第11話 ナウカワ公国

 ヨイリからタカキにいたる街道が封鎖ふうさされたとは言え、遠回とおまわりにはなるが経路けいろを代えれば良いだけだ。一つはより山すそを巡りタカキに至る道、もう一つはほぼ使われていない、毒に満たされている海沿いの道を使って大きく迂回うかいしタカキに至る経路がある。「山の者」の残党に関する情報もあり、山よりの道ではなく海沿いの経路をモローは辿たどる事にした。

 翌朝、モローとアマリは馬車を東に向け、海岸へと進み始めた。

 モローはともかくアマリは完全に寝不足のようだった。それに加えて、御者台で手綱を引いて隣に座るモローへ走らせる視線が、どこかうらめし気な色がある。昨夜アマリはまんじりともせずに朝を迎えている。「ひとの寂しさ」というものを、彼女は経験してしまったようだ。考えまいと思っても、モローに抱きすくめられている自分を想像してしまい、吹き上がるもどかしさで心が焼けるような想いをしてしまった。加えて、考えを変えたモローが部屋にしのんでくるのではないかという微かな希望もあり、猶更なおさら彼女を眠れなくさせた。

「眠れましたか」

 多少ぶっきらぼうな声で、アマリはモローに訊ねた。

「ああ、よく眠れたな」

 馬車の荷台で眠ったモローがそう答えるので、彼女はにくまれ口の一つでも叩きたくなる。

(本当のところ、この人はあたしのことなど何も感じていないんだ)

 と、そう思う。だが当たり前と言えば当たり前なのだ、今回のこともモローは一人でエグへおもむくつもりであったのを、自分が無理やり押しかけてきた形だ、迷惑に思っていてもおかしくはない。

 たぶんモローの頭の中には娘として暮らしているサフランが一番なのかもしれない。こんな面倒めんどうな任務を受けたのも、元をただせば、あの娘がオスダで安寧あんねいに暮らしていけるため受けたに違いないのだとアマリは感じている。

(自分は余計よけいな者、そうに違いないんだ)

 朝、部屋の窓がしらみ始め、モローが来ないと確信した時の気持ちは耐えがたかった。何故、愛してしまったのだろう、自分の想いも行動もすべて徒労とろうに終わる、そんな気が今はしている。

「モロー殿、……わたしは邪魔ですか」

 アマリは馬車を曳く馬の良く動く耳を見つめながら、思わずそう口走っていた。

「何を今更いまさら

「……今更いまさらですか。……ずっとそう思っていたんだ」。

 そう言ったアマリに、モローは薄く笑った。今頃気づいたのかというさげすみの笑みではない、なにをおかしな事言い出すのだという戸惑とまどいの笑いだった。

「邪魔だったのなら、同道は許さない」

「……」

「とっくに放り出している」

 笑みを引っ込め、モローが答えた。

「それに、昨夜の約束も忘れてはいない」

 そう言ったモローの言葉に、アマリは自分のほほが熱くなるのを感じていた。

 急に視界が広がり、川の流れがもたらす土砂でなだらかな平地が望めるようになり、その先にきらめく海が見え始めていた。

 各地を動き回ってきたというモローには見慣れた光景かもしれないが、海に面したオスダに居ても、アマリは海をじっくりと見たことがない。

 海は毒に満ちている、そう言い聞かされてきたからで、海は忌地いみちなのである。何故なぜ忌地いみちなのかははっきりとしない。ただ、昔から海の近くに住むと毒に犯され命を失うと言われ続けていた。

 今、アマリの眼前に広がる海は、空が晴れているのも手伝い、青く、そして宝石のようにきらめいていた。心が晴れつつあるアマリにはどうしても毒のあるものとは見えなかった。

「海ですね」

 広がる景色に目を奪われながら、アマリがそう呟いた。

 道は以前として海岸を目指めざして延びている。

「近づくと危険と言われていますが」

 そうアマリがたずねた。

「そう思うか」

「そう、言われています」

 遠くを見る様な目でモローは海を見つめ続けている。広がる海面遠くに島であろうか、薄紫色のかたまりが複数横たわっているのが見えた。

「昔はそうであったかもしれないが、今はどうかなと俺は思っている」

「……毒は消えたと」

 アマリがそう尋ねた。

「この海の先がどうなっているかは知らん。大きな断崖がひかえており、そこに海の水が流れ落ちているとも言われるが、それを見た者は誰もいない」

 とモローが言った。それはアマリも聞かされていた内容と一致する。海の果てには崖があり、奈落ならくの底へと海の水は流れ落ち続けていると聞かされていた。

「それだから、流れ込む川の水と、海の水が断崖から落ち続けることで毒は徐々じょじょに薄まって、海沿うみぞいをのぞけば人は毒に犯される事はない、そう教わりました」

 モローはアマリに視線をやり、再び薄く笑みを浮かべた。

「そうか」

「でも、この美しさを見ると、本当に毒に犯されているのでしょうか。……美しいものには毒があるとも言いますけど」

 アマリは隣に座るモローの横顔を見上げた。

「そうだな、そう言うな」

 短い相づちのような言葉だが、跳ねけるような響きはなく、包み込む柔らかさをアマリは感じた。

「あの島には人が住んでいるのでしょうか」

 アマリは水平線近くに浮かぶ、大きめの島影しまかげを指さした。

「ああ、住んでいる。こっちのように国の体裁ていさいなどにはなっていないが、緩い共同体のような集落が幾つかある」

 モローの話しぶりは、実際に見てきたように思えた。

「行かれたことがあるのですか」

「あの島ではないがな」

「では、やはり毒と言うのは……」

「俺が経験した限りでは、何もなかったな」

 かなりの期間モローは身をかくしていた時期がある。その隠遁いんとん先に選んだのがナカツと海をへだてた大小様々な島が点在する諸島群しょとうぐんだった。モローが住んだのはテヤマ島と呼ばれる周囲十二陸里ほどの島で、平地の少ないものの、色々な面で住みやすい島であった。島民とうみんは四十人程いたが、そのほとんどがモローと同じ隠遁いんとん生活のために辿たどり着いた者達で、島の中心から流れ出でる小川のほとりに集落を形成していた。

 集落の場所は、亥之国などに面した島の反対側にあり、亥之国から見える島の地形は切り立った険しい山を背景に断崖が続いており、人が住んでいる様子は見えない。

「何かの探索たんさくで行かれたのでしょうか」

「いや、身を隠すために渡ったんだ。不始末ふしまつをしでかした」

 そう答えたモローを見つめ、アマリはこれ以上話してもらえ無さそうだと思った。しかし、彼がここまで自分の事を話してくれたことは無かった。「山の者」との戦いで親密になったと思っていたが、その騒動そうどうが終わると、モローの態度は今までの余所余所よそよそしいさに戻ってしまい、彼女を大きく落胆させていたのだ。

 道は海沿いから二陸里程になると毒のある海に近づかないよう左に折れ始めた。荒れたて道が、たまに利用する者もいるらしく馬車のわだちが続いている。ただ辺りに人家はない。

 昼過ぎに二人はタカキに入った。


 ―ナウカウ公国―

 ナウカワ公国は「山の者」の大群の侵入を許し、王であるナウカウ公爵まで命を落としている。生き残った国の官僚たちは治安ちあんの維持やその他の援助を呂之国の女王のシュリに求めてきた。そこでシュリは呂之国の一軍団を引き連れ、ナウカワ公国に移り、一時的に公爵に変わって国内の指揮をるような形となっている。

 ナウカワでの滞留が長くなってしまったシュリは、呂之国の運営に時間を割けなくなった分、彼女の国も少したがが外れ掛かってきている。また、ナウカワの執政者の多くは逃げ、残った者は指揮権を手放したくはないようで、そちらとの調整も難しかったのだ。結局は、軍を中心とする軍政ぐんせいにナウカワ公国を移行させ、実権じっけん派遣軍はけんぐん総司令官に任せざるを得ない状況になった。

 アナイという派遣軍総司令官は呂之国第二歩兵軍団長で優秀だと言われているが、政治面については不確ふたしかな部分が多かった。だが、そうは言っていられなくなったシュリは、アナイに加え、彼女側近のコズミを内政担当としてナウカウ公国に呼び寄せ、自分に代わってナウカワ公国を指揮するよう命じた。本国の運営でコズミが抜けるのは痛手いたでだが、それが最も合理的だとシュリは思ったのである。

 不承不承ふしょうぶしょう来たのだと言い出しそうなコズミに、細かい指令を伝え、モローとアマリがタカキに到着した前日、二ヶ月ほど留守にしていた呂之国にシュリは駆け戻っていった。


 ―混迷―

 タカキは坂の多い街である。城壁は小高い山を囲むように造られており、王宮は山の頂上に建てられている。なんでも此処ここを王都とし建設を開始した時、王宮を建設するつもりだった山の頂上で古い遺跡いせきが見つかった。どういう意図いとで建てられたかは分からぬが巨大な像が立っていたようなのだ。像は失われているが、像が建っていたと思える台座だいざの大きさから相当そうとう大きな像であったろう事が分かっている。また、今の技術では考えられない技法の跡もあり、失われた世紀と呼ばれた先史時代せんしじだい遺跡いせきだとされていた。

 「山の者」の襲撃を受け、荒れた状態のタカキではあるが、ナカツを統一したナカツノ王国時代からの王都でもあり、街は歴史を感じさせるたたずまいで、オスダの王都であるタキとはおもむきが全く違う。タキは王族、貴族、兵士、住民の住いを城壁の中に囲い込む形の都市であるが、タカキは王族と貴族階級の者だけが城壁の中に住み、庶民しょみんや下級兵士達は城壁の外で暮らしている。王族、貴族だけでもかなりの数になるため、庶民などは城壁の外側に住むこともいたかたないとも言えるが、権力者とそれ以外をへだてるといった権威主義けんいしゅぎなるものが垣間見られていた。

 タカキを蹂躙じゅうりんした「山の者」は町屋まちやはもちろん、城壁の中にまで侵入し、破壊の限りをくしたという。そのため、被害を受けた町屋も城壁の中にある屋敷も再建途中で、街の機能はおとろえ、景気も悪くなり、景気の良いのは建設業だけだとも言われているほどだ。

 「山の者」に襲われて二ヶ月余り、まだ、復興ふっこうしきれず死臭ししゅうさえただよっていそうな街にモローとアマリは足を踏み入れた。商家しょうかの多くは扉をざし、通りのから家を修繕しゅうぜんする音や気配がしている。人通りは少ないのだが、この分だと宿も旅人を受け入れてくれるかどうかこころもとない。

「最悪、アマリ殿も馬車で寝る羽目になりそうだ」

 再建中の街並みをながめめながらモローはつぶやいたのだが、幸い泊り客の乗り物までばんをしてくれる大きな宿に二部屋確保することができた。

 二部屋取れたと聞いて、当然とうぜんアマリは落胆らくたんしたが、それをおもてに出さぬようするのが大変であった。そしてもう一つ、アマリにはタカキに到着した際に顔を出さなければならぬ所がある。オスダが設けた偵察係の出先機関でさききかんで、モローの様子を逐一ちくいち報告しなければならない。モローとエグへの探査同行たんさどうこうを許可してもらう条件として、ウルバン王子はタカキに設けた国の出先機関にモローの行動を報告するよう命じた。

 ウルバンはモローがハンの者であること、ハンの者は呂之国とのつながりが深いことから、彼が呂之国の間者かんじゃではないかと思っているふしがあった。実際、モローは呂之国の女王であるシュリとの関係は深く、彼女とも恋人関係が続いており、その過程で彼が拾った情報を呂之国に伝えていた事も事実である。ウルバンの疑念はあたらずとおからずなのである。

 アマリはウルバンからそう命ぜられた時は驚いたが、今回の探査でモローがどこかで人に会っているとか、おかしな行動を見せた事はない。彼女はモローが他国の間者かんじゃだとは思っておらず、想いを寄せる男であり少し謎めいた人物ととらえている。同僚のガラムからは、モローのその際立きわだった手練しゅれんから暗殺を生業なりわいにしている男なのではと聞いた事もある。

 宿で確保した互いの部屋に分かれて入り、アマリは身繕みづくろいもそのままに偵察係の出先機関向かうつもりでいた。明るい内に用は済ませておきたかった。

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