第19話 巣別れ

 ―待ち人たち―

 モクレンとガラムが宿にしているサヌダの屋敷は、長閑のどか風光明媚ふうこうめいびな場所にある。朝霧あさぎりをたなびかせ脈々みゃくみゃくつらなるみねを背景に、水量豊かな大河とも言える河川が造った幾重いくえもの河岸段丘かがんだんきゅうが連なる平地に彼の畑はあり、幸いに何回かにわたる「山の者」の進入路からは外れていたため、一面の畑は実りの時を迎えていた。

 サヌダからモクレンは「今年は収穫ができそうだ」という話を聞いたばかりである。どちらかと言えばこの国は農作物があまり採れない土地だと聞いていた。険しい山々が国土の七割以上を占めているからだが、その代わりに林業と鉱業こうぎょうが盛んなのだ。

 モクレンとガラムは、ラッツ達旧ナカツノ国の兵士の来訪らいほうを受けた翌日から、モローの動静は彼らが伝えてくれることとなり、彼女が駐屯所を訪ねることをしなくて良くなったのだが、逆に暇を持て余すことになってしまった。そう取り決めてから四日ほどたったが、モローはエグから戻ってくることは無く、「山の者」の侵入も影をひそめていたため、この朝まではいたって平穏へいおんな時が流れていた。

 平穏はラッツの部下がもたらした一報で終わりを迎えた。

 屋敷からの景色を眺めていたモクレンに、ガラムとサヌダから慌ただしいおとないを受けた。ラッツの一件から彼女はサヌダやその家族から、ナカツノ国王女としての待遇を受けざるを得なくなっており、それは決して居心地いごこちの良いものではなかったが、仕方ないと諦めた。

「王女、駐屯所が壊滅かいめつしたらしいです」

 ガラムが彼女の部屋に入ってくるや、そう伝えた。彼はすでに剣をたずさえている。

「まもなく、此処ここにも押し寄せて参りましょう。早くお逃げください」

 蒼白そうはくとなっているサヌダが言葉を続けた。

「ラッツ殿の軍勢が我々を護るために引返して参るそうです」

 ガラムが一歩モクレンに足を踏み出し、彼女に触れんばかりに近づいてきた。モクレンは二人の言葉を受けながら、不思議に恐怖は湧かなかった。「そうなったか」と思ったに過ぎない。

「私はここにとどまります」

「しかし……」

 とサヌダの言葉がまった。

「モクレン様、それはなりません」

 ガラムが口をはさんできた。

「逃げるつもりはありません」

 モクレンが静かな表情で答えた。

「いけません。貴女あなた様は逃げていただきたい、ここは私が残ります」

 とガラムがさらに説得しようと一歩モクレンに近づいた。

「そうです、モクレン様。どうか、お逃げください」

 サヌダも再度、彼女に逃げるようすすめてきた。

「お気持ちはがた頂戴ちょうだいします。たぶん、ラッツ殿は私どもを護ろうとやってまいるのだと思うのです。その時、私が居ないとなれば、あの人達を裏切ることになります。あの人たちが私のために死ぬのなら、私もその覚悟をしなければならないのではないでしょうか」

「それはそうでしょうが」

 ガラムが困惑仕切こんわくしきった声で言った。

「私が王女だと言うなら、そうしなければなりません。……違いますか」

「モクレン様、本当によろしいのですね」

 とガラムがモクレンの顔を覗き込んだ。

「……ガラム様、私のそばにいて下さいますか」

 モクレンは長身のガラムを見上げた。その瞳はおびえの色をたたえている。モクレンの言葉がガラムの胸に響いた。彼には彼女からの愛の告白のように感じられたのである。

御供おともさせていただきます」

 素早くそしてモクレンに安心感を与えるために力強く答えた。すると彼女は自分からガラムの腕に触れると、ふっと穏やかな笑みを見せてきた。ガラムもそれに応えるよう、笑みを返した。

「サヌダ殿、屋敷近所の方はどうされているのでしょうか」

 ガラムの腕に手を置いたまま、モクレンは頭を巡らせてサヌダの方を見た。

「逃げる用意はしているようですが、良くは分かりません」

「では、あの人たちは何です」

 まだ太陽が高く昇る長閑のどかな午後の日の下、サヌダの屋敷を目指して、数十人の人影が現れ始めている。めいめいに子供の手を退いたり、家財道具かざいどうぐまとめて背負っているらしい人影は、どんどん屋敷に近づいてきた。

 モクレンに指摘され、窓を見下ろしたサヌダは「あっ」と驚いたような声を上げた。

「近所の小作人こさくにんたちです」

「あの方達を受け入れていただきませんか」

 そう言い、モクレンは静かにサヌダに要望した。

「承知いたしました。……すぐさま、そのように屋敷の者に申し付け、受け入れの準備をいたしたいと存じます」

「ありがとう。よろしくお願いします」

 冷静で落ち着いた声だった。サヌダが部屋を去るのを見送ると、モクレンは緊張を解いたように一つ溜息をいた。

「これで良かったの、何処どこかへ逃げるように命じた方が良かったのかしら」

 そう言った。彼女はガラムに意見か了承りょうしょうを求めているかのようだった。

「人はり所を求めるものです。そして今、モクレン様がそのり所となったのだと思います。人々が何故、めいめいで逃げずに、この屋敷に逃げてきたのでしょうか。……貴女あなたがいるからです。彼らはナウカワのたみではなく、ナカツノのたみということです」

 ガラムはモクレンに答えながら、ウルバンがガラムに漏らした「彼女は王になるべきだ」という言葉と思惑おもわくを僅かながらも理解することができるような気がした。


―襲来―

 山の者は夕刻近くにサヌダの屋敷近くまで押し寄せてきた。前線を突破とっぱされ、駐屯所を壊滅させた「山の者」よりも早く、ラッツ率いる三百人ほどの部隊が駆け戻り、サヌダの屋敷を固めにきていた。彼らはサヌダ屋敷に留まっているモクレンをまもるために抜けてきたのだ。

 モクレンが留まっているサヌダの屋敷には、近隣の農民五十人ほどが逃げ込んできており、サヌダはその彼らにも手伝ってもらい、屋敷の窓という窓を板でふさぎ、屋敷内も家具を利用して幾重もの障壁しょうへきを構築していた。逃げてきた農民のほとんどは、ナカツノ国のモクレン王女が屋敷に滞在していることを知っているらしく、彼女が姿を見せると一様いちように作業の手をとめ、深々と頭を下げるのには少し閉口へいこうした。

 駆けつけてきたラッツ達兵士の多くは、すでに「山の者」と一戦を交えてきていて、怪我をしている者も多かったが、思いのほか士気しきは高かった。彼らを代表して屋敷内に入ってきたラッツがモクレンを認め、近くに駆け寄りぬかづいた。大柄の彼は、ぬかづいたまま一言も発しない。

「なぜ、現場を離れたのですか」

 モクレンは前線を離れ、この屋敷にやってきたラッツに声をかけた。

「はっ、殿下の警護にさんじました」

「軍の命を無視してですか」

「お言葉ですが、我々ナカツノの兵士は、ナカツノの領土と王ならびにたみまもることを任務としております。モクレン殿下がここにいらっしゃるのなら、私共わたくしどもの戦場はここでございます」

 ラッツの返答はよどみなかった。それ以上に、モクレンたちをまもるという任務に張り切っているようにも思える。

「……分かりました。ありがとう」

「とんでもございません。むしろ我々こそ光栄であります。これで、本来の任務となり、大暴おおあばれができもうす」

「頼みます」

 とモクレンが頭を下げた。

「モクレン様の身は、我々が死をしてお守り申し上げますので、ご安心を。では、部隊の配置を確認しなければなりませんので、ここでおいとまさせていただきます。どうか我々の働きをごらんあれ」

 ラッツは素早く立ち上がり、胸にこぶしを当てる敬礼をモクレンに送ると、唯一出入りができる正面の大扉を開けて足早に屋敷の外に姿を消していった。

 そのラッツが「王女のお許しを得た」とでも言ったのだろう、辺りをろうするような雄叫おたけびが兵士の間から湧き上がったのが聞こえた。意気揚々に屋敷を出ていったラッツを見送ったモクレンの表情は曇っていた。ここにいる農民とその家族、そして屋敷の外で待機している兵士たちの命がすべて、彼女の肩にのしかかってくるような感覚に陥っていたのだ。王と呼ばれるものは皆、こんな思いをしているのだろうかと彼女は思った。

 この時ナカツに侵入してきた「山の者」は二千を超えている。最前線の駐屯所を蹂躙じゅうりんした彼らは、一斉いっせいに南下し、その先陣はサヌダの屋敷にではなく真っ直ぐ、第二、第三の駐屯所に進軍しているように見えた。が、その集団の一部が枝分えだわかれをし、サヌダの屋敷に方向を転じた。ラッツの部隊は枝分えだわかれをした集団に襲い掛かり、激烈げきれつな戦闘を行いそれを消滅させた。ラッツはそのいきおいのまま第二駐屯所に向かっている集団の横っ腹よこっぱらへ突撃を命じたのである。

 ちょうどその頃、遅ればせながら第二、第三駐屯所に詰めていた部隊が北上してきて「山の者」の主力と激突した。ラッツの果敢かかんな攻撃がこうそうしたらしい。第二、第三の駐屯所から迎え撃つように進撃してきた兵士たちは、ラッツの働きでさんを乱された集団を消滅させ、後続の「山の者」にも襲い掛かったのである。

 屋敷のところまで、兵士と「山の者」の流す血の匂いが漂ってくる。モクレンは屋敷内にいるのではなく、大扉の外にガラムと共に立って戦況せんきょうを見つめていた。自分が送り出した兵士たちのわめき声や、耳をふさぎたくなるような悲鳴などが聞こえてくる。それに耐え、彼女は立ち続けた。兵士たちは彼女の姿を認められたであろう、ラッツの部隊は大きな被害をこうむりながらも容赦ようしゃなく「山の者」をほうむり続けているようだった。

 一度サヌダの屋敷を襲うことをあきらめたと思われた「山の者」の陣形じんけいが広がった為、再び屋敷にせまり始めた。それを見たラッツは部隊を引き返させ、その進路をふさぐために急速移動を始めかろうじて間に合ったが、モクレンの目からも兵士の数がかなり減っているのを認めた。

「私も助勢じょせいまいります」

 ガラムがモクレンを止めるのも待たずに、戦闘の渦の中に飛び込んでいく。ガラムの剣裁けんさばきを初めて見たモクレンだが、彼が剣の達人であることをその時知った。

 日が暮れたころ、どうやら「山の者」の襲撃は一旦終わった様である。ラッツの部隊だけで損害を見ても、その半数は戦死し、生き残った兵士の四割ほどは何らかの傷をおっており、サヌダの屋敷にいた農民たちは傷ついた兵士を屋敷内に収容し治療に当たった。

 だが治療と言っても応急措置おうきゅうそちに毛が生えたくらいしかできず、傷を負った兵士の半数以上はその夜の内に息を引き取っている。治療はモクレンも手伝っており、彼女の衣装や手はみるみる兵士の血にまみれ始めている。それでも彼女は嫌な顔一つせずに、傷ついた兵士に布を巻いてやり、はげましの声を掛け続けていた。

 間もなく息を引き取ると思われる兵士には、その手を握ってやり「よう頑張がんばられました」などと静かにこれ以上慈愛に満ちた声で兵士に話しかけていった。すると、苦痛や死の恐怖を目前とした兵士は、王女の手が自分に触れていることに強い感銘かんめいを受けたような表情を浮かべ、やがていつしか静かに息を引き取っていく。

 もう、どれくらいの兵士をこうして見送ったのだろう。五体満足の状態で亡くなる兵士の方が少ない、皆、どこかしこが欠けている。それは無残なものであった。そんな兵士を見送っていると血の匂いも苦痛に身をよじらせながら叫び声を上げる兵士の姿も恐ろしいとかおぞましいなどと思わなくなっているモクレンだった。

 兵士たちが自分のために死んでいったことをモクレンは痛いほどわかっていた。


 アマリが二体の「山の者」を葬り、モローがたたかっていた辺りを振り返ると、肩から大きな頭陀袋ずだぶくろを下げ、剣をさやに納めている彼を認めた。二人は自分らの仲間や甲冑かっちゅうをつけた呂之国とナウカワ公国の兵士の死体を抱えて洞窟を出てきた「山の者」と運悪く鉢合はちあわせをしてしまったのだ。あたりには十二の死体が横たわっている。

「山の者」八体と兵士四体の死体を見下ろし、巣別れの第一陣がすでにアマツへ侵入した事は間違いだろうと思った。二人は始末した六体に出くわす前に、数百もの「山の者」がアマツ側から戻ってきたのを確認している。しかし戻ってきた「山の者」の数は意外に少ない。

 アマツから戻ってきた個体が少ないということは、呂之国軍とナウカワ公国軍が「山の者」に蹂躙じゅうりんされてしまったのか、もしくは兵士らが激しく抵抗したため、巣別れの第一陣が壊滅かいめつに近い状態になったかの二つだとモローは思った。

「モロー殿」

 とアマリが彼に近づいてきた。身体からだの所々に「山の者」の返り血は付いているが、傷は負っていないらしい。

 モローはアマリの無事を確認すると洞窟の入り口を注視ちゅうしした。斜面の上に口を開けている洞窟の入口を見上げ、モローが斜面を入口に向かって登りだした。

「今が良いかもしれない。入口近くで様子を見届みどどける」

 斜面を登るにつれ、至る所で腐敗臭がし、「山の者」とも兵士の者とも分からぬ血痕けっこんが地面を染めている。二人はそういった箇所を避けながら足早に斜面を登っていった。

 二人は洞窟の入口脇にある低木が密集している中に身を潜め、「山の者」が洞窟から抜け出てくるのを監視し始めた。しばらく様子を見ていたが、先ほどほうむった六体以外は現れる様子はなかった。血の匂いをぎつけた丸々と太ったニクバエと大型の蚊を払いながら、どうやらアマツ側を防御している軍が奮起ふんきしていることを願いたいとモローは思った。

 とりあえず洞窟内にも「山の者」の気配はない。

「行きましょう」

 アマリは気がはやるのか、モローを促してきた。

「傷の具合はどうだ」

 とモローが訊ねた。

「大丈夫です。思った以上に動けます」

 二人は低木の陰からい出て洞窟の入口に近づいた。相変わらず洞窟内で湧き出る水量が多い。それにしても、水の勢いが強すぎないかとモローは感じている。自分たちが通り抜けてきたときよりも、地下水脈の圧力で洞窟内にできたと思われる亀裂きれつが広がったのかもしれなかった。爆破するならそこか、とモローは思った。

 初め洞窟の入口を爆破でふさごうと考えたが、こちら側の入口付近は巨木の根がしっかりと張っており、爆破しても根が地盤を支えてしまう可能性があったのだ。ならば洞内しかない。

 あたりは洞窟を渡る風の音と流れ出でる水の音しか聞こえず、ハコの隠家に居た時聞こえていたうるさい程の鳥の鳴き声も虫のも聞こえなかった。

「来た時より、水が多いですね」

 アマリも足元を濡らす水の量に気づいたようだった。二人はまだ洞窟の入口に立っていた。水と共に噴き出してくるひんやりとした風には、血と露出ろしゅつして破れた内臓の匂いが混ざっていた。

 違和感は相変わらず消えない。洞窟内に「山の者」等がいなければ、向こう側のアマツまでは半日の行程だ。その半日が途轍とてつもなく遠くにモローは思える。それに加えて、洞窟を破壊し塞ぐ作業もある。

 アマリはその生々しい匂いに閉口し、鼻を手で押さえていた。洞窟の外からか地響きにも似た音と振動が伝わってきた。

 洞窟入り口から斜面越しに望める森がうごめいているように見えた。

「……何てこと、あれは」

 アマリが信じられぬものを見たかのように呟いた。

「二陣か三陣かは分からないが、巣別れだ」

 二人は蟻の大群のように進軍してくる「山の者」が斜面を登り洞窟に殺到さっとうしてくるのを洞内を走りながら見つめた。


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