第20話 帰還

 巣別れのためアマツに侵入してきた「山の者」の第一陣をかろうじて壊滅かいめつ状態にした翌日、モローとアマリは、アマツに生息せいそく場所を広げようとする「山の者」の第二陣に追い立てられるように漆黒しっこくの洞窟を疾駆しっくしていた。

 二人の背後からは、荒々しくも不気味なうなり声を挙げつつ追随ついずいする「山の者」の足音が聞こえていた。かなりの時間、二人は走り続けている。アマリは傷がえたばかりの体力が想っていた以上におとろえていたことに気づいていた。

 どれくらい走っただろう、過去の遺物いぶつである長大ちょうだいな残骸を通り過ぎた時、アマリにいきなり限界がきた。暗闇と洞窟自体の形状から、ただでさえ足元が不安定だった所で、アマリは何かにつまずいた。本来なら易々やすやす態勢たいせいを立て直せる彼女だったが、そうはならず洞窟の濡れた地面を激しく転がり、倒れこんでしまった。洞窟は壁側が深くえぐれており、そこに大量の水が流れ続けている。倒れた際に片手が水の流れに触れた。冷たく、いきおいのある流れだった。

 立ち上がろうにも、疲労で足に力が入らなかった。一旦いったん走るのをめた身体からだは、再び立ち上がり走るのを拒否しているかのようだ。「山の者」の足音がせまりつつあった。

「大丈夫か」

 アマリが倒れこんだのに気づいたモローが退き返し、彼女のかたわらに膝をついた。彼の息もかなり上がっている。

「平気、先に行って……すぐに追いつくから……」

 呼吸と呼吸の合間であえぐように自分を置いて行くようモローに言った。

「だめだ」

 モローはアマリの身体に手を回し軽々と抱き上げると肩にかつぎあげた。

「あっ……、置いて行って。でなければ追いつかれます」

「やってみねば、分らん」

 モクレンの耳にはそう聞こえた。

 考えてみれば、自分はモローに助けられてばかりだと改めて思い恥じた。だが、その一方で、モローが自分を見捨てないことに、ひどく嬉しくもあった。モローには悪いが、こうして二人で死んでも良いとさえアマリは感じていた。

 アマリを肩に担いだまま、モローは背後を振り向いた。「山の者」が迫っているどころではない、もう間近まで押し寄せていた。モローはその差を広げようと渾身こんしんの力を振りしぼっていたが、どうしてもアマリをかついで走っていることから、早晩そうばん追いつかれるのは確実だった。どこかで手を打たねばならない。

(俺も歳だ……)

 アマリを担いで走るモローの足と心臓が悲鳴を上げ始めている。前方で水が叩きつけられる滝のような轟音ごうおんに気づいた。とどろくような音が洞窟に入った時から気にはなっていたが、これだったのかとモローは思った。そこはエグに入るときにもかなりの水量が噴き出していた箇所で、季節的なものか、地盤じばんのせいかは分からぬが、その時よりかなり水量が増えていた。

 モローは走りながら肩に下げている袋の中を探った。設置するのならもろくなったところに仕掛けよと聞いていた、この時彼は自爆じばくを考えていない。ハコが呼んだ「しーふぉー」の威力を借りて咄嗟とっさに洞窟をふせごうと考えたのだ。その結果、自分の命も吹き飛ぶとモローは観念した。

 この洞窟は自然にできた物ではなく、人の手で造られた物であることは明白めいはくだった。それならば、水が噴き出すような造り方はしないはずで、その洞内に水が噴き出しているというのは、そこがもろくなっている証拠だとモローは思った。

 彼は追ってくる「山の者」の方を見た。まだ多少は間がありそうだ。水は洞の壁、右手上部みぎてじょうぶから噴き出ているようだ。モローはアマリと違い、わずかに夜目が効く。その視力を使って、地下水が噴き出ている箇所を確認した。

 走るのを止め、息を荒げながら肩に担いでいたアマリを静かに降ろした。その頃になると彼女は自分の足で立てるほどに体力を若干じゃっかん回復させていた。

「ここで、食い止める」

 続いてモローは頭陀袋ずだぶくろを降ろす。

「何をするつもりです」

 とアマリは喘ぐように言った。

「ここでけりをつける」

「どうするのです、わたしも手伝う」

 剣のつかにアマリは手を掛け、闘志がまだあることを示した。

の言っている暇はない。とにかくお前はここからできるだけ距離をおけ。そして身を隠せ」

「私も……」

 モローはアマリの肩に手を置くと彼女の言葉をさえぎった。

 モローは暗闇と噴き出す水の立てる轟音ごうおんの中、アマリを見つめていた。彼が彼女の両肩を強くつかんできた。思わず、背後で「山の者」がどんどんと迫ってくるのを感じながらも、モローが自分を抱き締めようとしているのだと、アマリは身体の力を抜いた。

 アマリから見ると、モローの身体が白く発光したように見えた。

 かたまりが彼から発せられ、猛烈な勢いでアマリにぶち当たる。大きな衝撃と共に彼女の身体がちゅうを飛んだ。

 モローの意図いとを理解できないまま吹き飛ばされたアマリは、大きくアマツ方向にはじき飛ばされたが、地面に叩きつけられる瞬間に受け身を取っていた。散々修練してきた彼女の身体には、咄嗟とっさでも身体をさばわざが染みついている。地面を転がって勢いを消し続け、そして洞窟の壁際に掘られている深い溝の水に転げ落ちた。

 芯からこおりそうな冷たい水だった。全身が水に浸かった形にはなったが、緩やかな登りの上手であたったため、水は流れてはおらず、勢いよく噴き出す水が行き場を探して溜まっているだけのようだった。

 アマリの身体にうけた衝撃は強く、口の中で血の味がする。おそらく胸の骨と地を転がったはずみで腕の骨をどうかしたなと、まだ混乱している中で彼女は感じた。

 モローが「気」というものを操り、攻撃や防御に使うことは知っていたが、まさかそれを自分で受けるとは思わなかった。身体がばらばらになるほどの強さだった。アマリは僅かに頭を上げ、モローがいると思われる方向を見つめたが、そちらから少し遠くなった水の轟音ととどまったモローを見つけた「山の者」達の咆哮ほうこうが聞こえていた。音からの離れ具合ぐあいを見ると随分ずいぶんね飛ばされたようだ。

(どうするつもり……)

 そして気づいた、モローは「山の者」をい止めるといった。彼一人で戦っても到底とうていい止められるものではない。

(あの人が下げていたあの袋……)

 モローは以前、中身は爆薬だといった。何もしなければこの上なく安全だが、紐を差し込み起爆きばくさせると、猛烈な威力を発揮すると、ハコの隠家でアマリはモローから教えてもらっていた。「主に自分を消すために使う」とも言っていた。

(あれを使うつもりだ。じゃあ、あの人は……)

 爆発を誘う紐はそれほど長くなかったのを思い出した。

 アマリは声の限り彼の名を呼び、彼の許へ戻ろうと身体を起こしかけた。

 猛烈な轟音と火球かきゅう、そして衝撃波しょうげきはが立て続けに襲い掛かり、かろうじてアマリは反射的に水の中に身体をしずめるのに間に合った。それでも、辺りは真っ赤に燃え上がったように思えた。

 爆発の影響で、壁の亀裂きれつがさらに広がり、地下水が噴き出している洞窟の壁が崩壊ほうかいした。それにつられて周囲の天井や壁のかなりな範囲が崩れ、今まで壁が支えていた力が弱まり、山の圧力が一気に解放された。洞は踏みつけられるようにつぶれた。


 ―アマリの帰還―

 「山の者」の第一陣はほ全滅ぜんめつした。だがこれで終わりとは到底とうてい思えなかった。そして、防衛側の兵は少ない。加えて呂之国の生き残った兵士が撤退てったいを始め、兵力はさらに減退げんたいした。

 王都への帰還きかん命令も来ず、残ったナウカワ公国軍兵の中で、立場上もっとも地位の高いラッツが必然的ひつぜんてきに現場の指揮をになうことになっていた。彼が真っ先に行ったことは本国へ増援ぞうえんの要請であった。しかし、増援は難しいようだった。オスダと亥之国の連合軍が、ナウカワ公国の国境を越えたという一報がもたらされたのである。

 ラッツは生き残った兵の一部を駐屯所に止め置き、残りはモクレンの警護にかせることにした。そして駐屯所に残した兵士達には、「山の者」が現れたのなら、戦わずすぐさまモクレンのもとにいる主力に戻るよう命じていた。オスダと亥之国連合軍がナウカワ公国の国境を越えた今、ナウカワ公国としては二国は敵に当たるが、ラッツは自分達をナウカワ公国から解放する勢力と捉えている。したがって、モクレンはともかく、オスダ王国から来たガラムも自分達の味方となりるとラッツは考えているようだ。

 第一弾との戦いの翌々日、巣別れの第二陣は現れることなく、不気味な静けさが周囲に戻ってきている。そんな中、モクレンのもとに駐屯所から伝令がやってきた。

 サヌダの屋敷一階のさほど広くもない広間で、ガラムとともに伝令の言葉を受けた。伝令が持ってきた情報は洞窟から騎士だという女が戻ってきたということだった。

「もどってきたのは、一人ですか」

 モクレンは伝令の言葉にかぶせるように尋ねた。

「はっ、私が確認したところ一人です」

「戻ってきたという騎士の名は何と」

「オスダ王国、第二騎士団のアマリと申しております」

 モクレンとガラムは顔を見合わせた。

「モローというかたが一緒ではなかったのですか、アマリ殿と共にエグに向かったのですが」

 食い下がる様にモクレンは伝令を問い詰めた。

「いいえ、私は聞いておりません」

 モクレンの表情がさっと失われ、感情のない表情に変わった。

「本当なの、本当にアマリ殿だけ……」

 アマリだけが戻ってきたのかと無意味な問い掛けをするモクレンの肩にガラムが手を置いた。

「モクレン様、ここは、ご自分の目で確かめられたらいかがです」

 そう進言しんげんしたガラムに目を向けたモクレンの表情に多少色が戻り始めたようだ。

「……参りましょう」

 モクレンはガラムを見つめたまま頷いた。

「アマリ殿は、まだ屯所にいるのであろうな」

 モクレンの視線を受け止めたまま、ガラムが伝令に訊ねた。

「はっ、全身に怪我を負っており、治療を受け休んでおります」

「怪我は重いのですか」

 モクレンがガラムから伝令に視線を移した。

「致命的なものは有りませぬが、色々なところを負傷しておられます」

 と、伝令が答えた。

「急ぎましょう、直接会って話を聞きたい。……ガラム殿、一緒に行ってくれますか」

「もちろん、お供します」

 ガラムは当然だと言う顔をモクレンに向けた。


 ほとん灰塵かいじんしてしまった駐屯所だったが、唯一焼け残った営舎えいしゃの一室をアマリは当てがわれていた。その部屋は窓という窓が鎧戸よろいどに覆われ、日の光がその隙間からわずかにこぼれてくるだけで薄暗かった。アマリは備え付けの椅子にうずくまるように座り込んでいる。彼女は疲れ切り、大きな喪失感で打ちひしがれていた。


 あの時、粉塵ふんじんが納まるのも待たずにアマリは、こごえるような水の中からい出ると、モローがいたはずの所に駆け戻り、崩壊ほうかいし洞内をふさいだ大量の岩塊がんかいにしがみ付くようにしてモローの名を呼んだ。

 返事は無かった。塞がれた洞の反対側では、相変わらず地下水が流れ落ちる轟音が一層大きく聞こえてくる他には、「山の者」のうなり声も聞こえてはこない。岩塊がんかいや石くれを取り除こうとしても、巨大な岩塊と石が洞内を塞いでいるらしく、一人の手ではとても無理だ。それでも、アマリはモローを呼び続けていた。声限こえかぎりに呼び続けた。

 どのくらい崩落した場所でモローを呼び続け、岩や石を取り除くといった徒労とろうな作業をし続けただろう。岩を取りのぞく内に爪ががれ指は血にまみれ始めている。

 モローの名を叫び続けても一向いっこうに返答は来なかった。彼女にとって、モローの居ない世など無い物と同然であり、もはや何の価値も見いだせない。

何故なぜ自分を、あの人は助けようとしたのだろう)

 岩塊と石くれで塞がれた壁に崩れるように背中を預け、痛む指先を自分の胸に押し付けながら、彼女は目を閉じた。

(そうか、彼女に知らせてくれということか……)

 オスダに待っているサフランに、誰かがこのことを知らせねばならない。それを出来るのは自分だけ、死ぬのはその後だ。

 疲労と全身を覆う痛みを抱えながら、アマリは覚束おぼつかない足取あしどりでアマツへ歩き始めた。その長い時間、彼女はモローのことを思い、死への誘惑にさいなまれ続けていた。もう少しの我慢がまんだ、目的を果たせはモローのもとに行ける。この悲しみ、苦しみ、怒りからも解き放たれると思う事だけが頼りだった。

 永遠に続くと思われた洞窟の出口が近づき、暗闇にれた目が光に馴れるまでしばしの時間がかかった。やがて光に馴れた目にアマツの景色が映ると、アマリは全身の力が抜けその場にへたり込んでしまった。

 モローに弾き飛ばされて痛めた胸骨きょうこつと左腕や指先をかばうようにその場にひざまずき、知らず知らずにアマリの瞳からは涙があふれ出している。

 ともかく、サフランにモローの事を知らせねばならない、自分のできることはこれだけである。アマリは駐屯所に向けて重い身体を再び運び始めた。

 モローと辿たどった道を戻り、少し開けた場所に出た。血のにおいと腐臭ふしゅうが濃くなり、ナウカワ公国の兵士たち十人余りが、まだ片付けていない自分らの仲間や「山の者」の死体を一ヶ所いっかしょに集めている場所に出くわした。その中の一人が、とぼとぼと洞窟の方向から歩いてくるアマリを見つけた。

 その兵士は死体の運搬うんぱんの手を止め、近くにいた仲間の兵士の一人の肩を叩いた。

「止まれ、誰か」

 と兵士はあわてたようにアマリを誰何すいかした。アマリは足を止めた。

「そこを動くな」

 剣を抜きながら彼女を見つけた兵士が近づいてくる。他の兵士も各々おのおの警戒態勢を取り、剣を抜き始めた。

「……やっ。エグから戻られたのか」

 アマリに近づいてくるその兵士は、心底驚愕しんそこきょうがくしたような声を発した。

「……」

 アマリはただ黙って立っていた。

「よう戻られましたな」

 ぼろぼろになり、至る所に血をにじませたアマリの姿に、兵士はいたわるようそう言った。

「……大したことではない」

 そうは答えたものの、どう見てもアマリの状態は「大した」ことになっていた。

「屯所までまだかなりありますぞ。荷駄車にだしゃを用意させましょうか」

「大丈夫だ、一人で行ける」

 アマリは兵士の顔を見つめながら歩き始めた。

「いやいや、一人では行かせられぬ。上から貴女あなたが戻ったら知らせよと命ぜられている」

 慌てて手を軽く胸の所まで上げ、彼女を押しとどめるような仕草しぐさをし、警戒をいていない仲間を振り返ると、「屯所に連れていく」と告げた。

 そして小一時間かかってアマリはほとんど瓦礫がれきに帰っした駐屯所に着いたのだ。

 そこで司令官を務めているというラッツという騎士に軽く尋問じんもんされた後、応急おうきゅう治療を受け、今この当てがわれた一室に居るわけである。


 モローのことがますますアマリの心に圧し掛かっていた。全身に傷の痛みが駆け巡っている筈なのだが、アマリ自身はその痛みを感じていない。痛みは心の痛みだけである。座り心地ごこちの悪い椅子にうずくまり、彼女はサフランに会ったらどう話そうか、それともやはり彼女に会う前に死んでしまおうかという想いが駆けめぐっている。

 突然、部屋の扉が開け放たれ、その眩しさにアマリは目を細めた。開けられた戸口の明るさを背景に三人の影がそこに立っている。

「彼女は罪人ではありません、鎧戸よろいどを開けてください」

 聞き覚えのある声だった。すると三人ほどの兵士が室内に入ってくると、めいめいで鎧戸を開け部屋は急に明るくなった。明るさに目が慣れ、戸口に立っているのがサフランと同僚のガラム、そして先ほど自分を尋問したラッツだということが分かった。何より混乱したのが、サフランとガラムがこの場にいる事だった。

 サフランが室内に踏み入れ、その後に従うようガラムとラッツが入ってきたことに、違和感をアマリは覚えた。 

「アマリ殿、……叔父は、叔父さんはどうしたのです」

 近づいてそう尋ねたモクレンにアマリは顔を上げることができなかった。

「アマリ殿……」

 もう一度モクレンがモローの事を尋ねた。アマリは思わず顔を両手でおおった。サフランの声が胸に突き刺さる。

「……申し訳ありません、……モロー殿は……」

 そこまでしか言葉が出なかった。後は止めどもなく湧いてくる涙をどうしようもできなくなっていた。

 一人でアマリが戻ってきたと聞いた時、モクレンは最悪の予感を持っていた。でも、何かの間違いではないかとも、一縷いちるの希望も持っていたのだ。だが、打ちひしがれ、涙に暮れるアマリを見つめ、「死んでしまった」と思った。

 モローがいない、モクレンもまたひどく衝撃を受けていた。悲しみと憎しみが、あのエグでモローと共に過ごしたアマリに向けられている。そして、眩暈めまいにも似た感覚が頭から足に降りてきた。

 モクレンはいつしか右手に立つガラムの腕を摑んでいた。すると、彼の腕がモクレンの細い肩にめぐらされ、しっかりと自分を支えてくれたことを感じた。

「モロー殿は、亡くなったのだな」

 モクレンに変わってガラムがそう尋ねた。

 その問いかけに、アマリは両手で顔を覆いながら頷いた。

「……亡くなられました」

 そう答えるのが精一杯だった。アマリから悲痛な嗚咽おえつが漏れ始めている。

 モクレンはその言葉を聞いた瞬間、小さな溜息のような悲鳴を上げ、ガラムの厚い胸板に頭を押し付けていて、ガラムはその背中をゆっくりと撫でている。モクレンはガラムに頭を預け、感情の消えた瞳を中空ちゅうくうに泳がせ続けている。

 感情が消えた瞳から涙が一筋、その頬を伝っていた。ガラムの掌が、彼女の背を撫で続けている。


 ―ハコ―

 約二週間ほど滞在したモローとアマリの二人が去っていった。二人が占めていた容量が元に戻り、ハコは再び一人で居た頃の日常が帰ってくることを理解した。そして少し戸惑とまどった。本来、彼のような人工知能を装備している物は、そのような曖昧あいまいな思考はしない。

 だが、傷ついたアマリを抱えてやってきたモローの二人をこの隠家に入れた時から、スズが居た時のように彼の演算機能えんざんきのう活気かっきづいたのだ。使われなくなった機能がよみがえり、こわれかけていた機械関節や無限軌道むげんきどうの動きも良くなった。

 彼らが去って、よみがえっていた機能を使わなくて良くなったのだと理解したと同時に、今まで経験した事のないデータが自分のメモリーに追加されていることに気付いた。

 不思議だ。それはスズが生前、散々自分に愚痴ぐちっていた「寂しい」という感情なのだとハコは認識した。スズが死んだときには導き出されなかった結果が、この時に限って現れたのだ。自分の機能の総点検が必要だとハコは感じた。

 「寂しい」などという感情を理解するように彼の人工知能は設計されていない。彼の仕様書しようしょデータにもそれはうたわれていない。人の世話をすることだけに特化とっかし作られ、そのことで自分に感情を生じさせるようにはできていなかった筈だった。

 その「寂しい」という感覚のデータをハコはそのまま保存した。ハコは「寂しい」という感情を抱いたまま、丸い頭を二人が消えていった方向に向け、後を追うように前庭を進み始めた。中ほどまで行き、つたからまる木の下で、同じようにつたおおわれたつての相方あいかたである二号のむくろ走査そうさした。相変あいかわらず機能が復活した様子はない。

 次にスズの墓に足を延ばす。若々しい女性から年老いてしぼんだまま息をしなくなったスズの全てのデータをハコは保存記憶している。その記憶を辿るとやはり「寂しい」という結果が出た。やはり搭載とうさいする人工知能に何かしらの不具合ふぐあいが生じているのかもしれない。

 墓のまわりに植えた花の一つをみ、ハコは二号の許へ戻っていく。蔦にからまわれ、うなだれた姿で動きを止めた二号の足元にんできた薄桃色の花を置いた。この行動も、人工知能の誤った演算えんざんの結果だろう。

 花を手向たむけたハコは、身体に頭部を収容し、いつものように発電機の点検に向かった。

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