訓練
「ひな。今の内に君に伝えておこうと思う」
「はい」
麟は、隣に座るひなを見やりながら真剣な顔で語りかけると、ひなもまたそんな彼の事を見上げながら真面目な顔でこくりと頷き返す。
すぐ傍に置いてある琥珀糖の入ったガラス瓶を手に取った麟は、それを彼女の前に差し出した。それを見たひなは目を輝かせ、色とりどりの澄んだ色を放つ琥珀糖をまじまじと覗き込む。
「わぁ、綺麗! これって宝石?」
「そう見えるかい? でも、これは宝石ではないよ。これは琥珀糖と呼ばれる菓子だ」
「お菓子?」
ひなは瓶を両手でそっと持ち上げてみる。
陽の光を受けてキラキラと光る琥珀糖は、どこからどうみても宝石に見えてしまう。だが、瓶の蓋を開ければそれが正真正銘の菓子であることがよく分かった。
甘い香りが鼻先を掠め、その中にも果実のようなフルーティな香りも混ざっている。
「食べてもいいの?」
「もちろん、その為の物だからね。ただ、これには使い方があるんだ」
「使い方?」
「まず、先に教えておこうか。この菓子は、幽世で作られたもの。幽世で作られる菓子は4種類あって、それぞれ違った効果を持っている」
まだひなに話していない話を分かるように説明する。
琥珀糖以外に餡子玉、落雁、金平糖の三種類があると言う事。そしてそれらは、この幽世に棲む一部のあやかし達には必要不可欠な物であると言う事。
それらの話を聞いていたひなは目を瞬かせ納得したように呟いた。
「ここのお菓子は、現世で言うところのお薬と同じなんだね」
「そう。だから使い方を間違えれば副作用も出るし、悪影響を及ぼすこともある。それと、心身の病気とは全く違うものに作用するものだと言う事を覚えておいてほしい」
「そうなんだ。じゃあ、この琥珀糖にはどんな作用があるの?」
「制御だ」
そう言い置いて、麟はひなに体ごと向き直った。そして、彼女を真っすぐに見つめながらゆっくりと口を開く。
この言葉が、もしかすると彼女を刺激するかもしれない。
麟はその事を懸念していた。ただ、もし刺激することになったとしても現世のようにはならないと言う安心感はある。
「……ひな。君は自分の中にある力の存在に、もう気付いているね?」
その質問に、ひなは僅かに表情を曇らせて小さく頷き返した。
きゅっと自分の胸の前で手を結び、視線を下げて呟くように語り始める。
「最初の時は朧げでよく分からなかった。初めて力に気付いたのは、たぶん5歳くらいの時だったと思う」
ひなは、麟と出会う前にも一度この力を出したことがあった。それは本当に他愛ない、小さな子供にありがちなぐずりだ。
当時のひなは祖父母が気味悪がられ始めたくらいの頃。
5歳とはいえ、家の中で次第に冷遇されていく事に気付けない訳ではない。そして周りの自分と同じ年頃の子供たちの傍には必ずと言っていいほど両親がいると言う事にも気付ける年齢だ。それなのに自分の傍には祖父母しかいない。その事に対して疑問を持ち「父と母に会いたい」と思うのは至極当然の事でもあった。
祖父母はそんな幼いひなの言葉にもまともに取り合おうとしないため、癇癪を起した時に家の電球が突然破裂したのが、最初の力の具現だった。
以後、彼女に対する祖父母の冷遇が更に加速したのは言うまでもない。
今思い出しても胸の奥がざわつくような気持ちになる。
「……香蓮が私の体を使っている時にその力の事、はっきりと分かった。それはとても私には扱い切れないくらい大きくて強いものだなって……」
自分の中に、今でも僅かな隙を見つければすぐにでも暴れ出しそうな危うさを感じている。それを揺り起こさないように慎重になっているのは否めなかった。
どのタイミングで暴れ出すのかも、何となく自分でも分かっていた。それは、自分に対して何か被害が起きたり強いストレスがかかったりした時だ。
「おそらく、ひなはその力が暴走するきっかけももう分かっていると思う」
「うん……」
「一度その力が解放されると、それまで何ともなかった事で暴走することがこれから先あるだろう。残念ながら、解放された力はもう消すことは出来ない。だから君はその力を上手く制御する術を見つけなければならないんだ」
麟はそう言って琥珀糖の一つをつまみ上げ、それをひなの手に持たせた。
「その為に、しばらくはこの菓子を使うといい。これを使わなくても大丈夫になるまではね」
「……うん」
自分が例え知らない人であっても傷つけることは嫌だった。それでも自分ではどうにもできなくなった時のことを思うとどうしても不安になってしまうのも否めない。
不安に押し潰されそうなひなに、麟はそっと彼女の頭に手を置き、ひなが琥珀糖を載せている手を包むように握り返した。
「ひな……心配はいらない。私も八咫烏も君の傍にいる。もし上手くいかなくても気にしなくていい。上手くいかなかった時は必ず助ける。そして何より、必要以上に怖がるな」
「麟さん……」
その言葉に嘘が無い事はよく分かっている。同時に小さくズキンと痛んだ。
ここで生きて行くためにも、自分の力だけで上手くコントロールできるようにならなければいつまで経っても麟に迷惑をかけることになってしまう事になるだろう。
そう思うとひなは頷くしかなかった。
「分かった。やってみる」
しっかりとした眼差しを持ち、見つめ返してくるひなに麟はふっと肩から力が抜けるのを感じた。
「慌てる必要はないし、気負う必要もない。ここでは時間はたっぷりあるんだからね」
「うん。ありがとう、麟さん」
「じゃあ、私はそろそろ八咫烏たちの所へ行くとしよう。何かあればシナに伝えてくれれば、私に分かるからね」
「はい」
やんわりと微笑んで頷くと、麟はポンポンとひなの頭を優しく叩いて立ち上がる。するとすぐさま傍に控えていたシナが麟の新しい羽織を手に傍に近づいて手伝いを始めた。
颯爽と着込んだ麟はもう一度ひなの方へ振り返るが、ひなは笑って手を振った。
「麟さん、行ってらっしゃい」
「……あぁ、行って来る」
ふわりと目尻を緩ませて微笑むと、麟はその場を後にした。
「コントロールかぁ……」
麟が仕事場に行ってしまった後、ひなはその場にコロンと横になり手の中にある琥珀糖をじっと眺めた。
水色の琥珀糖は、陽の光に照らされてキラキラと輝く。ぼんやりとその様を見つめながらボソッと呟いた。
「……香蓮はなんで、自然とコントロール出来たんだろう」
ひなはふと香蓮が自分の体を乗っ取っていた時の事を思い出した。
彼女は日頃からイライラしていた。いつもいつも、苛立っていない日が無い方が多いほどに。それでもやはり大きく感情が高ぶった時以外は力を使った事はなかった。
しかし今考えてみても彼女の感情一つで日本のどこかが被災レベルで荒れるなど、空恐ろしい。それだけ強い力を持っている事が怖くなってしまう。
突然不安に襲われ、ひなはぎゅうっと自分の体を抱きしめる。
「私は誰も傷つけたくない……。香蓮みたいに自分の感情だけで皆を傷つけるなんて、そんなの、怖い……」
胸の中がザワザワしてくる感覚にぎゅっと目を閉じる。
ダメだと分かっていても、どす黒い闇が表に飛び出して来そうな気配に抗えそうにない。そうこうしている内にカタカタと周りの物が小刻みに震え出し、立てかけてあった物はぱたりと畳の上に倒れ始めた。
その時、ひなの肩にぽんと手を置かれ、固く閉じていた瞳をパッと見開いた。視線を上げるとそこには自分の頭元に正座していたシナの姿がある。
シナはぽんぽんとひなの肩を優しく叩き、大丈夫だよと優しく背中を摩ってくれる。
「シナちゃん……」
まだ胸の奥のざわめきは収まらないが、シナの姿を見ると僅かに気持ちが落ち着く。
ひなは手の中に残っていた琥珀糖をぱくりと口に含ませる。
その瞬間、胸の奥の不安と今にも飛び出して来そうな黒い力がみるみる縮小していくのを感じた。奥に閉じ込められただけで、まだジリジリと燻っているのは分かるが暴れ出す前で良かったと胸を撫でおろす。
「はぁ……」
ひなは発作を起こした後のような気怠さを覚えながら、ゆっくりと上体を起こす。するとシナは慌ててその体を支えるように手を差し伸べてきた。
「何で私にこんな力があるんだろう……。あんまり考えた事、今までなかったけど……」
これがなければ苦労することもなく、もっと違った普通の人生を送れていたに違いないと言うのに……。
それでも、この力があったからこそ麟たちに出会えた。だから否定をする気は今はもうない。だが、もしかしたら自分のルーツを知ることで何か分かることがあるかもしれないと思うと、ひなはぎゅっと両手に拳を作る。
「そう言えば私、お母さんの事全然知らない。知ってるのは、産んですぐにいなくなっちゃったって事だけ。……もしかしたら、お母さんが何か知ってるのかもしれないけど、もういないもんね」
ひなは琥珀糖のガラス瓶を手に取り、握り締めた。
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