第4話 ウルバン
四人の
裏口からは幾人かが出入りしていたものの、モローの姿は中々現れなかった。二人は路地と表の大通りの
二人の姿を認めたと思うが、モローは何の反応も見せすに、ゆっくりとした足取りで彼らに歩み寄るような形になった。二人と狭い路地で通り過ぎるとき、モローは刀の柄を上に向け、少し体を二人の方に向けて刀が彼らに当たらないようにしながら、軽く
モローからは警戒感や
「ほう……」
と若い男がガラムと顔を見合わせた。
「……これは、私の見誤りでした、あの者はかなりの
「だな。あの男、何者かの」
とモローの消えた路地の先を見つめながら、若い男はそう言った。
「さて、一向に分かりませぬ。あれ
ガラムはそう答えた。
若い男は、オスダ王の次男で名をウルバンという。歳は十九である。彼はオスダ王がもうけた四人の子供の中で
ガラムは無意識に自分が
「父に気を付けよと言えというわけか」
ウルバンの方は、ガラムの想いとは別の所にいるようで、モローに対して
「まあ、それはこれからの見ものを見てからでも良いだろう。影は俺たちを案内してくれるのだろうな」
とウルバンはこれから見れるであろうことに、興味を
「はあ、大丈夫です」
「では、
そう言い、ウルバンはずんずんと路地を抜けて、モローが曲がったのと同じく左に折れた。ガラムは後を追いながら、そそり立つ壁の上部に目をやると、壁の上に黒い影が一つあり、彼が頷くと影は消えた。
ウルバンとガラムは影に
そんな
最近、国境に西に広がる草原地帯から夜盗の一部が、この地区に逃れるように入り込んできており、国は警戒を強めていたおりであった。教練所に現れた四人組も草原地帯から入り込んできた者達で、教練所の他に、二、三の武術場に上がり込んでは、
四人組は武術場の師範代に
ともあれ当の四人組は、国の監視など
それが誤りであった事は、すぐに分かる。
以前、モローが倒した六人の盗賊は、この四人組といつもつるんで
ウルバン達が影に導かれて移動している頃、四人は一人歩いてきたモローに「ちょっと付き合え」と声を掛けた。モローは何も言わず、彼らの後に付いて、この退廃的な雰囲気に包まれた地区に入ってきた。
すでにウルバンとガラムは影の
「本当に、ここで良いのか」
とウルバンは首を伸ばして辺りを見回した。
「頭をお下げください。……影達のことです、間違いはないと思われます」
声を
二人は黙ってモロー達が現れるのを待った。
五つの人影が現れた。
教練所で見た四人組である。後ろにモローを引き連れている。広場の中心辺りに来ると、四人はくるりと振り返り、少し間を置いて立ち止まったモローをへらへらと笑った。モローはゆっくりと弁当箱を入れた巾着袋を下に置いた。
「ここじゃ、弱いなんて言い訳にはならねえぜ」
アマリから左腕をしたたか木剣で叩かれた男が喚く。
「さっきは油断した。剣が振るえなかった、体調が悪かったらしい」
首領らしき大男が少し声を
「いや、あんたは同じように倒されていたはずだ」
アマリが不利だったということは出さず、両手をだらりと垂らしたままモローがそう答えた。
「うるせえ、あの女より弱い男に言われる
大男が
「止めた方がいい」
とモローが言うのが聞こえた。
その瞬間、大男がモローに向かって疾走し、上段に構えた剣を右上から回すようにモローへ切り下した。
ウルバンとカラムはモローが斬られたと思った。モローは僅かに身を右に傾かせながら、襲い掛かってきた剣より早く、大男の左側を走り抜けていた。きらりと何かが光ったように見えた。
走り抜けたモローは、右足を軸にくるりと身を
大男の首が
男達が恐怖のあまり目を
四人は傷口から血を
彼は息も切らしていない。暫く殺害した男達を見下ろしていたが、やがて
見届けていたウルバンとガラムは口も利けぬほど
「これは、……思った以上でした」
とガラムは
「すごい斬り技だったな。あのようなもの、初めてみた」
ウルバンはまだ信じられぬとでも言うように、首を横に振りながら
「あの者に狙われたらと思いますと、身が
「俺もよ……」
薄暗くなった広場に横たわる四つの
「
そう言いながら、ガラムは近くに控えている影の者を呼ぼうとした。
「いや、それには
モローに斬り倒された男たちはそうでなくとも、いずれ衛所から人を出して
「危険はないのでしょうか」
「敵に回したくはないな。だから奴から目を離すな。せっかく父上が立ち上げた教練所で働いてくれているのだ。わざわざ事を
その言葉を聞いてガラムがサッと手を挙げた。影の気配が消えた。
―王子とサフラン―
モローが三人を殺害した日から二日後の昼過ぎ、ウルバンとガラムはモローが暮らしているという家が見える植え込みの陰に
タカから
「お前の里を思い出すか」
ウルバンが突然、今考えていたことを当てたため、ガラムは動揺し「いいえ」と答えた。
「カズヤの辺りもこんな風景だ、
面白そうに
「はっ……そう聞いております」
「たまには両親に顔を出してやれ」
モローの家から目を離さず、ウルバンが命じた。
「しかし、務めがあります」
「出してやれ、これは命令だ。小さな妹もいるのであろう、兄の帰りを待っておるぞ」
「はっ、ありがとうござ……」
ガラムがそこまで言いかけた時、ウルバンが彼の肩を
「出てきた、あれが共に暮らしているという女か」
玄関の戸が開き、
「……のようです」
ガラムはサフランに目を奪われていた。
「あれはモローの妻か、それとも囲い女かの」
「違うと聞きます。それにモローはあの後、売春街で女を買っておりますので、あれが妻や囲い女でしたら、そんな所に足を運ばないと思われますが……」
ガラムはモローを監視している影の者から、四人を
「分からんぞ」
ウルバンの目に
「違うと思います」
サフランに気を奪われていたため、ガラムは珍しく主人に異を
「では、何だ」
「近所の住民には、親戚の子を預かっていると言っているそうです」
サフランは井戸から水を
「ふむ、そうか」
ウルバンはサフランを必要以上に
「そこのところを、詳しく知りたいの。いい機会じゃ、あの
ウルバンのにやつきはそのままである。
「……あの女に、王子がですか」
「そうじゃ、俺とお前がだ」
ガラムが少し顔を赤くしていた。それがウルバンには
「
そうウルバンが
二人が草の斜面を降り、荷車一台が通れるほどの幅しかない農道に隣接するモローの家の前に立った頃、サフランは
前庭は彼女が
「すまぬが、水を我らに
薄く笑いウルバンは固まったようなガラムを見つめてそう告げた。
「はい、では家の中へ」
そうサフランは応えると、小鹿のような小走りで母屋に戻り、玄関の戸を開けてウルバンとガラムを
家の中は玄関を抜けるとすぐに台所と食堂で、四人掛けの机が
二人が木の椅子に腰かけるのを見届け、「少々お待ちください」と言い、調理用である
二人はサフランの
「なかなか気はしの
ウルバンが感心したように
サフランが笊に
「水では味気ないので、こちらを食べてください。朝から井戸で冷やしておいたので、良い
ガラムは甘瓜を食べた事があるが、ウルバンは初めてだと思われた。目の前に置かれた甘瓜を
「うむ、
と指や口元が甘瓜の汁で濡れるのも構わずかぶりつき始めた。
「かたじけない。我々に出して大丈夫なのかな」
ウルバンは口に瓜の
「気にしないで、あたし達の分は残してあるから」
ガラムがウルバンを見ると、彼は二切れ目に手を伸ばしている。少し
「ここに住まって、長いのかな」
ウルバンが最後の一切れに手を伸ばしながら、またサフランに訊ねた。
「
サフランが短くそう答えた。
「お前の名は何と言う」
「サフランです」
「サフランか。良い名じゃ、なあガラム」
そうウルバンから振られたガラムは、顔を赤くして甘瓜の
「ここに来るまで、
「……オクタです」
ガラムは亥之国の都市であるオクタの名を告げた彼女の表情が僅かに沈んだように感じられた。
「ほう、近くだの。そこで何をしていたのだ」
三つ目の甘瓜に口を付け、ウルバンはそう訊ねた。
「……人に言えないようなことを」
「何、人に言えないこととな」
ウルバンの視線が鋭さを増した。ガラムは法令に違反するようなことかと思っていた。
「罪になるようなことじゃないです。……ただ、こうして面と向かっては言えない仕事……、
サフランの表情がさらに沈み、同時に
「共に住んでいる男とは、どこで知り合い、そしてどのような関係だ」
何事もないような涼しい表情のまま、ウルバンがさらに訊ねた。
「あたしを宿から買い戻して、売春街から
そうサフランが答えた所で、ガラムも彼女がどのようなことをしていたのかが分かった。なぜ彼女はこのようなことを、自分等に平気で告げられるのだろう。
「そうか、
ウルバンは最後の一切れを食べ終わり、甘瓜の皮を
「……何も。叔父さんはもう、何もしません。あたしと一緒に暮らしているだけです」
ウルバンもガラムも、今の状態になるまでは、男女の関係を持っていたのだと感じた。
「あの者は何者だ。武術に
「……良い人。あたしにとても優しい人、あたしに何も求めてこないし、叔父さんは自分の事を話さないから、どこで何をしてきたのかは知りません。……あの、叔父さんはそんなに強い人なんですか」
サフランは自分なりに感じたモローの人と成りを語り、最後にそう尋ねてきた。人を
「正直に言おう。あれほどの
ウルバンは一昨日の夜に見た、モローの手練を思い浮かべたようだった。だが、それを聞いたサフランはまだ信じがたいというような表情を浮べている。モローという男は、この娘に対して
「今の生活は、不自由ではないのか。ここは街から離れておる、何もない所だ」
やや表情を緩めたウルバンは
「いいえ、あたしにとって、ここは天国です。できれば一生ここで暮らしていたい……」
「叔父さんと一緒にか」
とウルバンが言うと、サフランは小さく頷いた。
「だが、お前は叔父さんとやらの妻ではないだろう」
「ええ」
そう頷いたサフランにウルバンはさらに問いかけた。
「今は愛人でもない」
王子は微妙な部分を突いてくるなとガラムは思っていた。
「叔父さんは、あたしを本当の親戚として接してくれてます。叔父さんがそれで良いなら、あたしもそれで良い」
「だが、お前の叔父さんは、花街で女を買っておるぞ。これはどう思う」
ウルバンはそう訊ね、そしてちらりとガラムに視線を走らせた。ガラムはその視線には気付かず、じっとサフランがどう反応するかを見つめていた。
悲しみと同時に、ギラリとした怒りの表情がサフランに浮かび、それは
「仕方ない。……叔父さんも男だから」
それまでとは違って、サフランの言葉には
「つまりだ、今はお前を本当に親戚の子として接しているということだ。そうであれば、いずれお前を誰かに嫁がせたいとも考えているやもしれぬな」
その言葉でサフランの瞳が
「まあ、その叔父さんとやらに好きな女でもおるのかもしれぬがな」
また
ウルバンは複雑な表情を浮かべたガラムを見てニヤニヤしていたが、スッと
「
そう言ってサフランの返答を待たずに立ち上がると、ガラムに「帰るぞ」と告げ、さっさと彼より先に玄関から出て行ってしまった。
「では、失礼いたす」
とガラムも立ち上がり、玄関に向かいかけたが、思い留まりサフランに振り返った。
「あの方は、この国の王に近い
と大きな身体を縮めるように頭を下げた。
「いいえ、そんなこと……」
サフランがガラムを見上げてそう答えた。
「もし、困ったことがあれば、王宮にある騎士詰め所に私の
そう赤くなりながらガラムがサフランに告げた。
家の外では「ガラム、早く
「今日、王宮の
教練所から帰ってきたモローを迎え入れた時、サフランはウルバンとガラムの
「なぜ」
モローはサフランに教練所からの帰り、市場で買い求めた羊の肉などを竹の皮で包んだものを手渡しながらそう言った。
「分からない、昼前に突然来たの」
「ふうむ、王宮の偉い人とは誰だった」
「王様に近い人と護衛のガラムさんという騎士の人」
そう答えるサフランも、ウルバンが何者であるのかは判らないようだ。ただ、ウルバンとガラムが去った後、サフランは畑作業や家事が手に付かなかったのは事実だった。
自分の経歴を
「何の用か言わなかったのか」
「うん、……でもあたし、昔の話をした。それと叔父さんが強い人だという事も聞いた。あたし、昔の話をしちゃ、駄目だったかな」
そう言ってサフランはモローを見上げた。
モローは瞳に柔らかない色を湛えながら彼女を見つめ返してきた。
「構わん。お前が良いというのなら、それで良い」
「隠しても仕方ないと思うのよね、いつかばれるし。……それより、ねえ、他所で女を買った」
サフランは
(なんで叔父さんは、初めて会った時みたいにあたしを抱こうとしないのだろう)
どうしてもそう思ってしまう。街で女を買うほどならば、自分を抱けば良いというのがサフランの正直な気持ちである。彼女は
「すまない。俺がそうするのは嫌か」
「嫌、絶対に嫌……」
サフランは
「では、これからはそんなことはしないようにしよう」
モローは笑みを浮かべながらそう答えた。
サフランはその答えを、安心しつつ
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