周知


 「あれ……? これをこうやって……っ!?」


 ひなは着物の着替えに悪戦苦闘していると、背後からすっと手を伸ばしてくる人物に驚いてそちらを振り返り目を見開いた。

 目の前にはこちらに目もくれず、黙ったままぐちゃぐちゃになってしまった帯を解いて結び直す一人の女性の姿がある。

 真ん中から二つに分けられ、首の後ろで一つのお団子にした髪型のその女性をマジマジと見下ろしていたひなは恐る恐る口を開いた。


「シ……シナちゃん……?」


 声を掛けられた女性はそれに反応して顔を上げ、にこりと微笑んだ。

 今までずっと面を付けて顔の表情も何も分からなかったシナから、今は面が取れてなくなっている。その面の下から現れた顔はとても美人で、そしてどこか見覚えがあるような懐かしさも感じられた。


(あ……。そうだ、この顔……しなちゃんだ)


 その表情に思い当たったのは、子供の頃一度だけ会った優しくしてくれた女性だった。顔がどことなく似ているのは、ひなの持っているその女性の顔を麟が感じ取り近づけたのかもしれない。


 シナはひなに着物をきちんと着付け、最後の飾り帯をぎゅっと閉めたところで立ち上がり両手に拳を作って「頑張って」と応援しているようにしてみせた。


「……ありがとう!」


 ひなは堪らなくなってシナに抱きつくと、彼女は優しくひなを抱きしめ返してきた。





「……では八咫烏。頼んだよ」

「承知」

「麟さん! ヤタさん!」


 ヤタを見送りに出ていた麟の元へひなはパタパタと駆け寄って来と、その様子に驚いた二人が彼女を振り返る。

 二人の元へ駆け付けたひなが思わずよろめくと、咄嗟に麟が抱き止めた。


「ひな、大丈夫か? どうしたんだ?」

「あの、話したいことがあるの。少しだけでいいから、二人に聞いて欲しい」


 慌てて走ってきた呼吸を整えながら上げた真面目な顔のひなを見つめ、どちらからともなくヤタと麟は顔を見合わせた。


「分かった。じゃあひとまず客間の方へ移ろうか」


 麟がひなの肩を支えるように抱いて、三人は玄関から一番近い客間に戻る。

 客間とは言え、玄関から近い位置にあることから屋敷の番人が使う部屋ではあるが、自由に出入りしていい場所として設けてあった。

 中は使用感はあるものの小ざっぱりとしていて、簡単な話をするには差支えは無い。

 

 部屋に入るなり、ひなは二人の前に立って口を開く。


「麟さん、ヤタさん。二人が何をしようとしているのか、私にも教えて欲しいの」

「!?」


 突然の申し出に、麟もヤタも驚いて言葉にならない。だが、すぐにヤタが口を開いた。


「何言ってんだよ。俺らはただいつも通り仕事をしているだけで……」

「ううん。そんなはずない! もっと凄く大事で大変な事をしようとしてるでしょ」

「あのなぁ、仮にそうだったとしても、お前に話すわけねぇだろ! お前には関係ない事なん……」

「関係なくないっ!! だって、私は雪那さんの子孫なんでしょう? だから黒い男の人が……」


 黒い男の人、と言う言葉に二人は思わず目を見張った。そして麟は思わず両手でひなの肩を掴み、険しい表情で彼女を見下ろす。 

 普段あまり見ない彼の表情に、ひなは思わずビクッとしてしまう。


「黒い男って……」

「さっき夢に見たの。男は雪那さんの事、俺の雪那って言っていた。それから、俺のひなとも……」

「!?」


 ゾワリとしたものを感じた麟の表情が凍り付く。その話を聞いたヤタもまた険しい表情のままひなを見つめ返した。

 夢を介してひなに接触を試みてきた阿修羅に、言葉が出ない。いや、それだけではなく、何よりも言葉を失わせたのは、阿修羅はひなの存在に勘づいていると言う事だ。そしてひなが雪那の血を引く末裔だということも、すでに分かっていると言う事……。


「夢に侵食してきたのか……」

「……他に何か言っていたか?」


 険しい表情のままヤタがそう訊ねると、ひなは頷き返した。

 たかが夢では済まされないほど、一語一句の全てを記憶している。あのリアルさも頬を舐められた気味悪さも、全てが実際に感じてきたこととしてハッキリとした感触が残っていた。

 思い出すだけでゾッとするが、ひなは手をギュッと握り締めて夢の事を口にする。


「雪那と同じ道を辿らせてやろう。あいつが壊れたら全ては無に還るって。それから、私の力を解放してやろうか。俺と同じ力を持ってるんだろうって……」


 麟はたまらずひなをきつく胸に抱き寄せた。

 また奪われてしまうかもしれない事への恐怖が勝る。ありとあらゆることを受け入れてきた。例えどれだけの傷を負おうとも、受け入れ続けた。そして雪那の事もだ。だが、また同じように大事なものが手の内から消えてしまう事は、もう受け入れられそうにない。

 雪那の時とは違う、ひなとは本当の意味で心からの繋がりを感じられた。それに気付いたからこそ、切り離されてしまったら受け入れられる自信が麟には無い。


 いつにない焦燥感に迫られた麟の様子に、ヤタが心配そうな声をかける。


「麟」

「……ゆっくりしている暇はないな」


 ここまで侵食してきた阿修羅に大人しくしていられるはずもない。何より、それが原因で危ない位置に引き込むつもりがなかったひな自身が危険に晒されていることに、麟の胸にはこれまで感じたことがなかった殺伐とした感情を芽生えさせた。


「すぐに帝釈天の元へ。早急に彼から全てを明かしてもらわなければならない。そして、今後どうして行くのか議論も必要だ」

「承知」


 ヤタはそう言うと、心配そうにこちらを見つめているひなの頭に手を置いた。


「……お前まで巻き込むはずじゃなかったんだ」

「うん……」

「けど、こうなった以上お前だけを外すことは不可能だと思う。ただこれだけは約束する。お前の事は俺だけじゃない、麟が必ず守るからな」


 ヤタの言葉にひなは一瞬泣きそうになるが、しっかりと頷き返すとヤタはふっと口元に笑みを浮かべ頭をくしゃくしゃと乱雑に撫で、翼を広げて空へ舞い上がった。

 ヤタが飛び去った後に舞い散る黒い羽を手を伸ばして掴み、それごと麟の事を抱きしめる。

 言葉にならない緊張感で抱きすくめて来る麟の腕の強さに目を閉じて、彼を落ち着かせるように静かに呟く。


「麟さん。二人がいてくれるから、私、大丈夫だよ」

「……」

「怖くないって言ったら嘘だけど、でも、私も一緒に戦う。だから、麟さんたちが知ってる事私にも教えて?」

「……ひな」


 腕の中にいるひなが幼いだけではなく、力強い意志の強さを持って見つめ返してくる姿に、麟もまた腹を括った。

 今度こそ、何があろうとも手を放すことなく守り抜いて見せると。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る