第18話 待ち人たち
モローとアマリが
モクレンはこの一連の無駄な手続きに
三日をかけて、モクレンとガラムは洞窟入口に最も近い駐屯地に辿り着いた。駐屯所は右手に川を望める少し高台の僅かばかりの平地にあり、辺りは深い山々が迫っていた。
この駐屯地には千人を超えると言われる呂之国とナウカワ公国の
これまでのところ洞窟を抜けて侵入してくる「山の者」を、
その日の夕刻、その最後の駐屯所の入口に設けられた布と木でできた衛所の受付に二人は立っていた。受付の兵士は二人で、これまで抜けてきた検問所もそうだったがここを抜けて洞窟に入ろうとする人間は少ないため、暇を持て
だがここは他とは違い、微かな
受付兵士は幾分緊張した面持ちで、
「
大柄のガラムは、年かさの受付に声を掛けた。
「エグへ向かった二人連れが居たはずだが。もう戻ってきたのだろうか」
ガラムが
それを聞いたモクレンは思わずガラムの
各衛所で同じ返答を
「それは確かなのか」
ガラムは袖を掴んできたモクレンの手に自分の手を重ねた。
「確かです。自分はそれほどここが長いわけではありませんが、あの洞窟に入っていった者が戻ってきたのを見たことはありませんし、前任者からもそう聞いております」
受付の兵士はガラムたちが自国の騎士ではないことから、丁寧だが木で鼻を
「だが、戻ってこないという確証もなかろう」
「それはそうですが、ただでさえ数日に一度、奴らがやってくるのです。それは洞窟の反対側には奴らがうようよ居ると言う事でして、望みはないと自分たちは伝えるよう命令されております」
そう兵士は答えた。
「分かった」
ガラムは頷くとちらりと横で固まっているモクレンの手に手を重ねたまま横顔に目をやった。
「どうされます。あなた方の書類ならば、ここを通ってかまいませんが」
「いや、しばらくの間、ここに
ガラムがそう答えると兵士はホッとしたような表情を浮べた。
「そうですか、いくら騎士様でも女子連れでここを通って洞窟に行くことはお勧めしません。ここからほんの一陸里なのですが、あいつらとの戦いで遺体の後始末もままならぬほどで。その匂いが、ほれ、ここでも感じられますでしょう」
兵士はガラムが騎士風を吹かさないことで安堵したのか、口調に呂之国の
「モクレン様、とりあえずどこか宿でも探しましょうか」
がらりと優し気な口調に変わったガラムは、自分の
「アマリ殿はともかく、あのモロー殿です。そう簡単に倒されるものではありません。何らかの事情で戻って来れないのだと思われた方が良いです」
今の今まで自分がモクレンの手を握っていた事に気づき、慌てて手を引っ込めながらそう伝えた。
「帰ってきた者はいないと、あの兵士が言ってました」
「そうですね」
ガラムが頷いた。
「エグから戻ってきた者がいないというのは事実でしょう。だからモロー殿もそうだと、モクレン様は思われるのですか」
「思いたくない、……思いたくはないのですが」
ガラムが足を止めた。それに釣られてモクレンも足を止めることとなった。
「しっかりなされ、まだ何もわかってはおらぬではありませんか。ただ受付の兵士がそう言っただけです」
モクレンの弱気を何とかしたいがために、少し強めに言葉をガラムは返してしまった。
「……ガラム様は二人が無事だと信じておられるのですか」
「当然です。何度も言うように、そうそう簡単にモロー殿がどうこうなるとは思いませんな」
くすりと笑みをモクレンが浮かべた。
「なんだか安心しました」
「やっ、それは良かった」
(ああ、わたしはこの人が好きなんだ)
オスダ王族付きの騎士にもかかわらず自分を何かと気に掛ける人であり、今回に関しても自分をモローの
「さて、状況は分かりましたな。ここに暫く滞在するなら、どこか宿を探さねばなりません」
とガラムは誰かを探すように辺りを見回した。
―待ち人たち―
この地域は
そこは駐屯所から南西へ一陸里半ほど離れたサヌダという地主の屋敷で、地主とはいってもそれほど大きな土地持ちではなく、土地からの小作収入に加え、地主自らも畑に出て農作業をしなければならない程らしい。この辺りは西側の
「まあ……」
と、地主夫婦の後ろからぴょこぴょこと顔を
「子供がおりますので、
と
「いえいえ、
すると、モクレンが子供好きなのを感じてか子供達が前に出てきたので、彼女は一番手前に居た男の子の頭を撫でた。
「私ら夫婦は、なかなか子ができませんでしたが、不思議なもので一人できたら、立て続けに五人にできてしまいまして……」
身なりはそれなりに良いが、顔や腕を真っ黒に日焼けさせたサヌダの妻が言った。
「おめでたいことではありませんか」
と
「恐れ入ります。北から恐ろしい化け物がやってくるようになったこんな所へ、わざわざ来ていただきまして、今回は何かの
サヌダの妻はモクレンに親近感を感じたのか、盛んに話しかけてくる。
「ええ、ちょっと」
モクレンが女の子の髪を撫でながら答えた。
「あの、以前……、タカキの宮殿に居られたことはございませんか」
サヌダの妻はモクレンを何か思い出すようにじっと見つめ、そう尋ねた。
「いいえ、
「ええ、あの。こう言っては失礼かもしれませんが……亡くなった王妃様に似ていらっしゃるので。……昔、私、タカキの宮殿に
彼女の言う「王妃」といのは、モクレンの母親であるシャーロ王妃だと思われた。
「いや、我々はオスダから参った。ナウカワではない」
少し慌て気味にガラムが訂正してきたため、地主の妻は申し訳なさそうにモクレンに目をやった。
「申し訳ありません、あまりにも似ていたので、つい失礼な事を。……そうですか、オスダからでございましたか」
そう言い、深々と頭を下げた。
「いいえ、お気になさらないで。そんな
モクレンは微笑みを消さず、抱いていた女の子を母親に返しながら、そう答え「そんなに似ています」と続けた。
「はい、似てらっしゃいます」
「そうですか、不思議な事もあるものですね」
そう言うモクレンの言葉をガラムが引き
「結構な長旅だった。少し部屋で休ませてもらえぬか」
「ああ、これは失礼いたしました。お部屋は三階に用意してございます」
と今まで黙っていたサヌダが口を開き、二人の使用人に部屋へ案内するよう命じた。
「
ガラムがそう応え、使用人の後について部屋に向かおうとすると、母親に抱かれたままの子を除く四人の子供達は何故かモクレンから離れず、広間にある階段を彼女と一緒に
「これ、お前たちはだめだ」
と慌ててサヌダが
別に一緒でも良かったのにと、子供達が離れていくのを寂しく感じながら、モクレンはガラムの背中を見ながら階段を三階まで登った。
使用人に案内された隣り合った彼女らの部屋は、部屋の壁代わりの引き戸を外せば一部屋にもなる造りだった。部屋を一つにしないまでも、ここならば廊下に出て隣の部屋をいちいち訪ねることなく、行き来できる。ウルバンがつけてくれた影が事前に宿へどう伝えたか分からないが、男女二人ということでこのような部屋を地主は当てがったと思われた。
モクレンは身体が微かにざわつくのを覚えながら、
(わたしは母親に似ているらしい)
サヌダの妻に言われた言葉を思い出し、モクレンは嬉しいような、くすぐったいような気持に襲われた。ウルバンとガラムに自分が王女であったことを知られてしまい、これから自分がどうなるか
一方で、
そうこうしている内に、そのまま眠ってしまったらしい。ガラムの部屋を
「……はい」
「モクレン様、これからの事を少し
ガラムが声を潜めるよう戸の向こうで言っている。
―待ち人たち・2―
モクレンとガラムは、翌朝から駐屯地に出かけた。ほぼ
駐屯地での待機が三日目になる頃から、モクレンとガラムは駐屯地の兵士の視線が
五日目であろうか、これまでと同じようにモクレンとガラムは駐屯地を訊ね、モロー達の
初老ではあるが鍛え上げた体躯に鋭い眼光が特徴の騎士は、敵意が無いことを示すように剣を右手に持ち二人から少し離れた所で立ち止まった。見るからに数多くの死線を
彼の視線はじっとモクレンに注がれている。やがて、確信を得たような、納得と喜びを押し隠す表情を浮べた。
ガラムがその兵士の行動を
「いや、お待ち下され、
彼の訛りはタカキ訛りであった。
「
「なぜだ」
と警戒を解かずにいるガラムが問うた。
「呂之国が、お二人を警戒しております」
兵士はそう答えた。その口調はまるで
「何故、私たちを警戒しているのでしょうか」
ガラムの背後にいたモクレンが兵士に尋ねた。
「お分かりになりませんか。……あなた様がいらっしゃるからです」
騎士がそう答え、モクレンとガラムは口を閉ざした。騎士が続けた。
「ここはあなた様にとって危険です。こうして私が話している姿を見られるのも
「あなたは勘違いをなさっているのではありませんか。私たちはエグから帰ってくる人を待っているだけです」
モクレンは一歩前にでて、ガラムに並んだ。
「はっ、それは聞いております」
「では、私たちが危険だとはならないのではないでしょうか」
「違います。……お判りでしょう、私たちナカツノの者たちは
初老の騎士はモクレンが王女であると確信し、そのことを疑っていないようだった。自分が母に似ていること、ナウカワ公国の兵士の多くは母の顔を覚えていたのだろう。とすれば、この駐屯所に現れたシャーロ王妃に似た彼女が、
「
「あなたの言い分は分かりました。しかし、私も人を待っております。その人が帰ってくるまではここを
「お気持ちは察しいたします。……サヌダの屋敷に滞在されていると聞いております。サヌダ一族はナカツノを
そう騎士が必死の
「こうなったのなら、この者の言葉を信じるしかないですな」
そうガラムが短く答えた。それは、彼女がナカツノ王国の皇太子であることを、この騎士に
モクレンは頷いた。
モクレンがナカツノ国の王女であることをガラムは理解しているが、こうも早く彼女の
「私も気にはなっていたのです。こうして無防備に
とガラムが言った。
「けれども、この方にそんな
直立しモクレンとガラムの会話を聞いている騎士を彼女は見つめ、そう言った。
「お気になさらないでください。むしろ、
真剣で少し
「そうしましょう。……私たちは宿へ帰ることにします」
「はっ」
思わず地に
「待ち人のことは、私にお任せください」
「分かりました。あなたのご
モクレンは微笑みを浮べながら答えると、兵士の直立の姿勢がさらに伸びたように見えた。
「はっ、痛み入ります」
「あなた、お名前は」
「ラッツと申します。以前は王宮の警備担当騎士を
「そうですか、娘さんの名は何と申されます」
「……サフランと申しました」
モクレンは言葉を失った。このような
「私のことは良いのです。……さあ、ここからお戻りなされませ」
急に辺りを気にし始めたラッツが
「戻りましょう」
とガラムがモクレンの背を押した。そして彼は去り際、ラッツへこう耳打ちした。
「この方は、これまでずっと自分のことをサフランと名乗っていた」
ラッツの瞳が驚きに揺れ、そしてみるみる
―待ち人たち・3―
旧ナカツノの兵士にモクレンのことが広まったのは、サヌダの妻が駐屯所で顔見知りのナウカワ軍兵士にモクレン王女によく似た客が滞在していると漏らしたことからのようだ。そのことで、サヌダの妻は夫にかなり叱られたという。だが、そういうサヌダもモクレンの立ち
ラッツと会ったその日の夜、サヌダの屋敷でモクレンは心がざわついたままだった。彼女は自分にあてがわれた部屋の寝台に腰かけ、ぼんやりと
「モクレン様、起きておられますか」
隣の部屋からの緊張したガラムの声だった。
「はい、……起きてます」
「兵に囲まれております。気付かれないように窓の外をご覧ください」
半信半疑でモクレンは寝台を降り、
「見られましたか、逃げますぞ」
ガラムが部屋と部屋を繋ぐ引き戸を開けて入ってくると叫ぶように言った。だが、モクレンは兵士達の中に昼間会ったラッツが
「待って、違うかもしれない」
そう言うと、部屋着の
モクレンは広間を横切り、玄関の外に出ようと進み続けた。
「お待ちください」
とガラムが叫ぶと、サヌダも同じように彼女を留めようと前に出た。
「大丈夫。もし、私の身や命が目的なら、私が討たれれば良いのです。あなた達には
そう答え、モクレンは玄関の扉を開けて外に身体を
「お下がりください」
ガラムは剣を構えながら叫んだ。
「ガラム様、ラッツさんが居ます。私は大丈夫です」
星明りの下、兵士たちの
「ラッツさん、どうされました」
つかつかとラッツ達兵士がいる前庭の中ほどまでモクレンは歩んだ。
「はっ」
ラッツが燃えている
「王女、我々は
ラッツの
「認められる訳がありません。……あなた方はナウカワ公国の兵士です、ナカツノの兵士ではありません。私に忠誠を誓うということはナウカワ公国に背を向けるということです。それに引き換え私は、オスダの
「いいえ、
一気にラッツは自分達の想いをモクレンにぶつけてきた。モクレンはそれを受け止めて良いものかと思っている。
「それは真なのですか。私などのためにということは、
「私と意を同じく、皆、ここに
そう言ったラッツの背後に控えている兵士の何人かが「ラッツ兵士長と同様でござりまする」という声が聞こえてきた。それでも彼らはモクレンの前に額づいたまま、身動き一つしない。
彼女は再び口を閉ざし、目の前で額づいている兵士達を見つめていた。この兵士達はほとんどの者が一度も会った事のない自分に敬意を
しかし同時に、一国を
「分かりました。……皆さんの気持ちは受け取りました。
自分がどうしてこのような言葉を発せられるのか不思議だった。何かに乗り移られ、自分ではない者が勝手に話しているような気持だ。
「はっ。
ラッツの大音声で、モクレンは本来の自分に引き戻された気がした。あれだけ頼もしく感じられた兵士達が、急に恐ろしく感じ始めている。
モクレンが
「モクレン王女に、敬礼」
兵士達が立ち上がる地響きのような音がし、そして皆一様に姿勢を正し、右腕の
「これより駐屯所に帰還する。……
ラッツの号令に合せ、兵士達の姿が音もなく闇の中に
誰も居なくなった屋敷の前庭にモクレンとガラムは立っていた。星明りが辺りを
「……ガラム様、これでよろしかったのでしょうか」
モクレンが消えていった兵士達がまだ居るかのように前を向いたままガラムに話しかけた。
「上々でした。わたしがナウカワの騎士であったしても、間違いなく一にも二にも、あなたの命に従います。ご立派です」
ガラムは
「本当に……」
とモクレンは小首を
「ええ、本当に」
「よかった……」
そう答えると、彼女はガラムの
「……」
「……疲れてしまいました」
ガラムはモクレンが王女として目覚めたような気がする。ウルバンはモクレンを自分の
しかし、今目の前にいる彼女は、ガラムが
その翌日からである。駐屯所
そして
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