大事な思い出

麟に抱きかかえられたまま、広い屋敷の中をぐるりと見て回る。

 広い庭園には大きな池があり、何本も植えられた桜の木が屋敷を取り囲んでおり、建物の造りは平安時代の貴族の住む屋敷と同じく、寝殿造となっていた。


 ひなは麟に連れられて色々を見せてもらっている間に人と一切すれ違わない事に気付く。この広大な屋敷内には自分たち以外いないのだろうか? そう思った矢先、真っ白い布の面を付けた使用人と思われる女性数人とすれ違った。


(あ、人、ちゃんといたんだ)

「ひな。この渡殿を渡った先に、私の仕事場があるんだ」


 通り過ぎた人を見つめているとふいに麟に声を掛けられ、そちらを振り返る。

 そこには今までいた屋敷と別邸を繋ぐ、渡殿と呼ばれる長い廊下があり、その先にはこれまで見てきた建物と同じくらいの規模の建物が見えた。そしてこちら側ではほとんど見かけることがなかった人たちの姿がチラホラ見て取れた。


「あ。あの人たち妖怪さんだ。あの妖怪さんもお仕事してるの?」


 ひなの目に映る、忙しく廊下を行き来する者たちがあやかしだと言う事に驚きもせずそう答える。


「そうだよ。彼らは私の仕事を助けてくれているんだ」

「麟さんて、どんなお仕事してるの?」

「そうだな……。外から来た客人をもてなす仕事、と言えばいいだろうか」

「お店屋さんなの?」

「店か……まぁ、あながち間違いではないな」


 麟はくすくすと笑いながらひなの頭を撫でる。

 彼の仕事は、現世からやってきたかつて人だった者たちの魂の、現世で積んできた業の数や重さを計り、それ相応の容姿を与え職を与えると言うものだ。

 ひなの言う通り、ある意味では店だと言ってもおかしくはない。


「君はこの渡殿から先には入っちゃいけないよ」

「うん。分かった。お仕事の邪魔になっちゃうもんね」


 素直に頷くひなに、麟はにっこりと微笑んだ。


「君はこの屋敷の居住区に私と共に暮らすことになる。何処の部屋でも好きに出入りしてもらって構わない」


 屋敷の中心でもある庭園が臨める寝殿の廊下で、麟は抱きかかえたままだったひなを下ろしながらそう呟く。

 このあまりに広い屋敷の中のどこに行ってもいいと言われて、嬉しいと思う反面、ひなはう~んと悩んでしまった。


「凄く広いから迷子になっちゃうかも……」

「そうか? なら、君には一人女中を付けよう」

「女中?」

「君の身の回りの世話をする女性の事だよ」 


 麟が着物の合わせから一枚の人の形をした紙を取り出して人差し指と中指で挟み、三度顔の前で縦に空を切る。そしてふっとその紙に息を吹きかけると麟の指に挟まれていた紙は自分の意志を持ったかのように小さく揺れて手元から離れ、ひなの傍に舞い降りた。

 紙が地面に付くか否かの刹那、むくむくっと大きくなり先ほどすれ違った女性たちと同じ背格好で同じ着物をまとい、やはり布の面を付けた女中が立っていた。他の人と違うのは面の額部分に小さく朱色で「護」と書かれている事くらいだ。


 まるで魔法だ。

 これまでひなが知る限りの常識を大きく覆すような出来事が次から次に起きている。夢のようで現実を目の当たりにしている事に感動を覚えた。


「今日からひなについてくれ」

「……」


 麟がそう言うと、その女性は何も言わず音も立てることもないまますっと腰を折った。

 ひなは不思議そうにその女性を見上げていたが、女性の表情は分からず窺い知る事も出来ない。外はずっと緩やかに風が吹き続けているのに、彼女の面はひらりとなびく事もなく、まるで顔に張り付いているかのようだった。


「麟さん、この女の人の名前は何て言うの?」

「名前?」

「うん」

「彼女たちは私の式神たちで名前は無いんだ」


 あやかしたちの世界ではある程度の格がある者だけに名前が与えられる。

 麟が作り出した式神の彼女らに名前がないのは至極当然と言えるのだが、ひなは酷く悲しそうな顔を浮かべた。


「名前が無いのは可哀想だよ」

「……じゃあ、ひなが付けてくれるか?」

「いいの?」

「あぁ」


 自分で選んで決めて良いと言われ、ひなは嬉しそうに目を輝かせる。

 これがまた一つ、ひなの自己肯定感を高める一つになった。


「じゃあねぇ……シナちゃん!」

「シナ?」

「うん! あのね、前の家に住んでた時に優しくしてくれたお姉さんが一人だけいたの。初めて会ったお姉さんだったんだけど、少しの間だけ色んなお話を聞かせてくれたりして凄く楽しかったんだ! シナちゃんとはその一回しか会えてないけど、ひなの大事な思い出なんだよ」


 嬉々として話すひなの唯一の楽しいと思えた時間だったのだろう。顔を紅潮させ、両手に拳を作って興奮気味に話す様子を見て、麟もまた柔和な表情を浮かべる。

 辛いだけの過去ではなく、一つでも彼女にとって良い思い出があるなら良かったと。

 その時ふと、ひなの二つに結ばれた髪ゴムがキラリと光った。


「その髪止めは……」

「あ、これ? 綺麗でしょ? シナちゃんに貰ったんだ~。ひなの宝物なの!」


 麟はそこに込められた気配に気付き「……なるほど」と納得する。

 ひなが出会ったと言うその女性もまた、何らかの異能を持った人物かあるいはあやかしの類か……。ただ言える事は、髪ゴムに込められた守りの気配から、その女性もまたひなの味方であると言う事がよく分かる。


「そうか。ひなにとって辛いばかりの思い出だけじゃなく、安心したよ」


 えへへ、とはにかんだ笑みを浮かべるひなに、麟は溜まらずふっと笑ってしまう。

 こんなにも愛くるしい子が迫害を受け続け、人から嫌われていたとは普通なら考えられない。これからはひなが幸せな時を過ごせることを切に願わずにいられなかった。

 麟はひなにもう一度手を差し伸べる。


「では、ひな。次は屋敷を出て外の世界の話をしようか」

「うん!」


 ひなは今度こそ躊躇うことなく、差し出された麟の手をしっかりと握り返した。

 「シナちゃん」と名づけられた式神の女性は、出掛ける二人を見送り頭を下げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る