込む。


「あ、あのね! ヤタさんは悪くないの! ひながヤタさんに肩車してってお願いしたからなんだよ!」

「ひな……」

「ヤタさんの小さい頃の話聞いてたら、肩車とかしてもらってたって言ってて、いいなって思って。ひな、肩車とかしてもらったことないから……」


 必死になってヤタを庇おうとするひなの様子に、さすがの麟も何も言えるわけがなかった。すっと目の前にしゃがみこみ、おでこの傷を覆い隠すようにそっと触れる。


「傷は出来てないか?」

「う、うん、ちっさいたんこぶが出来たくらい」

「そうか。ならいい。君は女の子なんだから、顔に傷は作ったらダメだよ」

「はーい……」


 ひなは心配そうに麟を上目づかいで見上げ、おでこに触れている腕の袖を握った。


「?」

「あの……麟さん、怒ってない?」

「怒ってないよ。ひなが無事ならそれでいい」

「ヤタさんを怒らないでね?」

「大丈夫だよ。心配いらない」


 くすくすと笑いながら頭を撫でるとようやく不安が解けたのか、ひなはパッと表情を明るくさせた。


「良かったぁ。ひな今日はすっごく楽しかったんだ! ヤタさんに肩車してもらったり、お庭で追いかけっこしたりかくれんぼもして遊んで、あとねあとね、シナちゃんとお料理もした!」


 誰かと何かを作ったり、遊んだりしたことがよほど嬉しかったのだろう。ひなは今日一日にあった出来事を怒涛のように話し、麟の手を握ってぐいぐいと大広間に連れて行こうとする。

 麟が彼女の手に引かれて大広間まで来ると御膳が並べられており、椀には麩のお吸い物と焼き魚、青菜の和え物と根菜の煮物がまだ温かいまま載っていた。


「これをひなが作ったのかい?」

「う~んとね、ひなは材料を切って、ちょっとだけ味付けも手伝ったんだ。包丁とか握った事なかったんだけど、傍でシナちゃんが教えてくれて頑張って切ったんだよ! あ、あとお魚も焼いたよ! ちょっと焦げちゃったけど……」


 見れば、野菜はどれも大小バラバラで歪な形をしていた。魚の表面も黒く焦げているところもある。しかしそのどれも彼女が頑張っていたのだと言う証だ。

 麟は膳の前に腰を下ろすとお浸しを口に運んでみる。

 色々教えてもらいながら作ったのだろう。大小バラバラでもきちんと火が通り、柔らかく仕上がっている煮物と、いつも口にする物より少し味が濃いが十分美味しかった。


「……うん、美味しい」

「ほんと!?」


 ひなは飛び上がらんばかりに喜び、ヤタとシナに抱きつきに行く。

 自分がした事を咎められず、例え少しの手伝いでも成し遂げた事を褒めてもらえたことが嬉しくて仕方が無いようだった。


「せっかくひなが作ってくれたんだ。冷めない内に皆で食べよう」

「……あの」


 ひなが席に座る中、まだ少しオドオドとしているヤタに麟は視線を向けると「仕方ないな」と小さく笑い席に座るよう促した。


「ひなが怒るなと言っていたし、お前には明日から現世に逃げ出した御霊の回収に向かってもらう事でこの話は御破算にしよう」

「……!」 


するとヤタもまた嬉しそうに表情を明るくすると、用意されていた自分の席に座った。

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