屈辱的な挫折

 高層ビル建設途中の鉄骨の上で、麟は着物の袂から取り出した数枚の人型の紙に念を込める。その紙にふっと息を吹きかける事で魂が宿り、ただの紙は動物に姿を変えて四方に走り去っていく。

 ひながいなくなり、麟とヤタが現世に身を置くようになってかれこれ一週間。毎日のように式神を使い行方を追っているにも関わらず、まるで彼女の足取りが掴めない。

 ここ数日で分かったのは、ひなは現在ファッション雑誌や化粧品の広告看板などに出ている事で、東京に身を置いていると言う事が分かったぐらいだった。


「……」


 麟はふぅっと深いため息を吐く。

 どっとくる疲労感は現世に身を置いているせいかもしれない。幽世には時間と言う概念が無いに等しく、時の流れは現世の方が遥かに早い。

 こちらでの一週間は幽世の時間で現すなら、まだ四半刻も経っていないに等しい。

 時の流れが早すぎる分、焦りも体力の減りも加速する一方だった。


「麟」


 偵察に出ていたヤタが大きく翼をはためかせながら、麟の傍に舞い降りる。


「見つかったか?」

「いや……。どこを見てもひなの気配は全然感じられない。あいつ、周りに存在感を大々的に現しているわりに、かなり上手く隠してるな」


 ビルの目の前にある建物屋上の看板。そこには飲料水の広告がでかでかと掲げられており、そのイメージキャラクターとして起用されたすっかり大人びたひなの笑顔がある。

 二人はその広告を見つめ、やるせない気持ちになった。


 ひなが何者かに連れ去られ、なおかつ彼女の気配を丸ごと分からないようにするのには、やはり乗り移りの可能性が高い事を二人は分かっていた。そしてそれが、庭先で不穏な気配を放っていた魂の仕業だと言う事も。


「麟。見つけたらどうする?」


 ヤタの問いかけに、麟はぎゅっと拳を握り締めた。


「如何なる魂も同等に扱い、同等に転生する権利を与えられる。それが幽世での鉄則としてある以上、ひなに乗り移った魂もまたそうなるべき存在だ。しかし……例外もある」


 麟は目を伏せ、眉間に皺を寄せる。

 彼は本来蟻の子一匹でも命を尊び、殺生を好まない性格だ。何人であろうと命の再生を喜び、手を差し伸べ守る存在。だが、ひなだけでなく多くの人を危険に晒す者に対して好感は当然抱かない。


 麟がそれ以上の言葉を紡げず苦しんでいる様子を見て、ヤタはふっと息を吐いた。そしてポンと彼の肩に手を置き、振り返った麟の顔を覗き込むように真っすぐに見つめ返す。


「その役割の為に、俺がいるんだろ」

「……八咫烏」

「汚い仕事は俺の役目。本当にどうしようもない奴は死んで魂になったってどうしようもない奴のままだ。まぁ、稀にきちんと更生する奴もいるけどな。その辺に関しては事前に閻魔にも帝釈天にも許可を貰ってんだ。気にするな」

「すまない」


 ニンマリと笑いポンポンと麟の肩を叩くと、麟は目を細めて小さく頭を下げる。

 彼の抱える苦い葛藤が分からないわけではないが、甘いだけでは通らない事があると言う事をヤタは良く理解していた。何より、麟もただ甘いだけの性格をしているわけではない。それを分かっているからこその苦悩を抱き、思い悩みやすいのだ。

 ヤタはその性分を含めて、そんな麟という存在を心から敬愛していた。


「謝んなって。今までもたまにだがこういう事があっただろ。あんたはほんとに、俺より強いくせに優し過ぎるのが玉に瑕だよな。よく番人が務まってると思うぜ。それにこれは俺の大事な役目で、あんたに仕える最大の意味でもある。だからこの仕事を取り上げるような真似はしないでくれよ」


 そう言うと、ヤタは「日が暮れる前にもう少し偵察してくる」と言い再び空に舞い上がった。麟はそんなヤタを見送り、再び看板の中のひなに目を移した。


「ひな……。君は今どこにいるんだ」



               ******



「……どう言う事?」


 テレビ局の控室にいたひなが、目の前にいる気弱そうな男性マネージャーに怪訝そうな目を向けた。


「こ、今回の化粧品のイメージキャラクターが別の方に決まったそうで……」

「はぁ? 何でよ。それって今までずっとあたしがメインでしてた仕事でしょ?! 何で今更別の人間に決まるのよ! おかしいじゃない!」


 バンッと机を叩き、思い切り不機嫌な声を上げるひなにマネージャーはビクッと肩を震わせた。


「け、契約が満期を向かえる為だと……」

「は? そんなわけないでしょ? まだ契約期間が切れる時期じゃないってあたしが知らないと思ってんの? つい先日だってあのスポンサー、次のシーズンも私を使うって言い切ってたのよ? 舐めた事言ってんじゃないわよ!」


 あまりに高圧的な勢いに押され、ひなよりも一回り以上は年上だろうと思われるマネージャーは完全に委縮してしまい「す、すみません!」と言いながら震え上がった。

 ひなは腕と足を組み、縮みあがるマネージャーをねめつける。


「あんた、最近新しい仕事もまともに取ってこれてないじゃない。売れもしない下っ端がやりそうなスーパー広告のタイアップとか? あたしの事ナメてんの? 今じゃ皆が知っている売れっ子なのよ? バカにしてんじゃないわよ! ほんっと使えない。そんな使えないマネージャーなんかいらないわ! とっとと帰りなさい!」


 苛立ちを爆発させ、マネージャーを追い出すとひなは頭をガシガシと掻きメイク用の鏡に映る自身の姿を睨むように見つめる。


 ここのところ思うように仕事が回ってこなくなり、世間からも見放されかけているのは自分自身も薄々気付いていた。このままではまた忘れ去られてしまう。忘れ去られてしまえば自分は自分でなくなり、何の価値もなくなってしまう。それが怖くて堪らなかった。


 焦燥感と苛立ちからすっかり人相が変わり、人格も拍車をかけて歪んでいく。

 仕事が回ってこなくなったのも、今まで携わってきた仕事を他の人に取られてしまうのも、全ては自分の態度や性格の悪さが及ぼし、まさに自業自得だと言う事に気付けない。


「私の真の価値が分からない人間なんかいらないのよ……。せっかく死後の世界から復活してきてやったって言うのに、何も知らない馬鹿共め……」


 ひなの体から黒い蛇が出現し始める。

 カタカタとテーブルが小刻みに震えはじめ、水の入ったペットボトルとコップが不自然に膨張したかと思うと派手な音を立てて粉々に飛び散った。ピシッ! とひびが入る音走ると、ひなの体から真っすぐ縦に亀裂が走り抜け閉じられていたドアが支えなく倒れ外にいた人々は途端に慌ただしくなった。

 そして同時に、長い廊下の電球が凄まじい速さで端から弾けて消えていく。


「きゃあああぁっ!」

「す、すぐにスタジオに戻って! ニュース速報を!」


 バタバタと廊下を行き交う足音が多くなる中、人混みを掻き分けながら一人の人物が駆け込んでくる。


「カ、カレンさん! 避難を……っ!?」


 駆け付けたのは先ほど追い出したマネージャーだった。だが、そのマネージャーはひなの様子を見た瞬間その場に凍り付いてしまう。

 マネージャーも知らないわけではない。SNSで囁かれていた「死神」の事を。


 真っ黒なオーラを放ち怪しく光る目でマネージャーをゆっくりと振り返ったひなは、くっと短くほくそ笑んだ。その瞬間、控室の鏡の前に置かれていた電気スタンドがバリバリと音を立てて弾け飛ぶ。同時にドーンと大きな爆発音が響き、頑丈に作られ耐震性にも十分な対応をしているはずのテレビ局がガラガラと音を立てて崩壊し始めた。

 身動きが取れないマネージャーとひなの間を亀裂が走り抜けて、建物が傾くのと同様に互いに大きく傾いでいく。


「う、うわぁあああぁぁぁあぁっ!!」


 叫びながらこちらに手を伸ばしてくる彼は、何とかひなを救おうと伸ばされたものだった。

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