第5話 「山の者」
十日前、ナウカワ公国の首都タカキが、
洞窟が発見された当初から、その出口がエグに通じていることをナウカウ公国は知っていたようだ。発見当時、ナウカワ公爵は
そのことでエグには魔物である「山の者」が生息していると言われていたのが、真実であることを証明する事となり、ナウカワ公国はエグと続く洞窟をそのままにしている事の危険性を認めていた。
だが、未統治であるエグへの領地拡大や資源の探索を優先させたがために、
「山の者」の生態は良く分かっていない。その存在は知られていたものの、洞窟発見前まではアマツに現れた個体が少なかったからである。
彼らは人の姿に似ており、非常に力が強く残虐で人を
また、
タカキに侵入した「山の者」は街の人々を
指揮系統を失った軍は、それでも首都であるタカキから「山の者」を押し出すことは成功したが、それらを
ナウカウ公国軍はタカキを再び侵入してこないよう「山の者」から守りを固めるしかなかったのである。
呂之国のシュリ女王がナウカワ公国での異変を耳にしたのは、「山の者」がタカキに侵入した翌日だった。
「山の者」に襲撃され、弟であるナウカワ公爵が殺害されたことを受け、シュリは
彼らは、タカキ周辺の街、集落を襲い、そして南下していった。その方向には亥之国とオスダ王国があった。
「山の者」の進行が呂之国ではなく、オスダ王国、亥之国がある南だという報告を受け、シュリはホッと胸を撫で下ろしていた。
だが、自分の弟であるナウカワを
呂之国の
報告を聞きながら、シュリは執務室から望む庭園の鮮やかな花の色に目をやっていた。彼女が花や庭に気を
「陛下」
一通りの状況説明を終え、シュリにコズミが声をかけると、彼女は視線をこちらに戻し、コズミを厳しい視線で見つめた。
「被害が大きいタカキですが、まだ
「というと……」
「公爵の側近の一人であるコウリという者がおるのですが、その者が公爵の跡を
「コウリという者はどんな人物だ。こちらから送った人物ではないな」
シュリの美しい
「切れ者とは聞いておりますが、この事態の発端とされております洞窟探査の命はコウリと公爵の二人で発令したもので、特にコウリは洞窟の先にあるエグの一部を自国領土に組み入れたいと公爵に申し上げたと聞いております」
「ふむ、ナウカワの者なら、山の向こうに何が居ると言うことは薄々知っておったのであろう」
「左様です。元々はナカツノ国の官僚として務めておりますので、時折、山を越えて現れる者のことを知らない筈がございません。にも関わらず、洞窟の向こうの探索を
「その者はこれを知った上での避難ということか」
シュリの目が、きらりと光った。
「そう考えざるを得ませぬ。エグのことは、まずコウリに情報が届きますので」
「つまりは、弟の死はその者の
「……そこまでは、ただ、
シュリは暫く黙っていたが、やがて口を開いた。
「国防大臣に伝えよ。コウリと申す者の監視を強め、もし謀略が
一気に命令を下せるのがシュリの特徴である。
そうかといって亡くなった公爵の跡を誰に引き継ぐかであるが、残念ながら良い案が、今のシュリには思い浮かばなかった。
(いっそのこと、自分がナウカワの王も務めようか)
とさえ思っていた。これがもっとも現実的である。ナウカワ公国が呂之国の完全なる
彼女はナウカウの事態とは少し違う点で大きな心配事がある。モローがオスダに滞在していることである。彼からは定時連絡として極秘の
彼の事であるので大丈夫だと理性では思っているが、万が一ということがある。わが国に避難せよと伝えたいが、その気にならなければモローは動かないということもシュリは承知していた。
彼と最後に会ってから、もう一年が過ぎようとしていた。モローが何故、オスダに長く留まっているのか心穏やかではない。
だが、このサフランがナカツノ国国王の娘モクレンだと言うことを彼女は知らない。国王夫婦を殺害したものの、モクレンをどうしたのかを、彼は報告しなかった。ただ、この十年以上、モクレンの
モローと会う度、冷酷な殺人者とは正反対な面も彼が併せ持っている事はシュリは分かってきた。その落差がシュリには魅力と感じる。そこから導き出される推測は、クド国王夫妻の娘をモローは殺さなかったのではないかであった。
それならそれで良いとシュリは思っている。
話に出たコウリという官僚が捕縛され死刑に
―西の草原から―
モローはその日も教練所で子供相手に武術の基礎を教えていた。
最近は暑い日が続いている。その日も地面を
ようやく午前の稽古が終わり、これから家や屋敷に戻って昼食を採る子供達の
モローが控え処に戻ってくるのを見ていたのであろう、アマリが彼の隣に腰を降ろした。
黄色に染められた騎士の
彼女は少し遠慮がちに、モローが弁当の包みを解くのを見つめていた。
「お聞きになりましたか」
そうアマリは訊ねた。モローは細い竹ひごで編んだ弁当箱の
「何をです」
「ナウカワを壊滅させた山の者の集団が国境に入り込もうとしたことをです」
「山の者ですか」
「山の者」は、オスダの国境と接するエナ平原に現れたというのだ。
「第一騎士団に大きな被害がでたそうです。そのため、亥之国側を警備している第二騎士団が
アマリはそう力んだように言い、唇を
「第二騎士団というと、アマリ殿が所属する騎士団ですな」
「そうなのですが、わたしは山の者討伐に選ばれなかった。女であるから、らしいです」
アマリは選ばれなかった事が
聞くところによると、彼女はオスダ王の弟に当たる、マシエ侯爵の娘だという話だ。
「それは残念でしたな」
と、モローがあまり気の乗らなそうな口調で答えたのだが、アマリはその事に気付かない程に、選に漏れたことにどうしても納得がいかないようだった。
「まったくです。さらにですよ、ここの助教達も選ばれるようです。先ほどウルバン王子が参られて所長と話し合っていると聞きます」
「ほう、王子自らですか。騎士がよほどにひっ迫してしまったのですかな。ならば、あなたを選ばぬ手はない」
珍しくモローは
「そうだと、良いのですが……」
少し嬉しそうにアマリが答えたのだが、そのお追従によって、この状況で何になると気づいてしまったようだ。
「何しろ、女ですから。わたしは……、はあ、なぜ、女に生まれたかな」
そう言うアマリは、中々モローにサフラン手製の弁当を使わせてくれない。
今日の弁当は高級鹿肉を少し厚めに塩焼きし、小麦を練って成形し窯で焼き上げたものに挟んだ主食と、先日訪ねて来たという騎士が、甘瓜のお返しだと持ってきたという
「自分でもわたしは、任官したての騎士よりは剣が使えると思っているのですが」
再びアマリはモローに同意を求めてきた。
そうですなとしかモローは答えようがない。
確かにアマリの剣捌きは中々の物であることは理解していたが、訓練と実戦は違うと言うことを彼は知り尽くしている。
「第二騎士団が第一騎士団と同じような目には遭わないという保証はありません。そうなった時に、アマリ殿の力が……」
そう言い終わる前に、所長の付き人が控え処に現れると、ジソマ所長がモローを呼んでいると告げにきた。
「……なんでしょう。所長の所と言うと、まだ王子がいらっしゃる筈ですが」
「まあ。大した用事ではないでしょう」
立ち上がったモローは、ちらりと手を着けていない弁当を残念そうに目を落としながらそう言った。アマリは好奇に満ちた瞳を彼に向けている。その視線を受けながらモローは付き人と共に控え処を出ていった。
所長室は道場を除いた教練所の部屋ではもっとも広くできている。相変わらずきちんと整頓され、窓から強い日差しが差し込む中、所長であるジソマは自分の
入室してきたモローに、ジソマは目を向けた。
「ウルバン殿下である。モロー、そこになおれ」
ジソマがそう言ったが、モローは王族に対する礼義と言われている片膝を着いてて額ずくことはせず、頭を下げただけであった。
「モロー、なおれと言ったはずだ」
とジソマがモローを
「ああ、よい。そのまま、そのまま。モローだな」
ウルバンはジソマにそう告げ、興味深げに長身のモローを見上げた。良く通る声でもあった。
「はっ」
「ウルバンだ。……俺を覚えているようだな」
とウルバンが尋ねた。
「はっ、いつぞや、道場の外でお会いしました。……あちらの方とご一緒だったはず」
所長室の扉脇に立っているガラムの巨躯をちらりと見て、モローはそう答えた。盗賊崩れの四人組が教練所に押し掛けてきた時を指していた。
「ほう、
ウルバンがそう言うのを、モローは黙って聞いていた。
「なら、話は早い。国の第一騎士団がやられたのは聞いておろう」
「つい先ほど耳にいたしました」
「今、第二騎士団を中心に編成をし直し、国境に向かわせた」
そう言い、ウルバンは表情を引き締めた。
「第一騎士団は国の主力。兵員も多い。それを失った形だ。再編成するには時間がかかる。向かわせた第二騎士団は戦力的にかなり劣っているというのが正直な話だ」
何を言いたいのだとモローは思っていた。オスダ王国の兵員が少ないなど、知ったことではないのだ。
「お前の力が借りたい。いや、貸せ」
「お待ちください。私の力など、騎士団に比べれば取るに足らないものです」
そうモローが答えた。
「いいや、俺は知ってるぞ。ここではわざと
とウルバンはジソマに話を振った。
「はっ。この国で彼に
ジソマは
「なっ、モロー聞いたであろう。今、王国は人手不足だ、どうしてもお前が欲しい。俺に策がある、そのためにはお前が必要なのだ。それにお前のサフランという娘も知っておる。あの娘をいつまであんな家に閉じ込めておくつもりだ。お前たちの住まいはこのタカで俺が見つけてやる、そこから娘を嫁にでも出すが良い。幸い、サフランに想いを寄せておる者もいると聞いたぞ」
(そうか、あの果物はウルバンが手を回したか)
とモローは思った。となると、サフランが言っていた二人の内一人はウルバンだったと考えられた。
さっさと、この国から逃げ出すかとモローは思案し始めていていたのだが、急に所長室の扉が開いた。つかつかとアマリが入室してきた。どうやら部屋の外で聞き耳を立てていたらしい。
彼女は入ってくるや、モローの横まで進み、片膝を立てて額ずき「殿下、本日もお
「アマリではないか。いかがいたした」
ウルバンの声が親し気な色合いに変わった。二人は顔見知りのようだった。
「外でお話を
「ほう、モローと共に働きたいと、それにお前が聞き耳を立てるなど珍しいではないか」
軽やかに声を上げてウルバンが笑った。アマリの顔に、「あっ」という表情が浮かんだ。
「はあ……はい」
どうやらアマリは自分を騎士として加わらせてほしいという意味で
「俺が考えている策は、危険だぞ」
アマリを覗き込むようにウルバンが言った。
「殿下の意のままに」
もはやそう答えるしかアマリにはないようだった。何をさせられるのだろうという不安が彼女から現れている。
(
とモローは目を白黒させている、細身のアマリを見つめた。
「どうだ、両名。力を貸してはくれぬか」
ウルバンは二人が断ることなど、
持って生まれたものであろうが、呂之国の女王であるシュリと同じく、
「はっ、命に代えましても」
とアマリは力みかえって大げさな言葉を発した。
―前夜―
サフランの待つ家にモローが戻ったのは、まだ日の高い頃だった。前庭に足を踏み入れ、そのまま馬車が収まっている
モローが来たことを知った馬が、嬉しそうに何度も首を縦に振り、高く
五カ月近く馬車を動かしていないのでその点検も兼ねて、サフランを伴ってタカの街まで馬車ででかけようと思ったのだ。馬車の荷台は綺麗に片付いているし、車輪や車軸周りも問題なさそうである。馬車を
モローは一通り見終わると、今一度荷台に昇り、後輪の
この黒い矢筒と同じように厳重に封をしてある剣とは違う角ばった包みがもう二つあった。そして、不思議な文字が記され金属でできた深い緑色に塗装された箱も、それらの奥に見える。
それを確認したモローは床板を元に戻し、荷台から降り納屋を出た。彼が帰ってきたことに気付いたのであろう、サフランが母屋の前に立ち、モローに微笑みかけている。
「お帰りなさい。今日は早いんだ」
と薄桃色の服に前掛けをしたサフランが嬉しそうに訊ねた。モローはそれには答えず、通り過ぎがてら彼女の腕に軽く触れ、母屋に入っていった。
今日はなんか違う、モローはとても機嫌が良いみたいだと感じ、サフランは
「まだ早いから、湯の用意してないし、夕飯の用意もまだだよ」
モローに続いて母屋に入ってきたサフランが言った。
「うん、まあいい。それより久しぶりだ、街の飯屋で夕食を採ろう」
「嘘っ……」
サフランが
「何が嘘だ。行くぞ」
と入ってきたばかりの母屋から出ようとするので、サフランは
「ちょっと待って。こんな
そう叫ぶように言うと、サフランはモローの返事も待たず、自分の部屋に駆け込んでいった。
街に来てひと月立ったころ、モローはサフランを街に連れ出し、遠慮する彼女を女性服専門の
サフランの部屋の中で、ばたばたと動き回る気配が盛んにし、そして悲痛なうめき声が漏れてきた。
「どうした」
聞いた事のない声だったので思わずモローは問いかけてしまった。
「……最悪、太ったみたい。……服が、ちょっときつい」
サフランは小さな声でそう答えてきた。
「フフ、どれ、見せてみろ」
とドア越しにモローが笑った。
「……笑ってる。笑ってるでしょ」
「いや、笑っていない」
そう言い、モローは急いで笑みを引っ込めた。
「本当に笑わない」
「ああ、笑わない」
そんなやり取りが数度あり、おずおずと顔を染めたサフランが扉から現れた。
「……なんだ」
「何だって、何」
と彼女は顔をさらに赤くしている。
「変わらんぞ、以前と。まあ、なんだ、胸の所が、うん、少し張っているかな」
仕立て屋で仕立ててもらった外着を選んだサフランの姿は相変わらず均整が取れているが、胸の所が少し強調されているように見えた。そういった服ではなかったのだが、ツンと突き出た胸が衣装の意味合いを代えてしまいそうである。
「でしょ、ああ、太っちゃった」
「そんなことはない、大丈夫だ。俺から見ても、
といい加減な事を言ってしまったが、サフランはモローに「大丈夫だ」と言われた事で、「それなら良い、変だと言われたらどうしようかと思った」とホッとしている。
「さあ、行くぞ」
といつもより増して魅力が
「あっ、
そう言い、サフランは自室に駆け戻っていった。夜の女をしていた頃の影は、表面上消えたようだなとモローは思った。
王都の中心まで半分ほど進んだ時、モローはサフランに暫く留守をすると告げた。
緑豊かで緩やかな起伏を繰り返す田舎道の先に城壁が見え、あたりは
「どこへ行くの」
なぜかサフランの返答には、それを覚悟していたような響きがあった。一人置いて行かれると思ったのかもしれない。
「西の国境だ。済めば戻ってくる」
「……西の国境、どうして」
サフランの言葉には、まだ警戒感が残っている。
「聞いてないか、西の国境に『山の者』が現れた。大きな集団らしくてな、国は苦戦しているようだ。そこで俺に討伐軍に加われと
「討伐に、叔父さんが」
「そうだ」
「どうして、そりゃあ教練所で教えているくらいだから叔父さんは強いと思うけど……」
モローはサフランの食い入るような視線を感じた。「行かないでくれ」と視線は言っているようだ。
「
「嫌よっ」
とサフランは叫んだ。
「……嫌っ、相手は『山の者』でしょ。叔父さん、死んじゃうかもしれないよ」
手綱を持つモローにサフランがしがみついてきた。モローは馬車を曳く馬の背を見つめ、布地を通して熱く柔らかなサフランの肌を感じていた。
「死にはしない」
「……だから、今日、外で食事をしようと言ったのね」
「急に決まったからな、お前と外に出掛けたくなったんだ」
そうモローが答えると、サフランは諦めたように肩を
「……死んじゃ、嫌よ。お願いだから」
肩に頭を預けたまま、サフランはそう言った。
「ああ、死なないよ」
サフランが自分を見上げている。
城門が近づいていた。
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