第20話 帰還
巣別れのためアマツに侵入してきた「山の者」の第一陣を
二人の背後からは、荒々しくも不気味な
どれくらい走っただろう、過去の
立ち上がろうにも、疲労で足に力が入らなかった。
「大丈夫か」
アマリが倒れこんだのに気づいたモローが
「平気、先に行って……すぐに追いつくから……」
呼吸と呼吸の合間で
「だめだ」
モローはアマリの身体に手を回し軽々と抱き上げると肩に
「あっ……、置いて行って。でなければ追いつかれます」
「やってみねば、分らん」
モクレンの耳にはそう聞こえた。
考えてみれば、自分はモローに助けられてばかりだと改めて思い恥じた。だが、その一方で、モローが自分を見捨てないことに、ひどく嬉しくもあった。モローには悪いが、こうして二人で死んでも良いとさえアマリは感じていた。
アマリを肩に担いだまま、モローは背後を振り向いた。「山の者」が迫っているどころではない、もう間近まで押し寄せていた。モローはその差を広げようと
(俺も歳だ……)
アマリを担いで走るモローの足と心臓が悲鳴を上げ始めている。前方で水が叩きつけられる滝のような
モローは走りながら肩に下げている袋の中を探った。設置するのなら
この洞窟は自然にできた物ではなく、人の手で造られた物であることは
彼は追ってくる「山の者」の方を見た。まだ多少は間がありそうだ。水は洞の壁、
走るのを止め、息を荒げながら肩に担いでいたアマリを静かに降ろした。その頃になると彼女は自分の足で立てるほどに体力を
「ここで、食い止める」
続いてモローは
「何をするつもりです」
とアマリは喘ぐように言った。
「ここでけりをつける」
「どうするのです、わたしも手伝う」
剣の
「
「私も……」
モローはアマリの肩に手を置くと彼女の言葉を
モローは暗闇と噴き出す水の立てる
アマリから見ると、モローの身体が白く発光したように見えた。
気の
モローの
芯から
アマリの身体にうけた衝撃は強く、口の中で血の味がする。おそらく胸の骨と地を転がったはずみで腕の骨をどうかしたなと、まだ混乱している中で彼女は感じた。
モローが「気」というものを操り、攻撃や防御に使うことは知っていたが、まさかそれを自分で受けるとは思わなかった。身体がばらばらになるほどの強さだった。アマリは僅かに頭を上げ、モローがいると思われる方向を見つめたが、そちらから少し遠くなった水の轟音と
(どうするつもり……)
そして気づいた、モローは「山の者」を
(あの人が下げていたあの袋……)
モローは以前、中身は爆薬だといった。何もしなければこの上なく安全だが、紐を差し込み
(あれを使うつもりだ。じゃあ、あの人は……)
爆発を誘う紐はそれほど長くなかったのを思い出した。
アマリは声の限り彼の名を呼び、彼の許へ戻ろうと身体を起こしかけた。
猛烈な轟音と
爆発の影響で、壁の
―アマリの帰還―
「山の者」の第一陣はほ
王都への
ラッツは生き残った兵の一部を駐屯所に止め置き、残りはモクレンの警護に
第一弾との戦いの翌々日、巣別れの第二陣は現れることなく、不気味な静けさが周囲に戻ってきている。そんな中、モクレンの
サヌダの屋敷一階のさほど広くもない広間で、ガラムとともに伝令の言葉を受けた。伝令が持ってきた情報は洞窟から騎士だという女が戻ってきたということだった。
「もどってきたのは、一人ですか」
モクレンは伝令の言葉に
「はっ、私が確認したところ一人です」
「戻ってきたという騎士の名は何と」
「オスダ王国、第二騎士団のアマリと申しております」
モクレンとガラムは顔を見合わせた。
「モローという
食い下がる様にモクレンは伝令を問い詰めた。
「いいえ、私は聞いておりません」
モクレンの表情がさっと失われ、感情のない表情に変わった。
「本当なの、本当にアマリ殿だけ……」
アマリだけが戻ってきたのかと無意味な問い掛けをするモクレンの肩にガラムが手を置いた。
「モクレン様、ここは、ご自分の目で確かめられたらいかがです」
そう
「……参りましょう」
モクレンはガラムを見つめたまま頷いた。
「アマリ殿は、まだ屯所にいるのであろうな」
モクレンの視線を受け止めたまま、ガラムが伝令に訊ねた。
「はっ、全身に怪我を負っており、治療を受け休んでおります」
「怪我は重いのですか」
モクレンがガラムから伝令に視線を移した。
「致命的なものは有りませぬが、色々なところを負傷しておられます」
と、伝令が答えた。
「急ぎましょう、直接会って話を聞きたい。……ガラム殿、一緒に行ってくれますか」
「もちろん、お供します」
ガラムは当然だと言う顔をモクレンに向けた。
あの時、
返事は無かった。塞がれた洞の反対側では、相変わらず地下水が流れ落ちる轟音が一層大きく聞こえてくる他には、「山の者」のうなり声も聞こえてはこない。
どのくらい崩落した場所でモローを呼び続け、岩や石を取り除くといった
モローの名を叫び続けても
(
岩塊と石くれで塞がれた壁に崩れるように背中を預け、痛む指先を自分の胸に押し付けながら、彼女は目を閉じた。
(そうか、彼女に知らせてくれということか……)
オスダに待っているサフランに、誰かがこのことを知らせねばならない。それを出来るのは自分だけ、死ぬのはその後だ。
疲労と全身を覆う痛みを抱えながら、アマリは
永遠に続くと思われた洞窟の出口が近づき、暗闇に
モローに弾き飛ばされて痛めた
ともかく、サフランにモローの事を知らせねばならない、自分のできることはこれだけである。アマリは駐屯所に向けて重い身体を再び運び始めた。
モローと
その兵士は死体の
「止まれ、誰か」
と兵士は
「そこを動くな」
剣を抜きながら彼女を見つけた兵士が近づいてくる。他の兵士も
「……やっ。エグから戻られたのか」
アマリに近づいてくるその兵士は、
「……」
アマリはただ黙って立っていた。
「よう戻られましたな」
ぼろぼろになり、至る所に血を
「……大したことではない」
そうは答えたものの、どう見てもアマリの状態は「大した」ことになっていた。
「屯所までまだかなりありますぞ。
「大丈夫だ、一人で行ける」
アマリは兵士の顔を見つめながら歩き始めた。
「いやいや、一人では行かせられぬ。上から
慌てて手を軽く胸の所まで上げ、彼女を押し
そして小一時間かかってアマリはほとんど
そこで司令官を務めているというラッツという騎士に軽く
モローのことがますますアマリの心に圧し掛かっていた。全身に傷の痛みが駆け巡っている筈なのだが、アマリ自身はその痛みを感じていない。痛みは心の痛みだけである。座り
突然、部屋の扉が開け放たれ、その眩しさにアマリは目を細めた。開けられた戸口の明るさを背景に三人の影がそこに立っている。
「彼女は罪人ではありません、
聞き覚えのある声だった。すると三人ほどの兵士が室内に入ってくると、めいめいで鎧戸を開け部屋は急に明るくなった。明るさに目が慣れ、戸口に立っているのがサフランと同僚のガラム、そして先ほど自分を尋問したラッツだということが分かった。何より混乱したのが、サフランとガラムがこの場にいる事だった。
サフランが室内に踏み入れ、その後に従うようガラムとラッツが入ってきたことに、違和感をアマリは覚えた。
「アマリ殿、……叔父は、叔父さんはどうしたのです」
近づいてそう尋ねたモクレンにアマリは顔を上げることができなかった。
「アマリ殿……」
もう一度モクレンがモローの事を尋ねた。アマリは思わず顔を両手で
「……申し訳ありません、……モロー殿は……」
そこまでしか言葉が出なかった。後は止めどもなく湧いてくる涙をどうしようもできなくなっていた。
一人でアマリが戻ってきたと聞いた時、モクレンは最悪の予感を持っていた。でも、何かの間違いではないかとも、
モローがいない、モクレンもまたひどく衝撃を受けていた。悲しみと憎しみが、あのエグでモローと共に過ごしたアマリに向けられている。そして、
モクレンはいつしか右手に立つガラムの腕を摑んでいた。すると、彼の腕がモクレンの細い肩に
「モロー殿は、亡くなったのだな」
モクレンに変わってガラムがそう尋ねた。
その問いかけに、アマリは両手で顔を覆いながら頷いた。
「……亡くなられました」
そう答えるのが精一杯だった。アマリから悲痛な
モクレンはその言葉を聞いた瞬間、小さな溜息のような悲鳴を上げ、ガラムの厚い胸板に頭を押し付けていて、ガラムはその背中をゆっくりと撫でている。モクレンはガラムに頭を預け、感情の消えた瞳を
感情が消えた瞳から涙が一筋、その頬を伝っていた。ガラムの掌が、彼女の背を撫で続けている。
―ハコ―
約二週間ほど滞在したモローとアマリの二人が去っていった。二人が占めていた容量が元に戻り、ハコは再び一人で居た頃の日常が帰ってくることを理解した。そして少し
だが、傷ついたアマリを抱えてやってきたモローの二人をこの隠家に入れた時から、スズが居た時のように彼の
彼らが去って、
不思議だ。それはスズが生前、散々自分に
「寂しい」などという感情を理解するように彼の人工知能は設計されていない。彼の
その「寂しい」という感覚のデータをハコはそのまま保存した。ハコは「寂しい」という感情を抱いたまま、丸い頭を二人が消えていった方向に向け、後を追うように前庭を進み始めた。中ほどまで行き、
次にスズの墓に足を延ばす。若々しい女性から年老いて
墓の
花を
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