第6話 戦闘

 翌早朝、モローが彼の荷馬車を曳いて出発していくのを、サフランは自室の窓から見つめていた。

 昨夜、サフランは何度も抱いてくれとせがんだが、モローは自分を抱いてくれなかった。部屋にも入れてくれなかった。扉の前で、モローに呼びかけ続けたが、彼は答えてくれなかったのである。

 窓から彼の姿が見えなくなるや、彼女は家から道まで飛び出してモローの姿を追った。彼はそれほど遠くへ離れてはいなかったが、追ったところでどうなるとも思えない。ただただ立ち尽くし、次第に遠ざかって行くモローの馬車を見つめるサフランの頬を大粒の涙が一筋伝っていた。


 ―作戦会議―

 巨大な王宮正門にモローの馬車が差し掛かると、古ぼけた荷馬車で現れた彼を不審ふしんに思ったのか、三人ほど衛兵が衛視詰め処からわらわらと飛び出し誰何すいかしてきた。モローがウルバン殿下に呼ばれていると告げ、突然現れた衛兵の姿に苛立いらだちを見せている馬の尻を叩いてやっているところに、少し遅れて現れた騎士姿の男が「モロー殿か」と訊ねた。

 モローが頷くと、「通られよ」と衛兵に門を開くよう命じた。

中門なかもんからは馬車は通れぬので、そこからは歩いてウルバン様の執務処しつむしょに向かってください」

 そう騎士が丁寧ていねいな口調で伝えた。

「承知した」

 音もなく木製の正門が開き、モローは馬車を進めた。真正面に王宮の塔が見える。王宮はどこの国も同じような造りだが、オスダの王宮は呂之国のそれと比べると小振こぶりで屋根には銅板がかれ、青いさびが浮いて見えた。

 中門なかもんまでは池や花々を植えた庭園で、辺りはしんと静まりかえっている。

 正門よりも規模の小さな中門にも衛兵が詰めているが、正門の衛兵が合図を送ったのであろう、馬車を降りたモローを黙って中に入れてくれた。

「馬車はこちらで預かることとなっております」

 衛兵の一人が馬のくつわを取りながらそう伝え、馬好きなのか優しく声を掛けながら、中門なかもんの脇にある厩舎きゅうしゃへ馬車と一緒に曳いていってしまった。

「ウルバン様の執務処は、三之廓さんのくるわです。執務処までご一緒させていただきます」

 とモローの馬車を預かった者とは違う衛兵がそう伝えた。

「分かった。よろしく頼む」

 モローが答えると、衛兵は機敏な動作で彼の前に立ち歩き始めた。

 三之廓さんのくるわまでは緩やかな上り坂で、その右手に石組みの土台と漆喰しっくいに塗り固められた屋根付き塀の奥に王宮と同じ銅板きの大きな屋根が見えてきた。どうやらその屋根が三之廓さんのくるわのようだ。

 建物に近づくと、衛兵が小走りで中に入り、「モロー殿が参られました」と誰かに告げている。

 みがきき抜かれた長い廊下の途中まで迎えに出てきたガラムととも歩み、ウルバンの執務処に入る前、それまで黙っていたガラムが「私が話して良いのか分かりませんが」とモローに話しかけてきた。

「作戦が変更になる模様もようです」

 モローは彼以上に長身のガラムを見た。事前の打ち合わせでモローは「山の者」を引き付ける前衛部隊の端に加えられていた。

「前衛ではなくなったと」

「はい、部隊の規模がぐっと縮小される見通しなのです」

「ふむ、ちが難しくなったのか、理由は」

「実は、昨日第二騎士団が無断で攻撃を仕掛けまして、大敗いたしました」

 まるで自分がその責任者であるように、ガラムは申し訳なさ気に言った。

「なぜ」

「騎士団長は生粋きっすいの戦士です。ただ、多少視野が狭く、殿下が騎士団の他に、モロー殿や第一近衛このえ兵団の一部も戦力に加えたことに異論があったようです。自分の騎士団が弱腰だと殿下が見られていると勘違いしたのでしょう。独断で攻撃を仕掛けました」

 ガラムは騎士団長を視野が狭いと例えたが、要は他所者等よそものらの手は借りたくないということだろうとモローは感じていた。しかし、近衛兵このえへいは味方であるはずだがとも思う。

「近衛兵は王国の兵団だと思ったが」

 そう訊ねるモローにガラムは言いにくそうな顔をした。

「元来、わが国には近衛兵はおりませんでした。それが、あのアマリ殿の父君が貴族の子女だけを集めた華やかな部隊があっても良いのではと上申じょうしんし、王に認められて生まれたものです。役割としてはおおやけの行事に色をえる部隊と思われております」

「なるほど、俺のような足手まといを加えてもらっては困るということか」

「そう思われても致し方ありません。で、今、殿下に叱責しっせきされている所なのです」

 そんな話を歩きながらしていると、ウルバンの執務処に着いた。

 執務処は広く、贅沢な木材をに使用した空間だった。普段、ウルバンが就いている大きな机の前には巨大な長机が置かれ、ウルバンの他、五人の男女が座っていた。

 ウルバンを前に、それら男四人と女一人は重苦しい沈黙に支配され、上座かみざ陣取じんどっているウルバンは苦虫にがむしを噛みめるような顔をしている。男たちは皆、軍服を身に着けているが、ほっそりとした中年の女性だけは質素な平服であった。長机の上には西側国境周辺の地形図が広げられ、兵士の配置位置には円盤状のこまが置かれてあった。

 ウルバンを含め内三人は見知っていたが残り二人は初見しょけんだった。モローが入ってくる直前まで、何が起こっていたのかは歴然れきぜんで、頭が綺麗に禿げ上がる第二騎士団長のウーツは、全身が湯気を上げそうなほど紅潮こうちょうしており、くやに下を向いていた。残りの四人は、それぞれ途方とほうに暮れた表情を浮かべ、嵐が過ぎ去るのを待つようにじっと机上の地形図に目を落としている。

「モロー、よく来てくれた」

 ウルバンはゆっくりと入ってきたモローに目をやり、表情は変えていないものの、多少和やわらかみが含まれた声でそう言った。

 モローは無言で軍人らしい機敏な礼をウルバンに返し、自分用に置いてある椅子に腰を降ろした。彼の隣は一人だけ会議に加わっている女性で、モローを読み取れない表情のまま一瞥いちべつし目をらせた。初めて見る顔だが、どうやら彼女が近衛兵団の兵団長へいだんちょうと思われた。後で彼女の名がアヤメという名であることを知った。

 残りの二人はウーツ騎士団長と同じ第二騎士団のタチナ副騎士団長で、もう一人は知らなかった。

「もう一度、今の状況の説明をする」

 と良く通る声でウルバンが話し始めた。

「作戦を替えねばならない。今の状況だと、兵力を集中し、正面から戦うしか数が足りなくなった。しかし、これでは先の第一騎士団の同じ伝手つてむことになってしまう。ならば兵を引き、奴らを国境を越えさせた所で防備を固めた兵で対抗するか、各とりで、城に籠って籠城戦ろうじょうせんとするか」

 そこまで話したところで、ウーツ騎士団長が叫ぶように口を開いた。

「しかし、領内の農作物や農民、さらには城、砦以外の集落や貴族の方々の屋敷などが蹂躙じゅうりんされて……」

 そこまで騎士団長が言いかけ、ウルバンの怒号どごうき消された。

「分かっておるわ、であるから敵の誘い込みで打倒うちたおそうとしていたのであろうが。そのため編成しなおした第二騎士団であった。その三割が失われた今、そうするしか無かろうが」

 ウルバンの怒号はその場の空気をふるえ上げさせるほどの力があり、親子ほども離れた騎士団の幹部や近衛兵団長がすくみ上がっている。いつもは悪戯いたずら小僧のような、人好きのする愛嬌あいきょうの含まれた瞳なのだが、一度怒りを発すると、眼差まなざしの威力は絶大なものがあるようだ。

 小さな王国の王子にしておくのはもったいない程の力量が、ウルバンにはあるようにモローは感じた。

「領内の城や砦は、周辺の領民りょうみん収容しゅうようし、守備を固める命令を出せ。一人として領民を死なせてはならぬ」

 そうウルバンは命令した。

「お待ちください」

 そう発言した者がモローであるのを、皆は信じられないような、とがめる目で彼を見つめた。王子の気まぐれで加えられた助教が口を挿んできたとでも思っているのであろう。

「……第二騎士団の兵力は七割になったようですが、やはり国境外で計画通り誘い込みの上、待ち伏せ攻撃が有効と思われます」

「だが、兵を前衛ぜんえいと両側面から突撃する計三部隊を揃える数がないのだ。だから困っている」

 ウーツ騎士団長がそうモローを軽蔑し吐き捨てるように吠えた。素人しろうとが「何を言いだすのだ」といった塩梅あんばいである。

「モロー、どうするのだ」

 とウルバンが急に冷静な声でたずねた。

前衛ぜんえいに予定していた兵を待ち伏せに回し、五十ほどの弓兵きゅうへいを回していただければ、前衛はわたしが受け持ちましょう。残りは突撃とつげきてるのです」

 そう進言したモローに、皆驚いたように視線を向けた。

「前衛となる弓兵とお前は生き残る可能性は低いが」

 とウルバンが告げた。

弓兵きゅうへい充分じゅうぶん相手を引き付け一射いっしゃしたら後方退避こうほうたいひしてもらいます。後はわたしが足止めし、突撃隊とつげきたいの時間をかせぐようにいたします」

「無駄死にですぞ」

 と女兵団長がささやいた。

「わたし一人です、なんとでもなる」

 モローはそう言い放った。

「よかろう、規模は小さくなったが、計画通りとする。すぐさま準備にかかれ。明日の早朝、白黒しろくろをつける」

 ウルバンの考えもモローのそれとそう変わらなかったようである、直ちに作戦を変更した。ウルバンの号令ごうれいに皆が敬礼すると、それぞれが部屋を出ようと席を立った。その時、ウルバンがモローを呼びめ、「死ぬな」そう一言もうえた。


 ―戦闘―

 戦闘が起こった朝はこれまでとは変わって、けぶるような雨だった。兵たちは昨日のばんには配備はいびを終えて、冷たくはないが、じっとりと肌やよろいに張り付き濡らす雨の中で待機している。その中には陽動ようどうと時間稼ぎをにな弓兵きゅうへいとモローを乗せた馬車もある。

 陽動ようどうもちいての戦いを仕掛ける地形は国境を背にして、小高い丘陵が左右に広がり、その先からは「山の者」がひそむ緩やかな起伏のエナ平原へと続く。国境から平原まで以前は道がかれていたのだが、平原の先が険しい山が連なるだけなので、交易こうえきなどに用いられることなく、今では廃道はいどうのような存在となっていた。丘陵と丘陵の間にできた平地ひらちの幅は一陸里の半分ほどである。待ち伏せる部隊はその両丘陵の頂上に潜んでいた。

 その場全体に霧のような雨が降り続き、視界は悪い。突撃部隊が潜んでいるであろう木立に覆われた丘陵も薄墨色うすずみいろにじんでいる。

 各部隊には放っていた斥候せっこうの情報が伝令でんれいかいして次々に伝わってきた。「山の者」の軍団が攻撃地点に定めている地点に接近しつつあった。彼らが動き始めたのだ。

 自分の馬車とともに待機していたモローは、敵の接近を受け荷台の床板を外し、仕事における正装せいそうともいうべき薄手の外套を身に着けた。目深く顔をすっぽりと隠す頭巾は被ってはいないが、この姿でナカツノ国王夫妻など、結構な数の要人を消してきていた。 

 外套を身にまとうと再び荷台の隠し棚に身を入れ、鋼鉄こうてつで出来た大きな矢筒やづつのような物体を引っ張り上げ、さらに三本の足に変形する台座と濃い緑に塗装された金属製の箱も横に置いた。どれも非常に重量のある代物しろものであるが、モローはそれらを手慣れて手順で組み立てていく。組みあがった物は、まるで太い三本の足の濃緑色のうりょくしょく蜘蛛くもの様な矢筒へと変形した。モローは濡れるのを嫌ってか矢筒に毛布を掛けた。

 次に床下から取り出したのは六つの筒が円形に並んだ短弓射出装置たんきゅうしゃしゅつそうちともいえるかたまりで、付属している袋から六発の拳大で金色に塗装された円柱形の物を筒の中に一つ一つ押し込んだ。それを先ほどの矢筒をおおった毛布をめくり中に仕舞しまった。

 馬車がぐらりと揺れ、モローが振り返ると鎧姿のアマリが御者台ぎょしゃだいからこちらをのぞき込んでいた。腰には大剣を下げている。銀色ににぶく光るかぶと頬当ほおあてに顔は隠れているが、緊張しきった表情を張り付かせているようだ。

「なんだ」

 とモローがたずねた。

「弓兵の指揮を取れと命ぜられました」

 そう言い荷台に移ると、アマリはモローの横にしゃがんだ。

「モロー殿と馬車で同道し、そこから弓兵に指示を出せということです」

 そしてアマリはモローがいつもの刀を携えているものの、甲冑かっちゅうなどを身に着けていないのを不審がった。

「俺は甲冑が好きではない。動きにくいし重いからな」

「そう。でも私たち騎士はその重さに耐えて戦うよう訓練されていますよ」

 まるで哀れな者を見つめるようにアマリが言った。

「その点では、頭が下がる想いだ」

 モローは荷台の外に視線を走らせながら応えた。

「……」

 アマリはモローが自分たちと全く違う思考で行動する者ではないかと感じていた。彼からは緊張感も恐怖も感じていないようだったからだ。

「死ぬのが怖くありませんか」

「おたくはどうなのだ」

 そうモローが問い返した。

「当然、恐ろしくあるものか」

 とアマリは反射的にそう答えていた。騎士という自負じふが弱みを見せられなかったのだ。

「そうか」

「……当然です」

「分かった」

 モローがそう答えた時、アマリは師匠からの質問を誤って答えたような居心地いごこちの悪さを感じた。

「……モロー殿は怖いのか」

「ああ、怖いな」

 その時、一人の伝令が走ってきて、「山の者」が二陸里ほどに接近してきたと伝えに来た。

「さて、動こうか」

 モローは荷台から御者台に移り、手綱を握った。

「知ってますか。山の者は仲間の死体や我々の死んだ兵士を食べているという事を」

 モローの隣に座り、アマリが言った。

「ああ、聞いたことがある」

 そう答え、彼は馬に動くよう指示を出した。その命令を待っていたかのように、馬は身震いを一つし、ゆっくりと前に進み始めた。アマリが馬車の後方に控えていた弓兵五十人に続けと合図を出した。ものの数分もしない内に、二人はずっくりと雨に濡れている。モローは馬車の速度を上げた。

「人のようで、人のようではない姿をしていると聞きました」

 ぬかるんだ悪路あくろの中、速度を上げたことで馬車は激しく揺れ、アマリは舌を噛まないよう気を付けていた。

「我々より倍も大きな物もいる。昔一度見たことがある。死体だったがな」

 丘陵と丘陵の間を抜け、馬車はエナ平原の入り口に差し掛かり始めていた。

「出すぎでは」

 とアマリが言った。

「奴らを引き付けるのが任務だ。気をくほどに近づかなければな」

 そして後方に丘陵の姿を見つめ、続いて必死に走って追随してくる弓兵に目をやった。

「弓兵はこの辺りで待機するよう命じてくれ」

「分かりました」

 アマリがふところから赤く染められた大きな布を取り出し、それを背後の弓兵に振った。

「弓兵、停止しました」

 モローは小さく頷き、さらに馬を急がせた。

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