第4話 ウルバン

 四人の夜盗やとうくずれが去り、若い男とガラムの二人の姿は、教練所の関係者が使う裏口の近くで見ることができた。裏口は人通りの少ない路地にあり、両側を建物のせり立つ壁に路地ははさまれて薄暗い。

 裏口からは幾人かが出入りしていたものの、モローの姿は中々現れなかった。二人は路地と表の大通りのかどでモローが現れるのを待っていたが、一向いっこうに現れず、それに人目ひとめもあるので、若い男とガラムの二人は、路地の中に入り現れるのを待つことにした。

 一刻いっこく半ほど過ぎ、二人がしびれを切らした始めた頃、モローの姿が裏口から現れた。ガラムのような騎士とは違い、姿を現したモローはつかが長く細身の剣を腰にたばさんでいるだけで、その出立いでたちは平民と変わらない。左手に弁当箱の入った巾着袋のようなものを下げ、モローは二人のいる方へ近づいてきた。

 二人の姿を認めたと思うが、モローは何の反応も見せすに、ゆっくりとした足取りで彼らに歩み寄るような形になった。二人と狭い路地で通り過ぎるとき、モローは刀の柄を上に向け、少し体を二人の方に向けて刀が彼らに当たらないようにしながら、軽く会釈えしゃくをして横を通り過ぎていった。

 モローからは警戒感や殺気さっきなどが発せられているわけではないが、独特の存在感のような圧は感じられる。二人は、路地を抜け大通りを左に折れて消えていくモローを見送った。

「ほう……」

 と若い男がガラムと顔を見合わせた。

「……これは、私の見誤りでした、あの者はかなりの手練てだれと思われます」

 きばいた時のモローを想像して、全身が粟立あわだつような感じをガラムは覚えた。

「だな。あの男、何者かの」

 とモローの消えた路地の先を見つめながら、若い男はそう言った。

「さて、一向に分かりませぬ。あれほどの者でしたなら、どこかの国に属していない訳がありませぬし、我が国に送り込まれた密偵みっていとも考えられます」

 ガラムはそう答えた。

 若い男は、オスダ王の次男で名をウルバンという。歳は十九である。彼はオスダ王がもうけた四人の子供の中で異質いしつな王子で、王や母親の王妃が止めるのも聞かず、護衛のガラムを連れて王宮を抜け出すことを繰り返している。

 ガラムは無意識に自分がこぶしを握り締めている事に気づいた。てのひらが汗にれているのも知った。「恐ろしい男」、彼はそう思っていた。

「父に気を付けよと言えというわけか」

 ウルバンの方は、ガラムの想いとは別の所にいるようで、モローに対して脅威きょういとは思っていないようだ。彼はモローの後を追うように歩き出した。

「まあ、それはこれからの見ものを見てからでも良いだろう。影は俺たちを案内してくれるのだろうな」

 とウルバンはこれから見れるであろうことに、興味をかれているようだった。

「はあ、大丈夫です」

「では、まいろう」

 そう言い、ウルバンはずんずんと路地を抜けて、モローが曲がったのと同じく左に折れた。ガラムは後を追いながら、そそり立つ壁の上部に目をやると、壁の上に黒い影が一つあり、彼が頷くと影は消えた。

 ウルバンとガラムは影に先導せんどうされながら、大通りを進み、やがて複雑な経路けいろ辿たどってさびれた一画に入り込んだ。この辺りは街でも治安の悪い地区で、未認可みにんかの売春宿や博打場とばくじょうもぐりの飲み屋や宿があり、ここの住人のほとんどが何らかの犯罪に手を染めていると考えられている。

 そんな悪所あくしょを見て見ぬふりを国がしているのは、この地区に送り込んでいる密偵が拾ってくる情報の中に通常の手段では手に入らない外交的、国防的に重要な情報が含まれているからだ。国としては、この悪所に巣食すくう者達が他の地区の住民に危害を及ぼさないよう監視し、一方で情報を吸い取り、危害を及ぼすような場合は排除はいじょしていた。

 最近、国境に西に広がる草原地帯から夜盗の一部が、この地区に逃れるように入り込んできており、国は警戒を強めていたおりであった。教練所に現れた四人組も草原地帯から入り込んできた者達で、教練所の他に、二、三の武術場に上がり込んでは、他流試合たりゅうじあい脅迫きょうはくめいた表現で申し込んでは狼藉ろうぜきを働いていた。金(これが目的である)で済ませた武術場もあるが、試合に応じた師範代しはんだいに怪我を負わすなどしていたため、この四人の監視を強めていた矢先やさきなのである。

 四人組は武術場の師範代に怪我けがわすほど、特に首領株しゅりょうかぶの男は看過かんかできない腕を持っていると考えて良い。王立の教練所の助教たちは王宮に勤める腕利うでききの騎士や衛視が務めているため被害は無かったが、このまま四人組を放置しておく訳にはいかないことに成りそうである。

 ともあれ当の四人組は、国の監視など一切いっさい知らず、自分等を邪魔した女剣士のいる教練所で、最初に対応したものの闘おうとはしなかったモローを叩きのめそうと考えていたのである。本来ならば彼らを返り討ちにしたアマリを狙うのだろうが、真剣でやり合うには分が悪そうだったからだ。そのため彼らは、自分で自分を弱いと宣言したモローにねらいを定めたようだ。

 それが誤りであった事は、すぐに分かる。

 以前、モローが倒した六人の盗賊は、この四人組といつもつるんで悪事あくじを働いていた。その六人が斬り倒され、折も折、北から「山の者」と呼ばれ恐れられている存在が草原部に降りて来たという噂もあり、四人はオスダ王国に潜り込んだという経緯がある。まさか、彼らはモローがいつもつるんで悪行あくぎょうを働いていた仲間を殺した本人だとは知るよしもない。

 ウルバン達が影に導かれて移動している頃、四人は一人歩いてきたモローに「ちょっと付き合え」と声を掛けた。モローは何も言わず、彼らの後に付いて、この退廃的な雰囲気に包まれた地区に入ってきた。

 すでにウルバンとガラムは影の先導せんどうでモロー達より先回りした格好で、広場の物陰ものかげに身を潜めている。この地区がこれほど悪所になる前、広場は住民主体じゅうみんしゅたいの市や祭りがり行なわれていた場所なのだが、今はもう放置され、綺麗きれいにならされていた地面も荒れ果てて、人気は無い。

「本当に、ここで良いのか」

 とウルバンは首を伸ばして辺りを見回した。

「頭をお下げください。……影達のことです、間違いはないと思われます」

 声をひそめてガラムが答えた。ただ、当のガラムも確証は持てなそうな口ぶりである。

 二人は黙ってモロー達が現れるのを待った。

 五つの人影が現れた。

 教練所で見た四人組である。後ろにモローを引き連れている。広場の中心辺りに来ると、四人はくるりと振り返り、少し間を置いて立ち止まったモローをへらへらと笑った。モローはゆっくりと弁当箱を入れた巾着袋を下に置いた。

「ここじゃ、弱いなんて言い訳にはならねえぜ」

 アマリから左腕をしたたか木剣で叩かれた男が喚く。

「さっきは油断した。剣が振るえなかった、体調が悪かったらしい」

 首領らしき大男が少し声をかすれさせながら言った。ただ、大男の言い分も正しい、何故か彼は剣をり上げることも出来なかったのだが、もし、その剛剣ごうけんがアマリを襲ったのなら、果たして息を上がらせたまま木剣で対峙たいじしていた彼女に勝しょうきがあったかどうか。そのことを、ウルバンもガラムも考えていた。

「いや、あんたは同じように倒されていたはずだ」

 アマリが不利だったということは出さず、両手をだらりと垂らしたままモローがそう答えた。わずかながら彼の腰がしずんだようにガラムは思えた。

「うるせえ、あの女より弱い男に言われる筋合すじあいはねえ」

 大男がえ、すらりと大剣を抜いた。大男を中心に三人がモローを左右から挟むように広がる。モローはまだ両手を垂らしたままである。

「止めた方がいい」

 とモローが言うのが聞こえた。

 その瞬間、大男がモローに向かって疾走し、上段に構えた剣を右上から回すようにモローへ切り下した。

 ウルバンとカラムはモローが斬られたと思った。モローは僅かに身を右に傾かせながら、襲い掛かってきた剣より早く、大男の左側を走り抜けていた。きらりと何かが光ったように見えた。

 走り抜けたモローは、右足を軸にくるりと身をひるがえした。いつの間にか、モローの手には刀が握られていて、慌てて振り向いた男に大きく踏み込むと恐ろしく伸びたように見える刀を振るった。

 大男の首がを描くようにね飛んだのが見えた瞬間、モローの刃は残った三人に向かっていた。

 男達が恐怖のあまり目を見開みひらいた時には、モローが殺到さっとうしてきており、一人は首筋、男の左肩から右脇腹を切り裂いている。そして最後に残った男は、ただ悲鳴を上げるだけしかできず、悲鳴を上げている最中に、これもまた首を胴体から放たれていた。

 四人は傷口から血を噴出ふんしゅつさせながら木を伐り倒したようにゆっくりと倒れ伏した。斬り倒した四人にモローは腰をわらせた形で向き直り、息絶えたと確認すると構えを解いた。そして、首のない大男に近づき、彼の服で血のしたたった刀を丁寧ていねいぬぐうと緩慢かんまんな動作でやいばさやに納めた。

 彼は息も切らしていない。暫く殺害した男達を見下ろしていたが、やがてきびすを返すと下に置いた巾着袋の所に戻り、それを取り上げ何事もなかったようにその場から離れて行った。

 見届けていたウルバンとガラムは口も利けぬほど驚愕きょうがくしていた。あのような手練てだれを二人は見たことがない。呼吸を二つ三つ吐く間に、モローは四人を切って倒している。

「これは、……思った以上でした」

 とガラムはたんからんだような声でつぶやいた。

「すごい斬り技だったな。あのようなもの、初めてみた」

 ウルバンはまだ信じられぬとでも言うように、首を横に振りながらひそんでいた場所から身体からだを伸ばした。

「あの者に狙われたらと思いますと、身がちぢみます」

「俺もよ……」

 薄暗くなった広場に横たわる四つのむくろを見つめたまま、ウルバンはそう答えた。

如何いかがいたしましょうか。と言うより、すぐさまあの者を捕縛ほばくする命令をお出しください」

 そう言いながら、ガラムは近くに控えている影の者を呼ぼうとした。

「いや、それにはおよばんだろう。あの者は我々に代わって我が王都に入り込んだ不穏ふおん分子ぶんし始末しまつしてくれただけだ。そうは思わんか」

 モローに斬り倒された男たちはそうでなくとも、いずれ衛所から人を出してし取るか、切り捨てるかされる運命であったのだ。そうなれば衛所の人間も怪我を負い、悪くすれば死ぬ者も出るだろう。それを、モローがふせいでくれたとも言える。

「危険はないのでしょうか」

「敵に回したくはないな。だから奴から目を離すな。せっかく父上が立ち上げた教練所で働いてくれているのだ。わざわざ事を荒立あらだてる事はあるまい。しかし、面白い男を見つけたのう、益々ますます興味がいたわ」

 その言葉を聞いてガラムがサッと手を挙げた。影の気配が消えた。


 ―王子とサフラン―

 モローが三人を殺害した日から二日後の昼過ぎ、ウルバンとガラムはモローが暮らしているという家が見える植え込みの陰にたたずんでいた。そこはゆるやかな斜面しゃめんの途中にあり、ここからだとモローの家の様子がはっきりと見える。母屋おもやから少し離れた納屋なやには馬がいるらしい。そして母屋の裏には狭いが青々としたを育てている畑が望めた。

 タカから一陸里りくりほど離れたこの辺りはあまり住民はおらず、街道からもれているためモローの家周辺には小さな集落が点在するだけである。緑豊かな土地で、今日は良く晴れていてガラムは自分の故郷を思い出してあまやかで暖かな感情が湧き上がってくるのを感じた。

「お前の里を思い出すか」

 ウルバンが突然、今考えていたことを当てたため、ガラムは動揺し「いいえ」と答えた。

「カズヤの辺りもこんな風景だ、なつかしいという気持ちを別に恥ずかしがることはない。ところでお前の両親は壮健そうけんか」

 面白そうに大兵たいひょうのガラムを見上げ、ウルバンはたずねた。

「はっ……そう聞いております」

 何時いつにも増して恐縮するガラムは、仕えているこの王子の鋭さと心遣こころづかいに畏怖いふさえ感じる。国を継ぐのは長子であるサリュー皇太子ではなく、このウルバン王子こそが適任てきにんだとガラムは思う。温情おんじょうと非情、これを的確てきかくに使い分けることができ、何事にも興味を抱き、学び吸収することをしまないねばり強さは現国王のオスダ二世を大きくまさっていた。ウルバン王子が次男であることが、つくづく惜しい、というのがガラムの心持こころもちである。

「たまには両親に顔を出してやれ」

 モローの家から目を離さず、ウルバンが命じた。

「しかし、務めがあります」

「出してやれ、これは命令だ。小さな妹もいるのであろう、兄の帰りを待っておるぞ」

「はっ、ありがとうござ……」

 ガラムがそこまで言いかけた時、ウルバンが彼の肩をいた。

「出てきた、あれが共に暮らしているという女か」

 玄関の戸が開き、地味じみな農婦のような出で立ちをし、長い髪を後ろでたばねただけのサフランが現れた。いつにもまして平凡な顔立ちであるが、ここに住み始めて少し太ったせいか、質素な服装からも豊かに実りはじめた肉体が感じられるようだった。

「……のようです」

 ガラムはサフランに目を奪われていた。遠目とおめで見ても、サフランは自分を強く引き付けてくるのだ。

「あれはモローの妻か、それとも囲い女かの」

「違うと聞きます。それにモローはあの後、売春街で女を買っておりますので、あれが妻や囲い女でしたら、そんな所に足を運ばないと思われますが……」

 ガラムはモローを監視している影の者から、四人をほふったその足で売春街に向かい女を買い、二刻ほど宿から出てこなかったという報告を受けている。

「分からんぞ」

 ウルバンの目に悪戯いたずらっぽい色が浮かんだ。

「違うと思います」

 サフランに気を奪われていたため、ガラムは珍しく主人に異をとなえていた。

「では、何だ」

「近所の住民には、親戚の子を預かっていると言っているそうです」

 サフランは井戸から水を木桶きおけみ、それを重そうに両手で持つと、馬小屋の中に入っていった。井戸から水を汲むさい、めくり上げたサフランの日に焼けたやわらかそうな二の腕が現れ、それがまたガラムの視線を離さない。彼女は肉付きが良いというのではなく、出るところが出ているといった体形で、腕などは思いのほか細い。

「ふむ、そうか」

 ウルバンはサフランを必要以上に凝視ぎょうししているガラムを見て、ニヤリと笑みを浮かべ、言葉を続けた。

「そこのところを、詳しく知りたいの。いい機会じゃ、あの女自おんなみずからに聞いてみよう」

 ウルバンのにやつきはそのままである。

「……あの女に、王子がですか」

「そうじゃ、俺とお前がだ」

 ガラムが少し顔を赤くしていた。それがウルバンには可笑おかしいようだ。

まいるぞ」

 そうウルバンがげ、ガラムより先に斜面の草地を下り始めた。

 二人が草の斜面を降り、荷車一台が通れるほどの幅しかない農道に隣接するモローの家の前に立った頃、サフランはでてくれでてくれとうるい馬に水を与え、馬小屋兼けん納屋から空になったおけを下げながら出た。井戸端に桶を置き、畑の雑草を抜こうかと思った時、ウルバンとガラムが母屋の前庭まえにわに現れた。

 前庭は彼女がひまを見て整えた花壇があり、今この季節には良く見かける色鮮やかだが花弁の小さな花が咲きほこっていた。その花壇越しに井戸の前に立っているサフランをガラムは認めた。本来ならばウルバンより先におとないを言わなければならないのだが、サフランの姿を見てガラムは声が出なくなっていた。そこで変わりにウルバンがサフランに声を掛けた。

「すまぬが、水を我らに一杯所望しょもうしたい」

 薄く笑いウルバンは固まったようなガラムを見つめてそう告げた。

「はい、では家の中へ」

 そうサフランは応えると、小鹿のような小走りで母屋に戻り、玄関の戸を開けてウルバンとガラムをまねき入れた。自分達に対して警戒も何もしていないようだ。

 家の中は玄関を抜けるとすぐに台所と食堂で、四人掛けの机がえ付けられていた。サフランは二人にここへ座れと言う。

 二人が木の椅子に腰かけるのを見届け、「少々お待ちください」と言い、調理用であるかまどの脇にある勝手口から何かのつるんだざあるを手に外へ出ていった。

 二人はサフランの均整きんせいがとれた後姿を見送り、家の中を見渡した。粗末そまつな造りの壁や柱に囲まれた部屋だが、綺麗にきよめられており、ほこり一つ無いように見える。暖炉だんろの上には、大方おおかたその辺りの野からんできたと思われる黄色い花を、少しひび割れた壺に活けてあり、サフランはモローが居ない昼間、そうしてモローが帰ってくるのに備えていることが良く分かる。

「なかなか気はしのく娘のようだな」

 ウルバンが感心したようにつぶやいた。王宮の自室とは雲泥うんでいの差だが、彼は掃き清められ、手入れされた部屋には清浄せいじょうな気持ちよい空気に満たされているのを感じていた。それはガラムも同じだったのだろう、しきりに感心した様子で王子と同じように見回している。

 サフランが笊に甘瓜あまうりを二つ乗せて戻ってきた。彼女はそのまま流しの上で甘瓜二つを各々おのおの三つに切り分け少し大きめの木皿に乗せてウルバンとガラムの前に置いた。

「水では味気ないので、こちらを食べてください。朝から井戸で冷やしておいたので、良い加減かげんに冷えていると思いますよ」

 ガラムは甘瓜を食べた事があるが、ウルバンは初めてだと思われた。目の前に置かれた甘瓜を一切ひときれ手で取り上げ、ガラムはウルバンに「こう食べるのです」と目でうながした。ウルバンはガラムを真似まねて三日月の形に切られた甘瓜を両手に持ち、一口噛んだ。

「うむ、美味うまい、これはのどが渇いた時に良いな」

 と指や口元が甘瓜の汁で濡れるのも構わずかぶりつき始めた。

「かたじけない。我々に出して大丈夫なのかな」

 ウルバンは口に瓜の果肉かにくを入れたままそう言った。王子とは思えない姿だった。

「気にしないで、あたし達の分は残してあるから」

 柔和にゅうわな笑顔をたたえたまま、サフランが答えた。

 ガラムがウルバンを見ると、彼は二切れ目に手を伸ばしている。少し青臭あおくさい癖のある甘みがウルバンは至極しごく気に入ったようで、まるで子供のように甘瓜にかぶりついている。王子としては、少し不躾ぶしつけな姿だが、ガラムにはそれもこのましく見える。

「ここに住まって、長いのかな」

 ウルバンが最後の一切れに手を伸ばしながら、またサフランに訊ねた。

四月よつきになります」

 サフランが短くそう答えた。

「お前の名は何と言う」

「サフランです」

「サフランか。良い名じゃ、なあガラム」

 そうウルバンから振られたガラムは、顔を赤くして甘瓜の果汁かじゅうむせたようで一つ、二つ咳込せきこんだ。

「ここに来るまで、何処どこにおった」

「……オクタです」

 ガラムは亥之国の都市であるオクタの名を告げた彼女の表情が僅かに沈んだように感じられた。

「ほう、近くだの。そこで何をしていたのだ」

 三つ目の甘瓜に口を付け、ウルバンはそう訊ねた。

「……人に言えないようなことを」

「何、人に言えないこととな」

 ウルバンの視線が鋭さを増した。ガラムは法令に違反するようなことかと思っていた。

「罪になるようなことじゃないです。……ただ、こうして面と向かっては言えない仕事……、身体からだを売ってました」

 サフランの表情がさらに沈み、同時に羞恥心しゅうちしんとも嫌悪感けんおかんとも取れる色合いろあいが加わり始めていた。つまり売春婦だったと言うことを彼女はみずから告げたのだ。

「共に住んでいる男とは、どこで知り合い、そしてどのような関係だ」

 何事もないような涼しい表情のまま、ウルバンがさらに訊ねた。

「あたしを宿から買い戻して、売春街からひろい出してくれた人、そして、お日様ひさまの下に引きずり出してくれた人です」

 そうサフランが答えた所で、ガラムも彼女がどのようなことをしていたのかが分かった。なぜ彼女はこのようなことを、自分等に平気で告げられるのだろう。

「そうか、花街はなまちにおったのだな。そこであの者と出会ったということかの。関係はまだ続いておるのか」

 ウルバンは最後の一切れを食べ終わり、甘瓜の皮を名残惜なごりおし気に木皿の上に置いた。

「……何も。叔父さんはもう、何もしません。あたしと一緒に暮らしているだけです」

 ウルバンもガラムも、今の状態になるまでは、男女の関係を持っていたのだと感じた。

「あの者は何者だ。武術にひいでているのは知っておるが」

「……良い人。あたしにとても優しい人、あたしに何も求めてこないし、叔父さんは自分の事を話さないから、どこで何をしてきたのかは知りません。……あの、叔父さんはそんなに強い人なんですか」

 サフランは自分なりに感じたモローの人と成りを語り、最後にそう尋ねてきた。人を殺傷さっしょうするのに全く躊躇ちゅうちょしない人物であることを彼女は知らないようだった。

「正直に言おう。あれほどの手練てだれを俺は見たことがない」

 ウルバンは一昨日の夜に見た、モローの手練を思い浮かべたようだった。だが、それを聞いたサフランはまだ信じがたいというような表情を浮べている。モローという男は、この娘に対して苛烈かれつな剣を振るう部分を一切見せず、ひたすら優しく彼女に接していることをガラムは理解した。分からないでもないとガラムは思う、自分でさへ、サフランを見ているとそっとかば保護ほごしたくなる。

「今の生活は、不自由ではないのか。ここは街から離れておる、何もない所だ」

 やや表情を緩めたウルバンは机越つくえごしにサフランの手をサッと握った。サフランは驚いたようだが、それほど強く握られた訳でもないので、やんわりと握られた手を外した。だが、ウルバンを見つめる瞳には何も映ってはいないようだった。

「いいえ、あたしにとって、ここは天国です。できれば一生ここで暮らしていたい……」

「叔父さんと一緒にか」

 とウルバンが言うと、サフランは小さく頷いた。

「だが、お前は叔父さんとやらの妻ではないだろう」

「ええ」

 そう頷いたサフランにウルバンはさらに問いかけた。

「今は愛人でもない」

 王子は微妙な部分を突いてくるなとガラムは思っていた。

「叔父さんは、あたしを本当の親戚として接してくれてます。叔父さんがそれで良いなら、あたしもそれで良い」

「だが、お前の叔父さんは、花街で女を買っておるぞ。これはどう思う」

 ウルバンはそう訊ね、そしてちらりとガラムに視線を走らせた。ガラムはその視線には気付かず、じっとサフランがどう反応するかを見つめていた。

 悲しみと同時に、ギラリとした怒りの表情がサフランに浮かび、それはたちまち姿をひそめた。

「仕方ない。……叔父さんも男だから」

 それまでとは違って、サフランの言葉には抑揚よくようがなかった。何かを懸命に我慢がまんしている、そんな口ぶりであった。

「つまりだ、今はお前を本当に親戚の子として接しているということだ。そうであれば、いずれお前を誰かに嫁がせたいとも考えているやもしれぬな」

 その言葉でサフランの瞳が生気せいきを取り戻したようだ。ウルバンは続けた。

「まあ、その叔父さんとやらに好きな女でもおるのかもしれぬがな」

 また一言余計ひとことよけいなことをと、ガラムは思った。どうも王子は人を揶揄からかわずには済まない性分しょうぶんなのだと、改めて感じた。

 ウルバンは複雑な表情を浮かべたガラムを見てニヤニヤしていたが、スッと居住いずまいをただすとサフランを見つめた。

馳走ちそうになった。甘瓜、美味かったぞ」

 そう言ってサフランの返答を待たずに立ち上がると、ガラムに「帰るぞ」と告げ、さっさと彼より先に玄関から出て行ってしまった。

「では、失礼いたす」

 とガラムも立ち上がり、玄関に向かいかけたが、思い留まりサフランに振り返った。

「あの方は、この国の王に近い御方おかただ。あなたもそう感じていたのではないかな。だが、あの方が平民に礼を言うなどかつてないこと、その辺を考え、気にさわっているのなら、勘弁かんべんしてくれ」

 と大きな身体を縮めるように頭を下げた。

「いいえ、そんなこと……」

 サフランがガラムを見上げてそう答えた。

「もし、困ったことがあれば、王宮にある騎士詰め所に私の従卒じゅうそつ常時待機じょうじたいきしている、そこに行かれよ。あなたの名を話しておくから、従卒に伝言して頂ければ対応いたす。私は第一騎士団、警護組のガラムと申す」

 そう赤くなりながらガラムがサフランに告げた。

 家の外では「ガラム、早くまいれ」とウルバンが呼んでいる。


「今日、王宮のえらい人が来た」

 教練所から帰ってきたモローを迎え入れた時、サフランはウルバンとガラムの来訪らいほうを告げた。

「なぜ」

 モローはサフランに教練所からの帰り、市場で買い求めた羊の肉などを竹の皮で包んだものを手渡しながらそう言った。

「分からない、昼前に突然来たの」

「ふうむ、王宮の偉い人とは誰だった」

「王様に近い人と護衛のガラムさんという騎士の人」

 そう答えるサフランも、ウルバンが何者であるのかは判らないようだ。ただ、ウルバンとガラムが去った後、サフランは畑作業や家事が手に付かなかったのは事実だった。

 自分の経歴を多少誤魔化ごまかしつつ二人に話してしまった事へのいではなく、モローが他の女を抱いているということが辛かった。彼女はモローと共に暮らしている内、次第に彼へ父親に対する思慕しぼと、男としての恋愛感情の両方をいだき始めていた。

「何の用か言わなかったのか」

「うん、……でもあたし、昔の話をした。それと叔父さんが強い人だという事も聞いた。あたし、昔の話をしちゃ、駄目だったかな」

 そう言ってサフランはモローを見上げた。

 モローは瞳に柔らかない色を湛えながら彼女を見つめ返してきた。

「構わん。お前が良いというのなら、それで良い」

「隠しても仕方ないと思うのよね、いつかばれるし。……それより、ねえ、他所で女を買った」

 サフランは突然脈絡みゃくらくもなく、そう尋ねた。モローが女への欲求があるのなら、他の女ではなくその欲求を自分に向けて欲しいと思う。

(なんで叔父さんは、初めて会った時みたいにあたしを抱こうとしないのだろう)

 どうしてもそう思ってしまう。街で女を買うほどならば、自分を抱けば良いというのがサフランの正直な気持ちである。彼女はむしろそれを待ち望んでいてもいた。他の女よりモローを満足させられる自信もある、同じ家の屋根の下で暮らしているのだ、そうなるのが自然なはずだ。

「すまない。俺がそうするのは嫌か」

「嫌、絶対に嫌……」

 サフランはおさえ込んでいた感情が吹き上がる感じがした。好きな人が他所の女を抱くなんて、本当に嫌だった。と同時に、この感情は独占欲というものなのだろうなとサフランは思った。

「では、これからはそんなことはしないようにしよう」

 モローは笑みを浮かべながらそう答えた。

 サフランはその答えを、安心しつつに落ちないような気持で聞いた。なぜか、モローに対して罪悪感も感じており、みょうに落ち着かない気分にもなる。そのかわり、自分を抱いてくれと言いたかったのだが、こばまれるのは目に見えているので言い出せない。あまりしつこくすると、嫌われてしまうのではと思ってしまう、それも嫌だ、そうサフランは思っていた。

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