謂れない妬み

――ここはどこ? あたし、確か東京に帰ろうと思ったのに……。


 ふよふよと浮ぶ半透明の魂が一人。現世に帰ろうとして道に迷ったのか、麟の屋敷の庭園にいた。先ほどマオが報告していた、10命の内の一人だった。

 招き入れられた中庭からあやかし達の目を盗んで戻ろうとしたが、入ってきた入り口からは出られない仕組みになっていた。他に出口があるかもしれないと広大な屋敷の中をさ迷っている内に一人の女性あやかしが目に留まり、彼女の後ろに張り付くようにして移動して来たものの、また別空間の屋敷に来てしまい途方に暮れていた。


――凄く綺麗だけど、あたしはこんなところにいる場合じゃないわ。早く戻らないと次のオーディションに間に合わなくなっちゃう! 次のオーディションは絶対に逃せない。あたしで決まるって決まってんだから!


 モデルかタレントだったのだろうか。執念の塊と化した少女の魂は必死になって出口を探して屋敷をさ迷う。だが、あまりに広い屋敷の庭でもはや迷子になってしまっていた。


――何なの?! この無駄に広いお屋敷は! どこの金持ちが住んでんのよ!? ムカつくわね!!


 徐々に苛立ってきた少女の魂は、右に行ったり左に行ったりと漂いながら一人で癇癪起こし始め独り言がエスカレートし始める。


――そもそも、このカクリヨ? ゴウとかトクとか? よく分からないけど、あたしに与えられるって言う姿、あれ何なの? 完全にモンスターじゃん。気持ち悪い。何であんなのにならなきゃいけないのよ。あたしは世界一の美少女なんだからね!


 余程この世界で与えられる姿が気に入らなかったのだろう。一人でブツブツと文句を漏らしてさ迷うその時、屋敷の奥から和やかな笑い声が聞こえ、動きを止めた。

 少女の魂は慌てて近くにあった茂みの影に隠れる。


 そっと茂みから顔を覗かせて声のする方を見ると、そこにはひな達の姿が見えた。

 とても綺麗な麟とヤタの姿に目を奪われて一瞬惚けてしまうが、すぐそばに可愛がられるひなの姿を見つけ、ピクリと身を震わせる。

 彼女はあやかしの姿をしていないどころか、普通の人間だと気付くと少女は一方的な嫉妬や怒りを露わにした。


――何……何であいつ、生きたままここにいるの? それに、あんな美形に囲まれて幸せそうにしやがって……。


 元々傲慢な性格をしていたのだろう。今の自分にはないものを持っていることが急に妬ましく思えて来る。

 自分が一番。一番の自分は何でも手に入れる事が出来て、誰にでもちやほやされて、何をしたって許される……許されて当たり前だった。

 それが、知らない間に死んでよく分からない世界に放り出されて困ってるのに、大して可愛くもない凡人があんな綺麗な男の人達にちやほやされていることが許せない。

 そう思えば思うほど、ムクムクと黒い感情が沸き上がって来る。


――ちくしょう……ちくしょうっ!! おかしいじゃない! あたしは死んで、気味の悪い化け物みたいな姿にならなきゃいけないのに、なんであいつは人の姿でいるのよ? おかし過ぎる! あいつが人の姿でいられるなら、あたしだってそうならなきゃおかしいっ!!


 半透明の実体を持たない少女の魂はその身を震わせ、怒りに戦慄いた。


――不公平……不公平だ。


 ギリギリと不揃いの歯を噛み鳴らし、一方的な憎悪を膨らませていく。

 少女の魂はまるで影の中に溶け込むように、ジワジワとその姿を隠していきながら、ひなに向けての憎悪を膨らませた。


――ずるい……ズルい……ズルイ……許せないっ!!


「……!」


 突然、背後からただならぬ気配を感じた。

 食事中のひなが、その怨恨を肌に受け恐る恐る背後を振り返る。

 庭先はいつもと変わらない。柔らかく暖かな桜の花びらが降り注ぐ、とても綺麗な庭だ。


「ひな、どうした?」

「え? う、ううん……。何か急にゾクッとして……」


 麟に心配かけさせまいと、ひなはぎこちない笑みを浮かべながら首を横に振る。

 先ほどまで楽しそうにしていた彼女の様子が一変し、顔色が悪くなっている事に気付いた麟はシナを呼び寄せる。

 すっかり食欲を失ってしまったひなは、まだ少し残る御膳に橋を戻す。


「顔色が悪い。今日はもう疲れただろうから、部屋に戻ってゆっくりお休み」

「うん。ありがと、麟さん」


 ひなはシナに連れられ部屋を出た。その際にも、チラチラと庭の方へ視線を送るがシナが庭側に立ったことで見るのをやめ自分の部屋へと戻って行く。

 残った麟は、先ほどから庭先に意識を向けているヤタの隣に立った。


「さっきから嫌な波長を感じていたんだけどな……」

「この屋敷に張ってある結界はそう簡単に綻びるものでもない。外からの侵入は考えにくいだろうな」

「……偵察に行って来る」


 ヤタはすくっと立ち上がり、人の姿から烏の姿に戻ると大きな翼をはためかせ屋敷から飛び立つ。そんな彼を見送りながら庭先を見つめていた麟もまた、いつになく険しい表情を浮かべていた。


 幽世に住むあやかしたちの中には悪さをする者もいる。悪さと言うまだ可愛げのあるものであれば良いが、そうでないものもやはり存在するのだが、今回こちらに向けられているのは明らかな危険性の高さを感じさせるもの。


「人の世で犯した業だけでは飽き足らず、幽世でも業を犯すか……。三途の川で落としきれなかった思いがあるのだろうな」


 いつの時代のどんな世界にも、どうしようもない者は存在する。その者の攻撃先が麟であれば良いのだが、違う者に向けられているとなると厄介だ。


「閻魔と帝釈天に連絡を取っておこう」


 麟は懐から白い紙を二枚取り出し、傍仕えしている式神に筆を持って来させた。

 さらさらと手紙をした為、半分に折りふっと息を吹きかける。すると二つに折られた紙は見る見るうちに鶴の形に変わり、自らの意識で飛んで行った。





「シナちゃん。ひな、もう大丈夫だよ」


 部屋に戻り、急いで布団を敷いてひなを寝かせたシナはとても心配しているようだった。シナがあまりに心配するものだから、ひなは何だか申し訳ない気持ちと嬉しさが込み上げて来る。

 傍らに座り込んで様子を窺うシナに、ひなは上体を起こすとぎゅっと抱きついた。


「ありがと、シナちゃん」


 抱きついてきたひなに、シナはようやく安堵したのかポンポンとその背中を優しく撫でた。それが「良かった」と言っているかのような温かい気持ちに包まれ、ひな自身にもとても安心できるものだった。


「シナちゃん、何だかお母さんみたいにあったかい」

「……」


 お母さんのようだ、と言われたシナは驚いた様子を見せたがすぐに肩の力を抜いてひなの頭を優しく撫でた。

 このままこのぬくもりに包まれていたかったが、我がままになり切れないひなは抱きついていたシナから体を離してにっこりと笑って見せた。


「大人しく寝てるから、シナちゃんももう休んでいいよ」


 そう言うと、シナは小さく頷いてゆっくりと立ち上がり静かに障子を閉めて部屋を後にする。布団に横になったひなは、シナがいなくなったことを確かめてから慌てて掛けていた毛布を頭から被った。


 本当は、とても怖かった。

 背筋から這い上って来るような、何とも言えないヒヤリとした感覚。ぎゅっと自分の体を抱きしめても込み上げて来る震えが止まらない。


(どうしよう。凄く怖い……またアレが来るかもしれない)


 掛布団の中でじっと目には見えない恐怖に震えている内に、ひなはウトウトとし始めた。



                 *****



『あれ……? ここ、どこ?』

 

 ひなが目を覚ますと、身に覚えのない場所に立っていた。

 無数に立ち並ぶ見上げるほどのビルに挟まれた道路のど真ん中に、ひなは立っていた。

 歩道橋と歩道を歩く大勢の人達の顔は皆同じ顔をしていて無表情だ。何より一番怖いのは、道を歩く人たちやビルは黒いのに空と地面は赤いと言う気味の悪い空間だった。

 会話もなく、無音の中でただ雑踏だけが辺りに響き渡る。


『り、麟さん……!』


 ひなは怖くなり、麟を求めてキョロキョロと辺りを見回し、方角も分からないまま道路を走り始める。すると先ほどまで車の気配などまるでなかったはずの車が一台、物凄い勢いで背後からひなを追い抜いて行った。

 びくっと体を震わせ、ひなが瞬間的にその場にしゃがみ込んだのと同時に、耳をつんざくようなブレーキ音と、まるで雷が堕ちたのかと言うほど大きな衝突音が周りに響き渡る。


 訳も分からず体を恐怖に震わせながら恐る恐る顔を上げると、先ほどひなを追い抜いて行った一台のワゴン車が交差点から歩道に乗り上げ、店先に頭から突っ込んで停車していた。そしてワゴン車の傍には一人の少女が倒れているのが見えた。

 歳で言えばおそらくひなよりももう少し年上の、13歳くらいの少女だろうか。


『じ、事故……』


 まさか、目の前で人が車に跳ねられ死んでしまうような事故を目撃するとは夢にも思っていなかった。

 ひなの体は自分でも押さえられないほど大きく震え、あまりの恐怖に頭の中が混乱してしまい訳が分からなくなってくる。


『……ど、ど、しよ……』


 何とか呟いた言葉は震え、正しい言葉として口から出たかどうか自分でも分からなかった。ただ、目だけは目の前の事故で大量の血を滴らせる少女を見つめている。

 すると、それまでひなとは逆の方を向いていた少女の首が、ぎこちない動きで動き出したかと思うと、ぐるんと勢いよく振り返った。

 頭から血にまみれ、見開かれた目はギョロギョロしておりひなを凝視している。そして次の瞬間、閉じていた口がぱっくりと開いた。




――貴方ダケ生キテルナンテ、許サナイ!




『……いっ、いやああぁああぁぁぁあああぁぁっ!!』


 見たこともない少女からの、見覚えのない恨み。

 ひなはいよいよ恐怖が限界点に達し、頭を抱え込んで大粒の涙をこぼしながらその場にしゃがみ込んで、つんざくような悲鳴を上げた。


 そして自分の体の中にある柄も知れぬ力が暴走し、大きな爆発を引き起こす。

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