第21話 島へ

 事態は疾風しっぷうのように動いた。オスダと亥之国の連合軍はさしたる抵抗もうけず、ナウカワ公国の王都タカキを占領し、その勢いのまま呂之国に攻め込んだ。

 エグの最前線にいたモクレンをタカキに呼び戻したウルバンは、まずタカキとその周辺にナカツノ国の正統せいとうな後継者であるモクレン王女が帰国した事を宣言せんげんし、ナウカワ公国を解体させた。ナウカワ公国時代に起こった粛清せいしゅくの嵐から身をひそめていた旧ナカツノ国の政治家、官吏かんりが次々に戻ってきたため、ウルバンは半年かけて、モクレンを頂点とするナカツノ国の再興さいこうたした。

 一方、呂之国に攻め込んだオスダ・亥之国連合軍はアマツの始祖しそであるナカツノ国を滅亡に追い込んだという理由でシュリのいる呂之国王都であるウミヤを攻め続け、約一年粘り強く抵抗していた呂之国の王都を陥落かんらくさせ、残党ざんとうりをて呂之国は完全に滅亡したのである。ナカツノ国が再興した一か月後のことであった。


 ウミヤが陥落する直前シュリは、自らも武装して王の間で側近達に囲まれ、敵国の兵士達がここへ押し寄せてくる時を待っていた。彼女自身は剣を持ったことがないものの戦うつもりでいる。そのりんとした姿は威厳を超え、神々こうごうしささえ醸し出していた。

 王の間の外が騒がしくなってきた。伝令が大きな扉を開け、呂之国の首脳陣の顔を見渡すと、不安げな表情を張り付かせている軍事担当のアヤタ大臣の許に駆けつけ、二言三言呟いた。

「よ、よし……。お前はここに残り、我々を護れ」

 アヤタ大臣は甲高い声で、状況を伝えにきた兵士にそう命ずると、よろけるように宰相であるコズミと共に王座ぎょくざのある台に立っているシュリに近づいて見上げた。

「まもなく、敵兵がここに押し寄せて参ります。抜け道を使って退避を願います」

 完全に恐怖とあせりにとらわれ、アヤタは震える声で早口に伝えた。彼は一刻でも早く逃げたい様子だった。

「分かった」

 シュリは周りにいる側近達の顔を見回しながら頷いた。皆、恐怖もしくは絶望の表情を浮かべている。ここのどこかにモローが居るのではというはかない希望を抱きながら、側近たちの上に視線を二度往復させた。居るはずはなかった、モローは死んだと聞いていた。

「皆、逃げるがよい」

 彼女は自分の弱気をさげすみ、そのさげすんだ自分を笑うように笑みを浮かべ、恐怖、不安、焦りにりつかれている側近達に命じた。

「陛下、それでよろしいのですか。お命じになれば、我ら最後までとどまりますぞ」

 コズミが驚いたようにシュリに確認した。

「許す、皆逃げよ。今まで大儀たいぎであった」

 部屋の外からは迫りくる連合軍の兵士と呂之国の兵士達がやいばを交える音が聞こえ始めている。側近の幾人かは今すぐにでも逃げ出したい様子の者もいた。

「陛下もお逃げくだされ」

 とコズミが言った。

 それを無視するかのようにシュリは、ゆっくりと高い段の上にある玉座ぎょくざに身を沈めたのである。

「陛下、お逃げください」

 再度コズミが説得した。

「お前たちは逃げよ、余は残る。……コズミ、自分も残るなどとは申すなよ」

「しかし、陛下……」

「ならぬ。さあ、早う逃げるのじゃ」

 王の間と外をへだてる大扉が、何か堅いもので壊そうとする激しい打刻音だこくおんと、敵味方の兵士の悲鳴や怒声どせいが大きくなった。それを聞きつけ、側近のほとんどが浮足うきあし立った。

「陛下」

 叫ぶようにコズミがシュリに呼びかけた。

「貴方様さえいれば、この国の再興はできるのですぞ」

「良いのだ、早う逃げよ」

 彼女は「もう疲れた」という言葉を繋げようとして、すんでのところで押し留めた。

 どうしてもモローのことをこのに及んでも思ってしまう。共にエグへもぐったというオスダの何某なにがしという女騎士の報告では、「山の者」の侵入を防ぐため、洞内を塞ぎ、自らその巻きえを食ったと聞く。

(あれがいなけば、つまらぬ)

 その時からシュリは自分が想うすべての希望がついえたと感じていた。

「早う……」

 そこにいる全員に彼女は面倒くさそうに手を動かすのを合図に、王の間に居た側近と警護兵達は密かにもうけられてあった抜け穴に殺到すると、たちまちに姿を消した。只管ひたすら広い王の間はシュリ一人となった。

(なんと哀れなものじゃ、敗れた王の最期とはこうしたものなのか)

 大扉が開かれ、敵兵達がシュリの座る王座に殺到し、全員が彼女に剣を向けた。その輪をきわけるよう上官とおぼしきオスダの騎士が現れ、威厳を保ち玉座に座り続けるシュリを見上げた。

「……引きずり下ろせ」

 そう何の感情も無い声で騎士は兵士達に命じた。五人程の兵が玉座に駆け昇り、抵抗を試みないシュリの腕や足を掴み、玉座から引きがすと、まるで蹴落けおとすように床に放り投げた。

 うつ伏せで倒れ伏しているシュリは激しい恐怖と衝撃で息が詰まり、身体が動かせなかった。それにまるで塵芥ちりあくたのように玉座から床に放り投げられたことの恥辱ちじょくと情けなさが輪をかける。

「シュリ女王、……いや、もう王ではありませんな」

 上官と思ししき騎士が、シュリのかたわらに片膝を立てかがむと、倒した兵達が遺した血に汚れた指で彼女の顔を上向かせた。

「あなたはオスダと亥之国の連合軍により罰せられる。それまでは、地下牢ちかろうにでも居てもらいましょう」

 立ち上がると騎士はシュリの頭から足元に位置を移した。

「逃げ出されるのは困りますのでな、動けぬようにして差し上げましょう」

 そう言うや、剣を抜きざま、彼女の右足首に振るった。シュリの口から激痛の悲鳴が上がる。彼女の右足首のけんが斬り割られていた。

「地下牢にお連れしろ」

 騎士が何事も無かったように剣を鞘に納めると、そう命じた。

 かなりの出血と激痛で身動きのできないシュリは、両脇を兵士に支えられ、血の跡を床に残しながら王の間から消えていった。その間、彼女の苦痛を堪えるうめき声が続き、そして遠のき、消えた。


 呂之国は消滅した。ナカツノ国の女王となったモクレンは、再興宣言の一年後にガラムと婚約し、情勢が落ち着いたら婚礼のげることとなった。

 呂之国はオスダと亥之国に等分とうぶんに分割され、ウミヤを首都として二国連合で統治されることとなった。

 政変の首謀者しゅぼうしゃであるウルバンは、最後までこの騒動を反対していたという父親であるオスダ王を隠居いんきょさせ、事なかれ主義に徹した皇太子である長兄をオスダの王にかせ、自分は破壊されくされた呂之国の摂政せっしょうに就き、国の立て直しを図っていくこととなった。

 ウルバンは同盟国である亥之国のアギ王に呂之国の王に就くよう推挙すいきょしたが、アギ王は呂之国の利権りけんの半分以上を求め、その代わり自分の名前を貸すから、ウルバンが実質上の王として摂政せっしょうに就くようにと逆に説得され、それを承諾しょうだくした。

 不満の火種ひだねはないことはない。亥之国が戦闘以外さしたる功績こうせきがないにも関わらず、呂之国をオスダとともに統治し、その利権の半分以上を有するという部分である。今は、ウルバンの巧みな運営で穏便おんびんに済んでいるが、どこで不満が噴出ふんしゅつし、情勢が変わるかは分からないのが、一抹いちまつの不安要素とも言えた。

 また、巣別れの第一陣が侵入してきた以降、洞窟から「山の者」が姿を見せる事は無くなった。アマリの証言から、モローがしたとされる洞内の破壊が確実にされたと思われた。ナカツノ国の王であるモクレンは万が一にもモローの遺体いたいもしくは行方が分かるかと探索の者を派遣したが、エグ側に近い箇所が完全に崩壊している事だけが判明し、恐らくモローは崩れ落ちてきた岩塊がんかいの下に眠っているのだろうと判断された。

 そしてアマリだが、彼女はオスダに戻り、隠居いんきょした王から引き継いだ新しい王の警備担当騎士として王宮につとめ始めている。警備担当として彼女の働きは有能であるという評判だが、女性にしては感情が表に出なさすぎるし、滅多めったに笑わないことが不気味だと言及げんきゅうする王の側近もいるそうだ。一切いっさい男は寄せ付けず、勤務意外は屋敷に閉じこもり、その姿を見た者はいないというほど人嫌いになってしまっている。エグから戻って以来、アマリの性格は大きく変わってしまったようだ。

 

 ―塔の下―

 ウミヤの王宮には北塔という一際ひときわ大きな塔がそびえている。王宮の中では最も古い塔で、その鋭くとがった屋根に続く円筒形の下には、王族など地位の高い罪人を押し込める地下牢ちかろうがある。

 地下牢への長い廊下は、わずかばかりの松明たいまつともされているだけだ。その不気味さから「冥府めいふ回廊かいろう」と呼ばれており、廊下の暗さも手伝ってか、閉じ込められ命を落とした罪人達の亡霊がうごめいているとうわされるほど、ひどく陰湿いんしつな雰囲気をかもし出している。

 廊下の最奥部さいおくぶには、厳重げんじゅうな鉄扉がはめ込まれている一室があった。そこが地下牢である。地下牢の前に警備兵が一人立っていて、中を気にしているのか、どことなく落ち着かない様子であった。昼夜ちゅうや二人で警備をすることが決められている筈だが、扉の前に居るのは一人しか見当みあたらない。

「おい、おい、もういい加減にしろ。交代が来る時刻じこくだぞ」

 鉄の扉を拳で叩きながら、扉の前の兵士は部屋の中に声をかけた。その出で立ちからオスダの兵と思われた。

 暫く沈黙があり、金属をひっかくような音を立てて重い鉄の扉がゆっくりと開いた。そこから声をひそめているものの下卑げびた笑いが部屋の中から聞こえ、声をかけた兵士と同じ姿をした兵士がずり下がったはかまを引き上げながら現れた。こちらも肩にオスダの兵を示す紋章もんしょうい付けられていた。

「いい加減にしとけ、いくら何でも女がもたないぞ」

 と辺りを見回すようにし、立っていた兵士が小声で非難している。

「良いじゃねえか、俺たちには一生味わえない女なんだぜ」

 男は腰のひもを結びながら、同僚の兵士に笑いかけ、部屋の中にいるであろう女を振り返った。

「どうせ、交代で詰める連中もするんだろう。……可哀想かわいそうにな」

 何が「可哀想」なのかを外にいた兵士は聞かず、扉を閉め施錠せじょうすると、まだニヤニヤしている男に顔を向けた。

「俺はこんなこと、好かない」

「何を今更いまさら、おめえも初めの頃は俺らと女をいたぶってたんだ。良いじゃねえか、みんなやっていることだ。これくらいの役得やくとくがあってもばちは当たらねえさ。お前もそう思うだろう。足の腱を切られてまともに歩けねえし、ちっとばかし歳はってるが、何しろ上玉じょうだまだ」

 部屋から出てきた兵士は寒いのか足を踏みしめた。

「しかし、最近は冷えるようになったな」

 そう言いながら兵士は外していた剣を腰に手挟たばさんだ。

「そうか、そりゃあお前が尻を裸にしていたからだろうが」

 もう一人の兵士は吐き捨てるように言った。

「違ない、ここは酷く冷えるからな」

 へらへらと笑いながら、兵士が答えた。

 「そうか。寒むかったか」長い廊下の闇から低くささやくような声が二人の兵士には聞こえた。「なんだ」と二人は顔を見合わせ、あわてて剣をかまえたが、声の主は見えなかった。

「大丈夫だ、じきに寒くなくなる」

 姿は見えぬままだが、声はそう続けた。

「……誰だ」

 二人の兵士は廊下の暗闇へ、声の主を見極みきわめようと目をらした。すると、闇からにじみ出るように頭巾ずきんと全身をすっぽりと覆うような外套がいとう姿の影が現れた。顔は頭巾ずきんに隠れて見えないが、唯者ただものではないことは、二人の兵士にも分かった。

 突如とつじょ、影が疾走し距離を詰めてくる。その素早さに二人の兵士は何も対応ができないでいた。影が二人の間を通り抜けざまに、僅かな松明の明かりを受けて、短い刃物が二度きらめいただけである。兵の二人は首の皮一枚つながった状態となり血しぶきを上げて床に転がっていった。

 見る見るうちに血が石畳いしだたみの床に広がっていく中、頭巾の男は兵士の腰に下がっている鍵束を外した。鍵束には大小二つの鍵が鉄の輪に下がっている。おそらく大きな鍵が扉で、小さな方は手枷てかせ足枷あしかせの鍵であろう。

 大きな鍵で鉄の扉を開けると、中は廊下と同じ松明が一本灯っている。部屋の中はけものじみた臭気しゅうきに満ち、耐えがたいほどだった。調度類などは何もなく、わらを詰めた薄い寝台が寒々と床へじかに置かれてあり、その上に手枷てかせをされ、汚い布で猿轡さるぐつわをされた半裸状態の女が力なく横たわっていた。気を失っているのかと思ったが、瞳は新たに侵入してきた男にそそがれている。

 男は女の許に膝まづくと、女の手枷てかせを外した。そして頭巾を外すと男の顔が現れた。

 モローだった。女の瞳が喜びと希望の色を浮かべたと思うと、すぐさま瞳が固く閉じられ、猿轡さるぐつわからくぐもった悲痛な声が漏れてきた。

「ずいぶんと苦労されたようですな」

 モローはそう声を掛けると、女の猿轡さるぐつわを外してやった。

「舌を噛み切ろうなどとは考えないでください。俺が何のためにここへ来たのか分からなくなる」

 女は王の座から引きずり降ろされ、地下牢に幽閉ゆうへいされたシュリであった。女王としての権威や自負心は叩きつぶされ、それに加え夜な夜な警備の兵士たちになぐさみ者にされたシュリは、生けるしかばねのようだった。

 着ていた外套を脱ぐと、モローはそれでシュリの身体をくるんでいく。

「さあ、もうここには十分じゅうぶん居たでしょう。そろそろ外に出る時期です……」

 そこまで言って、シュリの足を同じように外套で包もうとし、モローの手が止まった。シュリは右踵の腱を切られていた。これでは満足に歩けなかっただろうし、腱は切れたままだが傷が塞ぐまでの苦痛は耐えがたいものがあっただろう。

「……私を殺して」

 シュリが初めて、弱々しくしわがれた声を発した。

「生きていとうない。モロー、私を死なせてほしい……」

 彼女は目を固く閉じたまま懇願こんがんするように言った。身体を硬直させ、生きるのを拒絶しているかのようであった。

「いけない」

 腱を切られみにくい傷跡が目立つ足首を、モローは慎重しんちょうに外套のすそで隠した。

後生ごしょうよ、……死にたい。……お願い」

「いけない、そうはさせない」

 モローはそう答えると外套の上からも強い匂いをまとうシュリを抱き寄せると強く抱きしめてきた。

「俺と暮らそう。一年でも、ひと月でも良い、俺と暮らして、それでもまだ死にたかったら、死なせてやる」

「……おろかな、こんな女に成り下がった私に、なぜ情けをかける」

 シュリはまだ拒絶するかのように、ぴくりとも身体を動かさない。

「そうしたいからだ、俺が。それ以上、何がある」

「……後悔するぞ」

「しない」

 シュリをモローは軽々と抱き上げた。


 六日後、モローとシュリの姿は船の上にあった。木造の大きめの船で、呂之国の方向から吹く北風を受けて、ゆるゆると南へ進んでいる。波は穏やかで晩秋ばんしゅうの太陽が船に降り注ぎ、船を見つけた白い鳥が数羽、上空を舞っていた。

 船主はナベラという初老の男で、五人の船員を指示して航行させている。「毒の海」と呼んで近寄ろうとはしないアマツの人々とは違い、若い頃から海に乗り出し、人が言うようには海が毒されていないことを知っている男だ。

 あるきっかけで知り合ったモローとは、彼が海を渡り、アマツから数十陸里ほど離れた大小様々な群島に向かう手伝いをしている。ナベラ自体は密輸みつゆ生業なりわいとする海の人で、アマツの人々からは人とも認識されていないたみであった。

 シュリとモローの目的地は半日ほど先にある。そこには大小様々なむらがる群島ぐんとうで、その中でももっとも大きな島が、目的地のテヤマ島である。テヤマ島はもっぱら隠遁者いんとんしゃなどが世間から身を隠しひっそりと暮らす島である。モローはそこに家を保有ほゆうし、少しの間だが住んでいたこともある。家は引退したら住もうかと手に入れたものだ。

 船の右手に続く陸地は、ちょうどオスダ辺りだと思われ、反対の左手には緑濃い大小の島が、船の進むにしたがって重なったり離れたりと景色を変えていく。モローとシュリは甲板かんぱんに上がり、船端ふなばたを背に座り込むと、緩やかに流れる景色と帆に受ける風の音、まぶしい太陽を感じていた。

 地下牢から助け出したシュリは、満足に歩けないようになっていた。切られたままの腱が不自然につながり、思うように右足首が動かせないのだ。さらに体力も減少していて、移動はモローに抱きかかえられないと無理な状態だった。

 ナベラの船宿でシュリの衣装を調達し、湯を使わせてもらい彼女の汚れ切った身体を洗った。すべてそれをモロー一人でやった。シュリの心がひどく傷ついていることを感じ、モローは片時もシュリから目を離せないでいた。かわやをシュリが使う際でも彼女を抱き上げて用をさせ、寝るときは彼女と同じ寝台で自分のふところに入れるかのよう共に寝た。

 彼女はほとんど口をかなかった。自分からモローに触れてくることもなかった。その代わり、モローは絶えず彼女に触れ続けている。

 船はさらに南に進み、日が傾き始めた。この辺りになるとてた高い塔がいくつも海の中に生えているのを見ることができる。明らかに人の手で造られたと思しき巨大な建造物群であった。それらは傾いたり、途中で折れて傷口から骨組みが露出ろしゅつしているが、長い年月の間に風や鳥たちに運ばれたと思える木や草の種が芽吹めぶいて緑をたたえた途方とほうもない巨大樹の様相ようそうていしており、不思議で荘厳そうげんな光景となっている。

 どこか生きるのをあきらめた瞳をしているシュリが、目に入った建物を指さした。

 それは辺りに生えている柱状の塔とは高さも形状も違い、大きく傾いてはいるものの、すらりと伸びた形をしており、やりのような先端せんたん近くに二つのこぶの形状をしたものが連なった物であった。

「俺たちとは違う人が造ったものだろうな」

 モローは槍のような先端部せんたんぶを見つめながらそう伝えた。

「いつの事であろう」

「さあ、はるか昔だろうな」

「……はるか昔」

 シュリはそうモローの言葉を反芻はんすうした。

「ああ、遥か昔だ。アマツの中でも時折ときおりこういったたぐいの遺跡が見つかるようだ」

 多分であるが、モローが使った奇怪な形状をした武器も彼らが造り出した物だろうと彼は思っている。

「どんな人が造ったのだろうか……」

「ひょっとして、俺たちと差ほど変わらなかったのではないかな。彼らを祖先に俺たちが現れた。あの『山の者』でさえ、同じ道筋みちすじを辿って生まれ出でたと聞いたことがある」

 これは洞窟を塞いだ際、傷を負ったモローが這うようにハコの家に転げ込んだ時、その傷を治療しながらハコは「かれら。にんげん。ひどいほうしゃのう。ああなった」と話したことをモローは思い出した。ハコの家にはおよそ八か月滞在した、それほどモローの傷は重かったのだ。

 元々、人を世話するために造り出されたと思われるハコは、アマリの時と同じく、献身的けんしんてきにモローの治療に当たってくれた。

 何とか動ける様になったモローは、ハコの隠家をし、エダを北上しながら北の外れと思われる名も知らぬ土地をめぐり、ハン、呂之国と南下してきたのだ。北方は人など住み暮らしていないと言われていたが、少数ではあるものの人はおり、独自の国家体制も敷かれている事をモローは知った。そこの人々は貧しいものの、外から来た者にも非常に好意的でもあり、おそらくアマツのように戦乱がり返された事はないのだろうと思われた。

 ここに暮らすのも良いかと思いつつ、故郷のハンに立ち寄ると、アマツでの出来事を知った。そしてモクレンがナカツノ国の国王になったこと、呂之国女王のシュリがとらわれの身となり、恐らく殺害されたかひどい扱いをされているだろうことを知ったのだ。

 そんな事を思い返していたモローは北風が少し強くなったのに気づき、シュリの身体を抱き寄せた。

「こんな旅も良いものだろう」

 太陽の光は相変あいかわらず降りそそぎ、ゆるやかに揺れる船の甲板かんぱんに広がる風景に目を細め、モローはシュリに問いかけた。彼女がほとんど喋らないため、逆に無口の方であるモローが良くしゃべるようになっている。

「お前と共になら、どんな旅も良い」

 シュリがモローの肩に頭を預けてきた。その長く濃い栗色の髪の香りをぎ、モローは柔らかな髪に唇を押し付けた。

「こんなことをされる価値のない女だぞ、私は……」

 口数は少なくなったが、シュリは自分を「余は」と呼ばず「わたくし」と言う様になった。

「価値の有る無しじゃない、俺にとって大事だいじかそうではないかだ」

 モローが答えた。

「……私が大切だと。私の起こしたことが罰として跳ね返ってきた女じゃぞ」

「いけないか」

 そのモローの言葉に反応したのか、シュリは彼から身体を離した。

「だめ……、私は以前の私ではない」

「そうかな、変わらん。俺にはそう見える」

 そう答え、モローは再びシュリの身体を抱き寄せた。

「本当に良いのか……」

「ああ」

 シュリと触れている部分の暖かさを感じ、彼女を見ると相変わらず表情の失せた瞳が自分に向けられている。その一瞬、柔らかな色が浮かんで消えた。モローはそれを良い兆候ちょうこうだと感じた。

 低い山々を抱いた島が次第に大きくなっている。そこが彼らの目的地であった。反対側に横たわるアマツの大地を振り返り、モローはモクレンとアマリを思った。彼女らとはもう会わないつもりだったが、もし彼女らに何かが起これば、たぶん自分は駆けつけるだろうことも分かっていた。

「お宅らを降ろすのは、島の裏側で良いんだよな」

 物見ものみのために帆の上にいたナベラが、するすると帆柱ほばしらすべり降りてきた。

「ああ、そうだ」

「あっちは外海そとうみだ、波が高い、ちと揺れるぞ」

 襤褸布ぼろぎれのような服を荒縄あらなわわえただけのナベラは、船の舳先へさきを見つめた。

「我慢するさ」

 モローが薄く笑いながら答えた。

 今も白い鳥が十数羽、船の周りを甲高い鳴き声を上げながら、遊ぶように飛びっている。

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漂泊のモクレン 八田甲斐 @haxtutakai

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