受容

 閻魔の元を去り、元来た道を辿って幽世に戻ってきたヤタはずっと頭を抱えていた。全ての真実を知るために今すぐ帝釈天の元へ駆けつけたいのも山々だが、まずは麟に話を通さなければならない。

 だが、どう伝えるべきか……。そもそも伝えても良いものなのかと悩んでしまう。それでも報告の義務はあるのだから、言えないはずもない。


 あれこれと悩みながら屋敷の庭先に降りたヤタに、縁側に座ってのんびり日向ぼっこをしていたひながいち早く気付き声をかける。


「ヤタさん! お帰りなさい。どこに行ってたの?」

「……」


 嬉しそうに駆け寄って来たひなは、もう先ほどのようにめかしこんではおらずいつものシンプルな着物に、長い髪は一つに三つ編みにしていた。

 その姿でさえも、どこかヤタの知る雪那の面影が見え隠れしている。


 雪那が阿修羅の妻で、その雪那は麟の寵愛を一心に受けていて、ひなは雪那の子孫で……?

 何がどうなっているのか、一人で考えたところで結果が出るわけではないのに、どうしても考えてしまう。 


「……どうしたの? 体調悪い? 熱でもあるんじゃないの?」


 黙り込んだまま何も話さずじっと見つめられ続けていたひなは、不思議そうに首を傾げる。だがヤタがふっと視線を逸らしたことで何かを感じたひなは、ヤタの着物をぐっと掴んだ。

 驚いて視線を戻すと、ひなは怒っているかのような顔でヤタに詰め寄る。


「ヤタさん、何か悩んでる」

「え?」

「何を悩んでるの? 私が聞いてもいい?」

「あ、いや……」


 麟に報告をするよりも先にひなに話すのは違う。何より、これはひなに聞かせていい話ではないとヤタは躊躇いながらも閉口する。だがひなはもうヤタが何かで悩んでいる事に勘づいていた。


 負けじと食い下がってみようかと思っていたひなだったが、どこか気まずそうにしているヤタを見ているとそれ以上聞いてはいけないような気持になり、掴んでいた着物から手を離した。


「……分かった。聞くのはやめとく。だって、困らせたくないもの」

「ひな、悪いな……。話せる時が来たら話すよ」

「うん。でも、一人で抱え込んだらダメだよ? だって……だって、ヤタさんはもう私の家族だもん。困ってたら助け合うの、当たり前でしょ?」

「……!」


――八咫烏。あなたは……私の家族よ。困ったことがあったら助け合わないとね。


 ふわりとほほ笑むその笑みや“言葉の選び方一つが雪那と同じ”だと言う麟の言葉が一瞬で頭の中に蘇る。

 ヤタもまたこの時、ひなが雪那の子孫であることの確証を得た。


「……じゃあ、麟に報告しなけりゃいけない事があるから、仕事に戻る」

「うん。お仕事頑張ってね!」


 ひなが大きく頷き、自室へ戻って行く後姿を見送りながらヤタは深いため息を吐いた。


「……っとに……伝え難い事知っちまったな」


 ヤタはガシガシと自分の頭を掻きむしる。

 よりにもよって、雪那が阿修羅の妻だったという事実は伝えるべきなのか、胸の奥にしまっておくべきなのかが悩ましい。

 だが、ふと思い出す。このまま黙っていたら少し前の自分と同じような状況になるだろう。あれだけ自分の事が信用できないのかと手を上げておいて、自分は黙っているのは間違いなのかもしれない。


 ヤタは葛藤しながら麟の元へと向かった。







「お帰り。八咫烏」


 仕事部屋に戻ってきたヤタを、麟は優しい笑みで出迎えた。

 見れば部屋の中にはいつもいるはずのマオの姿も、忙しなく入れ代わり立ち代わり巻物を運んでくるあやかしもいない。


「そろそろ戻って来る頃だと思っていたよ。とりあえず人払いはしておいた。戸を閉めて報告してくれ」

「あ、あぁ……」


 言われるままに戸を閉め、麟を振り返る。

 麟は持っていた筆をそっとすずりの上に置いて、真っすぐに八咫烏を見据えていた。その顔を見ているとどうしてか上手く言い出せる自信がなくなる。


 いつもならすぐに報告をしてくるはずの八咫烏が口籠っている事に、凡そ自分の耳に入れにくい情報を仕入れてきて困っているのだろうと言う予測は立つ。しかもそれがあまりいい情報ではないと言う事も、言わずとも分かる事だった。


「八咫烏」

「……」

「今回の話は、私の耳には入れにくいような情報なんだな」

「……あ、あぁ」


 自分から言い出しにくいなら、こちらから少しずつ聞き出していくつもりだった。

 阿修羅に関係する事であるのは分かり切っている。彼に何か動きがあったと言うだけならこんなに言い淀むこともない。と、言う事はもっと別の何かだ。例えば……。


「……雪那のことか?」

「……っ!?」


 あからさまな表情の変化に、麟はやはりな、と納得がいった。

 ふぅっと長い溜息を吐き、一度目を閉じてからもう一度八咫烏を見やる。その目はどんな内容でも受け入れる覚悟のある目に見えた。


「話してくれ。どんな話か私にも聞く権利はある」

「……分かった」


 真っすぐ射貫くような眼差しに、八咫烏は少々気後れしながら重たい口を開いた。

 自分が仕入れてきた情報の全てを余すことなく全て、一語一句嘘偽りなく打ち明けると、案の定麟は僅かに表情を曇らせた。

 「そんな顔をさせたくなかった」と八咫烏は内心そう思ったが、麟は聡明だ。黙っていたところでいずれ分かってしまう事実でもある。


「……そうか」

「……」


 短くため息を吐くようにそう呟いた麟は、顔の前で組んでいた両手に額を押し当てて顔を伏せてしまう。

 やはり彼にとって心にダメージを受ける話だった。

 言ってみれば、彼は裏切られていたと言っても過言ではない。これ以上の麟の心を裏切り踏み躙られるようなことがあれば、彼はどうなってしまうだろうか。

 八咫烏は気が気ではなかった。


 どこかハラハラしながら麟を見つめていると、麟は伏せていた顔を上げて何事もなかったかのように顔を顰め、気難しい顔を浮かべたまま口を開く。


「分かった。話してくれてありがとう。現時点では特に大きく問題になることはなさそうだが、今後はどうか分からないと言ったところか……。戻って早々悪いが、帝釈天の元へ向かってくれるか」

「麟……?」

「何だ?」


 本当はもっとショックを受けるんではないかと思っていた八咫烏は虚を突かれたような気になった。しかし、彼は表情を変えずまっすぐに自分を見据えて来る。


「あ……いや。もっとショックを受けるかと思ったんだが……」

「……ショックではあるさ」


 麟は心配する八咫烏の言葉に素直に自分の心の内を打ち明ける。

 僅かに視線を下げ、力なく微笑みながらも麟は自分の気持ちに正直に話し始める。


「唯一心を許し、愛して来た女性が自分ではない他の者の妻だっただなんて、傷つかない者はいないだろう? でも、彼女は何も言わなかった。何一つ、本当の事を口にする事はなかった。私の元を去る時も……。どう思い何も言わなかったのか、それは雪那にしか分からないことだが、分かるのは、私が彼女にとって信用に足る者ではなかったと言う事だったのかもしれない」

「それは違う!」


 麟の言葉にカッとなった八咫烏は、麒麟の文机に両手を叩きつけ声を上げる。

 八咫烏は知っていた。雪那の立場がどうであれ、彼女は間違いなく麟の事を愛しく思っていたことを。

 だが麟はふっと困ったような顔を浮かべて微笑みながら八咫烏を見た。


「すまない。別に捻くれるつもりじゃないんだ。雪那にどういう経緯があれ、私を裏切っていたとしても、彼女が私を愛していなかったとしても、私は彼女の罪を受け入れる」

「……麟」

「どんな者にも過ちはあるものだ。お前にも、ひなにも、そしてもちろん、私にも。だが、そこを咎めたところで意味はない。憎んだところでいい結果を生まない事は分かっている事だろう? 甘い考えだと、帝釈天や閻魔に言われたこともあるが、私にできる最良の選択は受け入れることなんだ」


 そうでなければ、幽世での番人など務まるわけがないだろう。と麟は笑う。

 麟自身が多くの傷を付けられながらも受け入れるからこそ、閻魔と帝釈天は別の角度から厳しさを問う。三人はバラバラでいてバランスが取れていると言ってもよかった。


「それに、今は私の想いに正直に向き合ってくれる人がいてくれるんだ。十分だと思わないか?」

「……そう、だな」


 遠回りをしたが、傷を受け続けている麟にも、ようやく心から支えてくれる者が出来た。それ以上は何も望まないと言う言葉に、八咫烏もまた頷いた。

 それならば、麟と同等にひなはこれまで以上に強固に守らなければならないと八咫烏は心に固く誓う。


「これからの事に関して、私を含め三世界の番人で話をする必要がある。そのためにも帝釈天には全てを話してもらう必要があるだろう」

「承知した」


 そう言うと、八咫烏は再び部屋を後にした。

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