第一章

幽世

「で? この幽世かくりよに連れてきたと」


 満開の夜桜に包まれたとても広い平屋敷の一室に、布団の上で眠るひなの姿がある。

 大きく放たれた障子からひらひらと桜の花びらが舞い落ちていく中、縁側の淵に止まっていた一匹の黒烏――八咫烏やたがらすが呆れたような眼差しで見下ろしていた。


 ひなの生きる世界の現世ではまだ初秋の頃。時期で言えば桜が咲く頃ではないのだが、不思議なほど淡い光を放つこの巨木の桜は、屋敷を囲むように生えている。

 桜舞う縁側に腰を下ろしていた麟は、八咫烏が不満そうにしているのを見て小さく笑う。


りん、あんたがまさか拾い物してくるとは思わなかったぞ」

「そう言うな。……彼女は現世で生きていくには苦労が尽きない子だ。それに、まだ幼いのに愛情に飢えている」

「……」


 麟の言葉に、八咫烏は目を細めてひなを見つめる。

 鼻先に掠めるのはただの人間のニオイ。麟がこれほどまで気にかけると言う事は何か特殊な力のニオイの一つや二つしてもおかしくはなさそうなのだが、今のひなからはそういった類のものは一切感じない。

 麟は気まぐれで連れ帰って来るような者でない事は、長年傍で見てきた八咫烏には分かる。


「……それだけじゃないんだろ?」


 ぼそりと呟いた八咫烏の言葉に、麟はふっと笑みを浮かべて彼を見上げた。


「分かるか」

「そりゃね。長年あんたと生きて来たんだ。それくらいは分かるさ」


 八咫烏はトットットと横跳びで彼の傍から離れる。そして大きく溜息を吐きバサリと自らの体を包むように羽を広げると、たちまちの内に黒い着物をまとった男性に変化した。真っ黒な髪を乱雑に結い上げて、武士のような身なりをした大柄で屈強そうな男性だった。

 足音を出来るだけ立てないよう、眠るひなの傍に近づき片膝をついて彼女の顔を覗き込む。


「で? この女の子をここに連れて来た理由ってのは?」

「……彼女は異能者だ。それも、人だけじゃなく現世全体に害を及ぼす異能」

「へぇ? 全然そんな風には見えないけど」


 八咫烏は値踏みをするかのようにまじまじとひなを見つめる。

 それだけの異能が備わっているなら、こうしていても何か特殊な物を感じてもおかしくはないのに、それがまるで感じられない事で勘ぐってしまう。


「彼女はまだ未熟だ。力も今はまだそこまで強くはない」

「先々には強くなるって?」

「そうだな。だからこそ、この子は現世に置いておくわけにはいかないからな。彼女にはこの幽世で生きてもらおうと思う。」


 麟の言葉に、八咫烏は「ふ~ん」と言いながらもようやく納得したように腰に手を当て、立ち上がって息を吐いた。


「仕方ない。俺はあんたの神使だ。その俺がどうこう言ったって、あんたの指示には従わざるを得ないじゃないか」

「すまないな」

「別に……いつものことだし」


 やんわりと微笑む麟に、八咫烏は少々不貞腐れたように顔を顰めるが、その頬が微かに赤らんでいる。彼はそれを隠すように顔をそむけた。



                ****



 ひなは近くのコンビニでお弁当とお菓子を買って家に帰宅していた。

 ビニール袋を下げて誰もいない家の鍵を開けて中に入ると、まっすぐリビングに向かい電気とテレビを点け、バラエティ番組を流しながら買ってきた弁当をテーブルの上に広げた。


 まだ僅かにぬくもりが残る、ひなが大好きでよく買う唐揚げ弁当。

 コンビニ内で作られている、機械ではなくちゃんと人の手が加わった手作りのお弁当がひなは好きだった。

 少し遅い時間に行くと割引シールが貼られて安く買える、と言うのも一人で暮らしていくうちに気付いた事だ。


「少しくらい冷めてても、やっぱり誰かが作ってくれたお弁当は美味しいもんね」


 まるで自分を慰めるように呟いた言葉が虚しい。

 割りばしを割って行儀よく手を合わせてからお弁当を半分ほど食べ進めながら、ひなはぼんやりとテレビから流れる番組を見つめる。


 テレビの中の人達はいつ見ても楽しそうだ。友達も沢山いるだろうし、仲の良い両親や家族がいる人だってたくさんいるに違いない。大変な事もあるだろうけれど、それを支える仲間がいることは生きていく上で強みになる。


「……」


 関係ない人達が映るテレビを見ていても感じてしまうどうしようもない疎外感に、ひなは急に食欲が無くなった。

 食べかけのお弁当にラップをかけて、食後に食べようと思っていたプリンごと冷蔵庫に押し込むと、テレビと電気を消して自分の部屋に駆け戻る。


 バフっとベッドに倒れ込み、時々こうして込み上げて来る言いようのない寂しさを一人堪えていた。

 掛布団をきつく握り締め、滲んでくる涙を堪えながら「絶対泣かない。絶対に泣いたりなんかしない。寂しくないもん」と呪文のように心の中で呟き、ぎゅっと唇を噛んだ。


 ひなは一人になってからずっと、こうして寂しさに耐え忍ぶ日々を送っていた。隣の家の団らんの声が追い打ちをかけて来るが、それでも誰かに怖がられるくらいなら一人でいる方が良いことを選んだ自分の選択を翻すわけにはいかなかった。


 泣いたところで、誰も慰めてくれるわけではないのだから……。


 ある程度の時間が過ぎると胸に込み上げて来る悲しい感情が少し落ち着き、ひなはコロンと体の向きを変えた。

 窓を見ると、大きな亀裂の入った窓ガラスの向こうに夜空が広がっている。


 ひなは、この亀裂の原因が自分だと言う事を知らない。地震か何かでガラスがひび割れ直すこともないままだと思っていた。


「……いつか壊れちゃうよね。この窓ガラス」


 誰に言うでもなくそう呟きひび割れを見つめていたひなは、ふと、窓の外に何かを見つけ目を見開く。

 遠くの山の上に流れ星が見えた。いや、流れ星と言うべきなのだろうか。キラキラと青や鮮やかな赤や黄色の光の帯を引いて、一瞬明るくなった夜空。それはまるで吸い込まれるように山の一部に消えて行った。


「あれ、あの場所って高神神社のある方だ」


 ベッドから起き上がり、窓にしがみつく。

 今から行ったら何が落ちたのか分かるだろうか? いや、しかしあの道を夜に出歩く勇気はない。でも、早く行かなければ落ちた物が他の人に見つけられてしまうかもしれない。


 いても立ってもいられず、やはり行ってみようとベッドから降りた瞬間、インターホンが鳴り響いた。


『すいません、警察です。どなたかいらっしゃいませんか?』


 ひなはそろそろと音を立てないように一階に降り、インターホンの室内カメラを見ると警察官が二人映っているのが見えた。


『この時間になっても誰も帰って来てないのかな。すいませーん』

『この家、娘さんが一人老夫婦と暮らしているはずだけど』

『隣の人に話を聞いてみるか』


 インターホン越しに話をしている警察官の声を聴き、ひなは怖くなった。

 もしかしたら明日にでも、施設に連れて行かれるのかもしれない。そう思うと焦った。

 警察官が家の前から立ち去り、カメラが消えて暗くなるとひなは急いで靴と鞄を握り締め、玄関ではなく庭から外に飛び出した。


 夜道を夜の闇に隠れるように駆け出し、神社へ向かう。

 息を荒らげながら走っている内に、ひなの胸には疑問が浮んで来た。


(あれ? 何だろう。この光景……一回見た気がする……?)


 走る足を止めて、呼吸を整えながら後ろを振り返ると、いつもなら見えているはずの街の明かりが見えない。再び前を見ると、山の上にある神社が見えはするもののそこへ続く道は、ついさっきまで見えていたのにいつの間にか漆黒の闇に飲まれて見えなくなっていた。


(嘘……どうしよう……え、でも、なんで?)


 1人でパニックになっていると、それまで遠方に光っていた神社が見えなくなり、代わりに優しそうな大柄の男性が現れ、自分に手を差し伸べていた。


『君は、神隠しを望むんだね?』


 その言葉に、ひなはハッとなり目の前の男性に向かって手を差し出した。




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