険悪

 広間の外に控えていた女中に先導され、蓮の花が咲き乱れる庭を横切って御殿を出たヤタは、門扉が閉まるのを待ってから盛大に舌打ちをする。

苛立ったように腕を組み、門扉を睨みつけながら悪態を漏らした。


「相変わらずいけすかない! 何なんだよ! ネチネチネチネチ……なんであんな粘着質な言い方しかしねぇかな。腹立たしい!!」


 本人には決して言えない言葉を吐き、ぷりぷりと怒りながらギリギリと奥歯を噛み締める。こんな場所にいるのも気に障ると、ヤタはムカムカしながら地面を荒々しく踏みしめ、幽世への道を急ぐ。


「人をバカにして見下すような言い方しやがって……」


 ヤタは麟が侮辱されていると思い、非常に腹が立っていた。

 ヤタにしてみれば麟は絶対服従に等しい人物だ。その相手をまるで見下すような言い方をされれば腹が立たないわけがない。しかし、元を正せば帝釈天の言っている事は決して間違いではない。悪性の強い魂の侵入を許し、まんまとその魂に振り回されたのは事実だ。そこについてアレコレ言うつもりは毛頭ない。

 痛いところを突いて来るからこそ腹も立ち、反論したくもなる。だが、それはただの暖簾に腕押しにしかならないことも重々分かっていた。


「……くそ。俺たちがもっとしっかりしねぇとな」


 極楽から幽世へ続く扉の前でヤタは足を止める。

 マーブル状の空間が広がる扉を見つめながら、ふと先ほど言われた小半という言葉を思い出した。


「ひながあいつの子孫……か。あり得ない話じゃねぇけど……」 


 あのあやかしの女性の子孫だと言うなら、それ相応の目に見える印のようなものがあってもよさそうだが、ひなからは何も感じられなかった。僅かにでもあやかしとしての要因があるならすぐに分かりそうなものだと言うのに。


 扉の縁に手をかけて、ヤタはため息を吐く。


「麟、あんた、ほんとは何か気付いてるんじゃないのか……?」


 もしそうだとしたら、打ち明けて貰えない事への苛立ちも増す。

 自分は一体どれほど長い時間彼に付き従って来たと言うのか。信頼されていないような気持ちになってしまえば、面白くはない。


 バサッと翼を広げると、扉の中に飛び込んだ。



             ◆◇◆◇◆



「?」


 ひなは一瞬聞こえた荒々しい音を聞きつけ顔を上げた。

 傍にいたシナも同様に音のする方へ視線を巡らせ、どこか落ち着かない様子でそわそわし始めた。


「シナちゃん、何の音だろう……?」

「……」


 シナはひなを見つめ一度頷き返すとその場から立ち上がり様子を見に部屋を後にした。

 残されたひなはこの部屋でじっとしているべきなのは分かっていたが、それでも何やらただならない雰囲気に居ても立ってもいられず、シナの後を追うように部屋を抜け出した。


「どうして何も話さない!? そんなに俺が信じられないのか!?」


 声を荒げるのはヤタの声だった。

 ひなに与えられた部屋から長い廊下を隔て、麟が仕事に使う屋敷の渡殿近くの部屋で諍いが起きているようだ。

 シナはその部屋の前でどうしたものかとオロオロしている姿が見て取れ、ひなはそんなシナの影からひょっこりと顔を覗かせ驚いたように目を見開く。

 やや興奮したように相手を睨み下ろすヤタと、彼に殴られたのか口元に微かに血を滲ませている麟の姿が見えた。


「り、麟さ……!」


 何が起きているのか分からず、思わず声を上げるひなにシナは慌てて口を塞いでくる。彼女自身もオロオロしているが、ひなの口を手で封じたまま首をブンブンと横に振った。


 二人の話に首を突っ込むなと言いたいのだろう。

 不安げに顔を顰めてシナを見上げるが、彼女はしきりに首を横に振るだけだった。


「男性の話に女性が口を挟むのは邪道」


 話せないシナに代わり、背後からそう声をかけてきたのはマオだった。

 澄ましたような顔を浮かべてツカツカと歩いて来ると、ひなの背中をグイッと押してこの場から遠ざけるように歩かせる。


「で、でも麟さんが怪我して……」

「無粋ですわ。あの状況であなたに何ができると言うの?」

「そ、それは……」


 ピシャリと言ってのけられるマオに、ひなは次の言葉が上手く紡げない。

 マオとひなの後を追いかけて来たシナもまたうんうんと大きく頷いていた。


 部屋を抜け出したものの結局元に戻されたひなは、シナやマオと共に部屋に入る。

 二人がただならぬ状況になっていると言うのに、ここで大人しくしなければならないと思うととても落ち着かない。

 目の前に座ったマオに、ひなは口を開いた。


「あの……大丈夫でしょうか」

「大丈夫ですわ。それより、申し遅れました。私は麒麟様のお傍で八咫烏同様秘書として勤めているマオと申します。あなたの事はよく麒麟様より聞いておりますわ」

「あ、えっと、ひなです」


 心ここにあらず状態ながら、ひなもぺこりと頭を下げて自己紹介をする。

 ハキハキと話すマオに少々気圧されているのか、おどおどとするひなの様子にマオは思わず目を細めた。

 

「ひなさん、この程は大変でしたね」

「いえ……。あの、麟さんは……」

「ひなさん。先ほども言いましたが、男性同士の話に口を挟むことはおやめ下さい。ご存じないとは思いますが、お二人は時折あのようにして腹を割った話をする事がございます。そこに女性が入れば、より話がもつれてしまうのです。長引けば仕事にも支障が出て、私たちあやかし同士にも煮え切らない物が残ります。よって、あなたが口を挟むべきではないのです」


 ツンとしてきつい物言いをするマオだが、すぐそばに控えているシナも同様に首を縦に振っているところを見ると、ひなは自分が出る幕でない事は容易に感じられた。


「……でも、何で二人はあんな事に?」

「あなたの事ですわ」


 まるで睨むかのような冷たい眼差しを向けられ、ひなは思わず口をつぐんでしまう。そして同時に、なぜ自分の事であんな険悪な雰囲気になってしまうのかが分からない。


「私の事って……」

「詳しくは存じませんけれど、でもあなたに関わることであるのは間違いありません。そうでしょう? シナ」

「……」


 マオがそう問えば、シナはやはり首を縦に振った。


 それを聞いたひなは自分が原因で二人が険悪な状況になるのは嫌だと思った。だが、自分の何が原因なのかが皆目わからず、モヤモヤとした気持ちだけが残る。


「……私が原因って、何だろう」

「それは後で麒麟様ご本人にでもお聞きください。とにかく、今は大人しくしていて下さい。分かりましたね?」


 有無を言わせない物言いのマオを前に、ひなはもう何も言えず首を縦に振る事しかできなかった。


「は、はい……」

「ではシナ。あとは宜しく頼みます。私はまだ色々と片付いていませんから仕事に戻りますわ」


 マオの様子を見るからに、シナが彼女を呼んだのだろう。

 シナが深々と頭を下げると、マオはちらりとひなを冷たく睨むように一瞥すると「ふん」と鼻を鳴らし、ピシャリと障子を閉めると部屋を後にした。


 マオが完全に立ち去ったのを待ってから、ひなは目の前にいるシナにぼそっと呟く。


「シナちゃん……マオさんて怖いね」

「……」


 その呟きに、シナはまたもオロオロとし始めるが、ひなは何も聞かされない今の状況にどこか不満を感じていた。

 大切にされているのは分かるが、何故誰も教えてくれようとしないのだろうか。一人だけ蚊帳の外に放り出されているような気持になり、ひなはただ下唇を噛み締めて俯く事しか出来ずにいた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る