第3話 王都、タカにて

 二人がオスダの王都から少し離れた家に落ち着いてひとつきほどがたった。

 オスダ王国は二つの都市で成り立っている。一つは王都であるタカ、もう一つは都市とは名ばかりのカズヤである。亥之国や呂之国とは違い、人口もそれほど多くなく領土も小さい。現国王の源流げんりゅうはナカツノ国であり、亡くなったクド王とは従妹にあたるという。

 領土から産出される農作物もごく少なく、鉱物も産出しない。ただ、兵士に関しては、アマツの中でも最も優秀であり、従ってオスダ軍は少数だが精鋭せいえいだとされている。

 国がそうであるので、非常に武術がさかんで、王都のタカには十を数える各種武術道場があり、繁盛はんじょうしていると言われている。それとは若干じゃっかん性格が違うが、武術修行をする前段階のことを教える王立の道場がタカにもあった。そこでは、オスダの騎士や兵士の子供が武術をおさめる際に必要な心構えや、将来しょうらい騎士などになるための礼儀作法れいぎさほうを教わる道場で、本格的な道場とは少し毛色けいろの変わった道場である。街の人は、そこを道場とは呼ばず「教練所きょうれんじょう」と呼んでいるようだ。

 サフランとタカに移り住んだモローは、その教練所で初期武術を教える助教じょきょうを募集していることを王都の案内処あんないしょで運よく見つけた。たくわえは充分にあったが、サフランが一日中自分と顔を突き合わせているのは、何かとつらいだろうから自分が外に出ようとモローは思ったのだ。

 オスダ王国の王都であるタカは、王宮を中心とした開けた都市である。街では毎日朝市あさいち夕市ゆういちが立ち、近隣や場合によっては隣国から、商売人や買い物客がやってきて、街は始終賑やかである。

 王宮へと続く大道の一区画外れた所に、教練所はあった。

 紹介状しょうかいじょうを持ち、石造りの堂々とした風格ふうかくを持つ教練所を訪ねると、すぐにジソマという師範しはんに会う事ができた。以前は王宮で騎士を務めていたという師範は、かなりの年配の男で、訪ねて来たばかりのモローに、ここで剣を使ったかたを一つ見せてくれと言ってきた。師範の部屋はかなり広いので、型ぐらいはできそうだった。

 まあ、そうなるわなと思いながら、「剣をたずさえていない」と答えると、ジソマは自分の剣をモローに差し出した。中々重い剣だったが、モローの刀より刃が厚く短い。実践的な剣で、昔はこの剣も血を随分ずいぶんと吸ったのであろうと感じさせるような風合ふうあいが漂っていた。

 久しぶりに剣での型を使ったが、モローは得物えものを刀に代えてから剣は持たななかったので、少し勝手かってが違った。

「あなたはハンの人か」

 ジソマは型を見ただけで、モローの出身地を当てた。確かに今見せた型は、ハンで考案されたものだが、それが何処どこの型だと見抜ける者は少ない。

「いえ、ハンで修業をしたことがあるだけです」

 ハンの出身をモローは隠した。ハンの人間が、自分はハン出身だとは絶対に言わない。出身は押して隠すものだと言いきかせられている。

「そうですか、……良いでしょう。来てもらいましょう」

 ジソマはそれ以上何も聞かずに、あっけなく助教の職を許した。

「よろしいので」

 とモローは少しうたがわし気にたずねた。

「大いに助かります。何やら最近、北が騒がしい。そのあおりからか、国境と西の山脈の間にある無法地帯にひそ夜盗やとうの集団がいくつか、国に潜り込んできたようだ。色々と問題が起きている」

 ジソマはそう言いながら、机の引き出しから一枚の書類を取り出し、筆で何やら書き込み始めた。

「ありがとうございます」

 とモローが軽く頭を下げた。

「ただ、助教だといっても、今空いているのがですな、六歳の部で、本格的に武術を教える部ではないのだが、それでよろしいか」

 子供は苦手だが、まあ仕方ない、モローが頷いた。

「よかった、人手が足らぬので、これまでしばらくは自分がつとめていたのだ。明日から良いかな」

 とまるで肩の荷が降りたとでも言いたげだった。確かに六歳児に本格的な剣を教える事はできないだろうし、してはいけないとされている。それはあながち間違ってはいないが、モローは四歳からハンで訓練を受けており、子供の素養によっては早めても良いのではないかと思ってはいる。

「では、明日からお世話になります」

 そうモローは頭を下げた。

「こちらこそ、よろしく頼みます。……ああ、六歳の部は午前と午後の二回あるので、そのつもりで」

 後はこの隣に事務処じむしょがあるので、そこで詳しい事は聞いてくれと、まるで他所事よそごとのようにジソマが告げてきた。

 それから教練所で連絡事項や報酬ほうしゅうといった様々な事柄ことがらを話してきたため、そこをしたころは日暮れが迫っていた。街では夕市が立っていて、人々が夕飯の食材などを求めて賑わっていた。その市に足を踏み入れたモローは、野菜と近隣で取れた鹿の燻製肉を買い求め、城門を出た。


 ―タカでの暮らし―

 風呂釜ふろがままきをくべて、サフランは火の加減かげんを見つめていた。空は茜色あかねいろに染まっていて、そろそろモローが帰ってくる時分じぶんだろうと、食事よりも先に湯の用意をしていたのだ。

 釜に薪をもう一本放り込みながら、夕飯は何にしようかとサフランは思案しあんしている。近所にある農家の女房で、畑作業の手ほどきをしてくれているオオツさんから、唐きびと大豆、そして山羊やぎちちを分けてもらったので、それを使って何か作ろうかなどと考えていた。

 売春宿に居た頃とは、サフランの生活は全く違ったものとなっていた。朝は早いし、夜はよいが深まる前には眠っている。ここに移り来て、一カ月が経った。最初の頃は馴れない作業に身体中が悲鳴を上げていたが、今では何とも思わなくなっていた。むしろ、昼の明るい内は寝ていて、夜になって男の相手をしていた頃よりも、心も身体も軽い。

 少し狭いが庭があり、その脇の馬小屋兼納屋には、モローの馬と馬車が治まっている。その馬小屋と井戸を挟んで母屋おもやがある。母屋は平屋ひらやで、台所と居間のような空間があって、その他に寝室が二つ。サフランはその一部屋を自分の部屋として当てがわれている。

 馬小屋にいる馬が、嬉しそうにいなないたので、サフランははっと振り返り、家の前を通る小道に沿って生える生垣いけがきを見つめた。生垣の向こうにモローの上半身が見える。彼女は生垣が切れて門のようになっている家の入り口まで走り出したが、その前にモローが庭の中に入ってきた。

「お帰りなさい」

 つい嬉しくなり、大きな声でそう言うと、鎖帷子くさりかがびらを身に着けた騎士の恰好をしたモローが小さく頷いた。その手には長菜ながな燻製肉くんせいにくがぶら下がっている。

 サフランは急いで彼に駆け寄ると、手の汚れを服で拭き、長菜と燻製肉を彼から受け取った。

「早かったね」

 とモローに言うと、彼はポンとサフランの頭に手を乗せて、戸の方へ進んでいく。彼女は嬉しそうにいそいそと彼の後を追って家に入った。

「湯沸いてる、いつでも入れるよ」

 手渡された食材を台所に運び、そう伝えた。

「ん、今夜は何かな」

 とサフランに向かって、夕飯は何を食べさせてくれるのかを聞いてきた。

「オオツさんからとうきびと山羊の乳もらったから、それとこの肉を使って乳汁ちちじるにしようかな」

「うまそうだ、……湯を浴びてくる」

 ただ、それだけだが、サフランには最高のめ言葉に聞こえる。モローの長身が湯殿に消えるのを見送り、彼女は自分がこのような暮らしができるのを奇跡だと改めて思った。モローがなぜ自分を身請みうけしたのかいまだに分からないが、二人での静かな生活は例えようのない喜びと安心を感じる。

 そういった中でも、モローはサフランを一度も抱こうとはしなかった。毎日毎晩、男たちの愛撫と行為に応えてきた彼女は、男はそうするものだ、毎晩抱きにくるものだと思っていたので、拍子抜ひょうしぬけた気分にもなっていた。それで、何度か自分からモローが寝室に使っているもう一つの部屋に忍んだ事があるのだが、「俺に気をつかうことはない」と相手にしてくれなかった。

 そういった夜が通常となり、時折、ひどく肌が恋しくなる時もあるが、モローを普通に「叔父さん」と呼べるようになった頃には、二人の関係が定まったようである。つまり、近い親戚の叔父さんと姪の関係にである。

 だが、平穏で単調な日々が続く中、じわじわとサフランを苛むある想いが募りつつあり、それは愛とも言うべきもので、彼女が産まれて初めていだいた感情であった。


 ―教練所―

 十人ほどの子供たちを引き連れ、モローは街中を走っている。

 子供達のげる掛け声は甲高かんだかく、元気なもので、街行く人の目をどうしても引いてしまうが、モローはかまわず子供たちの先頭に立ってゆるい駆け足を続けていた。

 その光景を見た街の人間は、無表情な男が小さな子供達を引き連れている図が面白おもしろいらしく、皆一様に仕事の手をめたり、歩みを止めて薄く笑いながら眺めてきたりし、場合によっては店の中から飛び出して眺めてくる者もいる。

 最初はこういった育児園いくじえんのような助教の仕事に困惑こんわくしていたモローだが、どす黒い仕事を多くしてきた彼が、明るい日の下で子供たちに武術を指南しなんするとは思ってもみない事で、意外に新鮮な経験だった。彼の担当する子供達は皆、国の騎士や兵士の子供達であるが、そのうち何人かは王族の子供も混ざっている。

 子供達はにぎやかで、一向いっこうにモローの言うことを聞かないが、そうじて子供というのはそんなものだと、あまりにひどく脱線しなければ、強い叱責しっせきなどはしなかった。

 道場では子供達に剣の初歩である素振すぶりりとさばきしか教えないし、年上の子供達が行っているような乱取らんどりや激しい打ち込みも教えない。そのためか、教えている子供たちはモローを少しめている。彼らからすると、モローは弱い先生だと思っているようだし、上級生であの本格的に武術の型を教わる様になった子供たちは、モローを尊敬すべき指導者とは見ていない。

 ある日、そういった子供たちの評価が、他の指導者にも定着ていちゃくするような出来事が起こった。

 その日の午後、モローは午前の教練を終え、道場の隣にある薄暗い助教控室でサフランが持たせてくれた弁当を、同じ助教に交じって食べていた。

 控室にはモロー以外に、三人の助教がいた。二人は午前上がりのため退出してしまい、もう一人はモローが教える子供たちより年長で、今度の秋を迎えると教練所を卒業し、他の道場に移っていく子供達を教えている女性騎士のアマリという助教である。不思議とアマリとは顔を会せるのだ。

 彼女はモローが控所に入ってくると、彼の隣に席を移しててきた。

 アマリという騎士は、二十代前半で鋭い眼光がんこうの騎士で、十六の頃から王宮騎士をつとめていたという。物言ものいいがはっきりとしており、如何いかにも騎士らしい身のこなしをする。したがって、自ら剣を持って教える事をしないモローを、他の同僚と同じく、親しみを見せる一方で少しかろんじているようである。

 加えて彼女は貴族の子女しじょであるらしく、モローと並ぶようにして食べている弁当の中身も容器も贅沢ぜいたくなものであった。それから見れば、モローのサフランが作った弁当は粗末そまつなものだった。しかし、それがアマリの注意をいたらしい。

前々まえまいから聞きたかったのですが、それは、ご自分で作ったのですか」

 食事の手を止め、彼女はモローの弁当に目を落としながらたずねた。アマリと多く言葉をわすのはこれが初めてである。

「いや。娘に作ってもらっている」

 モローはサフランを自分の娘ということにして、教練所に報告していた。

「娘さんがいるのですね」

 と、アマリは少し驚いたように答えた。それを聞いてモローは小さく頷き、燻製肉をはさんだもちを掴んだ。

「お幾つ……」

「十七かな」

 本当は十九なのだが、男女とも結婚できる歳は十六歳以上となっており、十九歳だとサフランはモローが十五歳の頃に作った子供になってしまうので少しさばを読んでいる。

「奥様は」

「亡くした」

「……では、ずっと一人で娘さんを育ててまいられたのか」

 が単純なのかもしれないが、急にアマリの雰囲気が変わった。

「そうなりますな」

「それは難儀なんぎでしたね。お二人で各地をまわられたのか」

 と、何故なぜかモローの事を詮索せんさくしてくる。

「いや、……まあ」

 どこまでを嘘でり固めるべきかモローが悩んでいると、アマリは大きく頷いた。

「ああ、そうでありましょう。ここに至るまで、娘さんをかかえてご苦労なさったのでしょうな」

 アマリはよく見ると中々に容姿が上品であり、長く薄い茶色の髪が美しい女騎士である。

「いや、まあ。……そんなには思わなかったですな……」

御謙遜ごけんそんを、世間せけんの事をあまり判らぬ私でさえ、大変だと分かりますよ」

 と彼女は腕を組み、大きく頷いて見せてくる。万事ばんじ理解していることをそれとなく伝えてくる年配者のようだった。

「……ああ、それはどうも。……うん、そろそろ道場に子供が集まっているかもしれませんので、お先に」

 モローは急に間合まあいをめてきたアマリに戸惑とまどい、サフランが持たせてくれた弁当もそこそこに彼女を残して控所を退出した。

 控え所を逃げるように出てきたモローが道場をのぞいてみると、十二人ほどの生徒がやってきており、てんでんばらばらに駆けまわったり、おしゃべりをしたりしている。どうやら全員集まっているようだし、天窓てんまどから差しこむ明かりの具合ぐあいを見て、モローはまだ始めるには少し早いが、「集合」と号令ごうれいをかけた。

 この日の午後は、モローが教える授業しかなく、広い道場を独り占めできるのが嬉しいのか、中々子供達は彼のもとに集まってこなかった。もう一度、モローは少し語気を強め「集合」と言った。その声で子供達は不承不承ふしょうぶしょうといった態度でモローの許に集まってきた。

「準備」

 そうモローが言うと、子供達は道場の隅に駆けていき、持ってきた荷物を置いて、再び駆けて戻ってきた。

横位置並列よこいちへいれつ

 横に一列で並べと言う意味である。子供達はどやどやと横一列に並び始めた。だが、すぐには並ぶことができず、子供達は少し前に出て並べよ、お前こそ少し下れと互いに手振てぶ身振みぶりで主張し合っている。モローは黙って、子供達が整列するまで待ち、やっとの事で整列をすると「柔軟」と号令して自分から膝の屈伸くっしんを始めた。子供達も甲高い掛け声を掛けながらモローをならって屈伸をしていく。

 柔軟を終え、道場の端から端までを十往復させて、そこでモローは「剣用意」と子供達に木製の模造剣を用務室に取りに行かせた。やはり武術を習いに来ているためか、たとえ木製の剣でも持てるのが嬉しいらしく、子供達は我先に道場隣の用務室から刃先の短い木製剣を携えて戻ってきた。何人かはもう、剣を当て合って剣戟けんげき真似事まねごとをし始める生徒もいる。

「横位置並列」

 再び先ほどと同じ、とした光景が続く。

上段構じょうだんがまえ、五十振り」

 モローは上段から振り下ろす動作を五十回させた。彼は生徒達に上段構えしかさせない。それと、剣を上段に構えながらの前進、後進だけだ。ただ只管ひたすすら、単調な上段からの素振りと足運びである。何人かの保護者から文句があったらしいが、モローは基礎を身に着けるため必要なことだと言い切った。

「上段踏み込み、五十振り」

 とモローが告げた。これは上段に構えた剣を、一歩前に踏み込みながら振り下ろす動作で、その際腰をえるように振り下ろせと命じているため、子供達の息がたちまち上がり始めている。

 そんな時である、ドスドスと足音を立てて道場に上がり込んできた者がいた。四人の男で、見るからにこの間まで夜盗やとうをやっていましたというような風体ふうていである。それでも、泥の中をいずるように生きてきた者特有のすごみもある。最近、道場破どうじょうやぶまがいなことをしてくる連中がいると聞いたが、こいつらがそうかとモローは思った。しかし、よりによって、国王直属の教練所に押しけるなど、無礼ぶれいにもほどがある。

 そういえば確か、教練所の門には門番が居るはずだが、どうして入ってきたのだろうとモローが思って、連中が入ってきた扉を見ると、真っ青な顔をした門番が顔をのぞかせている。どうやら、連中の迫力に押されたか、何処どこかを二、三発殴なぐられたのかもしれない。

「私の後ろに」

 モローは四人から目を離さず、子供達に命じた。子供達は一斉に彼の背後で固まり、四人の無頼者ぶらいものおびえた表情で見つめている。

 四人の内、もっとも剣が使えるのは左から二番目の大男だ。後は野蛮やばんさと凶暴さだけのようである。

 四人とも剣を携えて道場に上がり込んできた。剣が使えそうな男は腰に得物をたばさんでいるが、後の三人は剣を背中に背負せおっていた。そしてその三人が互いに違う角度から、モローたちをからかうように近づいてきては、粗野そやな顔で子供達を甚振いたぶるような動作をり返かえしてきた。

「何用です。ここは王直属の教練所です」

 モローは静かな口調でそう言った。

「おう、聞いている。だがな、教え方があまりにもぬるいんでな、見るに見兼みかねてだ、俺たちが本当の剣を教えてやろうと思ってさ」

 大男がそうニヤニヤと笑みを浮かべながら答えた。

 教練所の道場は通り沿いに位置し、道に面した所には大きな窓があつらえてある。それは、ここに通う子供達がきちんと訓練しているかを親兄弟が確認できるようにするための窓である。男たちはそこから中の様子を見ていたようだ。

「それは、ありがとうごさいます。だが、無用むようですので、お引き取りを」

「へっ、無用だとよ」

 三人の一人がへらへら笑いながら、モローの口真似くちまねをし、四人全員が笑った。モローたち背後の扉辺りで人の気配が二つある。

「無用です」

 ともう一度モローは同じことをげた。

「そう言うなって。俺たちゃ、親切心で言ってるんだ。あんな舐めた訓練じゃ、ものの役には立たねえって思ってな」

 と大男が言った。

「役に立つか立たぬかは、子供達がもっと成長してからです。今は、基礎が大切ですので」

「基礎で人が殺せるかよ」

 三人の一人がそう叫んだ。

「手柄も立てれねぇぜ、そんな弱腰よわごしじゃな」

 もう一人が嘲り笑った。

「それにな、あんたみたいなやつが、子供らを教えても、強くなるわけがないと思うがな」

 首領格しゅりょうかくの大男は、伸びた無精びしょうひげを指できながら言ってきた。

「今は、強い弱いの段階ではありません。強くなるための基礎を身に着ける時です」

 モローは辛抱しんぼう強くそう答えた。今は、自分の力量を見せる時ではない、自分は何処どこにでもいる剣士であるという教練所の評価をくずしたくはないのだ。現に男たちはモローが大した腕ではないと思っているようだ。

「ああ、めんどくせえ、なら、強い剣士とはどういう事なのか見せてやれよ、あんたがな」

 と背中に剣を背負しょっている一人の男がそうえた。子供達がモローの背中に隠れるように身をすくませている。その内何人かは泣き始めている子もいるようだ。

「できない、私は強くないからだ」

 そう答えながらも、モローの奥底からどす黒い殺意が湧き上がっている。奴らを殺るのは容易い。むしろ傷つける程度に痛めつける方が、モローには難しいことだ。彼は、対峙した相手を必ず仕留しとめる訓練しかしていない。

「おう、聞いたかよ」

 大男が大笑いをし、配下はいかの男たちに目を向けた。すると、他の男達も大きな声で笑い始めた。

「おめえら、よっく聞きな。おめえ達を教えている先生はよ、弱いんだってよ」

 と、大男はモローの背後に隠れるように固まる子供達に言い、そして再び、ゲラゲラと笑った。

「では、私がお相手しよう」

 大男に負けずおとらぬ大音声であった。ごうやしたアマリが、道場の入口に立っていた。彼女の顔は怒りでしゅに染まっている。

 つかつかとアマリは大股でモローに近づくと、彼の後ろで身をすくませている子供の一人から、木製剣を取り上げる。そして、モローの横を通り、男たちの前に立った。その際、彼女は小声でモローに「弱腰よわごし過ぎますぞ」とささやいた。ちらりと彼に向けた瞳には軽蔑ではなく、落胆らくたんと弱い者へ対しての慈愛じあいが含まれているようにモローは感じた。

「誰からまいられるか」

 そう言い、彼女が木剣を構えた。男たちはアマリが女性であることに甚く興味を曳いたようだ。

「弱い奴にわったのが、女だとよ」

 そうあざけるようにわめいたものの、アマリの構えだけで強いと分かったらしい、男三人はゆっくりと首領である大男の側に後ずさるように下っていった。男達が剣を抜いた。瞬転しゅんてん、アマリの身体がちぢむように見えたのと同時に、彼女は男達に殺到さっとうした。

 次々に男たちの悲鳴が上がり、またたく間に二人の男が、一人はき腕、一人が腹部をおさえてうずくまっていた。

 アマリの動きは素早く、三人目の男を道場の壁際かべぎわまで攻め押していく。最初の二人とは違い三人目の男も中々なかなか使う者らしく、アマリに向けて振るう剣は鋭かった。彼女はその剣から飛びすさり、くぐりながら、中に入るすきうかがっている。そして隙を見つけたのだろう、高い声を発しながら木剣が伸びるように見え、先端が男の喉元のどもとを激しく突いた。

 男が昏倒こんとうし、大きな音を立てた。残るは大男一人だが、三人の男を倒したアマリにも疲れが見え始めていた。

 危ないなとモローは思った。アマリは木剣で、男たちは本見ほんみの剣である、打ち合えば木剣は切り落とされてしまうので、彼女は打突だとつしか使えない。それに、彼女の動きは素早く華麗かれいな分、モローから見ると無駄な動きが多く感じられた。そのため彼女は息が上がっている。

 大男はそれを見越みこしていた。アマリが三人を倒して疲れてくるのを待っていたのだ。体格に見合った大剣たいけんを中段に構えた大男からは、激しい闘志とうしいていた。

 アマリの方はまだ息がととのわない。この状態で男が斬りかかれば彼女は無事で済まないと思われた。大男に余裕よゆうの笑みがれた。彼女を斬り倒すため大男が動こうとした時、彼はいぶかし気な表情で、剣を握る自分の手を凝視ぎょうしした。

 モローが右手を大男の方に伸ばしていた。それだけだと周りには思えた。

 だがお男の方は違った、剣が動かないのだ、何かに抑えられたようにピクリともしない。さらに、足も道場の床に張り付いたのか動かない。伸びるように動くアマリの剣が男の腕を叩き、男は大剣を取り落としていた。アマリは次の攻撃に備えてするすると後退し、剣の構えを固くした。息は相変わらずあががっている。

 アマリに打たれた腕をさすりながら、大男は他の三人を見回した。なんとか立ち上がった最初の二人が、のどを突かれて気を失っている男を助け起こしていた。そして大男自身は剣が振るえず身体も動かなかった事に戸惑とまどいと恐怖を感じていた。この女剣士は不思議な技を使う、そう考えたのだ。

「……帰るぞ」

 大男は急いで取り落とした剣を拾うと、逃げるように道場を出て行き、その後を追うように、気を失っている男を二人で両側から抱き起こした三人が逃げていった。

 三人が消えても、暫くアマリはかまえをくずさなかったが、やがて構えをき、全身を汗で濡らしながら、木剣を生徒に返し道場を出て行った。残されたのは、モローと子供達、いつしか道場の外で中を見ていた男二人、そしてこの騒動そうどう興味深きょうみぶかげに見つめていた所長のジソマであった。モローがジソマを見つめると、彼は小さく頷き、自室に戻っていった。

 何事もなかったようにモローは銘銘安堵めいめいあんどの表情を浮かべている子供達を見つめた。

「さて、良いものが見れましたね。あれが実戦じっせんの様子です。あなた達もいずれアマリ先生のような剣を使えるようにならなければなりません」

 そうモローは自分が剣を取って闘わなかった事に触れず、まだなか呆然ぼうぜんとしている子供達に言った。

「……はい」

「……はい」

 不揃ふぞろいに生徒が答えたが、次第しだいに本物の剣士の技がどのようなものかを見た事に、彼らは興奮し始めている。

「それには基礎をしっかりと身に着けることです。基礎が出来てなければ、いつまでたってもアマリ先生のようにはなれません」

 そうモローは続けた。

「……先生はどうして闘わなかったんですか」

 生徒たちの中から、そんな問い掛けが聞こえた。

「弱いからです。弱い事を弱いと自ら認めなければ、あの男たちのようになってしまいます。あのようになりたいですか」

 モローは迷わずそう答えた。子供達は納得なっとくしていないだろうが、常々そう思っているモローの持論を子供達に伝えた。


 ―余波―

 先ほどの騒動を窓の外から眺めていた若い男は、教練所の助教が子供達を前に「弱いからです。弱い事を弱いと自ら認めなければ……」という言葉を聞き、苦笑いを浮かべて教練所の窓の外から離れた。日は高く、道には人が多く歩いている。

 若い男は、付き従ってきた目付きの鋭い男を歩きながら振り返った。

「どう思った」

 声も若く、そして少し甲高い。

「どうとは、何でございます」

 目つきの鋭い男がそう答えた。

「あの助教よ、お前はどう見た」

きもわっております。しかとは判りませんが、それなりには使うと思われまするが」

 そうゆっくりと言葉を慎重に選びながら男が答えた。

「あれと、どうじゃ」

「あれとは、……アマリ殿とですか」

 若い男が頷いた。

「戦わせなければ分かりませぬ。おそらくアマリ殿の方が強いかと」

 と、護衛ごえいの任に就いてると思われる男が言った。

「ふん、ガラムはそう思うか」

「……違うのですか」

 と、ガラムと呼ばれた男が返した。

「あの凄みを見たであろう。相当場数ばかずを踏んでいると見た」

 若い男はちらりと教練場を振り返りながらそう言った。

「ですから、肝が据わって……、なんだ」

 そう答えている最中に、平凡へいぼんりをしている小男が二人に近づいてきたのでそちらに注意がそがれた。

「あの四人は教練所を離れました。どうやら、対応した助教を叩きのめすと息巻いておりますそうで……」

 身を縮めるようにして、小男はガラムに伝えた。

「アマリ殿を再び襲うと……」

 ガラムはそう問い返した。

「いいえ、手を出さなかった助教にです。無様な姿を見せてしまったことで、あやつらの体面たいめんそこなわれたと考えているようです」

 それを聞いて、ガラムは若い男を振り返る。

「お聞きになりましたか、だそうです」

「うふ、面白くなってきたではないか、男たちから目を離すな」

 と若い男は薄く笑いながら、直接小男にそう命じた。

「はっ」

 と、小男は声にならぬ返答を返した。だがすぐにはその場を立ち去ろうとはしなかった。

「おそれながら、……男の方の助教、何やら術を使ったと思われます。そうでなければ、最後の男があれほど容易たやすくアマリ様に打ち負かされはしなかったと思われます。ご注意を」

 そう伝え、たちまち人の中にまぎれ込んでいった。

「さてと、われらも見学をしようかの」

 若い男は目を輝かせながら、顔をしかめさせているガラムに言った。モローの術にまでは思い及ばなかったことを、ガラムは恥じているようだった。

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