第6話 戦闘
翌早朝、モローが彼の荷馬車を曳いて出発していくのを、サフランは自室の窓から見つめていた。
昨夜、サフランは何度も抱いてくれとせがんだが、モローは自分を抱いてくれなかった。部屋にも入れてくれなかった。扉の前で、モローに呼びかけ続けたが、彼は答えてくれなかったのである。
窓から彼の姿が見えなくなるや、彼女は家から道まで飛び出してモローの姿を追った。彼はそれほど遠くへ離れてはいなかったが、追ったところでどうなるとも思えない。ただただ立ち尽くし、次第に遠ざかって行くモローの馬車を見つめるサフランの頬を大粒の涙が一筋伝っていた。
―作戦会議―
巨大な王宮正門にモローの馬車が差し掛かると、古ぼけた荷馬車で現れた彼を
モローが頷くと、「通られよ」と衛兵に門を開くよう命じた。
「
そう騎士が
「承知した」
音もなく木製の正門が開き、モローは馬車を進めた。真正面に王宮の塔が見える。王宮はどこの国も同じような造りだが、オスダの王宮は呂之国のそれと比べると
正門よりも規模の小さな中門にも衛兵が詰めているが、正門の衛兵が合図を送ったのであろう、馬車を降りたモローを黙って中に入れてくれた。
「馬車はこちらで預かることとなっております」
衛兵の一人が馬の
「ウルバン様の執務処は、
とモローの馬車を預かった者とは違う衛兵がそう伝えた。
「分かった。よろしく頼む」
モローが答えると、衛兵は機敏な動作で彼の前に立ち歩き始めた。
建物に近づくと、衛兵が小走りで中に入り、「モロー殿が参られました」と誰かに告げている。
「作戦が変更になる
モローは彼以上に長身のガラムを見た。事前の打ち合わせでモローは「山の者」を引き付ける前衛部隊の端に加えられていた。
「前衛ではなくなったと」
「はい、部隊の規模がぐっと縮小される見通しなのです」
「ふむ、
「実は、昨日第二騎士団が無断で攻撃を仕掛けまして、大敗いたしました」
まるで自分がその責任者であるように、ガラムは申し訳なさ気に言った。
「なぜ」
「騎士団長は
ガラムは騎士団長を視野が狭いと例えたが、要は
「近衛兵は王国の兵団だと思ったが」
そう訊ねるモローにガラムは言いにくそうな顔をした。
「元来、わが国には近衛兵はおりませんでした。それが、あのアマリ殿の父君が貴族の子女だけを集めた華やかな部隊があっても良いのではと
「なるほど、俺のような足手まといを加えてもらっては困るということか」
「そう思われても致し方ありません。で、今、殿下に
そんな話を歩きながらしていると、ウルバンの執務処に着いた。
執務処は広く、贅沢な木材をふんだんに使用した空間だった。普段、ウルバンが就いている大きな机の前には巨大な長机が置かれ、ウルバンの他、五人の男女が座っていた。
ウルバンを前に、それら男四人と女一人は重苦しい沈黙に支配され、
ウルバンを含め内三人は見知っていたが残り二人は
「モロー、よく来てくれた」
ウルバンはゆっくりと入ってきたモローに目をやり、表情は変えていないものの、
モローは無言で軍人らしい機敏な礼をウルバンに返し、自分用に置いてある椅子に腰を降ろした。彼の隣は一人だけ会議に加わっている女性で、モローを読み取れない表情のまま
残りの二人はウーツ騎士団長と同じ第二騎士団のタチナ副騎士団長で、もう一人は知らなかった。
「もう一度、今の状況の説明をする」
と良く通る声でウルバンが話し始めた。
「作戦を替えねばならない。今の状況だと、兵力を集中し、正面から戦うしか数が足りなくなった。しかし、これでは先の第一騎士団の同じ
そこまで話したところで、ウーツ騎士団長が叫ぶように口を開いた。
「しかし、領内の農作物や農民、さらには城、砦以外の集落や貴族の方々の屋敷などが
そこまで騎士団長が言いかけ、ウルバンの
「分かっておるわ、であるから敵の誘い込みで
ウルバンの怒号はその場の空気を
小さな王国の王子にしておくのはもったいない程の力量が、ウルバンにはあるようにモローは感じた。
「領内の城や砦は、周辺の
そうウルバンは命令した。
「お待ちください」
そう発言した者がモローであるのを、皆は信じられないような、
「……第二騎士団の兵力は七割になったようですが、やはり国境外で計画通り誘い込みの上、待ち伏せ攻撃が有効と思われます」
「だが、兵を
ウーツ騎士団長がそうモローを軽蔑し吐き捨てるように吠えた。
「モロー、どうするのだ」
とウルバンが急に冷静な声で
「
そう進言したモローに、皆驚いたように視線を向けた。
「前衛となる弓兵とお前は生き残る可能性は低いが」
とウルバンが告げた。
「
「無駄死にですぞ」
と女兵団長が
「わたし一人です、なんとでもなる」
モローはそう言い放った。
「よかろう、規模は小さくなったが、計画通りとする。すぐさま準備にかかれ。明日の早朝、
ウルバンの考えもモローのそれとそう変わらなかったようである、直ちに作戦を変更した。ウルバンの
―戦闘―
戦闘が起こった朝はこれまでとは変わって、
その場全体に霧のような雨が降り続き、視界は悪い。突撃部隊が潜んでいるであろう木立に覆われた丘陵も
各部隊には放っていた
自分の馬車とともに待機していたモローは、敵の接近を受け荷台の床板を外し、仕事における
外套を身に
次に床下から取り出したのは六つの筒が円形に並んだ
馬車がぐらりと揺れ、モローが振り返ると鎧姿のアマリが
「なんだ」
とモローが
「弓兵の指揮を取れと命ぜられました」
そう言い荷台に移ると、アマリはモローの横にしゃがんだ。
「モロー殿と馬車で同道し、そこから弓兵に指示を出せということです」
そしてアマリはモローがいつもの刀を携えているものの、
「俺は甲冑が好きではない。動きにくいし重いからな」
「そう。でも私たち騎士はその重さに耐えて戦うよう訓練されていますよ」
まるで哀れな者を見つめるようにアマリが言った。
「その点では、頭が下がる想いだ」
モローは荷台の外に視線を走らせながら応えた。
「……」
アマリはモローが自分たちと全く違う思考で行動する者ではないかと感じていた。彼からは緊張感も恐怖も感じていないようだったからだ。
「死ぬのが怖くありませんか」
「おたくはどうなのだ」
そうモローが問い返した。
「当然、恐ろしくあるものか」
とアマリは反射的にそう答えていた。騎士という
「そうか」
「……当然です」
「分かった」
モローがそう答えた時、アマリは師匠からの質問を誤って答えたような
「……モロー殿は怖いのか」
「ああ、怖いな」
その時、一人の伝令が走ってきて、「山の者」が二陸里ほどに接近してきたと伝えに来た。
「さて、動こうか」
モローは荷台から御者台に移り、手綱を握った。
「知ってますか。山の者は仲間の死体や我々の死んだ兵士を食べているという事を」
モローの隣に座り、アマリが言った。
「ああ、聞いたことがある」
そう答え、彼は馬に動くよう指示を出した。その命令を待っていたかのように、馬は身震いを一つし、ゆっくりと前に進み始めた。アマリが馬車の後方に控えていた弓兵五十人に続けと合図を出した。ものの数分もしない内に、二人はずっくりと雨に濡れている。モローは馬車の速度を上げた。
「人のようで、人のようではない姿をしていると聞きました」
ぬかるんだ
「我々より倍も大きな物もいる。昔一度見たことがある。死体だったがな」
丘陵と丘陵の間を抜け、馬車はエナ平原の入り口に差し掛かり始めていた。
「出すぎでは」
とアマリが言った。
「奴らを引き付けるのが任務だ。気を
そして後方に丘陵の姿を見つめ、続いて必死に走って追随してくる弓兵に目をやった。
「弓兵はこの辺りで待機するよう命じてくれ」
「分かりました」
アマリが
「弓兵、停止しました」
モローは小さく頷き、さらに馬を急がせた。
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