第15話 ハコ
箱は素早い動きで、黄色く透明な液体が満たされている袋の下部から垂れ下がっているこれもまた透明な管を
次に彼は自分が立つ側の引き出しから針の付いた矢を持ち上げ、液体が伝う管の途中にある
続いてアマリの指先に何かを取り付けたと思うと、モローが立つ側の
「ち、たりない」
そう箱がモローに向かって
「ち、もらう」
金属を引っ掻くような声で彼は言い、するすると棺を
「何をする」
そうモローが言いかけるのに
「ち、ひつよう、もらう、かた、かくにん」
金属でできた箱の指が、これも棺の側面から現れた針と管を掴み、光沢のある床に腰を降ろしたモローの
「かた、いっち」
箱がそう宣言し、モローの血液が管を伝い治療台の中に吸い込まれていく。しばらくすると黄色い液体が入った透明の袋の隣に、同じような袋が現れ、そこに治療台の中を通ったモローの血がたまり始めているのを彼は見つめた。
「たりない、しぬ」
まるでモローに
「お前の名は」
自分の血液が吸い出されていく
「ない、すず、つけてくれなかった」
そう答えながら、箱はアマリを
「すずとは誰だ」
血が自分の身体から抜かれていくのを見つめ、ハコの言った「すず」という者のことを尋ねた。
「しゅじん」
「その人は死んだのか」
「ずっと、まえ」
ハコはそう返事をした。そこに感情は込められていなかった、ただ事実を述べただけのようだ。
「寂しかったか」
モローは床に身を横たえ、そう尋ねた。身体の
「きもち、わからない」
アマリの身体を貫いている枝が分解され
「彼女は助かるか」
ハコが何を彼女にしているのか
「ごじゅっぱーせんと」
モローが理解できない意味をハコは答えた。
―治療後―
外が暗闇に包まれる頃、治療は終わりを迎えた。傷口が丁寧に
治療中に取っていた横向きの姿勢から治療後に仰向けに寝かされているアマリの
かなりの量の血をモローはアマリに与えることとなり、そのため全身が
ハコはそんなモローに白く丸い
「これは、何だ」
飲み終えてからではあるが、モローは床に座り込んだままハコに訊ねた。
「ぞうけつ、らくになる」
かなりの血をアマリに与えたため、血の気が失せた顔をしているモローを一つの目でハコはみつめている。
「そうか」
モローが頷き、僅かな
「
「しーふぉー、はじめてみた」
そう言いながら、黒く細い円筒状の
ハコはいとも簡単に取り出した筒を分解し、その中身を点検し始めた。
「ばってりー。しんでいる。こうかん」
そう独り言のように言い、分解した筒の一つを持ち、するするとモローからハコは離れ、アマリが横たわっている棺の背後の白い壁に触れた。壁の一部が開き、ハコはその中に指を突っ込み、何かを取り出したかと思うと再び戻ってきた。
「これ、うごく」
そう言いながら分解した筒を元の状態に戻し、それらを頭陀袋の中に
(そうか、
モローは薄く笑った。これは
他国の依頼を受けて働くハンの者は、必ず持たされる物で、
(これは、しーふぉーというのか)
頭陀袋を見つめ、モローはいつかこれを使う時がくるのではと思っていた。
―アマリ-
アマリは三昼夜眠り続け、突然目を覚ました。目を覚ました彼女が最初に発した言葉は「誰っ」であった。全裸にされた自分が透明な棺の中に寝かされ、その姿を誰かがこちらを見つめていたからだ。長い眠りから覚めたばかりの
それに代わり、死ぬのだと思っていた自分が生きていて、モローも無事でいることの喜びがあふれだした。
「……足手まといになってしまいましたね」
全裸であることに
治療されたのは分かるが、
「逆にこちらが申し訳ないと言わなければならない。ひどい傷を負わせた。
モローはアマリの顔を覗き込み、そう言った。
「そんなこと……。大丈夫です、もう誰にも肌を
そこまで言って、アマリは少し恥ずかしそうに目を反らせた。今後、自分の肌を見せるとすればモロー以外に居ない。現に今、彼女は全裸で固定されているので、隠しようもない状態だ。モローの他に誰かいれば、彼女は死ぬほど恥ずかしく、
そこで疑問が湧いた。治療を
「……何ですの、あれは」
見た事のない物であるし、不気味ではないが、とにかく異質感はあった。何故、箱が動いているのだ、アマリはそう思った。
「あれが、治療してくれた」
モローは二人に近づいてくるハコを見つめそう伝えた。ハコはするりと頭をせり出し、寝台を挟んでモローの反対側、つまり自分の
「さんそ。ひつようない」
ハコはそう言い、アマリの鼻に装着されていた管が彼の声に反応したのか、するすると彼女が横たわる寝台の下に消えた。
「きゃのぴー。まだあけない。むきん。たもつ」
そう伝えると頭を胴体の中に仕舞いながら、入ってきたのと反対側に進み始めた。先ほどと同じように壁が消え、水を
「あれがわたしを……」
「見た通りさ」
モローはそう言い、再びハコが外に出て行き、白い壁が音もなく閉じ、ハコと灰色の
―モクレン―
モクレンは一人、食堂兼居間として使っている部屋の窓から外を見つめていた。
けれどもモローがエグに向かってから此の方、手が空けば彼女はこうして
必ず帰ってくるとモローは言ったが、それから五日目の夕方、馬だけが帰ってきた。
すぐに自分達の馬だと分かった。疲れ切り、とぼとぼとした重い足取りではあったが、一目で分かった。家を飛び出したモクレンが往来まで走り出るのを馬も気付いたらしい、よろけ気味だが馬もまたモクレンに駆け寄ろうと足を速めた。モクレンが馬の太い首に飛び付くと、馬も嬉しそうに鼻をならし、彼女の頭や
見た所、
「あなた、叔父さんはどうしたの、馬車……、どこに置いてきたの」
そう馬の首を撫でたり叩いたりしながら訊ねたが、馬が答えるわけもない。ただただ、馬はモクレンとの再会を喜んでいるだけである。
不安が胸を広がってくる。モクレンは馬の鼻面に自分の額を押し付け、モローの無事を祈った。
翌朝、早くに目を覚ましたモクレンは一晩たっぷりと休養したと思われる馬に
気は急いていたが、モクレンは昨日帰ってきたばかりの馬を気遣いゆっくりと歩ませ、タキの城門を抜けた頃には青空が広がっていた。巨大な
街は相変わらず
衛処の扉を潜ると、広い室内の天井からここにはそぐわない
「
商店ではないので、兵士はにこりともせず
「サフランと申します。ガラム様に面会したいのですが」
モクレンはそう答えた。
この田舎娘が何を言い出すのだ、というような表情をした兵士だが、ふとある事を思い出したのか、手元にある書類の紙切れを何枚かめくり始めた。待たされているモクレンは田舎じみた娘の姿かたちをしているにも関わらず、背筋が伸び、どことなく
「おっ、これだ」
と言って兵士は書類に目を落とし、何度か読み返した後、目を上げてもう一度モクレンの
「サフラン殿ですな」
と兵士が多少
「そうです」
ついさっき、名乗ったはずだがとモクレンは思った。
「ふむ、……少し待ちなさい、……ガラム様は王宮に居られるはずだが」
そう言うと兵士は手元の
「王宮におられるガラム様をお呼びしろ、
若い兵士が敬礼をして部屋を足早にでていった後、受付の兵士は表情を
「申し訳ないですな。ここは衛処で、あなたが
彼は腰を上げようとした。
「ああ、それには及びません。こうして待たせてもらいます」
素朴な物を身に着けているモクレンだが、最近は幼い頃、いつも耳にし、口にしていた
「そうですか」
と何故か兵士の方が申し訳なさそうにし始めていた。
しばらく気まずい沈黙が続き、それは勢いよく奥の扉が開く音で終わりを告げた。
「やあやあ、サフラン殿、よく訪ねてくれてましたな。聞き間違いかと思いました」
大柄でいかにも上位の騎士然としたガラムが、多少息を上げ気味に部屋に飛び込んできたので、受付の兵士がその場で
「よく、俺の頼みを覚えていてくれたな、礼を言うぞ」
モクレンが尋ねてきたら、すぐさま知らせろとガラムは予てから兵士に命じていたらしい。命じてかなり月日がたったのに、受付の兵士が覚えていてくれたことに礼を言ったのである。
「いいえ」
兵士が
ガラムは再び兵士に頷くと、柔らかな笑みを浮かべモクレンに目を転じた。
「さてと、ここではなんですな、話もじっくりとできませんな。私の
ガラムに先導され、王宮の内部へと続く扉を抜けると長い
「馬を、衛処の入り口に待たせてたままです。……どうしましょう」
突然足を止めたモクレンにガラムは振り向いた。
「馬で来られたのですか」
「ええ、父と共にしていると思っていたのですが戻ってきたのです」
ガラムの表情が一瞬曇ったように見えた。
「どうしたのですかな」
なぜか奥歯にものが
「知っておられるのですね。父の動向を」
人気のない回廊は静かで、二人の声だけが反響して聞こえる。
「詳しくは
そう答えたガラムの腕をモクレンは
「分かっていることだけでも教えてください」
ガラムは自分の腕にモクレンの指が掛かっているため、
「分かりました。ここではちょっと話せないことなので、やはりそれも、わたしの
自分の腕を摑んでいるモクレンの細く
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