第17話 巣

―隠家にて―

 この家の照明やアマリが横たわるひつぎにも似た治療台など全てが「」という物で動いているらしい。その「」は、モロー達がる家の背後を流れる小振こぶりだが水量の豊かな川をき止めてできた溜池ためいけから水を落とすことで作り出したものでまかなっているという。

 良く理解はできなかったが、モローはあまり気にしないことにした。遠い昔に失われた技術がここでは生きているとうこと、そしてそれはモローがたずさえていた種々の武器にもつうずるものだと思っているだけである。

 だが、この技術は至極便利しごくべんりである。一日中明かりは灯っている、アマリの治療はほぼ自動で施されており、食事もどう作っているのか分からぬが、白い大きな箱から毎度毎度作られ、モローの腹を満たしてくれている。そして足りない栄養分はハコが小石のような粒を出して飲ませてくれるのだ。

 自分たちの面倒を見てくれるハコは、食事もらないし、人のように排泄はいせつもしない。ただ定期的に外に出て、太陽を浴びるだけで良いようだ。ハコはこれが自分の食事だといった。

 ハコにはこういった行動が必要のようだ。こうすることで、ハコは元気でいられるらしい。

 三日間、傷と治療で意識を失っていたアマリは、目覚めた日の夕方には痛みに耐えながらも話すことができるようになり、傷が痛むがそれ以外は何でもないとモローに告げるほどになっていた。ただ、自分の秘所ひしょに差しこまれた管が、自動的に体内に溜まった尿にょうを吸い取り続けているのがどうしても嫌なようだった。

 五日目となると、秘所ひしょに差しこまれていた管をハコは何も言わず外した。自動的に排出されていたものは、外れたのと同時に彼女の身体の中に溜まり始める。満足に起き上がれなくても生理的要求はおとずれるのである。初めは恥ずかしさの余り懸命にこらえていたアマリだが、限界を迎えた彼女は、まだ身体を動かしたり立つことが覚束おぼつかないのにかわやへ向かおうとしているのをさっしたモローは、彼女を抱きかかえると、そこに運び、後始末まで手助けさえした。

 最初、自分の最も無防備で情けない姿をモローに見られたことで、怪我と手術で気が弱っていたアマリはその場で泣いてしまった。このまま消えてしまいたいとさえ思った。

「お互い様だ」

 その彼女に対し、モローはそう言った。今まで聞いたことのない、柔らかな声だった。訳の分からぬ数本の管に身体を半ば拘束こうそくされて目覚めたアマリだったが、彼女の傍らには絶えずモローが居て、食事の世話や血とうみみついた布の取り換えなどをしてくれていた。

「モロー殿に迷惑かけ通しです。……それにしもの世話までしてもらうなんて、こんなことなら、死んだ方がましだった」

 羞恥しゅうちなさけなさでアマリは苦悶くもんの声を挙げるように泣いた。

「俺がそうなった時、今度はお前が助けてくれ。ただし、俺の世話せわは大変だぞ」

 そう言うと、モローはかわやの中で泣いているアマリをすくうように抱き上げ、治療台まで運んだ。この一連の動作は普段しなれている者同士のように見える。

(まるで、夫婦のような……、ていうか夫婦になってくれって言っているみたいじゃない)

 そう言われた時、排泄している所を見られたり、自分の秘所ひしょをさらけ出していたことへの情けなさを押しのけて、アマリに陶然とうぜんとした気持ちをもたらしていた。「夫婦」、そうなりたかった。彼と初めて会った時から、一緒に居たいと思い続けてきた。そのためなら、どんな過酷かこくな状況となりようとも辛抱しんぼうしていける。

 アマリの目尻から涙が伝い落ち続けていく、モローは人差し指でそれをぬぐった。

 自分で動ける様になるまでの三日間、モローはアマリの世話をし続けた。


―隠家にて―

 なぜ、ここには「山の者」が襲いにこないのだろうとモローは疑問に思っていたが、それはすぐに分かった。ハコがというより、この隠家かくれや全体が「山の者」の侵入を防ぐとりでとなっているのだ。それを操作するのがハコで、彼は自分の主人が亡くなっても、ここを護るために監視をし続け、それが現れた時、地面に幾重にも設置された電力を利用した罠を駆使くしし「山の者」を排除してきたのである。「山の者」はこの罠による電撃でんげきを受けるとあっけなく死ぬようだ。

 その電撃でんげき溜池ためいけたくわえられた水を利用して起こす電気と呼ばれる物から生み出される物で、それはモローとアマリが身を寄せている家にある便利な器具にも離床されているのである。溜まった池の水が壁を伝い落ちる落差らくさを利用して起こす電気がなければ、たちまち家は「山の者」に蹂躙じゅうりんされてしまう運命にある。

 電撃の壁で倒れ、黒焦げとなった「山の者」は、生き残った「山の者」達に回収されるという。ハコに言わせると奴らの死体は奴らのえさとなるそうだ。奴らは共食ともぐいをする。

 「山の者」は定期的に隠家かくれやを襲いに来るらしく、そろそろ「山の者」の襲撃が行われる時期となる。モローとアマリにとっては二度目の襲撃しゅうげきとなるのだが、ハコは「あす、くる」と言っていた。

 それを聞いたモローは、そろそろ行動を始める時だと感じた。怪我を負ったアマリの状態は快方に《かいほう》向かっており、もう大丈夫だと思うほど元気に成りつつある。

明日あす、奴らの巣を確認しに行く」

 夕食を終え、家の中を歩けるようになったアマリと二人で前庭まえにわに出た時、モローがそう言った。ここに来て初めてアマリは家の外に出たことになる。前庭の美しさに、彼女は目を輝かせていたが、モローの言葉に「えっ」という表情を浮かべモローを見上げてきた。

「私もまいります」

 即答そくとうだった。アマリは身体の状態など気にしていないかのようだった。

「俺一人で行く。お前はここで待っていてくれ」

「嫌です」

 多少顔を強張こわばらせてアマリが答えた。彼女としては、せめて自分の怪我が治るまで、こうして夫婦の真似事まねごとがしていたいというのが本音である。今では治療のため寝かされていたひつぎから離れ、ハコが用意してくれた寝台でモローとともに寝ていた。自分の身体を気遣きづかってかモローは自分に手を伸ばしてこなかったが、彼の体温や息づかいを感じながら眠りにくというのは、彼女にとって特別なことで間違いない。

 モローはアマリの言葉にこたえず、彼女を引き連れ前庭を黙って歩いた。

 太陽はまだ沈み切っておらず、山のにかかったばかりで、夕暮れの色を落とし始めていた。二人は名も知らぬ薄桃色の花がしげっている小道を進み、庭の外れまで進んだ。そこはある目的のために、ハコが特に手入れをしている所で、薄桃色の花に加え、白や濃い紫色の花が咲き乱れているが、良く見ると三重の円を描くよう規則正しく花が植えられていることが分かった。

「私も知る必要があります。ここで経験した事もふくめて、彼奴きゃつらの生態せいたいを少しでも知らないと」

「ハコの事はせてほしい、殿下に話す必要はないだろう」

 モローがそう答えた。

「なぜです、私がこうして生きているのは、モロー殿とハコ、そしてこの家があったからでは……。その事を報告する必要があります。信じられない治療法があると」

「だからだ、お前を助けたのはハコだ。そしてハコは、この世界の者ではないと思う。俺が持っていた武器と同じ世界に存在していたもののようだ。その技術を利用し使いこなす事など、我々は多分できない。ならば言わない方が良い」

 そう言い、そして花が三重の円に形作かたちつくられた場所を指さした。

「ここが何だと思う」

「……さあ」

 急に話題を代えてきたモローに戸惑とまどいながらもアマリは不満げな顔をした。

「ハコは昔、スズという女性とここで暮らしていたらしい」

「女性と、ですか」

「ああ、そして、たぶんここは、そのスズが眠っている場所だ。ハコはその人のために、こうして墓を造り、彼女のために花を育て守り続けているのだと思う」

 スズの墓とおぼしき場所に視線を走らせ、アマリはモローに視線を移した。

「スズという人は、ハコのおもい人……」

「違う、ハコは動くししゃべるが生き物では無いような気がする」

「……どういうことです、生き物じゃないって」

「そう思っただけだ。太陽の光を食事にする動物など聞いたことがない」

 抑揚よくようの少ない口調でモローがハコに付いて話すと、アマリはハコが居る繭玉まゆだまのような隠家かくれやを見つめた。

「では、なんなんです、あれは」

「からくり機械とでもいうものだろうな」

 アマリは昔、歯車とばねなどを組み合わせて、滑らかに動く人形を両親と一緒に見たことがある。たしかその時、父親が人形を「からくり」と呼んでいた。あの物悲しい表情を浮かべた人形が動くさまを見て、アマリはあわれな物を見てしまった気がしたのを思い出した。

「それでもとむらうという気持ちはある」

 と感傷的になったアマリは、会った事のないスズという女性を想うかのように、彼女の墓を見つめた。

とむらうというより、そうしろとハコは言われていたのだろう。それを果たしただけなのかもしれない」

 そう言い、モローはその場にしゃがむとあかはかなたたずまいを持つ花の花弁かべんを指で触れた。

「生き物ではないハコが、スズに言われたことをしているのなら、生きている私達も命ぜられた任を成し遂げねばならないのでは……」

 アマリがそう言った。

「だから、俺がそれをやると言っている」

「私は足手まといですか」

 そう沈んだ調子でアマリは、しゃがんだモローの太く筋肉が張っている首筋を見つめていた。

「違う、はからずもお前を看病した。死んでしまうのかと思っていたが、ハコのおかげで回復できた。お前は一回死んだんだと思って、命を大事にしろと言いたいのだ」

 「命を大事にしろ」といった彼の言葉に「死なせたくない」という意味合いみあいが含まれているようにアマリは感じた。

「しかし、それではモロー殿が」

 彼を一人で向かわせるのが恐ろしかった。二度と会えなくなるのではという想いが被さってくるのだ。

「俺は大丈夫だ」

「嫌です」

 とアマリが再び叫んだ、つねになく感情的にもなっているようだった。いつもの男勝おとこまさりが戻りつつある。モローが自分の事を気遣きづかうように、彼女もモローを気遣きづかっていた。彼が死ぬなんて考えたくもないのだ。

「足手まといでも、連れて行ってください」

 モローが振り向くと、夕日が彼の顔を赤く染めた。

「無理だ、それに今回は奴らと闘うつもりはない、巣がどのようなものか見るだけだ」

 不安げに見上げてくるアマリを見つめながら、安心させるように薄く笑みを浮かべた。

「私が元気になってからでよろしいのではないですか」

「いや。もう少し良くなったら、アマツに、いやオスダにお前を連れ戻す。その前に奴らがどのような暮らしをしているかを知っておきたい」

 倒しても倒してもいて出るように襲い掛かってくる「山の者」である、それらを収容しゅうようするにはよほどに大きな巣がなければならない。

 そしてエグに来て分かった事は、「山の者」が自分達のように農作物を作るとか、物を交換する交易こうえきなどをするといったことを一切いっさいしないようだ。ただひたすら殺し捕食ほしょくする、それも敵味方てきみかたわずにそうする。

 人と「山の者」は、まともにかかわってはいけないものなのだとモローは思う。それにもかかわらず人はアマツとエグをつなぐ洞窟を見つけてしまい、こちらに人を派遣したため、「山の者」の大群をアマツにまねき入れてしまった。本来ならば、大きく生活けんを引き離し、できるだけ接触をけるべきだとモローは考えており、そのためには洞窟を再び閉じるのが現状正しい道だと判断していた。

「あいつらが侵入してきた事で、一つの国が崩壊ほうかいし、オスダも危うい状況になったのだ。エグに我らが簡単な気持ちで関わってはならぬということだ。そしておまえはウルバン殿下にこのことを具申ぐしんしなければならない。それはお前に課せられた任務のはずじゃないのか」

 モローはそう言い、アマリの頭に手を乗せた。

「それはそうですけど……」

 子ども扱いしてと、不満でもあるアマリだが、触れてくるモローの手が嬉しい。

「お前はお前の任務を果たせ、そのためには死んではいけない」

 そう告げたモローに対し、触れられた事でアマリは身体の芯がしびれた様な感覚におちいり、強く反論できずにいる。彼女は自分の傷口が当たるのも構わず、モローの身体にぶつけるように抱き付いていた。反射的な動きだった、アマリはいつまでも続けば良いと思っていた時間が、もう終わる事を感じたのだ。


 ―巣―

 早朝、「山の者」の発するうなり声が聞こえた。いつも鳥の声に満ちている周囲は、不自然に沈黙ちんもくしてしまい、不快ふかいなうなり声だけが山に囲まれたこの場所に忍び入ってくる。

 身体からだすられてアマリは目を覚ました。二人でエグにやって来た時と同じ服装をしたモローが立っているのを見て、彼に手足をからみつかせるように寝ていたアマリからいつの間にモローが抜け出たのか彼女は気付かなかったことを恥じた。アマリは傷口を覆う布以外は何も身に着けていない。昨夜の余韻よいんを彼女の身体が覚えている。

「奴らがきた」

 静かな口調で何事なにごとも無いかのようにモローはそう告げ、急いでアマリはいまだ動きを制限された左手で自分の胸を本能的に隠しながら、自由になる右手を使って寝台から身体を起こした。

「私も参ります」

 咄嗟とっさにそう言っていた。

「約束したろ」

 そうなのだ、アマリはスズの墓を二人で見た後、またぞろ一緒に行くと言い出し、その夜、留守を守るということをモローに組み伏せられながら約束させられていた。彼女の顔にサッとしゅが差し黙った。

「まあ、待っていてくれ。必ず戻ってくる」

 そうモローは言い、部屋の中で電撃の罠がある方向に向いているハコに振り向いた。

「状況はどうだ」

「きた、ひとつ、くる、あとに、たくさん、くる」

「扉を開けてくれ」

 モローはくるりとアマリから背を向けると、ハコが開けた扉に歩き出した。その後姿をアマリは見て、彼が武器を携えていないことに気付いた。

得物えものは無いのですか」

 そう言えば、自分の剣はどうしたのだろう、「山の者」に掴まり自分を捕まえている「山の者」の腕をつために振るったことは覚えている。だが、その後はあの傷を負ったため記憶が曖昧あいまいだ。また、モローも戦いの中で刀を無くしたようだ。

「そっちの剣も拾ってこよう」

 こちらを振り向かずモローが答えた。視線の先は電撃の罠がある辺りをじっと見つめている。大気をこするような「山の者」のうめき声や咆哮ほうこうが響き始めていて、すでに何体かは罠に足を踏み入れたようで、ぜるような音と悲鳴に近い咆哮がとどろき、それを皮切りに悲鳴が立て続けに起こっている。

 隠家かくれやの扉が音もなく閉じたのを確認し、中腰で滑るように前庭を横切ったモローは、石柱の門の近くでうずくまった。彼の姿はハコが丹精たんせいめて育てた花の群れに消えた。

 モローは醜悪しゅうあく容姿ようしをした「山の者」達が電撃で焼け死んでいく様子を見つめていた。無残むざんな光景だった。

 学習性もなく罠をめ込んだ地面に足を踏み入れた「山の者」達は、火花と共に焼かれ、人肉じんにくの焼ける匂いが鼻腔びくうくすぐる。電撃を受けて倒れる「山の者」の様子は様々であるが、共通するのは罠に足を踏み入れなかった「山の者」が、生焼けになった仲間をかつぎ上げて引き返していくことである。息のある仲間を助ける為では無さそうだ。まるで荷物を担ぐような姿で、駆け去っていった。

 最後に死んだ小型の「山の者」を大型の「山の者」がかつぎハコの隠家かくれやから撤退てったいしてゆく後をモローは追った。

 死んだ仲間を運ぶ大型の「山の者」は、担いでいる仲間の腕をちぎり口に運びながら進んでいる。その姿は空腹の余り採ってきた獲物えもの我慢がまんしきれずにぬすいをしながら戻る獣のように見ようと思えば見える。あまり気持ちの良いものでは無い。

 ハコの家の襲撃を失敗した「山の者」達は、鬱蒼うっそうとした木々の中を戻っていく。モローは少し離れて後をつけているのだが、彼らは全く警戒している様子はなく、不快なうなり声を発しながら、やや散開さんかいしたような形で進み、時折空腹に耐えかねた「山の者」の数体が死んだ仲間をむさぼり始めると、他の者は空腹で仲間を食べ始めたのを終わるのまで待つを繰り返していた。

 彼らは一つか二つの命しかしたがえないのではと、モローは思い始めている。周囲の様子をうかがうわけでもなく、仲間の共食ともぐいのため小休止しょうきゅうしを取る意外、巣に向かってか、ただのそのそと歩き続けているだけだった。その姿に知性は感じられない。

 何らかの指揮系統しきけいとうが存在していて「山の者」達は動いているように見える。ナウカワ公国やオスダやハコの家への執拗しつよう襲撃しゅうげきも、何処どこからかの指令で行われていると考えればしっくりくる。細かい指令等は伝令でんれいなどを使って指示を伝達でんたつしなければならないのだが、戦いなどによって得た知見ちけんから見ても、伝令役の「山の者」を見たためしはなかった。

 単純な指令を受けた「山の者」は、それを受けて愚直ぐちょくに行動していると思った方が納得なっとくできる。その大元おおもとたたけば「山の者」の被害をおさえられるのではないだろうか、そんなことをモローは考えていた。

 追跡は楽な物である。「山の者」は、自分達の後をモローが付けていることに全く気付いていない。周囲を警戒する事さえしない。

 「山の者」一体一体に関してはそれほどの脅威をモローは思わない。ただ奴らは雲霞うんかのように集団で襲い掛かってくる。人口的にはアマツの方が多いのだろうが、人はアマツ内に広く薄く分布している。「山の者」はアマツの全人口にはおよばないが、襲撃しゅうげきは一点に集中してくるので、人は分散している分、数的にアマツの方はかなりおとる、そこが問題だ、一際ひときわ巨大な一体の背中を見つめ、そんなことをモローは考えていた。

 今モローが居る位置は、アマツに通ずる洞窟の入り口よりもさらに川沿いに遡上そじょうした辺りだった。川は直接山肌をけずるように流れていて、平地などはごくわずかになっている。山が連なる奥にそびえ立ち噴煙ふんえんを上げている火山が見えた。アマツ側から見えた火山と同じもののようだった。

 けわしい山道を登って行く「山の者」達とは別の「山の者」のえ声が対岸の山肌にぶつかり木魂こだまとなって響き渡っていた。巣は近い気がする。

 吠え声に加えて、近くに滝でもあるのか、水が岩を叩く轟音もうおんも聞こえ始めている。「山の者」達の足が速くなった。やはり巣は近いようだ。彼らの足が速くなったのとは反対に、モローの足運びは慎重しんちょうさを増していた。気が付くと険しい登りが続いていた地形は人手ひとでが入ったかのように平坦へいたんとなり、さらに滝がたてる轟音ごうおんが大きくなった。

 樹木が突然に切れたことで、太陽に下に自分をさらすのを避け、モローは樹木の一つに身を寄せ姿を隠した。大量の「山の者」の気配の中、急峻な《きゅうしゅん》斜面を落ちる二段の滝が見え、滝壷たきつぼから白い水煙が上がっている。

 滝壷たきつぼから流れでる水は、誰かが強制的に開いた平地ひらちの中を流れ、左手奥の沢に落ちている。切り開かれたような平地には何かが建てられていたのであろう、今は石柱や壁の一部などが見えるだけのようである。滝から少し外れた箇所に山の斜面を利用して巨大で無数のほら穿うがたれた建造物があった。

 そのほら一つ一つに何かがいるらしく、無数の「山の者」達が世話でもするように、ひしめき合いながら壁を昇り降りしている。何に使われていたのか分からぬが、最上部には錆びた鉄のたるのようなものが原型げんけいを残して存在していた。そしておぞましいことに、壁の下には人や「山の者」の物と思える無数の白骨がうず高くかさねられている。人の骨と分かったのは、骨に混ざって防具や剣なども見えたからで、そこからいまだに腐敗臭ふはいしゅうはえなどむらがる羽音はおとがここまで聞こえるようだった。

 モローの周囲にも、捕食された兵士達の剣が無造作むぞうさに打ち捨てられており、その一振りを彼は手を伸ばして引き寄せた。剣はさやから抜かれた様子はない。アマリが扱うには丁度良い長さと重さの剣で、騎士などが持つ剣と思えた。つかの中ほどに誰かの血糊ちのり付着ふちゃくしているが、それ以外の支障ししょうは見当たらなかった。血糊ちのりさえ洗い流せば、アマリの得物になりそうなので、持って帰る事にした。

 拾った剣を脇に構えながら、ここが「山の者」の巣であることは間違いないと確信した。彼らは数が多いため、殺害した者を食料にしてもたちまち「山の者」の数から飢えてしまう。そこで彼らは自分の同胞も餌としているようだった。

 ハコの家を襲撃してきた「山の者」達は、白骨の山の上で輪になると、回収した仲間の死体を解体かいたいし始めている。

 「山の者」がうごめく巣を前にし、モローはある事を思い浮かべていた。

はちありの習性に似ていると思ったのである。

 はちありの巣などで共通なのは巣に女王がおり、働きはちや働きありが無数に存在するということだ。そう考えると数多くある洞の中には奴らの子供がいると考えた方が自然だ。現に今でも、「山の者」が採ってきた餌を食いつくした幾つかは、ほらから無造作に残骸を落としては、次に与えられる餌を待っているようだ。。

 奴らは増え続けている。蜂や蟻に似た組織ならば、この巣のどこかに女王がいるはずで、巣にはあまりにも増えすぎた「山の者」がひしめいて見えることから、餌の絶対数ぜったいすうが足りていないと思えた。

 巣のある場所はエグとアマツを分けるどん詰まりの箇所で、巣の背後には奴らをしても易々やすやすと越えられぬけわしい山がひかえている場所に大規模な巣を形成している。だが見たところ増えすぎたのか、その大規模な巣でも「山の者」を収容しゅうようしきれない按配あんばいである。それを解消するなら「巣別すわかれ」しかない。

 洞窟が発見された今、「山の者」の女王はアマツを猟場りょうばとしてではなく、として勢力を伸ばすのではないかということだ。「山の者」が本格的にアマツに侵入したら、人は簡単に駆逐くちくされる。その前にエグを攻めようにも、我々にはアマツとエグをつなぐ洞窟一本なく、大軍を派遣するには途轍とてつもなく苦労するだろう。

 だが、逆もまたしかりだ。逆に洞窟を以前のように通行不能にすれば、アマツは当面、『山の者』からの襲撃を受けずに済むのではないか。それには本格的な「巣別れ」が始まる前に手を付けねばならない。

 エグにいるのは我々だけだ、それにすぐさま行動に移れるのも我々だ。モローは自分らがそれをせざるを得ないことを認識した。

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