第16話 明らかになった出自

 ガラムの執務室しつむしつは、ウルバン王子の執務所である王宮につらなる離宮りきゅうの建物内にあった。元は現王の母親がぼっするまで住み暮らした所で、今では孫であるウルバンの居住兼執務所となっている。離宮には有り余るほどの部屋があり、その一室がウルバン側近であるガラムの執務室に割り当てられているのだ。

 それほど広くはないが整理整頓の行き届いているガラムの執務室にモクレンを先に入らせたガラムは自分の机には座らず、モクレンを大きく切られた窓の近くにある長椅子に座るよう勧め、自分の執務机に使っている椅子を彼女の前までもってくるとそこへ腰を降ろした。

 そして、モローの動静どうせいを自分の知っている限り話した。めると、モローはエグに入ったきりだということであった。

 ガラムから聞いた話は彼女の不安をき立てるもので、モローに何かあったとしか思えない内容であった。それにエグへ入ったのはモロー一人ではなく、アマリと共にエグに向かったという話も聞き、その不安に輪をかけていたし、とても腹立はらだたしい。

「初めて聞きました」

 そう答えながら、腹立ちが言葉に出ていないか気になった。

「どうやら、アマリ殿が無理やり押しかけたようです。殿下も困っておられましたが、このさい、二人でやってもらうしかないと判断され、アマリ殿にエグ行のゆるしを出したのです」

 アマリがモローを信奉しんぽうするかのようにしたっている事はモクレンも感づいていたが、アマリがそこまで大胆な行動を取るとは思っていなかった。

「彼女は叔父さんと共に、エグに侵入し、二人とも戻っては来ないということですね」

 モクレンはアマリを「彼女」と呼び、自分が不快に思っていることをガラムに伝えた。

「気に入らないようですね」

 ガラム付きの従卒じゅうそつが二人分のお茶を持ってきたため、一旦いったん会話は止まった。

「はい」

 従卒が部屋を出ていくのを見計みはからいモクレンは頷いた。

「気持ちは分かります。父親代わりの人物に、あなたの了解りょうかいもなしに騎士とはいえ女性であるアマリ殿が同道どうどうするというのは、気分は良くない」

 さらに悪い事には、これまでの例から、エグに入った者が四日経っても戻ってこなかった場合、死んだと見なされているらしい。モローとアマリはエグに入ってからすでに七日目にかっている。

「あれだけの腕を持つ人だ、私は大丈夫だと思っているが、何か帰れない事態じたいが発生しているとも考えられる」

 とは言ったもののガラムも、確たる確証がある訳ではない。「山の者」にやられたと考えた方がかなっている。ガラムはモローが居なくなった後、モクレンをどう支えていくべきかを考えていた。

 いきなりモクレンが何かにかれたように立ち上がった。ひざが机のふちに当たり、乗っていた食器が音を立てた。

「……どうされました」

「……行かなくては」

 とモクレンは言った。

「行くとは……」

「エグへですわ」

「エグへですか。……無茶だ」

 ガラムがあわて気味にモクレンの腕に手を伸ばした。

「わたくし、行きます。家で帰ってくるのを待つなどできません」

 自分の手の上に置かれたガラムの手を見つめながら、モクレンは答えた。

「ならば、私もまいりましょう。おともしますよ」

 自然と言葉がガラムの口をいて出た。そうだ、そうすべきなのだとガラムは決断した。アマリがモローと共に行動することを選んだように、自分もモクレンと行動を共にすべきなのだ。

「自分が一緒なら、何かと便利ですからな」

 そうしてガラムはモクレンの手を握ったまま、この手を離したくない、そう思った。


 ―ウルバンの来訪再び―

 一晩ひとばん待てとガラムがモクレンに言った翌朝、何故なぜかガラムはウルバンを伴って騎馬でやってきた。

 すぐにでも出発できると思っていたモクレンは、ガラムがウルバンとやってきた事で風向きが変わったと感じた。当のガラムも「申し訳ない」とでも言いたげな顔つきをしている。

 慌ててモクレンは二人を家にまねき入れ、かまどに火を起こすと湯をかし始めた。

「気を使ってくれるな」

 ウルバンは開口一番、そうモクレンに伝え、「聞きたい事がある」と付け加えた。

 かまどに触った為、指にすすが付いてしまったのを気にしながら、ウルバンとガラムが腰かけている机に近づいた。

「まあ、座って」

 自分の屋敷であるかのように、ウルバンはじっとモクレンを見つめて座るよう命じた。

「聞きたい事とは……何でございましょう」

 モクレンは緊張してきた気分を落ち着かせようとしつつ訊ねた。

「ふむ、単刀直入たんとうちょくにゅうたずねる、……サフラン殿、あなたの本当の名はモクレンと言うのではないか」

「……」

「調べさせてもらった。幼い頃から亥之国のオスダに住まっていると聞いたが、良く調べさせるとサフラン殿、あなたはとある店の裏口で傷つき息絶いきたえた若い女と一緒にったそうだな。そしてその店にひろわれた。息絶えた若い女は王宮につとめる者が身に着ける衣装であったし、あなたは非常にぜいくした衣装だったそうな」

 ウルバンは一気に話した。それを聞きながらモクレンは、遂に身元がばれてしまったと暗然たる思いでいた。

 あの日の夜、両親の異変に気付いた寝ずの番を務めていたサフランが王の寝間に駆け込んできた。寝間の惨状さんじょうにサフランは気を失いそうになったが、王と王妃のむくろの間で泣いているモクレンがいることを認めると、彼女はモクレンを助け王宮から避難しなければと思ったのである。

 王宮内では人が争う音がすでにしていた、何らかの敵が王宮を襲撃したのだと、それは王と王妃の殺害も関連しているとサフランは気付いた。息絶えている二人からさふらんは泣きじゃくっているモクレンを引き離し、モクレンが王の間で寝るときに備えてある彼女用の衣装箪笥から、適当な衣装を見繕みつくろい、泣いている彼女をそのままに着ていた薄い夜着よぎを脱がし、見繕った衣装に着替えさせた。

 どこかで火も点けられたようで、王の寝室まで煙の匂いがただよい始めていた。サフランは彼女の父親から教えられた通りに寝室にある隠し通路を伝い、王宮外に抜けたのである。

 大分ぼんやりとした記憶をモクレンが想いだしていると、ウルバンが言葉を続けた。

「ちょうどその頃、ナカツノ国国王が暗殺され、それを機に呂之国が介入かいにゅうし、今のナウカワ公国が産まれた。呂之国国王であるシュリ女王の調略ちょうりゃくだった。俺もそうだと思う。ナカツノ国国王が暗殺されたのはシュリ女王の差し金であり、国王と王妃は亡き者となったが、一人娘で皇太子こうたいしでもあった王女の行方ゆくえは分からなかった。暗殺の現場にいたはずなのに、王女は殺されず逃がれられたようだ。そして王女は死んだ侍女と共に城を抜け出し亥之国まで辿り着いた。たぶん一緒に逃げた侍女がサフランと呼ばれていたのだろう。だからあなたはモクレンという名をせ、サフランとして生きてきた」

 そこでウルバンは言葉を切り、鋭い視線をモクレンに浴びせた。

「違うかな、大筋おおすじ正しいと思うがな」

 ウルバンの話をモクレンと同じように黙って聞いていたガラムが動揺どうようを隠せない表情で口を開いた。

「殿下、……するとサフラン殿はナカツノ国の皇太子であったモクレン王女だともうされますので」

 ガラムの問いに、ウルバンは頷いてみせた。

「驚いただろ。俺もそう推測し確信にいたった時、驚いたぞ」

 ウルバンは悪戯いたずらっぽい表情を浮かべ、ガラムを見た。

「……驚きましてございます」

「さて、モクレン殿、いかがですかな」

 ウルバンはサフランと呼ぶのではなくモクレン殿と呼んだ。

「侍女のサフランの名をかたったのはまことです。幼いながら、咄嗟とっさにそう思いついたのです」

 モクレンは静かにこうべれ答えた。ウルバンが満足げに頷くと、大きく息を吸った。

「でも、殿下。私は身体を売ることで生活をする女になったのです。それは良くご存知のはず。逃げる前の私と今の私は全く違う人間となっています」

 そうモクレンは上げた顔をウルバンに向けた。かたわらで控えるガラムをできるだけ見ないようにしつつ、自分の命運めいうんが動き始めていくのを感じている。

「違わぬと俺は思う。身をいくら落としたとしても血筋ちすじは変わらぬ。あなたはナカツノ国皇太子であるモクレン王女だ。ましてや、ナカツノ国があなたを廃嫡はいちゃくしたわけではない。依然としてモクレン殿、あなたは皇太子なのだ」

 やはりだ、モクレンはそう観念かんねんした。

 売春宿で働いていたところを、モローに引き上げられ、こうしてがりなりにも普通の人としての暮らしをすることができた、あのままに居れば、遅かれはやかれ他の仲間と同じように病気を移され死んだであろう。だが彼女はそうならなかった。モローの庇護ひごの許、普通の生活を送る女として暮らしてこれた。

 この世に未練はあまりない。あるとすれば、モローに逢いたいということだけだ。


 ―ウルバンの来訪再び2―

 暫くの間、三人に沈黙が続いた。それを破ったのがモクレンだった。

「分かりました、何なりと処罰しょばつを下さい」

 そうモクレンが言うと、ガラムは目を見開きウルバンを見た。ウルバンは面白そうに二人を見つめている。

「何か勘違いをしているようだ。滅びたとはいえ、一国の皇太子を処罰しょばつする理由もないし、するつもりもない。むしろ、ほうには好都合こうつごうなのだよ」

 ウルバンはそう答えた。

「それは……」

 とガラムが口をはさんできた。

「分からぬか。ほうにモクレン殿が加わってくれれば、この国の莫迦ばかどもをいて、国を発展させることができるからよ。まあ、モクレン殿が了承りょうしょうしてくれれば、だがな」

「……私は何をすればよいのでしょう」

 モクレンはガラムとウルバンの二人を交互に見やりながら言った。

「取りあえずは、これからもこの国に居てもらう。ただし、モクレン皇太子としてだ。住まいもここではなく、王宮に移ってもらうことになる。ガラムも知っての通り、俺は密かに亥之国と同盟をむすぼうとしている、父と兄は反対のようだがな。もしこのまま反対を続けておられるのなら、俺は二人をのぞくつもりだ」

 まるで楽しい事を話しているかのようにウルバンは明らかに政変せいへんくわだてている事を二人に伝えた。

「亥之国との同盟が結ばれれば、ひょっとするとモクレン殿のお力をお借りする事になるやもしれぬが、今は我が国の客分きゃくぶんとしてとどまっていただきたい」

 そうなるだろうな、そして何時かモクレンとして表舞台にでることになる。こうなった以上、モローに逢う為にナウカワへは行けなくなってしまったと彼女は思った。それに彼が帰ってきたとしても、今までのように一緒に暮らす事もままならなくなるに違いない。

「では、サフラン……いや、モクレン様が希望していたナウカワへはかないませぬのですか」

 ガラムがモクレンの言いたかったことを口にしてくれた。

「ああ、サフランとしてならな、国民を不安定な土地に行かせることは出来ぬ。だが、モクレン皇太子としてならば別だ。自分がおさめる筈だった国土に向かうことは、あって当然だからな」

 モクレンとガラムの表情が少し晴れた。

「では、お許しくださるのですね」

「もちろん、王女にはこのガラムと数名の影の者を警護につけるが、それで良ければ」

「ありがとうございます」

 とモクレンは深々と頭を下げた。

「良かったの、ガラム」

 へどもどするガラムを横目に、にやりとウルバンが悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 まだ一抹の不安を湛えているモクレンの見送りを受けながら、ウルバンとガラムはモローの家をした。

 馬上の人となったウルバンは終始しゅうし笑みを浮かべている。その微笑ほほえみも、自分の目算通もくさんどおりに進み始めたことに満足しているかのような笑みであった。

「殿下、いかがされました」

 ウルバンより半馬身ほど後方で馬をあやつっているガラムが、時折笑みを浮かべたまま自分を見つめてくる王子に気づき、そうたずねた。

「うん、何でもないが……、さてと、ちと忙しくなりそうだぞガラム。あの娘にはにも王になってもらわなくてはならなくなったということよ」

 低い灌木かんぼくが脇に伸びる道を進み、日の光をたっぷり浴びて道まで張り出した灌木の枝葉を軽くよけながら、ウルバンは楽し気に答えた。


 ―洞窟へ― 

「さあ、参りますぞ」

 非戦闘時に身に着ける軽快さだけが取り柄の服装を身に包み、モクレンの家の戸口に立っているガラムはこれまでにない程張り切っていた。

 モクレンの正体が分かった翌々日、ガラムは改めてウルバンからモクレン同行の命を受けた。そして、国やウルバンから命ぜられる任務とは全く別な高揚感こうようかんをガラムは覚えていた。

 今までは何とか時間を都合つごうしてモクレンと会っていたのが、この旅では四六時中しろくじちゅう彼女と行動を共にできるのだ。宿も一緒となる、自分の見たことのないモクレンに出会えるかもしれない。以前モクレンにガラムが打ち明けた通り、自分の妻は彼女と決めている。モクレンがナカツノの皇太子であろうが、身を売って生き抜いてきた女性であろうともだ。彼は彼女と出会うため、よわい三十を過ぎるまでひとでいたのだとさえ感じていた。

「本当によろしいのでしょうか」

 そうモクレンは、戸口に立っているガラムに訊ねた。

無論むろんです」

「この間も申し上げましたが、……ご迷惑なのではないですか」

 とモクレンは決して彼と共に行動することにおくしているわけではなく、ウルバン王子の側近であるガラムが、彼を差し置いて自分と共にナウカワに向かう事で不興ふきょうを買ってはと思ったのだ。

「それはご心配なく、殿下からも許可を頂いておりますゆえ。なにしろ呂之国の軍隊や当方の機関員がひしめいている箇所かしょでして、我が国もこっそりと進駐しんちゅうすることが懸案けんあんとなっているのです。その下準備としても、殿下近くの人間が行った方がよいとなっておるのです」

 そう言いガラムはモクレンに「持っていく荷物はどこか」と尋ね、淡い桃色に染められた野袴のばかま姿の彼女は身の回りの品を少し入れた背嚢はいのうを「これだけです」と見せた。道中どうちゅう用の武器は、まも刀一振かたなひとふりを隠し持っているだけで、まるでちょっと近所に出掛けると言ったよそおいなのである。

「これだけでよろしいのか」

 ガラムが怪訝けげんな顔つきをして訊ねた。いくら遠方えんぽうとは言えない場所へ向かうにしても、持っていくものが少な過ぎはしないかと思ったのだ。

「長い旅になるとは思いませんので、これで充分です。足りない物が出ましたら手に入れればよいのですから」

「なるほど、そんなものですかな」

 頷きながらガラムはモクレンをこのましに見つめた。

 そして二人して納屋に向かう途中、ガラムはモクレン用にくらを持ってきたと言い、したがってきた従者じゅうしゃに持ってきた鞍をモローの馬にせるよう命じつつ、視線はモクレンかららすことができなかった。

 モローの馬は骨格のしっかりとした巨大な馬であるのに対して、ガラムが騎乗きじょうする馬はモローの馬より足が速いぶん、どちらかというと華奢きゃしゃに見える。性格もかなり違っていて、モローの馬は豪胆ごうたんで物に動じず、主人想いであるが、ガラムが跨る馬はかなり神経質で、自分より大きなモローの馬の威容いようおびえてさえいるようだった。

 二人はここから北西に位置するナウカワへ向かってゆっくりと進み始めた。


 ―シュリ―

 国を不在にしていた間に、溜まりに溜まっていた些末さまつ政令せいれい発動はつどうや国の収支報告書しゅうしほうこくしょと言った物を帰国したシュリは手早く処理し始めたが、それでも七日間はそれに掛かりっきりになってしまった。その間でも、王のいなくなったナウカワ公国運営に関する会議や地域全体の状況報告に時間をかれ、シュリは休まる時がなかった。

 この日は帰国してから数回目の状況報告を受ける日だった。広い執務室に置かれた豪華な円卓えんたくに、ナウカワ公国から一時的に戻ってきた宰相さいしょうのコズミを筆頭ひっとうにして、外交、内政、軍事の責任者が集まる中、コズミから発言の許可を受けた。

「許す」

 長い会議を嫌うシュリは表情を動かさず、僅かに唇を動かすようにコズミの発言を許可した。シュリには気にかかっている一つの事柄が頭を離れないでいた。エグに侵入し戻ってこないモローのことである。

 モローがエグに入った事を知らされたのは、洞窟警備の為に派遣した軍の司令官からであった。彼はシュリがナカツノ国に手を出すためモローを呼び寄せた時、衛兵として宮殿に居たのである。そして彼はモローの顔を覚えていた。そのモローが女と共にエグへ通ずる洞窟に入ったと連絡してきたのだ。彼女には呂之国と必要に迫られてかかわっているナウカワ公国の運営よりも、どうしてもモローの事が重要になってしまう。

「まず、オスダと亥之国の軍事同盟が締結ていけつされたもようです。今、両国は盛んに兵を集め、編成を行っております」

 白髪に顔の半分を隠すように覆ったひげが特徴のコズミは重々しい口調で言った。

「その目的は」

「たぶん、ナウカワが狙いでしょう。亥之国、オスダの両国はナウカワ公国の存在をよろこばしいものとは見ておりませんでしたので」

 確かに両国は呂之国の専横的せんおうてきなナウカワ公国建国をしとしていなかった。以来、亥之国と呂之国の交流はほとんど途絶とだえている。  

 亥之国は領土拡張を望まず、交易とそれに伴う商業の発展に重点を置いた運営をしてきたため、呂之国もあまり亥之国の動静に注意を払わなかったという経緯があった。

「軍を派遣するということか」

「両国の軍備拡張を考えますと、その可能性はございます」

 軍事担当のアコダ大臣が説明した。彼は余りの忙しさに堪えてしまっているのか左のまぶたを細かく痙攣けいれんさせている。

「すると戦だの」

「その準備をおこたらずにいることが肝要かんようかと」

 コズミは重々しい口調で考えを述べた。

「その大義たいぎは。われわれがあそこを支配した時、あの両国は反対をせねばならなかったはず。それが無かった事は、我らの動きを了承りょうしょうしたという事だと思うが」

「その通りです。当時は軍事的にも資金的にも我が方が有利でした。我らにこうするには分が悪いという判断だったと思います」

 コズミがそう述べると、外交を司るモノタが口を開いた。

「大儀についてですが、オスダに旧ナカツノ国の王女がかくまわれているという話です。その王女をかつげる事で大義が生じます」

 ナカツノ国を復興させるために必要な人材がオスダにいる。名分めいぶんも出来たということだ。

「モクレン王女が生きておると……」

 とシュリが問い詰めるようにモノタに言った。

「モノタ殿、その話はわしも聞いておらぬぞ」

 事の重大さに慌てたコズミがシュリをぬすみ見ながら言った。

「たった今、その情報を受けたばかりです」

「たった今といっても、わしに情報を入れる時間はあっただろうに」

 モクレンの情報を事前に聞かされていなかったらしいコズミがモノタに苦言くげんていした。

「いや、本当に時間がなかった……」

 モノタがそう言いかけたが、シュリが手をげてその責任逃せきにんのがれのようなやり取りを止めた。

「その真偽しんぎ、はっきりとさせよ。真なら徹底的に調べるように」

 そう命ずるとシュリは立ち上がった。会議はこれで終了という合図である。集まった政務せいむつかさどる者達は各々おのおのシュリを真似まねて立ち上がり始めていた。

「アコダ」

 と彼女は軍事大臣のアコダを呼び止めた。

「はい」

「エグに入った二人は戻ってきたか」

 そうシュリは訊ねた。エグに入った二人とはモローとアマリのことである。

「いいえ、入ったきり、戻って参りません。恐らく二人は死亡したと思われます」

 シュリとモローの関係を知らないアヤタは直接的に帰還きかんのぞみはないと言ってきた。普通ならば、そのような事で語気ごきを荒げるシュリではないのだが、この時ばかりは、軍事部門の官僚であるアヤタに苛立いらだちを覚えていた。

「戻ってきたか、来ないかだけを申せ。それ以外の言葉はいらぬ」

 吐き捨てるように言うと、シュリは執務室に隣接する私室へ足早に向かっていく。アコダは飛び上がるように身体を伸ばし、すぐさま深々と頭を下げ「申し訳ありませぬ」と答えた。彼が頭を上げた時には、シュリの姿は無かった。

 会議を半ば強制的に終えたシュリは、私室の長椅子に深々と座ると大きく溜息ためいきいた。すぐさまお付きの侍女が茶を持ってくると、ただ黙って一礼し去っていった。侍女のれてくれた茶に口をつけながら、モクレンがオスダでかくまわれているという情報をシュリは思い返している。

(……そうであったか)

 シュリはモクレンが生きているとの情報を受け、どこか救われた気持ちでいた。

 モローにはナカツノ国国王のクドをき者にしろと命じた、だが彼は王妃までき者にしている。ならば二人の子供であるモクレンも王夫妻と同じ運命となったのだろうとシュリは思っていた。

 確かに三人をき者にするのがもっとも得策とくさくだった。そう分っていても、シュリはクド王の命を縮めろとだけモローに命じたのだ。それだけでも彼女の立案した計画を達成できるだけの準備をしたからである。

 クド王と王妃の死亡は確かだ、しかしモクレン王女は行方が分からなくなっている。暗殺にはなっていたモローがなにかしら介在かいざいしていても不思議はない。

 初めてモローに出会った夜、シュリはたわむれに彼を寝所に誘い、初めて女として男に抱かれた。以来、極稀ごくまれにしか会えなかったがモローと恋人関係となって以来、シュリは生きていく張りの一つができたのも事実である。

 会うたびにシュリはモローの印象が変わっていく。人を殺すだけの男から、そのかげに妙に善良な普通の男が見え隠れしはじめ、今では暗殺者のモローと自分の知っているモローとは別人だと思ってしまうようになっていた。

 そのモローはモクレンを殺せたのにそうしなかった。そのため、オスダと亥之国の軍事同盟に加え、シュリが苦労して積み上げ運営してきた呂之国とナウカワ公国の先行きが不明瞭ふめいりょうになったことも無縁むえんではないだろうと思う。モクレンが生きていた事で、彼女のいまだ続いている計画は根底こんていからくつがえり始めていた。

 だが不思議に、怒りや恨みの感情は湧いてこなかった。「モローがしたことだから……」と納得する部分もあるし、ある意味、モローが子供までは殺さなかったことに、自分も救われた気持ちもあった。自分の理想、生まれてきた責務せきむへ忠実に生きてきた彼女だが、ふと、これからの未来を見てしまった気分にもなっていた。

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