今は君だけ
すっかり落ち着きを取り戻したひなは、バクバクと胸打つ鼓動の音だけが煩く耳に聞こえていた。今日の自分の情緒はどうかしている。上がったり下がったり、まるでジェットコースターみたいだと思った。
今は回転するコーヒーカップに乗っているかのように、頭の中はぐるぐる高速回転を繰り返しヒートしてしまっていた。
今、何が起きたんだろう。
予想も何もしてなかった。まさか、キスをされるだなんて……。
真っ赤な顔で俯いたままだったひなは恐る恐る麟を上目遣いにチラ見する。が、視線が合うと途端に恥ずかしさが勝り顔を俯けてしまう。
(何だか、ま、まともに麟さんの顔を見れなくなっちゃった気がする……)
どんなに冷静に違うことを考えようとしても、やはり頭の中には先ほどの事がぐるぐると駆け巡る。そのせいなのか、熱のせいなのか分からないがクラクラとめまいに似た感覚もあった。
ひなは両手を頬に押し当てて熱を逃がそうと必死になっていると、あまりにもひなが恥ずかしがるものだから麟本人も気まずそうに軽く咳払いをした。
「……ひな?」
「う、は、はい!!」
声を掛けられ、ビクッと肩を震わせ思わず声が裏返ってしまう。
「話をしても構わないだろうか」
「……っ」
問いかけられれば頷き返すのが精いっぱいだ。
しばらくは前のように普通に話を出来ないかもしれない。それだけひなには強烈な刺激だった。
麟は内心「やり過ぎた」と思いつつも、あの場でひなの能力を抑えるのにはあの手段しか思いつかなったのも確かだった。あの時点で何を話そうとしても、ひなには言葉は届かなかっただろう。だが、まさかその後こんなにも気まずい雰囲気になるとは……。
ゴホン、と再び短い咳払いをしてから気を取り直し、麟は口を開いた。
「まず、先ほどの騒動について話しておこうと思うんだが……」
「あ、は、はい」
「マオから話があったかもしれないが、私と八咫烏は、時折少々手荒な方法で話をする事がある。君は見慣れない光景だろうからとても驚いただろうが、あまり気にする必要はないよ」
ヤタと交わした話の内容までは明かせないと、麟はただ言葉を濁してそう伝える。
するとひなは彼女らしい言葉で返してきた。
「でも、怪我するほど手荒な方法は良くないと思う……」
「そうだね。今後は気を付けるよ」
「そんなにヤタさんが怒っちゃうくらいの事って、何があったのか聞いてもいい?」
心配そうに上目遣いになりながらそう訊ねてくるひなの発言は、凡そ予想はついていた。
麟は逡巡すると、それらしい理由を口にする。
「私がうっかり、大事な仕事の話をするの忘れてしまっていてね。八咫烏はああ見えてとても生真面目で気難しいところがあるから、それゆえ自分は信用されていないと感じてしまったみたいだ」
「そう、なんだ……」
嘘はあまり得意ではないが、それでも全てが嘘を言っているわけではない。
案の定、ひなはその事に対しては納得をしたようだった。
「じゃあ、次は君の事を話そうか」
「う、うん」
「君が最初に私に聞いて来た雪那のことだが……君は、彼女の子孫にあたる」
「え……」
子孫と聞いて、ひなは恥ずかしさは何処へやら、驚いたように顔を上げる。
まさか自分が彼女の血を引いているなどと、想像にも無かった。
「君が言うように、確かに私は雪那の事を心から大切に想っていた。だが、彼女はある日突然何も告げずに私の元を去ったんだ」
「何で……?」
「分からない。後で分かったのは、彼女は現世に身を寄せたと言う事だ。それに気付いた時にはもうすでに手遅れだったよ。君ももう分かっているだろう? 幽世と現世での時間の早さの違いを」
麟の問いかけにひなはぎこちなく頷くしかなかった。
つまり、麟たちの感覚で言えばまだ大きな時間のずれはないが、現世で言えば年単位で過ぎ去る事から、彼らが気付いた時には雪那はもうこの世の人間ではなくなっていたと言う事だ。
「で、でも、亡くなったら魂は幽世に来るんでしょ?」
「そうだね……それが“人間”だったなら、ね」
僅かに寂しそうな表情を浮かべて微笑む麟に、ひなは険しい表情になった。
「て、言うことは、雪那さんはあやかしのままだったから……」
「本来魂はこの世界を抜けて地獄か極楽へ行き、いずれの世界で魂を磨き次なる器へ入るための準備をする。それをせずにいたと言う事は、無に還る事を意味する」
「だ、だって、でも、そしたらどうやって私が産まれてきたの?」
「彼女は化けるのが非常に上手でね。生前、高い徳を積んできた彼女がこの世界で与えられた姿は、稀に見る力を持つあやかし、妖狐だった」
あやかしとしての姿を与えられた状態で現世に行くと、現世で言うと2年ほどは生存が出来るという。つまり、雪那は自分の化ける力を使い、人として人間たちの間に潜り込んでそこで知り合った男性との間に子供を設けた、と言う事になる。
「そんな……でも、それじゃ一番肝心な、麟さんの傍を離れる理由が分からない」
「……そこは私も分からないままだよ。彼女は本当に何も語らず、何も残さず去ってしまったから。ただ残ったのは、私側の未練だけ」
「……麟さん」
あまりに寂しそうに笑う麟に、ひなは膝の上に置いていた手をぎゅっと握り締めた。
そして目の前にいる人を悲しませたくない一心で口を開く。
「雪那さんは何か理由があったんだよ。そうじゃなきゃ麟さんの傍を離れるなんて絶対にあり得ない。だって、麟さんの傍は凄く温かくて、優しくて、どこよりも安心出来て、それに、それにね……」
「ひな……」
必死に慰めようと、麟の良さを思いつく限り口にしようとしているひなの目から、またもポロポロと涙が零れ落ちた。
「……だって、そんなの、何の理由も無くて離れたって言うなら、ただただ麟さんが可哀想だよ」
自分の為に泣いてくれるひなの優しさに、麟はふっと笑みを浮かべひなの頭に手を置いた。
「君のその優しさは、雪那からしっかり受け継いだものだね……」
「麟さん……」
「雪那は慈愛にあふれた女性だった。誰にも等しく優しく、誰からも愛され頼られる女性だった。最初にひなに出会った時、その慈愛の力に彼女を見ていた事は否定しない。君が選び紡ぐ言葉一つをとってもそうだ。だから、君と彼女を重ねてみていた時もあった」
顔を上げたひなの頬の涙を拭い、麟はもう一度優しく彼女を抱きしめる。
「でも、今こうして私の為に涙を流すのは君だけだ。君は雪那とは似て非なる者。私の今の心の安寧は、ひな。君でないと守れそうにない」
「……麟さん」
「だから、君が構わないなら、ずっと私の傍にいてほしい」
そう言うと、ひなは力いっぱい麟を抱きしめ返した。
先ほどまでの揺らぎが嘘だったように、満たされた気持ちで溢れ返っている。
麟自身が自分を必要としてくれているなら、断る理由などひとつもない。
「最初から、私は麟さんとずっと一緒にいるって決めてたんだもん。私が帰って来る場所はここだったし、ずっと帰りたかった場所もここしかなかったんだから、嫌なんて絶対言わない。何が何でも麟さんの傍にいるよ」
「……ありがとう」
麟はひなを抱きしめる手に力を込めた。
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