呪縛、解離、そして解放

 テレビ局は横一文字に断ち切られ、互いに支えられなくなった建物は派手な音を立てて崩れ落ちて行く。人々大慌てでテレビ局から離れ、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。


 テレビ局の建物の崩落に再び飲み込まれたひなは、瓦礫の重なり合う中に偶然にも出来た狭い空間に埋もれ、気を失っていた。

 そんなひなの傍に一匹の鼠が駆け込んでいく。ヒクヒクと鼻を動かし、辺りの様子を窺うように意識を失っている彼女の周りをチョロチョロと駆け回り、汚れた顔の傍に近づくと動きを止めた。そして鼠はじっと食い入るようにひなの顔を見つめ、その黒くつぶらな瞳がキラリと光る。その瞳が写すその姿は、そのまま麟の元へと届けられた。


「……ひな!」


 麟は反射的に顔を上げる。

 神格化した麟が空中から突如として大勢の人々が駆けて来る様子を見ていた。

 ようやく落ち着いて来たと思った頃に、地上に放っていた式神からの連絡に安堵を覚える。


「麟、見つかったのか?」

「海の近くだ。被害が最も大きい」


 麟が視線を向ける先には、東京湾が見える。

 空から見下ろすと最も被害の大きな場所は一目瞭然だった。まるでひなのいる場所を中心に衝撃波が散ったかのように建物の損壊が縦横無尽に広がっている。


 麟とヤタは迷うことなく、一直線にそこへ向かった。

 辺り一面、まるで戦争にでも遭ったのかと思うほど凄惨な姿に変わり果てていた。いつもなら賑わっているはずのショッピングモールも、人々が優雅に散歩を楽しむ遊歩道も跡形もなく崩れ去り、ここにはすでに人の気配は無い。


 鼠に寄って送られてきた場所の近くに降り立つと、彼女の姿を映像として送った鼠の式神が駆け戻って来る。


「ご苦労だったな」


 麟が式神に労いの声をかけ、ふっと息を吹きかけると式神は一枚の紙切れに戻った。そして麟が気絶しているひなの傍に身を屈めると、麟は安堵の色を見せつつも表情は切なげに顰める。

 幽世に来た時は本当に子供そのものだったと言うのに、現世に連れ戻されて本来あるべき姿に成長したひなは、もう子供と呼んではいけないように思えた。

 その成長ぶりを見ると、幽世ではほんの僅かでも現世で長い時間会えなかった事が余計に胸を締め付ける。


 時間の長さと言うものを今この時に初めて麟はひしひしと感じた。

 自分がこれほどに思うのだから、さらに長い現世の時間を過ごしたひなはそれ以上の物を感じているのかと思うと、言葉もない。


「で、どうする? まだひなの体には別の魂が入ってるぞ」

「少々手荒かもしれないが、まずはひなから引き離すことが先決だ。別の魂が乗り移ってから時間が立ちすぎているせいで、下手な融合をしていなければいいが……」


 麟は着物の袂から筮竹と護符を一枚取り出す。

 黒く塗られた筮竹ぜいちくを扇状に広げ絞った部分を片手で握り、空いた方の手は人差し指と中指で護符を挟み、扇状の筮竹の前で印を切る。そしてサッと空に放り投げると、筮竹の一本一本が意志を持っているかのように広がり、ひなの周りを大きく囲むように円形に地面に鋭く突き刺さった。


 麟は指に挟み混んでいた護符をひなの胸元に置くと、パンッと両手を打ち鳴らす。するとビクッとひなの体が反応し、閉じていた瞼がゆっくりと開かれた。


「お前は何者だ」


 麟の問いかけに目を覚ましたひなは、憎悪の籠った表情で睨みつけて来る。


『あたしの邪魔をするな……』


 ひなの口から発せられた言葉は、彼女自身の声とは全く違う女性の声音だった。

 ぞっとするような低くくぐもった怨念の籠った声。がくがくと小刻みに震える体をゆっくりと起こし、乱れた髪の隙間からヤタと麟を睨みつけて来る。


「こっわ」


 まるでそう思ってなどいないのに、ヤタは顔に薄ら笑いすら浮かべながらわざとらしく怖がる素振りをしてみせた。


『今更この子と引き離そうとしたって無理だ。この子はもう諦めてる。あたしにこの体を明け渡すつもりでいるんだ』


 くくっと笑うひなに、麟の鋭い目がきゅっと細められた。


「その体はお前のものではない。……返してもらうぞ」


 麟がちらりと隣にいるヤタに目くばせをすると、ヤタは小さく頷いて腰に携えていた刀の柄をゆっくりと握り込み、やや腰を落として身構えた。


『引きはがせるものならやってみろ!!』


 香蓮がそう言い放つとひなの体から強い衝撃波が発せられ、麟とヤタの着物を激しく煽る。ビリビリと空気中から伝わって来る強烈な痺れるような感覚が二人に襲い掛かり、動きに制限がかけられた。


「何だこの力……っ。随分攻撃的だなっ」


 意図せず冷汗がヤタの頬を伝う。ひなが放つ睨み一つで動きを封じられているかのように体が動かない。上から強い重圧をかけられ、地面に沈み込みそうな感覚に襲われそうになる。やがてカタカタと地面が鳴き始め、地の底から這い出てくるかのような地鳴りが辺りに響き渡ると同時に、空を割くような音がヤタと麟の傍を掠めた。


「……っ!」


 空を割く音がするたびに、二人の体に傷が走り抜ける。着物は割かれ、あっという間にボロボロになってしまった。

 にやりとほくそえむひなの片眼の瞳孔が縦に開き、チカリと怪しげに赤い光を放つのを麟は見逃さなかった。

 手足が上手く出せない状況に歯痒く思ったヤタが隣にいる麟に声を上げる。


「おい、麟! これで本当にひなの力抑えてんのか?!」

「結界内にいてこれだけ力を使いこなせるのは予想外だが、実際彼女はあの場所から動けないはずだ!」


 麟が言うように、ひなはその場から動けないようだった。こちらが身動きが取りにくいように彼女もまた体が思うように動かせないのか、先ほどから四つん這いになるのが精一杯でそれ以上起き上がる事もままならないようだった。


「乗り移ってる奴より、ひなの力の方がよっぽど怖ぇわ!」

「ひなから引き剝がせるのは一瞬かもしれない。八咫烏、しっかり見極めろ!」

「承知!」


 冷汗を流しながらニヤリと笑うヤタは、動きにくい手を動かして刀の柄に手をかけた。

 麟は指を二本に立てると、大きく虚空に印を切り始める。


天津神あまつかみにかしこみかしこみ申し上げる。かの御霊より放つ一縷の命、今よりお還し申す。天照坐皇大御神あまてらしますすめおおみかみより真なる御霊を呼び起こし、今一度その御身に宿したまえ」


 麟の唱える言葉に呼応するように、結界を張る筮竹の威力が増した。


『……ぐっ!』


 ひなは短く唸るとようやく四つん這いで起き上がっていた体をぐしゃりと崩し、地面の上に抑え込まれる。

 強い圧迫感と体中を締め上げられるような息苦しさに、ひなはもがき苦しみながら身を捩った。


 麟は力任せの拘束や苦しみを与えるのは本意ではない。出来る事なら一刻も早く香蓮がひなの体から離れて欲しいと願ってやまなかった。しかし、香蓮もただでは離れて行かない。執拗にひなの体にしがみつき、出ていく事を拒み続けた。


『こ、のままだと……この子も死ぬ、ぞ……っ』

「お前も苦しいだろう。早く離れたらどうだ」

『……っく、くく……嫌だね……。共倒れになったって、あたしは構わない』


 麟の表情が苦々しく歪む。

 結んだままの印を横にすっと薙ぎ払うと、ひなに体にかかっている重圧が更にきつくなる。


『あう……っ!』


 短い悲鳴を上げ、息が出来ない状況にひなの表情がきつく歪んだ。もがく動きにも鈍さが増し、体が小刻みに震え始める。すると、ゆっくりと顔だけをこちらに向けたひなの目には涙が光っている。


「麟……さ……」

「!」

「麟! 惑わされるなっ!」


 ポロポロと零れる涙と明らかなひなの声に、麟は目を見開いて怯みそうになる。だがすかさずヤタがそんな麟の気持ちに喝を入れるように声を張った。

 上手く相手を怯ませてこの場から逃げ出そうと思っていた香蓮は、隣にいるヤタを睨みつけ声を荒らげる。


『忌々しい、奴め!』


 そう叫ぶと、ひなの体からズルリと巨大な黒蛇が這い出て来た。

 チロチロと赤い舌を出しながら鋭い眼光でヤタと麟を睨みつけたかと思うと、素早い動きで大きな牙を剥き出しに襲い掛かって来る。


「いい加減、観念しろよっ!」


 そう声を上げると同時に、八咫烏は刀を引き抜き巨大な黒蛇の首を切りつけた。

 首が取れた黒蛇の体はゆっくりと傾いで大きな音を立てて地面に倒れ込み、サラサラと砂のようにその姿を消した。


 ようやくひなの体から離れた香蓮の魂は、何者にも生まれ変われない虚無として消滅した。


「ひな!」


 ひなを拘束し押さえつけていた術を解いた麟が急いで彼女の元に駆け寄り、その体を抱き上げる。ぐったりとして目を閉じたままだが、かろうじて呼吸だけは静かに繰り返していた。

 麟は汚れ切った彼女の顔をそっと指で拭い、慈しむように触れる。


「……遅くなってすまない」


 そう言うと、ぎゅっと優しくひなを抱きしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る