第3話 王都、タカにて
二人がオスダの王都から少し離れた家に落ち着いてひと
オスダ王国は二つの都市で成り立っている。一つは王都であるタカ、もう一つは都市とは名ばかりのカズヤである。亥之国や呂之国とは違い、人口もそれほど多くなく領土も小さい。現国王の
領土から産出される農作物もごく少なく、鉱物も産出しない。ただ、兵士に関しては、アマツの中でも最も優秀であり、従ってオスダ軍は少数だが
国がそうであるので、非常に武術が
サフランとタカに移り住んだモローは、その教練所で初期武術を教える
オスダ王国の王都であるタカは、王宮を中心とした開けた都市である。街では
王宮へと続く大道の一区画外れた所に、教練所はあった。
まあ、そうなるわなと思いながら、「剣を
久しぶりに剣での型を使ったが、モローは
「あなたはハンの人か」
ジソマは型を見ただけで、モローの出身地を当てた。確かに今見せた型は、ハンで考案されたものだが、それが
「いえ、ハンで修業をしたことがあるだけです」
ハンの出身をモローは隠した。ハンの人間が、自分はハン出身だとは絶対に言わない。出身は押して隠すものだと言いきかせられている。
「そうですか、……良いでしょう。来てもらいましょう」
ジソマはそれ以上何も聞かずに、あっけなく助教の職を許した。
「よろしいので」
とモローは少し
「大いに助かります。何やら最近、北が騒がしい。その
ジソマはそう言いながら、机の引き出しから一枚の書類を取り出し、筆で何やら書き込み始めた。
「ありがとうございます」
とモローが軽く頭を下げた。
「ただ、助教だといっても、今空いているのがですな、六歳の部で、本格的に武術を教える部ではないのだが、それでよろしいか」
子供は苦手だが、まあ仕方ない、モローが頷いた。
「よかった、人手が足らぬので、これまで
とまるで肩の荷が降りたとでも言いたげだった。確かに六歳児に本格的な剣を教える事はできないだろうし、してはいけないとされている。それはあながち間違ってはいないが、モローは四歳からハンで訓練を受けており、子供の素養によっては早めても良いのではないかと思ってはいる。
「では、明日からお世話になります」
そうモローは頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく頼みます。……ああ、六歳の部は午前と午後の二回あるので、そのつもりで」
後はこの隣に
それから教練所で連絡事項や
―タカでの暮らし―
釜に薪をもう一本放り込みながら、夕飯は何にしようかとサフランは
売春宿に居た頃とは、サフランの生活は全く違ったものとなっていた。朝は早いし、夜は
少し狭いが庭があり、その脇の馬小屋兼納屋には、モローの馬と馬車が治まっている。その馬小屋と井戸を挟んで
馬小屋にいる馬が、嬉しそうに
「お帰りなさい」
つい嬉しくなり、大きな声でそう言うと、
サフランは急いで彼に駆け寄ると、手の汚れを服で拭き、長菜と燻製肉を彼から受け取った。
「早かったね」
とモローに言うと、彼はポンとサフランの頭に手を乗せて、戸の方へ進んでいく。彼女は嬉しそうにいそいそと彼の後を追って家に入った。
「湯沸いてる、いつでも入れるよ」
手渡された食材を台所に運び、そう伝えた。
「ん、今夜は何かな」
とサフランに向かって、夕飯は何を食べさせてくれるのかを聞いてきた。
「オオツさんからとうきびと山羊の乳もらったから、それとこの肉を使って
「うまそうだ、……湯を浴びてくる」
ただ、それだけだが、サフランには最高の
そういった中でも、モローはサフランを一度も抱こうとはしなかった。毎日毎晩、男たちの愛撫と行為に応えてきた彼女は、男はそうするものだ、毎晩抱きにくるものだと思っていたので、
そういった夜が通常となり、時折、ひどく肌が恋しくなる時もあるが、モローを普通に「叔父さん」と呼べるようになった頃には、二人の関係が定まったようである。つまり、近い親戚の叔父さんと姪の関係にである。
だが、平穏で単調な日々が続く中、じわじわとサフランを苛むある想いが募りつつあり、それは愛とも言うべきもので、彼女が産まれて初めて
―教練所―
十人ほどの子供たちを引き連れ、モローは街中を走っている。
子供達の
その光景を見た街の人間は、無表情な男が小さな子供達を引き連れている図が
最初はこういった
子供達は
道場では子供達に剣の初歩である
ある日、そういった子供たちの評価が、他の指導者にも
その日の午後、モローは午前の教練を終え、道場の隣にある薄暗い助教控室でサフランが持たせてくれた弁当を、同じ助教に交じって食べていた。
控室にはモロー以外に、三人の助教がいた。二人は午前上がりのため退出してしまい、もう一人はモローが教える子供たちより年長で、今度の秋を迎えると教練所を卒業し、他の道場に移っていく子供達を教えている女性騎士のアマリという助教である。不思議とアマリとは顔を会せるのだ。
彼女はモローが控所に入ってくると、彼の隣に席を移しててきた。
アマリという騎士は、二十代前半で鋭い
加えて彼女は貴族の
「
食事の手を止め、彼女はモローの弁当に目を落としながら
「いや。娘に作ってもらっている」
モローはサフランを自分の娘ということにして、教練所に報告していた。
「娘さんがいるのですね」
と、アマリは少し驚いたように答えた。それを聞いてモローは小さく頷き、燻製肉を
「お幾つ……」
「十七かな」
本当は十九なのだが、男女とも結婚できる歳は十六歳以上となっており、十九歳だとサフランはモローが十五歳の頃に作った子供になってしまうので少し
「奥様は」
「亡くした」
「……では、ずっと一人で娘さんを育ててまいられたのか」
「そうなりますな」
「それは
と、
「いや、……まあ」
どこまでを嘘で
「ああ、そうでありましょう。ここに至るまで、娘さんを
アマリはよく見ると中々に容姿が上品であり、長く薄い茶色の髪が美しい女騎士である。
「いや、まあ。……そんなには思わなかったですな……」
「
と彼女は腕を組み、大きく頷いて見せてくる。
「……ああ、それはどうも。……うん、そろそろ道場に子供が集まっているかもしれませんので、お先に」
モローは急に
控え所を逃げるように出てきたモローが道場を
この日の午後は、モローが教える授業しかなく、広い道場を独り占めできるのが嬉しいのか、中々子供達は彼の
「準備」
そうモローが言うと、子供達は道場の隅に駆けていき、持ってきた荷物を置いて、再び駆けて戻ってきた。
「
横に一列で並べと言う意味である。子供達はどやどやと横一列に並び始めた。だが、すぐには並ぶことができず、子供達は少し前に出て並べよ、お前こそ少し下れと互いに
柔軟を終え、道場の端から端までを十往復させて、そこでモローは「剣用意」と子供達に木製の模造剣を用務室に取りに行かせた。やはり武術を習いに来ているためか、たとえ木製の剣でも持てるのが嬉しいらしく、子供達は我先に道場隣の用務室から刃先の短い木製剣を携えて戻ってきた。何人かはもう、剣を当て合って
「横位置並列」
再び先ほどと同じ、わちゃわちゃとした光景が続く。
「
モローは上段から振り下ろす動作を五十回させた。彼は生徒達に上段構えしかさせない。それと、剣を上段に構えながらの前進、後進だけだ。ただ
「上段踏み込み、五十振り」
とモローが告げた。これは上段に構えた剣を、一歩前に踏み込みながら振り下ろす動作で、その際腰を
そんな時である、ドスドスと足音を立てて道場に上がり込んできた者がいた。四人の男で、見るからにこの間まで
そういえば確か、教練所の門には門番が居る
「私の後ろに」
モローは四人から目を離さず、子供達に命じた。子供達は一斉に彼の背後で固まり、四人の
四人の内、もっとも剣が使えるのは左から二番目の大男だ。後は
四人とも剣を携えて道場に上がり込んできた。剣が使えそうな男は腰に得物を
「何用です。ここは王直属の教練所です」
モローは静かな口調でそう言った。
「おう、聞いている。だがな、教え方があまりにも
大男がそうニヤニヤと笑みを浮かべながら答えた。
教練所の道場は通り沿いに位置し、道に面した所には大きな窓が
「それは、ありがとうごさいます。だが、
「へっ、無用だとよ」
三人の一人がへらへら笑いながら、モローの
「無用です」
ともう一度モローは同じことを
「そう言うなって。俺たちゃ、親切心で言ってるんだ。あんな舐めた訓練じゃ、ものの役には立たねえって思ってな」
と大男が言った。
「役に立つか立たぬかは、子供達がもっと成長してからです。今は、基礎が大切ですので」
「基礎で人が殺せるかよ」
三人の一人がそう叫んだ。
「手柄も立てれねぇぜ、そんな
もう一人が嘲り笑った。
「それにな、あんたみたいな
「今は、強い弱いの段階ではありません。強くなるための基礎を身に着ける時です」
モローは
「ああ、めんどくせえ、なら、強い剣士とはどういう事なのか見せてやれよ、あんたがな」
と背中に剣を
「できない、私は強くないからだ」
そう答えながらも、モローの奥底からどす黒い殺意が湧き上がっている。奴らを殺るのは容易い。むしろ傷つける程度に痛めつける方が、モローには難しいことだ。彼は、対峙した相手を必ず
「おう、聞いたかよ」
大男が大笑いをし、
「おめえら、よっく聞きな。おめえ達を教えている先生はよ、弱いんだってよ」
と、大男はモローの背後に隠れるように固まる子供達に言い、そして再び、ゲラゲラと笑った。
「では、私がお相手しよう」
大男に負けず
つかつかとアマリは大股でモローに近づくと、彼の後ろで身を
「誰から
そう言い、彼女が木剣を構えた。男たちはアマリが女性であることに甚く興味を曳いたようだ。
「弱い奴に
そう
次々に男たちの悲鳴が上がり、
アマリの動きは素早く、三人目の男を道場の
男が
危ないなとモローは思った。アマリは木剣で、男たちは
大男はそれを
アマリの方はまだ息が
モローが右手を大男の方に伸ばしていた。それだけだと周りには思えた。
だがお男の方は違った、剣が動かないのだ、何かに抑えられたようにピクリともしない。さらに、足も道場の床に張り付いたのか動かない。伸びるように動くアマリの剣が男の腕を叩き、男は大剣を取り落としていた。アマリは次の攻撃に備えてするすると後退し、剣の構えを固くした。息は相変わらず
アマリに打たれた腕をさすりながら、大男は他の三人を見回した。なんとか立ち上がった最初の二人が、
「……帰るぞ」
大男は急いで取り落とした剣を拾うと、逃げるように道場を出て行き、その後を追うように、気を失っている男を二人で両側から抱き起こした三人が逃げていった。
三人が消えても、暫くアマリは
何事もなかったようにモローは
「さて、良いものが見れましたね。あれが
そうモローは自分が剣を取って闘わなかった事に触れず、まだ
「……はい」
「……はい」
「それには基礎をしっかりと身に着けることです。基礎が出来てなければ、いつまでたってもアマリ先生のようにはなれません」
そうモローは続けた。
「……先生はどうして闘わなかったんですか」
生徒たちの中から、そんな問い掛けが聞こえた。
「弱いからです。弱い事を弱いと自ら認めなければ、あの男たちのようになってしまいます。あのようになりたいですか」
モローは迷わずそう答えた。子供達は
―余波―
先ほどの騒動を窓の外から眺めていた若い男は、教練所の助教が子供達を前に「弱いからです。弱い事を弱いと自ら認めなければ……」という言葉を聞き、苦笑いを浮かべて教練所の窓の外から離れた。日は高く、道には人が多く歩いている。
若い男は、付き従ってきた目付きの鋭い男を歩きながら振り返った。
「どう思った」
声も若く、そして少し甲高い。
「どうとは、何でございます」
目つきの鋭い男がそう答えた。
「あの助教よ、お前はどう見た」
「
そうゆっくりと言葉を慎重に選びながら男が答えた。
「あれと、どうじゃ」
「あれとは、……アマリ殿とですか」
若い男が頷いた。
「戦わせなければ分かりませぬ。おそらくアマリ殿の方が強いかと」
と、
「ふん、ガラムはそう思うか」
「……違うのですか」
と、ガラムと呼ばれた男が返した。
「あの凄みを見たであろう。
若い男はちらりと教練場を振り返りながらそう言った。
「ですから、肝が据わって……、なんだ」
そう答えている最中に、
「あの四人は教練所を離れました。どうやら、対応した助教を叩きのめすと息巻いておりますそうで……」
身を縮めるようにして、小男はガラムに伝えた。
「アマリ殿を再び襲うと……」
ガラムはそう問い返した。
「いいえ、手を出さなかった助教にです。無様な姿を見せてしまったことで、あやつらの
それを聞いて、ガラムは若い男を振り返る。
「お聞きになりましたか、だそうです」
「うふ、面白くなってきたではないか、男たちから目を離すな」
と若い男は薄く笑いながら、直接小男にそう命じた。
「はっ」
と、小男は声にならぬ返答を返した。だがすぐにはその場を立ち去ろうとはしなかった。
「おそれながら、……男の方の助教、何やら術を使ったと思われます。そうでなければ、最後の男があれほど
そう伝え、たちまち人の中に
「さてと、
若い男は目を輝かせながら、顔をしかめさせているガラムに言った。モローの術にまでは思い及ばなかったことを、ガラムは恥じているようだった。
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