第21話 島へ
事態は
エグの最前線にいたモクレンをタカキに呼び戻したウルバンは、まずタカキとその周辺にナカツノ国の
一方、呂之国に攻め込んだオスダ・亥之国連合軍はアマツの
ウミヤが陥落する直前シュリは、自らも武装して王の間で側近達に囲まれ、敵国の兵士達がここへ押し寄せてくる時を待っていた。彼女自身は剣を持ったことがないものの戦うつもりでいる。その
王の間の外が騒がしくなってきた。伝令が大きな扉を開け、呂之国の首脳陣の顔を見渡すと、不安げな表情を張り付かせている軍事担当のアヤタ大臣の許に駆けつけ、二言三言呟いた。
「よ、よし……。お前はここに残り、我々を護れ」
アヤタ大臣は甲高い声で、状況を伝えにきた兵士にそう命ずると、よろけるように宰相であるコズミと共に
「まもなく、敵兵がここに押し寄せて参ります。抜け道を使って退避を願います」
完全に恐怖と
「分かった」
シュリは周りにいる側近達の顔を見回しながら頷いた。皆、恐怖もしくは絶望の表情を浮かべている。ここのどこかにモローが居るのではという
「皆、逃げるがよい」
彼女は自分の弱気を
「陛下、それでよろしいのですか。お命じになれば、我ら最後まで
コズミが驚いたようにシュリに確認した。
「許す、皆逃げよ。今まで
部屋の外からは迫りくる連合軍の兵士と呂之国の兵士達が
「陛下もお逃げくだされ」
とコズミが言った。
それを無視するかのようにシュリは、ゆっくりと高い段の上にある
「陛下、お逃げください」
再度コズミが説得した。
「お前たちは逃げよ、余は残る。……コズミ、自分も残るなどとは申すなよ」
「しかし、陛下……」
「ならぬ。さあ、早う逃げるのじゃ」
王の間と外を
「陛下」
叫ぶようにコズミがシュリに呼びかけた。
「貴方様さえいれば、この国の再興はできるのですぞ」
「良いのだ、早う逃げよ」
彼女は「もう疲れた」という言葉を繋げようとして、
どうしてもモローのことをこの
(あれがいなけば、つまらぬ)
その時からシュリは自分が想うすべての希望が
「早う……」
そこにいる全員に彼女は面倒くさそうに手を動かすのを合図に、王の間に居た側近と警護兵達は密かに
(なんと哀れなものじゃ、敗れた王の最期とはこうしたものなのか)
大扉が開かれ、敵兵達がシュリの座る王座に殺到し、全員が彼女に剣を向けた。その輪を
「……引きずり下ろせ」
そう何の感情も無い声で騎士は兵士達に命じた。五人程の兵が玉座に駆け昇り、抵抗を試みないシュリの腕や足を掴み、玉座から引き
うつ伏せで倒れ伏しているシュリは激しい恐怖と衝撃で息が詰まり、身体が動かせなかった。それにまるで
「シュリ女王、……いや、もう王ではありませんな」
上官と思ししき騎士が、シュリの
「あなたはオスダと亥之国の連合軍により罰せられる。それまでは、
立ち上がると騎士はシュリの頭から足元に位置を移した。
「逃げ出されるのは困りますのでな、動けぬようにして差し上げましょう」
そう言うや、剣を抜きざま、彼女の右足首に振るった。シュリの口から激痛の悲鳴が上がる。彼女の右足首の
「地下牢にお連れしろ」
騎士が何事も無かったように剣を鞘に納めると、そう命じた。
かなりの出血と激痛で身動きのできないシュリは、両脇を兵士に支えられ、血の跡を床に残しながら王の間から消えていった。その間、彼女の苦痛を堪えるうめき声が続き、そして遠のき、消えた。
呂之国は消滅した。ナカツノ国の女王となったモクレンは、再興宣言の一年後にガラムと婚約し、情勢が落ち着いたら婚礼の
呂之国はオスダと亥之国に
政変の
ウルバンは同盟国である亥之国のアギ王に呂之国の王に就くよう
不満の
また、巣別れの第一陣が侵入してきた以降、洞窟から「山の者」が姿を見せる事は無くなった。アマリの証言から、モローがしたとされる洞内の破壊が確実に
そしてアマリだが、彼女はオスダに戻り、
―塔の下―
ウミヤの王宮には北塔という
地下牢への長い廊下は、
廊下の
「おい、おい、もういい加減にしろ。交代が来る
鉄の扉を拳で叩きながら、扉の前の兵士は部屋の中に声をかけた。その出で立ちからオスダの兵と思われた。
暫く沈黙があり、金属をひっかくような音を立てて重い鉄の扉がゆっくりと開いた。そこから声を
「いい加減にしとけ、いくら何でも女がもたないぞ」
と辺りを見回すようにし、立っていた兵士が小声で非難している。
「良いじゃねえか、俺たちには一生味わえない女なんだぜ」
男は腰の
「どうせ、交代で詰める連中もするんだろう。……
何が「可哀想」なのかを外にいた兵士は聞かず、扉を閉め
「俺はこんなこと、好かない」
「何を
部屋から出てきた兵士は寒いのか足を踏みしめた。
「しかし、最近は冷えるようになったな」
そう言いながら兵士は外していた剣を腰に
「そうか、そりゃあお前が尻を裸にしていたからだろうが」
もう一人の兵士は吐き捨てるように言った。
「違ない、ここは酷く冷えるからな」
へらへらと笑いながら、兵士が答えた。
「そうか。寒むかったか」長い廊下の闇から低く
「大丈夫だ、
姿は見えぬままだが、声はそう続けた。
「……誰だ」
二人の兵士は廊下の暗闇へ、声の主を
見る見るうちに血が
大きな鍵で鉄の扉を開けると、中は廊下と同じ松明が一本灯っている。部屋の中は
男は女の許に膝まづくと、女の
モローだった。女の瞳が喜びと希望の色を浮かべたと思うと、すぐさま瞳が固く閉じられ、
「ずいぶんと苦労されたようですな」
モローはそう声を掛けると、女の
「舌を噛み切ろうなどとは考えないでください。俺が何のためにここへ来たのか分からなくなる」
女は王の座から引きずり降ろされ、地下牢に
着ていた外套を脱ぐと、モローはそれでシュリの身体をくるんでいく。
「さあ、もうここには
そこまで言って、シュリの足を同じように外套で包もうとし、モローの手が止まった。シュリは右踵の腱を切られていた。これでは満足に歩けなかっただろうし、腱は切れたままだが傷が塞ぐまでの苦痛は耐え
「……私を殺して」
シュリが初めて、弱々しくしわがれた声を発した。
「生きていとうない。モロー、私を死なせてほしい……」
彼女は目を固く閉じたまま
「いけない」
腱を切られ
「
「いけない、そうはさせない」
モローはそう答えると外套の上からも強い匂いを
「俺と暮らそう。一年でも、ひと月でも良い、俺と暮らして、それでもまだ死にたかったら、死なせてやる」
「……
シュリはまだ拒絶するかのように、ぴくりとも身体を動かさない。
「そうしたいからだ、俺が。それ以上、何がある」
「……後悔するぞ」
「しない」
シュリをモローは軽々と抱き上げた。
六日後、モローとシュリの姿は船の上にあった。木造の大きめの船で、呂之国の方向から吹く北風を受けて、ゆるゆると南へ進んでいる。波は穏やかで
船主はナベラという初老の男で、五人の船員を指示して航行させている。「毒の海」と呼んで近寄ろうとはしないアマツの人々とは違い、若い頃から海に乗り出し、人が言うようには海が毒されていないことを知っている男だ。
あるきっかけで知り合ったモローとは、彼が海を渡り、アマツから数十陸里ほど離れた大小様々な群島に向かう手伝いをしている。ナベラ自体は
シュリとモローの目的地は半日ほど先にある。そこには大小様々な
船の右手に続く陸地は、ちょうどオスダ辺りだと思われ、反対の左手には緑濃い大小の島が、船の進むにしたがって重なったり離れたりと景色を変えていく。モローとシュリは
地下牢から助け出したシュリは、満足に歩けないようになっていた。切られたままの腱が不自然に
ナベラの船宿でシュリの衣装を調達し、湯を使わせてもらい彼女の汚れ切った身体を洗った。すべてそれをモロー一人でやった。シュリの心が
彼女はほとんど口を
船はさらに南に進み、日が傾き始めた。この辺りになると
どこか生きるのを
それは辺りに生えている柱状の塔とは高さも形状も違い、大きく傾いてはいるものの、すらりと伸びた形をしており、
「俺たちとは違う人が造ったものだろうな」
モローは槍のような
「いつの事であろう」
「さあ、
「……
シュリはそうモローの言葉を
「ああ、遥か昔だ。アマツの中でも
多分であるが、モローが使った奇怪な形状をした武器も彼らが造り出した物だろうと彼は思っている。
「どんな人が造ったのだろうか……」
「ひょっとして、俺たちと差ほど変わらなかったのではないかな。彼らを祖先に俺たちが現れた。あの『山の者』でさえ、同じ
これは洞窟を塞いだ際、傷を負ったモローが這うようにハコの家に転げ込んだ時、その傷を治療しながらハコは「かれら。にんげん。ひどいほうしゃのう。ああなった」と話したことをモローは思い出した。ハコの家にはおよそ八か月滞在した、それほどモローの傷は重かったのだ。
元々、人を世話するために造り出されたと思われるハコは、アマリの時と同じく、
何とか動ける様になったモローは、ハコの隠家を
ここに暮らすのも良いかと思いつつ、故郷のハンに立ち寄ると、アマツでの出来事を知った。そしてモクレンがナカツノ国の国王になったこと、呂之国女王のシュリが
そんな事を思い返していたモローは北風が少し強くなったのに気づき、シュリの身体を抱き寄せた。
「こんな旅も良いものだろう」
太陽の光は
「お前と共になら、どんな旅も良い」
シュリがモローの肩に頭を預けてきた。その長く濃い栗色の髪の香りを
「こんなことをされる価値のない女だぞ、私は……」
口数は少なくなったが、シュリは自分を「余は」と呼ばず「
「価値の有る無しじゃない、俺にとって
モローが答えた。
「……私が大切だと。私の起こしたことが罰として跳ね返ってきた女じゃぞ」
「いけないか」
そのモローの言葉に反応したのか、シュリは彼から身体を離した。
「だめ……、私は以前の私ではない」
「そうかな、変わらん。俺にはそう見える」
そう答え、モローは再びシュリの身体を抱き寄せた。
「本当に良いのか……」
「ああ」
シュリと触れている部分の暖かさを感じ、彼女を見ると相変わらず表情の失せた瞳が自分に向けられている。その一瞬、柔らかな色が浮かんで消えた。モローはそれを良い
低い山々を抱いた島が次第に大きくなっている。そこが彼らの目的地であった。反対側に横たわるアマツの大地を振り返り、モローはモクレンとアマリを思った。彼女らとはもう会わないつもりだったが、もし彼女らに何かが起これば、たぶん自分は駆けつけるだろうことも分かっていた。
「お宅らを降ろすのは、島の裏側で良いんだよな」
「ああ、そうだ」
「あっちは
「我慢するさ」
モローが薄く笑いながら答えた。
今も白い鳥が十数羽、船の周りを甲高い鳴き声を上げながら、遊ぶように飛び
漂泊のモクレン 八田甲斐 @haxtutakai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます