一人じゃない
顔を赤らめたまま顔を俯け、麟と歩いている間はお腹を押さえ時折息を飲んで、出来るだけ大きな音にならないように我慢していると、ふいに目の前に赤い飴に絡められた長いイチゴの串が現れる。
いつの間に購入したのか分からず驚いて顔を上げると、麟が優しい眼差しでイチゴ飴を差し出している姿があった。
「食べるか?」
「……う、うん!」
ひなは差し出されたイチゴ飴の串を受け取り、しばし眺めた後で一番上にあるイチゴをぱくりと頬張った。
口いっぱいに広がる飴の甘さとパリパリとした触感。その奥から溢れ出る飴とは違う甘酸っぱいイチゴの果汁に、ひなの目は輝いた。
「美味しい!! すっごく美味しいよ麟さん!」
「そうか。良かった」
「ひな、こう言うの食べるの初めて!」
嬉しそうにイチゴ飴を頬張るひなに、麟は何とも言えない気持ちになる。
ひなには夏祭りに行った記憶が無い。記憶にも残らないほど小さい時には行った事があったのかもしれないが、物心ついてからは祭りに行くことは無く、部屋から花火の上がる音を聞いて過ごすばかりだった。
お祭りで売られている物がどんなものかはネットの情報で見てはいたが、実際に口にする事は叶わなかった。だからこそ、お祭りのようなこの場所で憧れていた屋台の食べ物を口に出来たことが人一倍の感動を覚える。
「おや、麒麟様。珍しいですね、この街に降りて来られるなんて」
「たまにはこうして見回ることも必要だろう」
食欲をそそる店の前で麟を呼び止めたのは、大きな体格のギョロギョロとした目を三つ持つ店の店主だった。
小さい頃から異形の姿をしたあやかしを見ていたひなには、気持ち悪いという感情や怖いといった感情は特に無かったが、間近に見るとあまりの迫力に思わず麟の後ろに隠れてしまう。
「やぁ、いつもはほら、あの怖い顔をしたお供の方が視察に来られるんで……」
十分怖い部類に入りそうな姿をしたあやかしが困ったように笑い、後ろ頭を掻くような仕草をする。自分の事はさておき、「怖い顔をしたお供の方」と聞いて、ひなはすぐに誰の事かピンとした。
「ヤタさんだ」
「ひな」
麟はひなの言葉に短く叱責を入れながらも、その顔は笑っている。
八咫烏は決して怖い訳ではないのだが、三白眼と大柄な体形のためか誰の目から見ても威圧感のある怖さがあるようだ。
麟に注意されたひなの姿に気付いたあやかしは、彼女に目を向ける。
「麒麟様、その子はどうされたんです?」
「少し訳があってね。私が彼女の身を預かることになったんだ」
「へぇ……。しかし、こんな場所に連れ出すなんて、大丈夫ですかぃ?」
「この世界を知って貰う為に必要なことだからね。すぐに引き上げるよ」
ジロジロとこちらを見下ろしながら会話する店主と麟の姿をこっそり見上げていたひなが、手にしていたイチゴ飴をすっかり食べ終えてしまうと、こんがり焼かれた肉厚で香ばしい香りを放つ牛の串焼きが店主の手から差し出された。
「お嬢ちゃん。これは俺からのサービスだ。お食べ」
差し出された串焼きを見つめ、ひなは麟を見る。
「……食べていいの?」
「もちろん」
麟がにこやかに頷くとひなは差し出された串焼きを受け取り、「ありがとう」と礼を述べてからぱくりと頬張った。
鼻先から吸い込む焼きたてホヤホヤの肉の香りに、柔らかく口いっぱいに広がる肉汁と良く効いた塩味に、ひなは嬉しくなって目を輝かせ思わず体を震わせた。
「すっごくす~っごく美味しい!」
「お! 嬉しい事言ってくれるねぇ! また来てくれよ! お嬢ちゃんなら大歓迎だ!」
その一言に気を良くした店主は上機嫌でひなの頭をポンポンと軽く叩くと、鼻歌交じりに目の前の串焼きをひっくり返し始めた。
美味しい美味しいと食べる姿を見ていると、それだけで心が満たされる気分になるのは麟の方だった。こんなにも喜んでくれるなら、幾らでも与えてやりたいと思えて来る。
その後、ひなは目に入るもの全てに興味を示し、興奮冷めやらぬ様子でここにある店の物を全種類食べ尽くす勢いで、次から次へとその小さな体の中に収めていった。
綿あめを食べては「雲を食べてるようだ」、冷凍パイナップルを食べては「アイスみたい」、たこ焼きを食べては「世界一美味しい」と、子供らしく素直な感想を伝えながら頬張り続け、これ以上は食べられなくなると歩くのも疲れてしまっていた。
「ひな、そこに座ろうか」
「うん。疲れちゃった」
麟は搾りたての果汁ジュースを片手に、すぐ近くにあった椅子にひなを座らせる。
「腹は十分に満たったか?」
「うん! お腹いっぱい! どれもすっごく美味しかったよ! でもひながいた世界と同じ食べ物があるのに驚いた」
「彼らは元々人だった者たちだからね。君の生きてた世界と同じものがここにあってもおかしくはないさ」
ほくほくとした表情で麟からジュースを受け取ると、ひなはオレンジ色に揺れるジュースの水面を見つめてポツリと呟く。
「今日のご飯は本当に美味しかった。ひな、いつも一人で食べてたから……」
思い出されるのはつい昨日の事。
誰かの手作りだとは分かっていても、冷めかけたコンビニ弁当を誰もいない家で食べるご飯は、決して不味くはないのに味が分からなかった。例えレンジで温めたとしても、心の底から美味しいとは思えなかったのだ。
その事を思い出すと辛さを思い出してしまうが、それでも今は顔を上げれば麟がいてくれることが嬉しかった。
「誰かと一緒に食べるご飯がやっぱり一番美味しいよね。麟さんが一緒でよかった」
「……」
「それに、皆すっごく良い人たちだった! こんなにあったかい気持ちを貰ったのも初めてだから嬉しい」
満面の笑みを浮かべるひなに、麟は彼女をやんわりと抱き寄せた。
包まれる温かさに目を見開いたひなの心の奥に、ジンとしたものが込みあがって来る。それはやがて瞳から意図せず零れ落ちた。
「あれ? おかしいな。悲しくないんだけど……」
「……人とは、感情豊かな生き物と言うのは本当なんだな」
麟がひなの涙を拭うと、彼女は涙を貯めた瞳で見上げながら口元に笑みを浮かべながら、確かめるように口を開いた。
「ひな、もう寂しくないんだよね? もうひとりぼっちじゃないって信じていいんだよね?」
「あぁ、大丈夫。もう君に寂しい思いはさせない。安心して過ごすといい」
その言葉が嬉しくて、ひなの目からは涙が零れ落ちるも表情は笑みが零れていた。
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