第18話 待ち人たち

 モローとアマリが辿たどった道筋みちすじとは違い、モクレンとガラムは脇道などを通らず通常の街道を進んで洞窟に向かっていた。そのため幾つもの臨時に設置された検問所を通る羽目になり、その都度つど同じ問答もんどうとウルバンが特別に発行してくれた通行手形つうこうてがたを見せ続けた。

 モクレンはこの一連の無駄な手続きに辟易へきえきとしていたが、彼女を護衛する任務も帯びているガラムは、面倒な顔一つ見せずに手続きを進めていくのには驚いた。彼女の知っている騎士といった連中の多くは、権威を笠に着て居丈高いたけだかに要求を押し付けてくるといった印象が強いのだが、ガラムは優秀な官僚もしくは外交官のように、些末さまつな手続きや折衝せっしょう飄々ひょうひょうとこなしていく。そんなガラムを間近に見て、モクレンはモローと違う親しみを感じていた。

 三日をかけて、モクレンとガラムは洞窟入口に最も近い駐屯地に辿り着いた。駐屯所は右手に川を望める少し高台の僅かばかりの平地にあり、辺りは深い山々が迫っていた。

 この駐屯地には千人を超えると言われる呂之国とナウカワ公国の混成こんせい部隊が駐留する「山の者」への最前線である。

 これまでのところ洞窟を抜けて侵入してくる「山の者」を、かろうじて追い返しているのだが、兵の損耗そんもうは大きいようだ。代わりの兵が送り込まれてはいるものの損害は増えるばかりで、ナウカワ公国と呂之国の兵力は危険なほどに減っていた。

 その日の夕刻、その最後の駐屯所の入口に設けられた布と木でできた衛所の受付に二人は立っていた。受付の兵士は二人で、これまで抜けてきた検問所もそうだったがここを抜けて洞窟に入ろうとする人間は少ないため、暇を持てあましているように見えた。

 だがここは他とは違い、微かな腐敗臭ふはいしゅうが絶えず感じられる。昨日も「山の者」十数体が洞窟を抜けて侵入し、警備する兵士との戦闘が起こっていた。この戦闘で「山の者」は数体生き延び、生き延びた数だけ戦闘で倒れた死体を担いで帰っていった。

 受付兵士は幾分緊張した面持ちで、まくくぐって入ってきたモクレンとガラムを見つめていた。

たずねたい事がある」

 大柄のガラムは、年かさの受付に声を掛けた。

「エグへ向かった二人連れが居たはずだが。もう戻ってきたのだろうか」

 ガラムがたずねると、年若い受付の兵士が手元の書類に目を落とし、「まだ、戻っていません」と抑揚よくようなく答えた。

 それを聞いたモクレンは思わずガラムのそでを掴んていた。

 各衛所で同じ返答をもらっているので多少は馴れたが、絶望ともとれる感情が胸を広がり、そうでもしないと崩れ落ちるのにも似た感覚に襲われたからである。一縷いちるの望みを持っているからこそ、毎度、そんな想いをすることになる。

「それは確かなのか」

 ガラムは袖を掴んできたモクレンの手に自分の手を重ねた。

「確かです。自分はそれほどここが長いわけではありませんが、あの洞窟に入っていった者が戻ってきたのを見たことはありませんし、前任者からもそう聞いております」

 受付の兵士はガラムたちが自国の騎士ではないことから、丁寧だが木で鼻をくくった返答である。この兵士は呂之国に所属しているらしく、肩の紋章もんしょうからもそれが確認ができた。

「だが、戻ってこないという確証もなかろう」

「それはそうですが、ただでさえ数日に一度、奴らがやってくるのです。それは洞窟の反対側には奴らが居ると言う事でして、望みはないと自分たちは伝えるよう命令されております」

 そう兵士は答えた。

「分かった」

 ガラムは頷くとちらりと横で固まっているモクレンの手に手を重ねたまま横顔に目をやった。

「どうされます。あなた方の書類ならば、ここを通ってかまいませんが」

「いや、しばらくの間、ここに滞留たいりゅうし様子を見る」

 ガラムがそう答えると兵士はホッとしたような表情を浮べた。

「そうですか、いくら騎士様でも女子連れでここを通って洞窟に行くことはお勧めしません。ここからほんの一陸里なのですが、あいつらとの戦いで遺体の後始末もままならぬほどで。その匂いが、ほれ、ここでも感じられますでしょう」

 兵士はガラムが騎士風を吹かさないことで安堵したのか、口調に呂之国のなまりがでていた。

「モクレン様、とりあえずどこか宿でも探しましょうか」

 がらりと優し気な口調に変わったガラムは、自分の袖口そでぐちを握っているモクレンの手をいて入ってきたように幕をめくって外に出た。モクレンはモロー達に置かれた状況が厳しいものだとは聞かされていたが、現場の兵士からそう言われた衝撃は大きかった。

 腐敗臭ふはいしゅうただよう駐屯所の外で待たせていた馬の許へ戻りながら、ガラムはどうモクレンに声を掛けるべきか考えていたようだ。

「アマリ殿はともかく、あのモロー殿です。そう簡単に倒されるものではありません。何らかの事情で戻って来れないのだと思われた方が良いです」

 今の今まで自分がモクレンの手を握っていた事に気づき、慌てて手を引っ込めながらそう伝えた。

「帰ってきた者はいないと、あの兵士が言ってました」

「そうですね」

 ガラムが頷いた。

「エグから戻ってきた者がいないというのは事実でしょう。だからモロー殿もそうだと、モクレン様は思われるのですか」

「思いたくない、……思いたくはないのですが」

 ガラムが足を止めた。それに釣られてモクレンも足を止めることとなった。

「しっかりなされ、まだ何もわかってはおらぬではありませんか。ただ受付の兵士がそう言っただけです」

 モクレンの弱気を何とかしたいがために、少し強めに言葉をガラムは返してしまった。

「……ガラム様は二人が無事だと信じておられるのですか」

「当然です。何度も言うように、そうそう簡単にモロー殿がどうこうなるとは思いませんな」

 獰猛どうもうな獣を思わせるガラムの顔をモクレンが少し長く見つめ続けたため、ガラムは珍しく目をおよがせると視線を外した。

 くすりと笑みをモクレンが浮かべた。

「なんだか安心しました」

「やっ、それは良かった」

 上目遣うわめづかいを見上げてくるモクレンにガラムはまぶしい物を見た様な表情を浮かべたが、その視線を受け止め、笑みを返してきた。さっとモクレンの胸に暖かい物が満たされていく。

(ああ、わたしはこの人が好きなんだ)

 オスダ王族付きの騎士にもかかわらず自分を何かと気に掛ける人であり、今回に関しても自分をモローのもとに連れて行ってくれる人であるガラムが、いつしかモローより身近で特別な人にさえモクレンは思えている。ということは、「好きだ」という事だと彼女は思う。

「さて、状況は分かりましたな。ここに暫く滞在するなら、どこか宿を探さねばなりません」

 とガラムは誰かを探すように辺りを見回した。


 ―待ち人たち―

 この地域は辺境へんきょうの地とでもいう場所で、さしたる集落があるような所ではない。それでも「山の者」の出現しゅつげん以前は人の行きわずかながらあり、国の王族や高官が査察ささつにくる時もあるらしく、そのために、大百姓なり地主なりの屋敷は地位のある旅人専用の宿泊所と定められていた。その一つにモクレンとガラムは身を寄せた。

 そこは駐屯所から南西へ一陸里半ほど離れたサヌダという地主の屋敷で、地主とはいってもそれほど大きな土地持ちではなく、土地からの小作収入に加え、地主自らも畑に出て農作業をしなければならない程らしい。この辺りは西側の山裾やますそに近い所のためか「山の者」の襲撃をのがれられ、畑は荒らされていないし、時折通り過ぎる農家の家屋も被害の爪痕つめあとは見られなかった。馬に揺られて二人が木造で三階建ての屋敷に到着すると、女連れが珍しいのか、中年の地主夫婦と五人の幼い子供、そして二人の使用人が揃って広めの玄関で彼らを出迎えた。

「まあ……」

 と、地主夫婦の後ろからぴょこぴょこと顔をのぞかせている子供達に目を止めモクレンが目を細めた。こんなことならこの子たちに何か土産みやげを手に入れておくべきだったと彼女は思っていた。

「子供がおりますので、五月蠅うるそうございましょうが、ご勘弁かんべんください」

 と開口一番かいこういちばん、申し訳なさげな顔をしたサヌダが頭を下げた。

「いえいえ、みな元気そうで」

 すると、モクレンが子供好きなのを感じてか子供達が前に出てきたので、彼女は一番手前に居た男の子の頭を撫でた。

「私ら夫婦は、なかなか子ができませんでしたが、不思議なもので一人できたら、立て続けに五人にできてしまいまして……」

 身なりはそれなりに良いが、顔や腕を真っ黒に日焼けさせたサヌダの妻が言った。

「おめでたいことではありませんか」

 と丁度ちょうどよちよちと前に出てきた一番年下と思える女の子をモクレンは抱き上げた。抱かれた子も、おびえた顔一つしないで、おとなしく抱かれておりモクレンの表情がさらに柔和にゅうわになっていく。それを見つめているガラムの表情もゆるんでいた。

「恐れ入ります。北から恐ろしい化け物がやってくるようになったこんな所へ、わざわざ来ていただきまして、今回は何かの御用事ごようじでしょうか」

 サヌダの妻はモクレンに親近感を感じたのか、盛んに話しかけてくる。

「ええ、ちょっと」

 モクレンが女の子の髪を撫でながら答えた。

「あの、以前……、タカキの宮殿に居られたことはございませんか」

 サヌダの妻はモクレンを何か思い出すようにじっと見つめ、そう尋ねた。

「いいえ、何故なぜ

「ええ、あの。こう言っては失礼かもしれませんが……亡くなった王妃様に似ていらっしゃるので。……昔、私、タカキの宮殿に躾奉公しつけほうこうに出され、王妃様の近くで働かせていただいておりまして、間近とは言えませんですが、良くお姿を拝見しておりましたので」

 彼女の言う「王妃」といのは、モクレンの母親であるシャーロ王妃だと思われた。

「いや、我々はオスダから参った。ナウカワではない」

 少し慌て気味にガラムが訂正してきたため、地主の妻は申し訳なさそうにモクレンに目をやった。

「申し訳ありません、あまりにも似ていたので、つい失礼な事を。……そうですか、オスダからでございましたか」

 そう言い、深々と頭を下げた。

「いいえ、お気になさらないで。そんな高貴こうきな方に似ているといわれるのは嬉しい事ですわ」

 モクレンは微笑みを消さず、抱いていた女の子を母親に返しながら、そう答え「そんなに似ています」と続けた。

「はい、似てらっしゃいます」

「そうですか、不思議な事もあるものですね」

 そう言うモクレンの言葉をガラムが引きいだ。

「結構な長旅だった。少し部屋で休ませてもらえぬか」

「ああ、これは失礼いたしました。お部屋は三階に用意してございます」

 と今まで黙っていたサヌダが口を開き、二人の使用人に部屋へ案内するよう命じた。

雑作ぞうさをかける」

 ガラムがそう応え、使用人の後について部屋に向かおうとすると、母親に抱かれたままの子を除く四人の子供達は何故かモクレンから離れず、広間にある階段を彼女と一緒にのぼり始める。

「これ、お前たちはだめだ」

 と慌ててサヌダがいましめると、子供達はモクレンからしぶしぶと離れ、登り始めた階段を降りていった。

 別に一緒でも良かったのにと、子供達が離れていくのを寂しく感じながら、モクレンはガラムの背中を見ながら階段を三階まで登った。

 使用人に案内された隣り合った彼女らの部屋は、部屋の壁代わりの引き戸を外せば一部屋にもなる造りだった。部屋を一つにしないまでも、ここならば廊下に出て隣の部屋をいちいち訪ねることなく、行き来できる。ウルバンがつけてくれた影が事前に宿へどう伝えたか分からないが、男女二人ということでこのような部屋を地主は当てがったと思われた。

 モクレンは身体が微かにざわつくのを覚えながら、質素しっそだが清潔そうな寝台に横たわった。オスダからここまでかなりの強行軍きょうこうぐんだったため、疲れが溜まっているのを感じた。

(わたしは母親に似ているらしい)

 サヌダの妻に言われた言葉を思い出し、モクレンは嬉しいような、くすぐったいような気持に襲われた。ウルバンとガラムに自分が王女であったことを知られてしまい、これから自分がどうなるかさだかではない。ひょっとするとモローと暮らしていた時のような生活はもう望めないかもしれないとも思われた。

 一方で、元々もともと身体を男に売っていた女なのだから、あれ以上悪いことはならないとも感じる自分がいる。望めないと思っていた自由で平穏へいおん日々ひびを暮らせたのだ、それ以上をガラムやモローに望むのは贅沢ぜいたくだ。

 そうこうしている内に、そのまま眠ってしまったらしい。ガラムの部屋をへだてる引き戸をガラムが叩いている音に気付いた。

「……はい」

「モクレン様、これからの事を少し談合だんごうしたいと存じますが」

 ガラムが声を潜めるよう戸の向こうで言っている。


 ―待ち人たち・2―

 モクレンとガラムは、翌朝から駐屯地に出かけた。ほぼ徒労とろうに近い行動ではあったが、そうしてモローの帰還きかんを待つしかなかったのだ。

 駐屯地での待機が三日目になる頃から、モクレンとガラムは駐屯地の兵士の視線が好奇こうきから若干じゃっかん違うようになり始めたのを感じるようになった。彼らの視線が畏敬いけいを含んだものに変わりつつあるようなのだ。主に年齢の高い兵士などは、彼女達が駐屯所の中を歩いていると、建物の軒先のきさきにたむろしたり、座り込んでいても、二人の姿を認めた途端とたん、立ち上がり敬礼まではしないものの、直立不動ちょくりつふどうで見送るようになったり、前を通り過ぎるときにさずかに頭を下げる様な兵士も増えてきている。

 五日目であろうか、これまでと同じようにモクレンとガラムは駐屯地を訊ね、モロー達の動静どうせいを探っていた。司令部の幕舎ばくしゃは流石に訪ねなかったが、その近くを歩いていると、幕舎からやや離れた所にある兵士たまりから初老に近い一人の騎士が近づいてきた。薄曇りの暑くも寒くもない日で、噴煙をたなびかせている山並みが望めた。

 初老ではあるが鍛え上げた体躯に鋭い眼光が特徴の騎士は、敵意が無いことを示すように剣を右手に持ち二人から少し離れた所で立ち止まった。見るからに数多くの死線をくぐってきたことが分かる顔立ちであった。その右肩にはナウカワ公国の兵士長であるしるしめられていた。

 彼の視線はじっとモクレンに注がれている。やがて、確信を得たような、納得と喜びを押し隠す表情を浮べた。

 ガラムがその兵士の行動をあやしみモクレンを背中に隠すように一歩前にでた。それを見た兵士はさっと片手を挙げ、ガラムの行動を押しとどめる様な動作をした。

「いや、お待ち下され、害意がいいはござらぬ」

 彼の訛りはタカキ訛りであった。

卒爾そつじながら、あまりここへ足しげく来られぬ方が良いかと思われます」

「なぜだ」

 と警戒を解かずにいるガラムが問うた。

「呂之国が、お二人を警戒しております」

 兵士はそう答えた。その口調はまるで主従しゅじゅう関係を結び、敬意を抱いている者への物言ものいいであった。話しぶりから、ナウカワ公国軍を呂之国は指揮下に置いていることが分かる。

「何故、私たちを警戒しているのでしょうか」

 ガラムの背後にいたモクレンが兵士に尋ねた。

「お分かりになりませんか。……あなた様がいらっしゃるからです」

 騎士がそう答え、モクレンとガラムは口を閉ざした。騎士が続けた。

「ここはあなた様にとって危険です。こうして私が話している姿を見られるのもあやういのです」

「あなたは勘違いをなさっているのではありませんか。私たちはエグから帰ってくる人を待っているだけです」

 モクレンは一歩前にでて、ガラムに並んだ。

「はっ、それは聞いております」

「では、私たちが危険だとはならないのではないでしょうか」

「違います。……お判りでしょう、私たちナカツノの者たちは貴女様あなたさまが心配でならないのです」

 初老の騎士はモクレンが王女であると確信し、そのことを疑っていないようだった。自分が母に似ていること、ナウカワ公国の兵士の多くは母の顔を覚えていたのだろう。とすれば、この駐屯所に現れたシャーロ王妃に似た彼女が、行方ゆくえ生死せいしも分からないモクレン王女ではないかと思うのは当然なのかもしれない。

私共わたくしどもは良いのです。しかし、もう二度と貴女様あなたさまを我々は失いたくはない……」

 懇願こんがんするような言葉が騎士の口から発せられた。彼は自分を案じている、それが強く伝わってくる。

「あなたの言い分は分かりました。しかし、私も人を待っております。その人が帰ってくるまではここを退くつもりはありません」

「お気持ちは察しいたします。……サヌダの屋敷に滞在されていると聞いております。サヌダ一族はナカツノを唯一ゆいいつの祖国と思っている一族の一つです。そこに滞在されているのなら安心でございます。我々の誰かがここの動静を伝え、貴女様あなたさまの待ち人が戻られましたなら、すぐさまお伝えするということではいかがでしょう」

 そう騎士が必死の様相ようそういてきた。モクレンはガラムを見上げた。「どうしよう」という表情である。

「こうなったのなら、この者の言葉を信じるしかないですな」

 そうガラムが短く答えた。それは、彼女がナカツノ王国の皇太子であることを、この騎士に見破みやぶられていることをしている。

 モクレンは頷いた。

 モクレンがナカツノ国の王女であることをガラムは理解しているが、こうも早く彼女の素性すじょうが割れ始めるとは思っていなかった。ナカツノ国の人間なら安心かもしれないが、呂之国の人間に知られれば、この兵士が言う様にただでは済まないと思われた。では、どうするか、この兵士を信じて提案に乗るしかない。

「私も気にはなっていたのです。こうして無防備に貴女あなたをお連れすることを危惧きぐしておりました」

 とガラムが言った。

「けれども、この方にそんな御足労ごそくろうをお掛けしてよいのでしょうか」

 直立しモクレンとガラムの会話を聞いている騎士を彼女は見つめ、そう言った。

「お気になさらないでください。むしろ、貴女様あなたさまのお役に立てるのなら光栄ですので」

 真剣で少しまぶしそうな眼差まなざしで見つめてくる騎士の表情を見て、彼の言葉に甘えるつもりにモクレンはなった。

「そうしましょう。……私たちは宿へ帰ることにします」

「はっ」

 思わず地にひざを着きそうになるの兵士はえている様だった。

「待ち人のことは、私にお任せください」

「分かりました。あなたのご厚意こういすがります」

 モクレンは微笑みを浮べながら答えると、兵士の直立の姿勢がさらに伸びたように見えた。

「はっ、痛み入ります」

「あなた、お名前は」

「ラッツと申します。以前は王宮の警備担当騎士をにんじられており、我が娘も王妃付きの侍女じじょを務めておりました」

「そうですか、娘さんの名は何と申されます」

「……サフランと申しました」

 モクレンは言葉を失った。このような邂逅かいこうがあるものなのだろうかと何かしらの運命を感じた。そしてガラムも「サフラン」という言葉に強く反応し、モクレンを見つめている。彼女はつい最近まで自分をサフランと名乗っている。

「私のことは良いのです。……さあ、ここからお戻りなされませ」

 急に辺りを気にし始めたラッツがき立てるように言った。モクレンはその言葉に頷くのが精一杯だった。何か言えば涙が落ちそうであった。

「戻りましょう」

 とガラムがモクレンの背を押した。そして彼は去り際、ラッツへこう耳打ちした。

「この方は、これまでずっと自分のことをサフランと名乗っていた」

 ラッツの瞳が驚きに揺れ、そしてみるみるうるみ始めていた。


 ―待ち人たち・3―

 旧ナカツノの兵士にモクレンのことが広まったのは、サヌダの妻が駐屯所で顔見知りのナウカワ軍兵士にモクレン王女によく似た客が滞在していると漏らしたことからのようだ。そのことで、サヌダの妻は夫にかなり叱られたという。だが、そういうサヌダもモクレンの立ち居振いふいを見て、ひょっとすると思っていたふしがある。

 ラッツと会ったその日の夜、サヌダの屋敷でモクレンは心がざわついたままだった。彼女は自分にあてがわれた部屋の寝台に腰かけ、ぼんやりと中空ちゅうくうに目をやっていた。大きなうねりのようなものがまわりで起こり始めているような気がしてならない。自分がナカツノ王国のモクレン王女であることが知られつつあることは止めようがない。モクレンは今でもそれを望んではいない、彼女はモローの娘としてつつましやかに過ごすことが望みだったからだ。

「モクレン様、起きておられますか」

 隣の部屋からの緊張したガラムの声だった。

「はい、……起きてます」

「兵に囲まれております。気付かれないように窓の外をご覧ください」

 半信半疑でモクレンは寝台を降り、格子窓こうしまどの脇から外を覗いた。星明りの下、数百の兵士が屋敷を取り囲んでいる様だった。

「見られましたか、逃げますぞ」

 ガラムが部屋と部屋を繋ぐ引き戸を開けて入ってくると叫ぶように言った。だが、モクレンは兵士達の中に昼間会ったラッツが松明たいまつかかげている姿を見つけていた。それに兵士たちはただ直立して屋敷に顔を向けているだけである。

「待って、違うかもしれない」

 そう言うと、部屋着のすそひるがえしてモクレンは部屋を駆け出た。それにガラムが続く。一気に階段を下りたモクレンが玄関の広間に着くと、サヌダ夫婦に子供達、そして使用人が身を縮めるように玄関の外をうかがっていた。

 モクレンは広間を横切り、玄関の外に出ようと進み続けた。

「お待ちください」

 とガラムが叫ぶと、サヌダも同じように彼女を留めようと前に出た。

「大丈夫。もし、私の身や命が目的なら、私が討たれれば良いのです。あなた達にはるいが及ばないよう談合いたしますから」

 そう答え、モクレンは玄関の扉を開けて外に身体をさらした。矢などが飛んでくる気配はなかった。彼女の行動に驚き、一歩出遅れたガラムが慌てて身体を彼女のたてとして前に立ちはだかる。

「お下がりください」

 ガラムは剣を構えながら叫んだ。

「ガラム様、ラッツさんが居ます。私は大丈夫です」

 星明りの下、兵士たちの甲冑かっちゅうが鈍く輝きを帯び、ラッツ以外は一人一人の顔などは定かではないが、モクレンが彼らに近づいていくと、一様に直立姿勢を取ったため、甲冑かっちゅうのこすれる音が響いた。

「ラッツさん、どうされました」

 つかつかとラッツ達兵士がいる前庭の中ほどまでモクレンは歩んだ。

「はっ」

 ラッツが燃えている松明たいまつを脇に置きモクレンの前にぬかづいた。すると数百人の兵士が波のようにラッツにならったのである。兵士たちのぬかづく音が地鳴じなりのように聞こえた。

「王女、我々は貴女様あなたさま忠誠ちゅうせいを誓うためにここに集っております。どうぞ、お認めいただきますよう」

 ラッツの大音声だいおんじょうが響く。しばらく黙っていたモクレンが溜息ためいきを一つき、重々しく口を開いた。

「認められる訳がありません。……あなた方はナウカワ公国の兵士です、ナカツノの兵士ではありません。私に忠誠を誓うということはナウカワ公国に背を向けるということです。それに引き換え私は、オスダの庇護ひごもとにあって、ただそれだけの何の力もない者に過ぎません」

「いいえ、貴女様あなたさまがご健在けんざいであらせられる以上、私共は貴女様の兵士です。今はナウカワの兵士ですがここにいる半分はナカツノの兵士でもありました。さらに、ナウカワしか知らぬ兵も貴女様のお父様がおさめられていたナカツノ国の事を、親や年上の者達に聞かされて育っております。言うなれば、ここが故郷でありますから仕方しかたなくナウカワの兵士をしておりますが、本心は皆、ナカツノの兵士、いや、貴女様の兵士でありたいのです」

 一気にラッツは自分達の想いをモクレンにぶつけてきた。モクレンはそれを受け止めて良いものかと思っている。

「それは真なのですか。私などのためにということは、反逆はんぎゃくでもあるのですよ」

「私と意を同じく、皆、ここにつどっております」

 そう言ったラッツの背後に控えている兵士の何人かが「ラッツ兵士長と同様でござりまする」という声が聞こえてきた。それでも彼らはモクレンの前に額づいたまま、身動き一つしない。

 彼女は再び口を閉ざし、目の前で額づいている兵士達を見つめていた。この兵士達はほとんどの者が一度も会った事のない自分に敬意をいだき、彼らの首領としていだきたいのだ。自分にそんな価値があるのか、以前の事を想えば、そんな価値はないと思える。

 しかし同時に、一国をおさめていた王族としての責任感も湧き上がってきたことも事実だ。

「分かりました。……皆さんの気持ちは受け取りました。何時いつか、あなた達の力をお借りすることがあるやも知れませぬ。その時はお力をお貸しください。でも、今は違います。今は『山の者』という脅威に国がさらされています。これを決着させるのが先決です。ですから、たとえ呂之国と共にでもあろうと、この故郷を護り通して下さい。……今はそれが先決せんけつです」

 自分がどうしてこのような言葉を発せられるのか不思議だった。何かに乗り移られ、自分ではない者が勝手に話しているような気持だ。

「はっ。御意ぎょい

 ラッツの大音声で、モクレンは本来の自分に引き戻された気がした。あれだけ頼もしく感じられた兵士達が、急に恐ろしく感じ始めている。

 モクレンが呆然ぼうぜんと立ち尽くしていると、ラッツが再び大音声で号令を出した。

「モクレン王女に、敬礼」

 兵士達が立ち上がる地響きのような音がし、そして皆一様に姿勢を正し、右腕のこぶしを左胸に押し当てた。

「これより駐屯所に帰還する。……散会さんかい

 ラッツの号令に合せ、兵士達の姿が音もなく闇の中ににじみ込んでいき、最後にラッツがもう一度、モクレンに敬礼すると、背を向け闇の中に消えていった。

 誰も居なくなった屋敷の前庭にモクレンとガラムは立っていた。星明りが辺りをほのかに白く浮かび上がらせている。

「……ガラム様、これでよろしかったのでしょうか」

 モクレンが消えていった兵士達がまだ居るかのように前を向いたままガラムに話しかけた。

「上々でした。わたしがナウカワの騎士であったしても、間違いなく一にも二にも、あなたの命に従います。ご立派です」

 ガラムは瞠目どうもくするような表情を浮かべながらモクレンに答えた。この頼りなげな身体のどこに、あのような胆力たんりょくを備えているのだろうとガラムは思っている。流石さすが、王家の血筋だと考えざるを得ない。

「本当に……」

 とモクレンは小首をかしげてガラムを見上げてくる。思わず彼女を抱き締めたくなった。

「ええ、本当に」

「よかった……」

 そう答えると、彼女はガラムの袖口そでぐちを掴んできた。

「……」

「……疲れてしまいました」

 ガラムはモクレンが王女として目覚めたような気がする。ウルバンはモクレンを自分の傀儡かいらいとして使えるのではと考えているが、目覚めたモクレンはその思惑おもわくを大きく超えのではと感じた。

 しかし、今目の前にいる彼女は、ガラムが恋慕れんぼする性格が良く優しい娘に戻っていた。その落差がたとえようもなく魅力に感じている。


 その翌日からである。駐屯所界隈かいわいでモクレン王女が現れたといううわさは嘘のように影を潜めた。そのような事があったのかというような按配あんばいで、誰も口にすることが無くなったのである。

 そして突如とつじょ、「山の者」の大群が再び洞窟を突破してきた。巣別すわかれの第一陣だいいちじんと思われた。

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