第9話 モクレン

―ガラムの場合―

 朝夕は涼風すずかぜが吹き始めるようになった晩夏ばんかの日の下、モクレンは近くの農家から分けて貰った種芋たねいもを畑に植えていた。モクレン達が住んでいるこの辺りは、緩やかな丘と平地が混在する土地で、平地には農業用水と大小の池を伴った農地が広がり、小高い丘は緑豊かな木々におおわれて長閑のどかな田園風景が続く所である。

 夏の終わりを間近にした季節だが、太陽が高く昇ると流石さすがに暑い。モクレンが世話をしている畑は、近くにある丘の斜面へと続いているためか木陰が多く、そこが格好の休憩場所になるのだ。この時も汗だくになって種芋たねいもを植えていたため、照り付ける太陽の熱に耐えがたくなり、周囲は一人だけであったので、モクレンは木陰で襟元を緩めて風を入れ一休ひとやすみしていた。

 ふと、見覚えのある人影が手に何かを下げてこちらに歩んでくるのを見つけた。長身で肩幅が広いその姿はガラムであった。

 彼は腰に剣をたばさんでいるが、ウルバンと行動を共にしている時のような騎士の正装ではなく浅黄色あさぎいろ平服へいふく姿であった。こうして彼が彼女のもとたずねるのはかなりの頻度ひんどとなっている。

 ガラムはモクレンとモローが果肉かにくの赤い甘瓜が好物であるのを知り、いつもそれを買い求めモクレンの家に届けに来るのである。この日は久方ひさかたぶりに休みをウルバンから貰ったので、ガラムの足取あしどりは軽い。

「モクレン殿、ここにおででしたか」

 ガラムは騎士らしくない満面の笑みを浮かべて近づいていた。あわててて襟元えりもとを整えたモクレンはガラムを迎えるため立ち上がった。彼女はガラムが自分に好意を寄せているのも感づいている。

「暑いですな」

 本当に暑いのか、モクレンを前にすると照れてしまうのか、ガラムは顔をしゅに染めていた。

「ええ、本当に。今日はお休みですか」

「はい、久方ぶりに頂きまして、ご無沙汰ぶさたしておりましたので、こうしてうかがったわけで……ああ、これは夜にでもモロー殿とお食べ頂きたい」

 少しあわ気味ぎみにそう言い、荒縄あらなわで網目状に括った鮮やかな緑色の甘瓜をモクレンの手に押し付けた。

 モクレンはクスクスと声を上げて笑った。何も無沙汰をしていたとしても、モローの勤める教練所には行かずに、こちらに来るという理由は一つしかない。彼女はガラムのその単純さと素直さを好ましく思った。

「いつも足をおはこいただき、もうしわけありません」

「いや、……ああ、お気になさらずに」

「ありがとうございます。嬉しい」

「いやいや、失礼だとは思っているのですが、……どうしてもお目にかかりたくて、まあ、こうしてまいったわけで……」

 ガラムはモクレンに「嬉しい」といった言葉をもらったことで舞い上がったのか、彼女に会いたくて訪ねてきたことを思わず話してしまい、自分でも気づいたのか「あっ」という顔をした。

「……でも、わたしが以前何をしていたのか、ガラム殿は知ってますよね」

 自分が身体を売って生きてきたことを、ガラムに思い出させるよう、モクレンは静かに伝えた。

「知っています。だが、今のあなたには関係のない話だと、私は思うが」

「いいえ、関係ありますよ。そうして生きてきたこと、それは変えようもない事実ですから」

「いや、昔のことなどどうでも良い。私はモロー殿の娘としてここに居るあなたが気に入っているのだ」

 ガラムの言葉にモクレンの心は柔らかくなり、救われた気持ちにもなる。だが、現実はそんなに甘くないだろうとも彼女は思うのだ。いつかこの事が障壁しょうへきとなる時がくる、モクレンは本能的にそれを感じ取っている。

 ガラムは「言ってしまおう」と小さくつぶやき、さらに言葉を続けた。そんなつもりは無かったのだ、しかしモクレンを目の前にすると、この娘がいつか自分から遠くへ離れて行ってしまうような気が突然したのである。

「サフラン殿。あなたを愛している。初めて会った時からそうだ。……そして、あなたを妻として迎えたい」

 そうガラムは一気に自分の想いを告げた。

 モクレンはそう告げたガラムの顔を見上げるように見つめている。彼女の瞳が揺れていた。

「嬉しい」

 即座そくざにモクレンはそう答えた。彼女の瞳がうるみ始めている。「嬉しい」とモクレンはもう一度言った。

「でも無理です。わたしを愛人として迎えるというのなら違うかもしれないけど、妻は無理です」

「サフラン殿、愛人ではない。わたしの妻になってほしいのだ」

「……」

 モクレンは力なく首を横に振るだけで、視線をガラムからはずしてしまった。

「わたしが嫌いか、意にそぐわないか」

 すがるようにガラムは身を屈めてモクレンの顔を覗き見ようとした。彼女はこの時も首を横に振ってみせた。

「わたしに任せてくれないか。サフラン殿を不幸にはさせぬ」

 そう言って、ガラムは大きな手で細いモクレンの肩を掴んだ。

「このわたしとガラム様だけの問題ではありませんよ」

「殿下にもお力添ちからぞえも頂く、家の者も説得する」

 モクレンはそう告げるガラムの手に自分の手を重ねた。

「ガラム様、本当に嬉しいです。わたしも貴方様あなたさまを好いているのだと思います。でも、良く考えて下さいな。……わたしが貴方様の妻に相応ふさわしいかどうか。わたしは相応ふさわしいとは思っていません。……わたしはあなたの愛人でも、光栄なんですけど……。その方が私には似合っている気がいたしますし」

 そう告げ、モクレンはガラムの手から自分の手を放した。

「サフラン殿、わたしはだ、あなたを妻に迎えたいのだ。愛人になってくれと頼んでいるのではない。……わたしが嫌いか」

 容易くモクレンの方に手を置いた事や告白は余りにも早急そうきゅうで、彼女の不興ふきょうを買ったのだろうかと、ガラムは少し慌てた。自分の語彙ごい不足にも苛立いらだちを感じていた。

「そうではありません」

「なら、なぜ、そんな事を言うのです」

「もう一度、良くお考え下さい。愛人ならばすぐにでもあなたの物になります」

 モクレンの瞳に揺らぎが消えた。言っている内に腹がわってきたようである。

 一方でガラムの方は、モクレンが彼の「愛人」にはなると言った事が、自分を本当に嫌っている訳ではないことを確信した。

「ガラム様、折角せっかく持って来られたこの甘瓜。お食べになりませんか」

 そうなだめる様に言い、近くにあった切株きりかぶに甘瓜をせ、ふところから小刀しょうとうを取り出し、それで瓜を切り分けはじめた。

 彼女の取り出した小刀しょうとうは、貴族などの親が自分の娘などに持たせる守り刀でさやつか意匠いしょうに富んだ業物わざものと、ガラムには思えた。

「その刀はサフラン殿の物だろうか」

「ええ、何故か子供の頃から持っているもので、これだけは手元に残ったのです」

 そうモクレンは答えた。

「その刀は、かなりの業物わざものと見受けられます。普通は手に入らないものです、あなたは一体どういった……」

 そんな刀を無造作むぞうさに甘瓜を切り分けるために使っているモクレンを、ガラムは不思議な面持ちで見つめた。

「身体を売っていたただの女ですわ。叔父さんのお蔭で、そこから引っ張り上げてもらいましたけれど、そういう女だったことは変わりません」

 四つに切り分け密集している種の部分を取り除くと赤い果肉の甘瓜の一切れをモクレンはガラムに差し出した。そして自分も一切れを手にし、草の上に腰を下ろした。ガラムより先に、甘瓜に口を付け「甘い」と彼に微笑みかけた。ガラムはそんなモクレンが、いじらしく、可愛く思えて仕方がなかった。   

 モクレンにうながされ、同じように甘瓜にかぶりついたガラムだが、味などは全く感じなかった。だが、こうして二人して並んで甘瓜を食べることができている、それだけでも一歩近づいたような気にガラムはなっている。

 長年ながねん男を相手にしてきた経験からこうして気安く相手をしてくれているのかもしれないが、ガラムはそれでもモクレンへの想いが渦巻うずまいている。こっそりと彼女の横顔を覗き込む。

 ウルバン王子といった高貴こうきな人物と接しているせいで、ガラムは彼等の共通点などが分かるようになっていた。もっとも共通するのは、持って生まれたとでもいう不思議な品格である。男に身を売ってきたという彼女に、ガラムはウルバン達と同じものを感じ取っていた。

「わたしの考えは変わらない。必ずあなたを妻に迎える。だから、わたしを信じて欲しい」

 彼はそう話すのと同時に、絶対にモクレンを自分の妻にすると告白した時よりも強く決意していた。

 ガラムの横で彼の言葉を聞いていたモクレンは、やはりどこか覚めている。モクレンは人並みに幸せを得る事などはできないと思い続けているのだ。それに自分はモローと暮らせていれば、それで良いと彼女は思っている。

 青い抜けるような青空に千切れたような綿雲が右から左へ流れていく。晩夏の暑い昼間である、辺りは鳥のさえずる声が聞こえていた。


 ―アマリの場合―

 アマリの部屋からは薄曇りの空の下、王宮の尖塔せんとうが良く見える。開け放した窓から王宮を見つめ、教練所ではモローが午前の授業を終えた頃だろうかとぼんやりと思っていた。最近、アマリの頭はモローのことばかりが占めていた。だが今最も気にかかるのがサフランという娘の存在に移っている。

(どんな娘なのか)

 自分より四つ年下の十七だと聞いているが、モローの歳が三十後半と思われるので、二十歳に成るかならないかでもうけた子という事になる。それが怪しい。

 どうしても考えてしまうのは、彼の愛人、もしくは妻同様の存在だということだ。

 アマリはサフランという娘に嫉妬と強い対抗心を持っている。「山の者」と対峙たいじし、モローと共に戦い、死への危機を乗越えた。互いに特別なきずなが生まれたとアマリは思っていたし、特別な絆を持つ人だからこそ自分の裸身らしんを彼にさらしていた。モローからの口づけを許したのもそのあかしだった。

 衝動しょうどううながされるようにアマリは屋敷の厩舎きゅうしゃから愛馬を引き出すと一人城門を越えていた。馬を駆けさせれば、モローの家までそれほど時間はかからないはずだ。とは言え、家の場所をしっかりと聞いた訳ではない。畑と森が点在する静かな田舎いなかとしか聞いていない。

 馬を進めたこの辺りは、森と丘、畑の広がる中に農家の屋根がちらほらと見えていて、アマリの勘では、モローの家は近いのではないかと感じていたが確証はない。馬車一台が通れるほどの細い道をさらに進む、豊富な澄んだ水が流れている小川を何本か越えたが、薄い雲が高く覆う景色は長閑なままでアマリは妙に落ち着かない気分になり始めていた。

 畑には作業する農民の姿を見かけた、皆、粗末そまつな出で立ちである。そんなところを進む騎士の略服を身に着けた自分は、ひどく浮いているように感じた。そういった気持ちに襲われ、アマリは馬を降りくつわを取って歩くことにした。

 見事な玉蜀黍とうもろこしが成っている畑の横を通り過ぎる時、背の高いくきをかき分けるように五十がらみの農夫が道に上がってくるのが見えた。

 思わずアマリはその農婦に声を掛けた。

「これ、ちょっと道をお聞きしたい」

 真っ黒に日焼けした農夫は、かまと切り取ったばかりらしい何本かの玉蜀黍とうもろこしを手にしていた。農夫はどこからかやってきた思われる騎士のような姿をした娘に呼びかけられ驚いたように足を止め、こちらを見た。

「この辺りに、モロー殿という御仁ごじんがおられると聞いたのだが、知ってはいないか」

 とアマリはモローの住まいをたずねた。

「……モロー、……ああ、サフランさんの親父おやじさんだね。……知ってるさぁ」

「そうか、助かった。どこにお住まいだ、教えてくれ」

 農夫は「ええっとだな……」と呟きながら、ぐるりと周りを見渡した。

「あそこ見えるかね、あの背の高い木が何本か経つ脇に、屋根が見えるだろ。あそこが、サフランさんと親父おやじさんが住む家さね」

 農夫が指し示す方向に、大きくはないが杉の樹皮を葺いた屋根と白い漆喰の壁でできた家が見えた。

「すまない、手間てまを取らせた」

 会釈をし、懐の財布から銀貨を農夫に掴ませた。

「ああ、こりゃどうも」

 と農夫は銀貨を握らせてきたアマリに恐縮きょうしゅくし、そうだとばかり、刈ってきたばかりの玉蜀黍とうもろこしを彼女に差し出した。

「こんなもん、貴方様の口に合わないかもしれねえが、わっしの気持ちだと思って受け取ってくだせえ」

「いや、済まぬ。土産みやげを持ってこなかったでな、良い土産みやげになる」

 軽く会釈えしゃくをすると、再び馬をいて歩き出そうとしたところで、農夫が付け加えた。

「今家に居るのはサフランさんだけじゃぞ、親父さんは朝早くタキへ行ったはず」

「ああ、分かってる。わたしはサフラン殿に用があるのだ」

 そう答え、アマリはまだ道端に立っている農夫を残して道を馬と歩み始めた。

 着いてみるとモローとサフランが住み暮らす家は、古ぼけて小さなものだが住みやすそうな家であった。家の裏側に大きな木が生えているため、晴れた日は屋根にほど良い具合に木陰こかげと日差しをもたらしていると思われる。前の庭には色とりどりの花が植えられ、井戸の奥に納屋があり、馬の匂いが微かにしていた。

 馬の手綱を家の扉近くにある杭にわき、少し躊躇ちゅうちょしながら扉を叩いた。杭の近くに馬用に水を満たされた木桶きおけが用意されていて、アマリの馬は木桶きおけに鼻面の突っ込み、水を飲み始めた。

「はい」

 と綺麗な声が応え、ぱたぱたと家の中から扉に近づてくる足音がした。

 扉が開いた。平凡な容貌だが、日に焼けた肌が輝くようなサフランをアマリは初めて見た。長い毛質の良い髪を後ろで束ねただけで、辺りの農婦のような出で立ちだが肉感的にっかんてきな体形とあいまって、自分にはない色香いろかがあるのをアマリは感じ取った。

 扉を挟んで互いを値踏ねぶみみするような見つめ合いが暫く続いた。

「どちらさんでしょう」

 サフランが綺麗な声でそう訊ねた。その声を改めて聞いたアマリは、女としては低い部類ぶるいにある自分の声を少し悔しく思うのだ。

「私、教練所でモロー殿と同じ助教を務めておりますアマリと申します」

叔父おじさんと同じ職場の人」

「はい、この間の戦いでもご一緒させていただきました」

 戦いを一緒に戦ったという部分を少し強調してアマリが答えたのだが、モクレンの方にはあまり響かなかったようだ。逆にモローを「叔父さん」とサフランが呼んだことにアマリはんだ。

「ああ、そうですか」

 モクレンはそう答え続けた。

「あの、叔父さんは教練所に出てますけど」

 すこし首を傾げ気味にモクレンが言うと、アマリは一つ頷いた。

「ええ、存じてます。今日はあなたにお会いしたくてまいったのです」

 何だか剣での鍔競つばせいでもしているようだと、そう言いながらアマリは思った。これまで以上の敵愾心てきばいしんが彼女の胸にむくむくを湧き上がってくるのを覚えた。

「そう。じゃあ、入ってくださいな。ちょうどご近所から頂いた蒲公英茶たんぽぽちゃがあるので、どうぞ一服して行ってください」

 そうモクレンが言ったが、アマリは蒲公英茶たんぽぽちゃなるものを飲んだことがない。薬草茶やくそうちゃでそんな物があるとは聞いていただけである。

(ものすごく苦いのじゃないか)

 モクレンに導かれて家の敷居しきいまたいだ彼女は、薬茶やくちゃの苦さで目を白黒させている自分を陰で笑おうとしているのではと一瞬疑っていた。だが、一目でモクレンが不思議な品格を備えていることも分かった。その品格が確かなら、自分にそんな悪意を向けるはずはないという気持ちもある。

 二人の住む家はアマリが暮らす屋敷のように広くった造りではなく、漆喰しっくいがれて土壁つちかべのぞくような、如何いかにも貧し気な物なのだが、室内は清潔で整理整頓が行き届いている。サフランが家の手入れを日々行っているのかがアマリはすぐに分かった。玄関を入ると、そこは居間と食堂のような空間で、かまどの近くに一枚板を使用した食卓と四卓の椅子が置かれていた。

 アマリは抱き続けてきた敵愾心が揺らぎそうになるのを感じた。彼女の思っていたサフラン像とは大きく違っているのを認めざるを得ない気分になる。

「すぐに用意ができるから、座っていてください」

 身体からあふれ出す品とは違い、モクレンの言葉遣いは庶民のそれである。日に焼けて化粧気のない顔だが、吸い込まれそうな澄んだ瞳が平凡ともいえる彼女の容貌ようぼうを美しく感じさせるのを、アマリは気づいた。

(この人が、モロー殿の娘で良かった。そうでなければ、わたしの喰い込む余地はなかったな)

 アマリは武術にはげみ過ぎて男のような体形になっている自分を思い、女としては数段サフランが上だと認めざるを得なかった。

「どうぞ」

 モクレンが大麦と貴重きちょうな砂糖で練った練り菓子を入れた木鉢きばちと、珍しい陶器とうき製の湯呑ゆのみに入れた蒲公英茶たんぽぽちゃを盆に乗せて持ってきた。練り菓子は此の間ガラムがたずさえてきた物である。

「少し苦いから、このお菓子と一緒に飲んでみて。結構いけるよ」

 そう笑みを浮かべながらモクレンは言い、遠慮がちのアマリに気を使い、自分から先に練り菓子を口に運んだ。

「かたじけない」

 アマリは椀に入った薄い黄金色の茶を覗き込んだ。これはお茶と言うより、やはり薬湯やくとうみたいだとモクレンを見ると、菓子を口に入れ、平然とした表情で湯気の上る湯呑ゆのみに口を付けている。

 練り菓子を摘まみ口にアマリが運んだ。ざらりとした触感の後に、麦芽ばくがと砂糖の甘みが口に広がるのを覚え、そこにモクレンに習って蒲公英茶たんぽぽちゃを一口啜ると、菓子の甘さとお茶の苦みが相殺そうさいし合い、中々美味うまいとアマリは感じた。

「あっ、おいしい」

「でしょっ、あたし、叔父さんに会うまで、こんなお茶があるの知らなかったの。最初は苦くてしかたなかったんだけど、甘いものと一緒に飲むと美味いって教えてもらったの」

 モクレンは朗らかな声でそう言った。

「叔父さんとは、モロー殿のことか」

「ええ、そう」

 なんだ、どうしたのというような顔をしてモクレンは答えた。

「……あなたのお父様とは違うのか」

「違うよ。叔父さんはあたしを救い出してくれた人」

「では、……あなたはモロー殿の奥方おくがたということか」

 胸が締め付けられそうな想いで、アマリはそう訊ねた。

「それも違うの。あたしが叔父さんの奥さんに成れる訳ないから」

「じゃあ、何だ。娘でも奥方でもないのに、なぜ、一緒に居る」

 アマリの口調が詰問調きつもんちょうに厳しくなる。モクレンの答えは、それだけ彼女を狼狽させたのだ。

「なんでだろう。……今でも不思議なの、どうしてこんな安楽な生活を私にさせてくれるのだろうって」

 そうモクレンは首を僅かにかしげて答えた。答えになっていないとアマリは思う。

「その、あなたとモロー殿は、愛人関係だとでもいうのか」

「違うと思う。出会った時は、叔父さんはあたしのお客だったから、あたしは叔父さんに抱かれたよ。それ一回だけ。こんなあたしを何故か身請みうけしてくれて、こうして普通の生活を送らせてくれるの」

 嫉妬と衝撃、それに伴う胸の苦しみでアマリの頭はいた。モローと身体の関係もあったというサフランに対して、自分は勝てないかもしれないと思った。

(ならば、この場でこの人を斬ってしまおうか……)

 その方が諦めは付く、このまま二人がみ続けると思うと耐えがたい。剣を一閃いっせんさせれば、彼女の細い首は簡単に跳ね飛ぶだろう。

「騎士さんも分かっていると思うけど、叔父さんは何故か人をきつけるの。ずっとそばに居たいと思ってしまうし、そのためなら、愛人でも身体だけの女でも何でも良いと思う。でもね、叔父さんはあたしを娘でいて欲しいと思っているのね。だから、娘として暮らしていこうと思った。思ったら、本当に心が軽くなった。びる事や誘惑といった女を出さなくても良い。それを出さなければ、叔父さんはあたしを娘として本当に大事にしてくれるのが分かったの。……それこそ父親のように」

 そう言い、モクレンはゆっくりとお茶に口を付けた。「もしここで」とアマリは思った。もしここでサフランを斬ったのなら、わたしはモローの娘を殺した女になってしまう。恋敵をあやめるのとその人の娘をあやめるのとは全く意味が違うことにアマリは気づいた。

「騎士さん。あたしはあなたがうらやましい。叔父さんはあなたを女として扱ってくれるかもしれないし、あたしはあなたの義理の娘となるかもしれないから……」

 不思議な人だとアマリはサフランを思った。自分と同じくらいモローが好きなはずなのに、彼女は女として求める地位を自ら降りているからだ。逆に言えば、それだけサフランはモローからの慈愛じあい一身いっしんに受けているからかも知れないとアマリは気づいた。

「あなたも叔父さんが好きなんでしょ」

 アマリは頷いてしまった。身にまとっていた自尊心じそんしんが崩れていく。

「じゃあ、同志ね」

 そう言い、モクレンは朗らかな笑みを浮かべた。それにられ、アマリも思わず微笑んでしまった。

「お友達になりましょ。あたし、友達って持ったこと無いの」

 この人は、何かを隠している。どんな過去を経てきたのだろう、そうアマリは思った。

 前庭に待たせているアマリの馬が主人の不在を不安がり、彼女を呼んでいる声がする。

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