第16話 明らかになった出自
ガラムの
それほど広くはないが整理整頓の行き届いているガラムの執務室にモクレンを先に入らせたガラムは自分の机には座らず、モクレンを大きく切られた窓の近くにある長椅子に座るよう勧め、自分の執務机に使っている椅子を彼女の前までもってくるとそこへ腰を降ろした。
そして、モローの
ガラムから聞いた話は彼女の不安を
「初めて聞きました」
そう答えながら、腹立ちが言葉に出ていないか気になった。
「どうやら、アマリ殿が無理やり押しかけたようです。殿下も困っておられましたが、この
アマリがモローを
「彼女は叔父さんと共に、エグに侵入し、二人とも戻っては来ないということですね」
モクレンはアマリを「彼女」と呼び、自分が不快に思っていることをガラムに伝えた。
「気に入らないようですね」
ガラム付きの
「はい」
従卒が部屋を出ていくのを
「気持ちは分かります。父親代わりの人物に、あなたの
さらに悪い事には、これまでの例から、エグに入った者が四日経っても戻ってこなかった場合、死んだと見なされているらしい。モローとアマリはエグに入ってからすでに七日目に
「あれだけの腕を持つ人だ、私は大丈夫だと思っているが、何か帰れない
とは言ったもののガラムも、確たる確証がある訳ではない。「山の者」にやられたと考えた方が
いきなりモクレンが何かに
「……どうされました」
「……行かなくては」
とモクレンは言った。
「行くとは……」
「エグへですわ」
「エグへですか。……無茶だ」
ガラムが
「わたくし、行きます。家で帰ってくるのを待つなどできません」
自分の手の上に置かれたガラムの手を見つめながら、モクレンは答えた。
「ならば、私も
自然と言葉がガラムの口を
「自分が一緒なら、何かと便利ですからな」
そうしてガラムはモクレンの手を握ったまま、この手を離したくない、そう思った。
―ウルバンの来訪再び―
すぐにでも出発できると思っていたモクレンは、ガラムがウルバンとやってきた事で風向きが変わったと感じた。当のガラムも「申し訳ない」とでも言いたげな顔つきをしている。
慌ててモクレンは二人を家に
「気を使ってくれるな」
ウルバンは開口一番、そうモクレンに伝え、「聞きたい事がある」と付け加えた。
「まあ、座って」
自分の屋敷であるかのように、ウルバンはじっとモクレンを見つめて座るよう命じた。
「聞きたい事とは……何でございましょう」
モクレンは緊張してきた気分を落ち着かせようとしつつ訊ねた。
「ふむ、
「……」
「調べさせてもらった。幼い頃から亥之国のオスダに住まっていると聞いたが、良く調べさせるとサフラン殿、あなたはとある店の裏口で傷つき
ウルバンは一気に話した。それを聞きながらモクレンは、遂に身元がばれてしまったと暗然たる思いでいた。
あの日の夜、両親の異変に気付いた寝ずの番を務めていたサフランが王の寝間に駆け込んできた。寝間の
王宮内では人が争う音がすでにしていた、何らかの敵が王宮を襲撃したのだと、それは王と王妃の殺害も関連しているとサフランは気付いた。息絶えている二人からさふらんは泣きじゃくっているモクレンを引き離し、モクレンが王の間で寝るときに備えてある彼女用の衣装箪笥から、適当な衣装を
どこかで火も点けられたようで、王の寝室まで煙の匂いが
大分ぼんやりとした記憶をモクレンが想いだしていると、ウルバンが言葉を続けた。
「ちょうどその頃、ナカツノ国国王が暗殺され、それを機に呂之国が
そこでウルバンは言葉を切り、鋭い視線をモクレンに浴びせた。
「違うかな、
ウルバンの話をモクレンと同じように黙って聞いていたガラムが
「殿下、……するとサフラン殿はナカツノ国の皇太子であったモクレン王女だと
ガラムの問いに、ウルバンは頷いてみせた。
「驚いただろ。俺もそう推測し確信に
ウルバンは
「……驚きましてございます」
「さて、モクレン殿、いかがですかな」
ウルバンはサフランと呼ぶのではなくモクレン殿と呼んだ。
「侍女のサフランの名を
モクレンは静かに
「でも、殿下。私は身体を売ることで生活をする女になったのです。それは良くご存知のはず。逃げる前の私と今の私は全く違う人間となっています」
そうモクレンは上げた顔をウルバンに向けた。
「違わぬと俺は思う。身をいくら落としたとしても
やはりだ、モクレンはそう
売春宿で働いていたところを、モローに引き上げられ、こうして
この世に未練はあまりない。あるとすれば、モローに逢いたいということだけだ。
―ウルバンの来訪再び2―
暫くの間、三人に沈黙が続いた。それを破ったのがモクレンだった。
「分かりました、何なりと
そうモクレンが言うと、ガラムは目を見開きウルバンを見た。ウルバンは面白そうに二人を見つめている。
「何か勘違いをしているようだ。滅びたとはいえ、一国の皇太子を
ウルバンはそう答えた。
「それは……」
とガラムが口を
「分からぬか。
「……私は何をすればよいのでしょう」
モクレンはガラムとウルバンの二人を交互に見やりながら言った。
「取りあえずは、これからもこの国に居てもらう。ただし、モクレン皇太子としてだ。住まいもここではなく、王宮に移ってもらうことになる。ガラムも知っての通り、俺は密かに亥之国と同盟を
まるで楽しい事を話しているかのようにウルバンは明らかに
「亥之国との同盟が結ばれれば、ひょっとするとモクレン殿のお力をお借りする事になるやもしれぬが、今は我が国の
そうなるだろうな、そして何時かモクレンとして表舞台にでることになる。こうなった以上、モローに逢う為にナウカワへは行けなくなってしまったと彼女は思った。それに彼が帰ってきたとしても、今までのように一緒に暮らす事もままならなくなるに違いない。
「では、サフラン……いや、モクレン様が希望していたナウカワへは
ガラムがモクレンの言いたかったことを口にしてくれた。
「ああ、サフランとしてならな、国民を不安定な土地に行かせることは出来ぬ。だが、モクレン皇太子としてならば別だ。自分が
モクレンとガラムの表情が少し晴れた。
「では、お許しくださるのですね」
「もちろん、王女にはこのガラムと数名の影の者を警護につけるが、それで良ければ」
「ありがとうございます」
とモクレンは深々と頭を下げた。
「良かったの、ガラム」
へどもどするガラムを横目に、にやりとウルバンが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
まだ一抹の不安を湛えているモクレンの見送りを受けながら、ウルバンとガラムはモローの家を
馬上の人となったウルバンは
「殿下、いかがされました」
ウルバンより半馬身ほど後方で馬を
「うん、何でもないが……、さてと、ちと忙しくなりそうだぞガラム。あの娘には
低い
―洞窟へ―
「さあ、参りますぞ」
非戦闘時に身に着ける軽快さだけが取り柄の服装を身に包み、モクレンの家の戸口に立っているガラムはこれまでにない程張り切っていた。
モクレンの正体が分かった翌々日、ガラムは改めてウルバンからモクレン同行の命を受けた。そして、国やウルバンから命ぜられる任務とは全く別な
今までは何とか時間を
「本当によろしいのでしょうか」
そうモクレンは、戸口に立っているガラムに訊ねた。
「
「この間も申し上げましたが、……ご迷惑なのではないですか」
とモクレンは決して彼と共に行動することに
「それはご心配なく、殿下からも許可を頂いておりますゆえ。なにしろ呂之国の軍隊や当方の機関員がひしめいている
そう言いガラムはモクレンに「持っていく荷物はどこか」と尋ね、淡い桃色に染められた
「これだけでよろしいのか」
ガラムが
「長い旅になるとは思いませんので、これで充分です。足りない物が出ましたら手に入れればよいのですから」
「なるほど、そんなものですかな」
頷きながらガラムはモクレンを
そして二人して納屋に向かう途中、ガラムはモクレン用に
モローの馬は骨格のしっかりとした巨大な馬であるのに対して、ガラムが
二人はここから北西に位置するナウカワへ向かってゆっくりと進み始めた。
―シュリ―
国を不在にしていた間に、溜まりに溜まっていた
この日は帰国してから数回目の状況報告を受ける日だった。広い執務室に置かれた豪華な
「許す」
長い会議を嫌うシュリは表情を動かさず、僅かに唇を動かすようにコズミの発言を許可した。シュリには気にかかっている一つの事柄が頭を離れないでいた。エグに侵入し戻ってこないモローのことである。
モローがエグに入った事を知らされたのは、洞窟警備の為に派遣した軍の司令官からであった。彼はシュリがナカツノ国に手を出すためモローを呼び寄せた時、衛兵として宮殿に居たのである。そして彼はモローの顔を覚えていた。そのモローが女と共にエグへ通ずる洞窟に入ったと連絡してきたのだ。彼女には呂之国と必要に迫られて
「まず、オスダと亥之国の軍事同盟が
白髪に顔の半分を隠すように覆った
「その目的は」
「たぶん、ナウカワが狙いでしょう。亥之国、オスダの両国はナウカワ公国の存在を
確かに両国は呂之国の
亥之国は領土拡張を望まず、交易とそれに伴う商業の発展に重点を置いた運営をしてきたため、呂之国もあまり亥之国の動静に注意を払わなかったという経緯があった。
「軍を派遣するということか」
「両国の軍備拡張を考えますと、その可能性はございます」
軍事担当のアコダ大臣が説明した。彼は余りの忙しさに堪えてしまっているのか左の
「すると戦だの」
「その準備を
コズミは重々しい口調で考えを述べた。
「その
「その通りです。当時は軍事的にも資金的にも我が方が有利でした。我らに
コズミがそう述べると、外交を司るモノタが口を開いた。
「大儀についてですが、オスダに旧ナカツノ国の王女が
ナカツノ国を復興させるために必要な人材がオスダにいる。
「モクレン王女が生きておると……」
とシュリが問い詰めるようにモノタに言った。
「モノタ殿、その話は
事の重大さに慌てたコズミがシュリを
「たった今、その情報を受けたばかりです」
「たった今といっても、
モクレンの情報を事前に聞かされていなかったらしいコズミがモノタに
「いや、本当に時間がなかった……」
モノタがそう言いかけたが、シュリが手を
「その
そう命ずるとシュリは立ち上がった。会議はこれで終了という合図である。集まった
「アコダ」
と彼女は軍事大臣のアコダを呼び止めた。
「はい」
「エグに入った二人は戻ってきたか」
そうシュリは訊ねた。エグに入った二人とはモローとアマリのことである。
「いいえ、入ったきり、戻って参りません。恐らく二人は死亡したと思われます」
シュリとモローの関係を知らないアヤタは直接的に
「戻ってきたか、来ないかだけを申せ。それ以外の言葉はいらぬ」
吐き捨てるように言うと、シュリは執務室に隣接する私室へ足早に向かっていく。アコダは飛び上がるように身体を伸ばし、すぐさま深々と頭を下げ「申し訳ありませぬ」と答えた。彼が頭を上げた時には、シュリの姿は無かった。
会議を半ば強制的に終えたシュリは、私室の長椅子に深々と座ると大きく
(……そうであったか)
シュリはモクレンが生きているとの情報を受け、どこか救われた気持ちでいた。
モローにはナカツノ国国王のクドを
確かに三人を
クド王と王妃の死亡は確かだ、しかしモクレン王女は行方が分からなくなっている。暗殺に
初めてモローに出会った夜、シュリは
会うたびにシュリはモローの印象が変わっていく。人を殺すだけの男から、その
そのモローはモクレンを殺せたのにそうしなかった。そのため、オスダと亥之国の軍事同盟に加え、シュリが苦労して積み上げ運営してきた呂之国とナウカワ公国の先行きが
だが不思議に、怒りや恨みの感情は湧いてこなかった。「モローがしたことだから……」と納得する部分もあるし、ある意味、モローが子供までは殺さなかったことに、自分も救われた気持ちもあった。自分の理想、生まれてきた
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