第10話 ナウカワ公国へ
ここ
その中、モローは王宮に居るウルバンから呼び出しを受けた。
小雨
「ウルバン殿下がお呼びです」
この男は、ウルバンの名を出せばその一声で言うなりになるとでも思っているらしいことが分かる。
「午後の教練があるのですが」
モローはモクレンが持たせてくれた弁当の
「いや、ウルバン殿下があなたを呼んでいるのですが……」
「だから、俺には午後の教練があると言っている」
「殿下の呼び出しに応えられない、……ということですか」
男は顔を
「違う、午後の教練が終わってからではだめかという事だ」
「殿下はお忙しい人です。教練が終わってからだと、もう別の要件に係っておられると思いますので」
「では、日を改めてということにしていただきましょうかな」
モローの返答はにべもないものだった。
「いや、……それは困るのです」
今度は顔を赤く染め、額の辺りにはうっすらと汗をかき始めていた。モローは少し、この男が
二人のやり取りを控処の外で聞いていたらしい、赤ら顔のジソマ所長が扉の前に立っていた。何時からそこにいたのか、モローも分からなかったくらい、彼は気配を消していた。
「モロー先生。午後の教練は私が受け持ちます。ですので、ウルバン殿下の所へ
そう静かな口調で所長はモローをウルバンに会うよう
「はあ、所長がそう言われるのでしたら」
モローは小さく頭を下げた。
「よろしく頼みます。ウルバン殿下
「分かりました。ならば一つお伝えしたいことがあります、午後の教練にサッシュが参りますが、昨日の教練で足を
モローは教え子の一人が怪我をしていることをジソマに告げた。
「サッシュですな。分かりました、注意しておきましょ」
そう言い、「では」とジソマは控処を出ていった。
「それじゃ、殿下の
モローは思わぬ味方の出現にホッとした表情を浮べている男にそう言った。
―ウルバンの命令―
モローが呼ばれた理由は「山の者」の
その日の夕刻遅く、モローが自宅に戻ってきて、いつものようにモクレンから暖かい出迎えを受けるや、彼女に何故だが申し訳なく感じ、何も言わずにナウカワへ向かってしまおうかと考えてしまっていた。
食卓で夕飯を囲んでいると、モクレンが黙々と食事をとっているモローに「何かあった」と聞いてきた。
「ん、何もないが」
「ふーん、違うと思う……。あったんでしょう、本当は」
モクレンが真剣な表情を浮かべ、自分の顔を覗き込んでいる。最近モクレンは、モローの感情を読むようになり、また、それが
「あった」
「なに、どうしたの」
今回は多分、何十日、長ければ何百日も不在となるし、生きてここへ戻れないかも分からない。無理な依頼も受けてしまうのは、ハン出身の
「ナウカワに行くことになった。少し長引く」
そうポツリとモローが話した。それを聞いたモクレンが固まった。
「……なんで」
「殿下からな、頼まれた」
モローの言う「殿下」とは、ウルバンを指している。
「長くなるって言ったよね……。どのくらい」
おずおずと浮かび上がった懸念をモクレンは訊ねた。
「分からん、早く帰ってきたいのだが、
そうモローが答えた。
「誰かと行くの」
モクレンは「山の者」との戦いで、モローがアマリと行動を共にしたことを気にしているのかもしれない。以前にモクレンはモローの知らない所でアマリと
「いや、一人だ」
そうモローが答えると、モクレンは少し安心したというような表情を浮かべた。
「……帰ってくるよね」
「当たり前だ」
とモローはモクレンを見つめた。彼女が自分に
(いつかは、俺が両親を
その日が
「ほれ、夕飯が冷めてしまうぞ」
「ナウカワで何をするの、
モクレンの言葉の
「何をしに行くのかは言えないぞ。
「明後日。……すぐじゃない」
それを非難するようにモクレンが口を
「すまん」
そうモローが答えると、暫く黙り込んでいたモクレンは静かに息を
「……分かった。……待ってる。だから、無事に戻ってきて」
「ああ、戻ってくる。それにな俺が居ない間、ガラム殿がお前を護ってくれるそうだぞ」
モクレンが顔をサッと赤くし、それに気づいたモローは少し複雑な表情を浮かべている。
「あれが好きなのか」
「そんなことない。好きなのは叔父さんだけだよ」
「しかし、顔に出てるようだが」
「ないない、そんなこと、絶対ない」
妙にむきになるのがますます怪しいと思いつつ、モローはモクレンがガラムと結ばれるならそれで良いと思う。前提としてはモクレンが幸せになるのならではあるが、ガラムならば彼女を大事にしてくれるだろう。だが、モクレンがどんな生活をしてきたかを考え、当のモクレンがそのことをガラムに話していることをモローはまだ知らない。隠していてもいつかはばれる、同時に非常に高い壁が二人の前に立ち
そのことでモクレンが苦しむのは見たくないというのもモローの正直な気持ちである。
そうは思うが、逆にモクレンが要らぬ争いに巻き込まれる恐れも考えられる。
モクレンの不幸は、自分がシュリの依頼を受けたことに始まる。それは変えられない事実だ。彼女がその事実を知った時、彼女はどうしたいのか、モローは彼女の意思に従う、どうしても考えはそこに行き着いてしまう。
―出立―
その日の朝、モローは首都である「タキ」の城壁に沿って引かれている
ウルバン王子から通行手形は発給してしてもらっているので問題はないのだが、今までそういった正規の
だが、ウルバンから手形を
シンラは本当に小さな街だ。どちらかというと、国境を警備する兵士のための街であり、国境沿いに大きな営舎がある以外、高級貴族の控え屋敷が目立つだけで、商家や民家なども少ない。別に
検問所は石組みの大きな門の脇にあり、門を抜けるとナウカワ公国方向に向かう街道が続いている。
普段ならばナウカワへ続く街道の交通量は多く、盛んに旅人や
その検問所の脇にアマリが立っていた。アマリは旅に向かう
(なんでこんなところに彼女が)
とモローが思う間もなく、彼女は麻袋の
「私も一緒に
モローが停めた馬車の御者台に近づくと、馬車を手で押さえるようにして言った。
「あなたが同行するとは聞かされていないが」
アマリを見つめていたモローは、少しぶっきら棒に言った。
「はい、そうだと思います。私がウルバン殿下に願い出て許可を頂いたのです」
「この旅は危険だ。
「そう言われると思い、ここでモロー殿を待っていました」
アマリはそれが何かというように答えた。
「どのくらい、ここで待ったれていたのだ」
「そう、二日になりましょうか」
二日の間、彼女はここでモローを待っていたらしい。
「覚悟はしているのでしょうな」
モローは面倒くさい気分になっていた。アマリの場合、自分がこうと決めると中々その決断を止めさせることは難しい。それは、「山の者」の一件で分かっている。
「はい、覚悟して参りました。私はこの国の騎士を務める者、本来国の者がやらなければならない任務です。それを国の者ではないモロー殿一人が
彼女は
「この先、どうなるが分からないぞ」
もう一度、モローは
「構いませぬ。騎士としての務めを果たしたいと存じますゆえ」
モローを見上げるアマリの表情には、固い決意に加え、それとは違う感情も現れているように見えた。
「分かった。乗って」
そう突き放すようにモローが告げると、「はい」とアマリは頷き、荷台の後部に回り自分の荷物を載せ、御者台の空いた部分によじ登ってきた。
「世話になりまする」
そう礼を述べたアマリはどこか嬉しそうであった。
通行手形を見せ、検問所の衛兵から好奇心とからかうような視線に送られ、二人は国境を抜けた。たちまち辺りは森と畑、そして
ゆっくりと街道を進むモローとアマリは年の離れた農家の夫婦にも見えた。夫が手綱を持ち馬車を歩ませ、その隣でほっそりとした若い妻が幸せそうに夫に寄り添っている、
それに普段は騎士の堅苦しい平服姿で街を
国境をかなり離れ、人通りが
「どれくらい聞いておられます、エグのことを」
沈黙に耐えられなかったのか、アマリは意を決したように、「山の者」が
「あまり良くは知っておらん、アマリ殿はどうだ」
「私も同じようなものでしょうが、一応、王宮の
モローは馬車周辺に視線を走らせている。そして、彼女の続きに言葉を待った。
「ナウカワ公国の北東に位置する国境線が引かれている山脈を
アマリは戦った事のある「山の者」を思い浮かべたのか、表情を
「以前は、ナウカワ公国北東の山を越えて『山の者』が侵入してきたので、その数はごく少数で、処理するには問題なかったと聞いていますが、アマツとエグを繋ぐ洞窟をナウカウ公国が発見してから
「オスダの国境に現れたのは多数だったが、やはり、ナウカワが見つけた洞窟を伝って侵入しナウカワで暴れた山の者の仲間だったということか」
オスダから見ると、ナウカワ公国は北北東の位置にあり、「山の者」が国境に迫ったのは西の国境である。少し位置が違うとモローは思い、そのことをアマリに訊ねた。
「それに関しては、山に沿って南下したと考えられるそうです。その過程で我が国の存在に気付いたのではないかということです」
「あれの正体は、掴んでいるのか」
モローはそう訊ねながら、道に視線を戻した。一方ではこの先暫くは昇りが多くなる、どこか適当な所で馬に水と休息を与えねばと考えていた。
「そこは、まだです。ご
「山の者」の行動は各自の考えで動いているとは思えない動き方をしていた。ナウカウ公国から南下したのなら、オスダより遥かに大きな
ウルバン達、国の上層部は、ほぼ
オスダにとって非常に幸運だったのだ。何故「山の者」が攻撃地点を変えずに、前に
「ふうむ、良く分からないというのが本当のようだな」
「そうです、残念ながらそうなのです。敵の
何時の間にか、エグへの探索は二人に命じられたようにアマリは話し始めていた。
小高い山が迫っている。間もなく上り坂が連続するはずだ、モローは馬を休ませることにした。
「まあ、行ってみての話だ」
「ですね、洞窟へどう簡単に侵入するかが問題ですね」
「アマツのどこの国でも通れる手形をもらっているが」
とモローは辺りに視線を走らせながら言った。
「はい、国境や街の出入りなら使えますが、エグに通ずる洞窟周辺には軍部隊の
「ああ、聞いているが、俺はいつものようにこっそりと抜けようと思っていた」
「いつものよう……、これまでそうされていたのですか」
驚きと
「まあ、そうだ」
モローはそう答えながら、馬の水やりに
「あと十二陸里でナウカワの領土に入る。ここで馬に休息をとらそう」
そう言い、モローは馬車を街道脇の空き地に入れた。ここらは小領主が共同して統治している土地で、オスダやナウカワのように国境に目を光らせてはおらず、自由に行き来できる土地であった。
「腹が減ったな、もう
とモローは馬車を降りながらアマリに告げると、アマリは彼に続き
「モロー殿、弁当を持ってまいりました、二人分ほど。……お食べになりませんか」
馬を馬車から外しているモローへ、そう誘った。二日間自分を待っていたというアマリが、どうして弁当を用意できたのかは聞かないでおいた。アマリの実家程になると、各街に屋敷を構えているものである、大方、そこの使用人にでも作らせたのだろうとモローは思ったのだ。
「いいのか、すまないな」
馬を街道下の川辺に連れて降りつつ、モローは微かに笑みをアマリに向けた。それが彼女にはひどく嬉しかった。
―ナウカワ公国―
その日の夕刻、モローとアマリはナウカワ公国に入った。国境の検問所は無人で、当然誰にも
先の「山の者」襲撃で多くの兵士を失い、国の体制が大きく
このヨイリで二人は宿を取ることにした。
宿はすぐに見つかったが、どうやら首都タカキが大きな被害を被っているため、そこに用事がある商人達の
したがって一人一人に部屋を
同室をはにかみながら
二人の部屋はそれほど広くなく、
夕食を採り終え、宿の明かりが乏しい廊下を進むと自分達の部屋が見えてきた。部屋の扉を開け、モローを先に入れる為、後ろに下がったアマリだが、彼は部屋に入ろうとはしなかった。
「……どうしました」
「部屋はアマリ殿一人で使ってくれ、馬車が盗まれる恐れがあるので俺はそこで寝る」
アマリにとっては
「私とでは、お嫌ですか」
思わずアマリの口から本音が出た。それほどまでに、自分は駄目なのかとさえ思ってしまう。自分はまったく女として見てもらえていないのではないかと感じていた。
「何を言っている。嫌なはずがない」
「では、一緒に部屋を……」
「違う、どうも宿に泊まっている人間が気に食わない。良からぬ者が
「なれば、私が馬車に」
「いや、これは俺がやらねばならないことだ。アマリ殿はゆっくり身体を休めてくれ」
「しかし……」
「良いのだ。ここで馬車がどうかなれば、この先の予定が狂う。万が一の
そう言い、モローはアマリの肩を掴み部屋の中に押し込んでいく。
反射的に彼女は自分が想いもしない行動を取っていた。肩を掴まれたことを利用し、アマリは身体をモローに寄せ、彼の首に腕を回して唇を重ねた。身体が匂うのではないかと言う懸念は、唇が重なったことでの快感で消し飛んでいる。
「……分かって、……わたしは」
一瞬唇を離し、擦れた声でアマリはそう
「分かっている。俺も同じ気持ちだ。だが、今夜は止めておこう、そうなる機会は今後結構ある」
二人の唾液が混ざり合い、唇を離すと糸が引いていた。
一人になったアマリは固い宿の寝台に腰を掛け、口づけとモローの言葉の
それがモローを知って、変わっていった。肌を重ねることが無駄なものから、モローとなら何か意味があることが起こるのではと思い始めていた。
(でも、なかなかそうならない)
不完全
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