第12話 出先機関

 偵察係ていさつがかり出先機関でさききかんは、同じような構えの店が建ち並ぶ一画にあった。店自体も極めてどこにでもあるような乾物屋かんぶつやである。間口まぐちが狭く繁盛はんじょうしているとはとても思えない店で、番台には太り気味で目尻のれた中年男が一人座っているだけだった。

 客は一人もおらず、中年男は所在しょざいなさげに背を丸めるように机に向かっていたが、入ってきたアマリに対しても、興味無きょうみなさげに見つめかえして来ただけだった。客だと期待しているふうには見えず、むしろ面倒な者が現れたという顔をし、すぐにも「お引き取りを……」とでも言い出しそうな塩梅あんばいである。

「オスダ豚の燻製くんせいはありますか」

 アマリはそう中年男に尋ねた。この世にオスダ豚などといったものはいない、これは王都から派遣されてきた者の符牒ふちょうで、この符牒ふちょうを伝えてきた人間には出先機関が保有している情報を開示しても構わないという命でもある。

「もちろんございます。では奥へ」

 中年男は億劫おっくうそうに番台を降りると、アマリを奥の部屋に誘った。連れられて足を踏み入れた部屋は意外に薄暗く、窓も切られていない。部屋の半分ほどを占める机があり、中年男は左側の席に座るや、手元に置いてある呼びりんを振った。アマリが男にすすめられ対面の席に座る間もなく、もう一人男が奥から現れた。

 この男は痩せ型で背が高いものの、顔つきは平凡でどこにでもいるような特徴のない容貌ようぼうをしていた。男はアマリを案内した中年男の隣に座った。

「第二騎士団のアマリです。ウルバン殿下の命で、エダの探索をすることになりました」

 そうアマリは二人の男にそう告げた。

「偵察係のヤズミと申します。隣は現地探索員たんさくいんのコバシです。遠路えんろご苦労様です」

 互いに名乗り合い、ヤズミとコバシはアマリが女騎士であることに少し驚いた顔をしたが、直接ウルバンの命で派遣されてきたことを知り、急に態度があらたまった。太り気味のコバシが現場探索員で、後から顔を出してきたヤズミは、コバシの上官じょうかんのようだ。年齢や体形、雰囲気から、最初アマリはコバシが上官じょうかんだと思っていた。

 その事を伝えようかと考えている所へ、少女のような娘が盆に茶碗を載せて現れ、無表情に三人の前へ茶碗を置くと、無言のまま戻っていった。ヤズミとコバシはそう言った態度にれているのか何も言及げんきゅうせず、アマリに茶をすすめた。出された湯呑ゆのみには庶民の口には入りにくい、本当の緑茶であった。

「さて、同道されているモロー殿は、いかがですかな」

 ヤズミが早速、モローの動静を訊ねてきた。アマリにはウルバンや偵察係がモローを気にすることが不思議でならない。モローは危機に見舞みまわれたオスダを軍と力を合わせて切り抜けた同志なのである。ましてやモローはみずか最前線さいぜんせんで「山の者」と対峙たいじし、おとりまで買って出たのだ。どうして危険視きかんしされるのかが、彼女はに落ちない。

如何いかがと言うが、何を知りたいのですか。モロー殿は私と同様、ウルバン殿下の命でこちらにおもむいている」

 そうアマリが言うと、ヤズミはうなづいた。

「そのためです。モロー殿はハンの人間。……われらオスダは呂之国とつながりを持つハンの人間がひそかに潜入せんにゅうすることに神経をちがらせております」

「モロー殿はひそかにオスダへ来たのではない。さらには王きもいりの教練所に自らつとめられたのだ」

「アマリ殿の疑念ぎねん、分かります。しかし、これが我らの職務です。国に害をおそれがあると思われる人物は監視しなければなりません」

 ヤズミは目の前に置かれた茶を一口すすって、そう説明した。

「それは分かる。あなた達の職責しょくせきは非常に重い事も分かる。だが、モロー殿を疑うのは間違っている」

 とアマリは食い下がった。

「アマリ殿。我らはモロー殿をどうこうするつもりはございません。アマリ殿とともに、ウルバン殿下のめいを忠実に守ってくれればそれで良いのです。そのめいに対し、モロー殿の反応を我らは知りたい」

 ゆっくりと湯呑ゆのみを机の上に置くと、そう言った。静かな口調だった、アマリを落ち着かせようとしているようだった。

「モロー殿には殿下の命をたがえようという気配はない」

 そうアマリは断言した。そうとしか言いようがない、誰も魔窟まくつとも思えるエダに侵入しようとする者など居ないはずだ。誰もやりたがらない任務を、オスダの人間ではないモローはやるつもりになっている。

「そうですか。……エダにはいつもぐるおつもりで」

 今までアマリとヤズミのやり取りをこれまで黙って聞いていたコバシが初めて自分から口を開いた。

数日中すうじつちゅうに、と考えている。だが我々はエダのことはあまり知らない。状況を教えていただきたい」

 やっとアマリが聞き出したい事柄ことがらに話が向き始めた。

 アマリは出先機関のちょうと思われるヤズミが自分と同じ騎士ではないかと思っている。騎士団の中にいる彼女だからこそ感じる感覚である。オスダでは一般的に騎士の地位が高く、偵察係の要員よういんにはそれほど高位こういの者がく部署ではないと思われている。だが実際は、有能な騎士が偵察係を務める例も多いのだ。それだけ、各地の情報収集におもきを置いている証拠で、これはウルバンが執政しっせいに加わるようになって変わった所でもある。

「ご存知とは思いますが、あそこは危険ですぞ。アマリ殿の前で失礼かもしれませんが、命の保証はありません」

 とヤズミが危惧きぐを伝えた。

「それは、覚悟しています」

 アマリはそう頷いた。

「……そうですか」

 ヤズミはアマリが頷くの見て、言葉を続けた。

もぐるには障害が二つあります。どれも厄介やっかいです。一つは呂之国の軍が駐留ちゅうりゅうしていることです。軍は何層にもじんを構えて、エダに通ずる洞窟から『山の者』が出てくるのを阻止そししようとしていますが、あまりうまくは行っていないようです」

「呂之国の軍……、ナウカワの兵ではないのですか」

 アマリはそう疑問をていした。

「はい、ご存じの通り、ここら一帯は蹂躙じゅうりんされ、それに伴いナウカワの兵のほとんどが戦死してしまったのです。あわてて、公爵の姉である呂之国の女王が兵を差し向け、さらには女王自らつい昨日まで滞留たいりゅう政務せいむり行い、今は何とか王都は平穏へいおんを保っているという状態です」

「軍が全滅……」

「まあ、全滅に近いのは王都を護る部隊ですが、国境などの各地から部隊を引き抜いて増強したにも関わらず大敗を喫したわけで、今やナウカワの軍は弱体してしまい、王都とエダとつながる洞窟周辺を護るのが精一杯せいいっぱいのところです。それにどうも、『山の者』は殺したこちらの兵を、エダに運んでいるようなので、戦死した者のとむらいもままならないようです」

 ヤズミの話を引きいだ現地探索員のコバシがナウカワの現状を話した。

「兵士たちの死体をですか」

左様さようです。我々は奴らの餌となっているようですな」

 ヤズミは深刻しんこくそうな調子で答えた。

共食ともぐいをするとは聞いていましたが、そんなことまでするとは知りませんでした」

 コバシがアマリの言葉に頷き、口を開いた。

「奴らは思った以上に組織立っております。それに獰猛どうもうです、この国の状況を見れば良く分かります。今現在でも、呂之国の兵士やナウカワの兵士の死体はエダへと運ばれているという状況です」

「我らの国は、幸運だったのか……」

 そうアマリが呟いた。確かにオスダも三つある騎士団の内、一つは瓦解がかいさせられている。苦肉くにくさくで、二つの騎士団を合併させ、モローの力も借り、総力戦で挑んで何とか勝ちを収めたのだ。

「はい、幸運としか言いようがありませんな。あやつらには頭目とうもくとなるものがおらぬようですが、明確な命令により動いております」

 とヤズミは頷いた。

「で、二つ目は」

「これが一番の問題です」

 ヤズミはコバシに視線をやり、コバシが口を開いた。

「エダに通ずる洞窟を半分ほど行ったところで『山の者』が待ち構えております。それも十数体はいると聞きます」

「つまり、先も行ったとおり、奴らは組織だった行動で、こちら側を待ち構えているということです。洞窟が発見された当初は、洞窟に奴らが侵入することは無かったらしいのですが、こちら側の人間が盛んに侵入を繰り返すようになると、奴らも知ったのですな。洞窟を抜けるとえさがあると……」

 と再びコバシの話を引き取ったヤズミが付け加えてきた。

 アマリはしばらく黙っていたが、こう切り出した。

「我々二人を案内することは可能でしょか」

「可能です。このようなことに便宜べんぎを払うのも我々の役目ですし、コバシが見つけた裏道がありますので、裏道の入口まではご案内できます」

「入口までですか」

「はい、申し訳ありませんが。呂之国も我々のような組織があり優秀ですので、その目をくぐらねばなりません」

 そうヤズミが最後まで案内できない理由を説明したが、アマリにはそれが言いわけにしか聞こえなかった。だが、偵察係の言い分も分かる、このタカキでは峻烈しゅんれつ情報戦じょうほうせんが繰り返されているのかも知れないからだ。身元が開かされてしまった彼らの安全は、たちまあやうくなる。

「洞窟の周辺の状況はどうでしょう」

 とアマリは気持ちを切り替えるように、そう訊ねた。

「両国の兵が、洞窟から出てきた奴らを阻止するために、三層の馬防柵ばぼうさくを展開させて警備しております」

「それですと、洞窟には入る事ができないのでは……」

「はい、ですからとして入る事をお勧めします。こんな状況になっても、この国はならば洞窟に入る許可を与える制度せいどが生きております。まあ軍としては、入ったが戻ってこなければ、エダの状況は相変あいかわらずかんばしくないということになりますし、戻ってくれば、直接情報が取れますので」

 とヤズミが答えた。

など聞いたことはないが」

「そうでしょうとも、洞窟が発見され、エダに向かおうとする者達をナウカワではと呼ぶようになったのです。今でも、エダに行こうと思えば、書類さへそろえれば誰でもになれます」

の書類をそろえるにはどうすれば」

「私どもにお任せください、お二人分の書類を揃えるなど雑作ぞうさもないことです。明日の朝までに揃えておきましょう」

 ヤズミはそう請け合った。

「よろしい、の書類と我らの道案内を頼みます」

「承知いたしました」

 その答えを聞いたアマリは席を立とうとした。

「ああ、お待ちを。アマリ殿は今晩こんばんどうなされるのですか、何か予定でも……」

 そうヤズミが尋ねた。

「まあ、適当に」

「では、私共わたくしども一席設もうけさせてはいただけませんか」

 ヤズミがそう言った。

「いや、我らは隠密おんみつで動いていますので」

 アマリは断ろうとそう言った。

「隠密でしたら、我々も同じです。別に騎士殿を正式に招待というわけではないのです。街の商人が得意先を食事にお誘いするだけですので」

 そうヤズミはどうしても食事に招待したいようだ。アマリも社交的な場に出るのが嫌いではない。迷ったが、承諾しょうだくした。その後に酒の力を借りる場面もあるかもしれないからだ。


 ―宿―

 アマリはその夜、かなり酔った。

 長い酒宴しゅえんが終わり、宿に戻った所までは覚えているが、宿の暖簾のせんくぐった瞬間から意識が飛びがちになっていた。

 とりあえず自分の部屋に戻ろうと思ったことは覚えている。暗い階段を昇り、僅かな壁掛かべか行燈あんどんの明かりがともされた廊下を歩いたことは確かだ。ヤズミが明日の昼前に、エダへの抜け道に案内するという話をモローに伝えねばと思った気がする。

 それでもこんな夜更よふけにモローの部屋を訪ねる事におくしてしまい、アマリは自分の部屋に戻ったつもりだった。明かりはともっておらず、窓からの月明かりだけが部屋を照らしている。自分の荷物なども偵察係へ談合だんごうに出掛ける前と同じ位置にある。違ったのは、差し込む月明かりに照らされた寝台の上にモローの姿があることで、アマリの酔いが少し飛んだ。

「モロー殿、……どうされました」

 自分でも間抜けな問いだとアマリは思った。

「約束を果たしにきた」

 何を果たしに来たのは明白だった。

 酔いも手伝い全身をつらぬくような激しい衝動しょうどうがいきなりき上がってきた。服を脱ぐのももどかしく、アマリはモローにいどむよう身を差し出したような気がする。

 眠りから目覚めると、酔いが薄れており、頭痛に加え、下腹部にはしびれるような痛みがあった。

 アマリは、自分が素裸で毛布にくるまれている事を知った。窓から差しこむ月明かりの中、自分の隣にモローが左を下にして横たわっている。彼の伸ばした右腕をアマリは枕代まくらがわりにしており、そのモローも素裸だった。

 自分が彼の愛撫あいぶでのたうち回っていたのを思い出し羞恥心しゅうちしんに見舞われたと同時に、今まで抱いていた願望の一つが満たされたことへの喜びが湧き上がってくる。

 覆い被さるモローに回した腕で感じた背中の感触や、手を下にすべらせた時の律動りつどうする臀部でんぶの触感も思い出した。彼の身体を受け入れた充足感じゅうそくかんわずかな痛み、そしてそれ以上の絶頂感。知らず発せられる言葉にならない声やため息、動きを止めたモローが自分を見つめる思いもしない優しい眼差まなざしから受ける幸福感は、彼女がいまだかつて経験したことのないものだった。

(また抱きついたら、馴れ馴れしいと思われるかもしれない)

 モローに目を向けられず、素早く毛布の下から滑り出ようとすると、アマリの左腕をモローが掴んできた。

「どうした」

 驚いて振り向くとモローが自分を見つめていた。

「……」

かわやか」

「……はい」

 モローに背中を向け、アマリは頷いた。その欲求は確かにあった。

「俺は、ここにまだ居て良いかな」

 とモローは言った。

「はい、……居てください」

 寝台から立ち上がったアマリはそう答え、モローが裸の後姿を見つめてくれることを期待しながら、言葉を続けた。後姿には少し自信があるのだ。

「……明日の昼前、偵察係の者が抜け道まで案内するとのことです」

「分かった」

 モローが答えた。

 用をし部屋に戻りモローの姿を探した。彼が依然いぜんとして寝台に横たわっているのを見て安心する。とはいえ、再びモローの横に身体を横たえるのを躊躇ちゅうちょして寝台のふちに腰かけたアマリを、モローが身体を起こし、彼女を後ろから抱き締め、そのまま寝台に二人は倒れこんだ。

「……用を足してきたばかりです」

 羞恥のあまりそう言ったアマリの首筋をモローの唇が強く吸った。

「構わん」

 モローの手がアマリの小ぶりな乳房をおおった。


 ―エダへ―

 結局コバシは、本当に抜け道の入口までしか案内してくれなかった。

「では、お気をつけて」

 と一礼し、一人飄々ひょうひょうと戻っていくコバシの太った後姿をモローとアマリは、あっけに取られたように見送った。彼が言うには、この抜け道は三つほど峠を越えて、三番目の峠を過ぎた後は、そのままエダへ通ずる洞窟のある地域に自然と到着するという。

 二人は山深い、荒れた道を進んだ。山道は馬車のわだちもないことから、辺りには人家の一つも見当たらず、ひさしく人が通った形跡がないようだ。ただ、道には草などがはびこってはいるものの、どんな狭隘きょうあいな地形となっても、道自体はしっかり敷かれており、良く見ると昔は法面のりめんなどもきちんと整備されていたのではないかと思えるほど、しっかりとしていた。

 馬車を曳く馬は、疲れた様子を見せず、一定の速度で山道を進んでいく。

(このまま、エダには行かず、どっか知らない所に行けたら……)

 アマリは馬車の揺れに乗じて、身体をモローに寄せた。モローの肩に自分の肩が触れ、知らず身体が熱くなる。

「コバシ殿は、この先で道がふさがっていると言ってましたね」

 甘えるように、モローに身体を預けながらアマリがコバシから二つ目の峠の先は崩れており、馬車などは通れないかも知れない、と聞いた事を告げた。

「そうなれば馬車は置いていくしかないな」

 モローは身体を寄せてきたアマリに目をやりながら答えた。

(このまま、知らぬ土地で暮らしたい)

 と思わず口走くちばしりそうになった。

「馬はどうするのです」

 そう訊ねた彼女に、モローは事も無げに言った。

「放す。自由にしてやる。たぶん行きたい所に行くだろう」

「この子が行きたい所って……、分かってるんですの」

「娘の所だ、こいつはあれが好きで仕方がないようだ。ずっと一緒だった俺によりもなついてしまった」

 薄くモローは笑いを含んだ表情を見せた。

 うねうねと山道は続き、左手に裾野の広い三角形の山の脇を進んだ。山はその頂きから白い噴煙ふんえんを立ちのぼらさせている。このほかにもエダとこちらを分けている山脈の幾つかには火山があり、夜ともなると噴火の赤いまたたきが望める。洞窟が発見される前までは、こうした火山と人を寄せ付けない峻険しゅんけん峰々みねみねが「山の者」の侵入をはばんできたと思われる。

 やがて日がかげり始めた。辺りは濃い紫色に染まっていた。

「ここまでだな」

 モローはそうつぶやき馬車を停車させた。

 アマリは今日の行程はここまでという意味で聞いていたが、薄暗くなった前方をよく見ると、道の端を切り崩し家二軒ほどの空き地が出来ており、その先の道が土砂でふさがっていた。おそらくであるが、山肌を切ったことで、次第に地盤じばんが弱くなり崩れたのだと思われた。

「明日からは徒歩だ」

 そうアマリに伝えモローは馬車を降り、馬を馬車から離した。幸いなことに、少し戻ったところに山側の道端みちばたを沢の水が滝のように流れ落ちている個所も見つけたし、空き地には馬の餌となる草がみっしりと生えている。モローは馬の手綱を握り、沢がある所まで馬を曳いていった。山から落ちてきた沢の水溜まりに馬は鼻を突っ込んでのどうるおし始めた。

 水を飲んでいる馬を残し、馬車の所へモローが戻ると空き地の奥まったやぶの中からアマリがいそいそと現れた。

「火をおこして、食事にしよう」

 何をしてきたのかは問わず、モローはそうアマリに声を掛けた。アマリはこっくりと頷いた。


 翌朝、アマリは裸の身体を一枚の毛布に包まれた状態で目を覚ました。一緒に眠っていた筈のモローは見えず、彼女は置いて行かれたのかと、裸のまま馬車の後部から身体を乗り出し、焦りと薄暗い早朝の冷たさを感じながらあたりを見回し、モローが焚火たきびの燃え残りを処理しているのが見えた。

 安堵あんどをすると脱ぎ散らかしていた服を身に着け、アマリは馬車を飛び降りモローに声を掛けた。

「早いですね」

 モローは焚火の後に残った消し炭と灰を足で地面にならしている。

「よく眠れたか」

 狭い馬車で肌を合わせ、モローのはかり知れない体力を感じながら、数を重ねるごとに快感が強くなることを、アマリは知ったのである。

「起きたばかりで済まないが、昼までには洞窟を抜けたい」

 腰をかがめて、焚火の灰を見つめていたモローはそう言いながら立ち上がった。そして、馬車から身を乗り出しているアマリを見つめ、にやりと笑った。

「戻っても良いんだぞ」

「むろん……私も行きます」

 アマリは反射的にそう答えていた。思いのほかに強い口調だった。

(なぜ、そんなことを言うの)

 疑問に思いつつも怒りが湧いた。

「本当に良いんだな。互いに死ぬ確率は高いぞ」

「その覚悟かくごで来ています」

 その覚悟かくごだから、自分はモローを求めたのだ。そして、モローとのひと時は身体に焼き付いている。その記憶と感覚でアマリのきもはさらにわっていた。

「では、俺に命をあずけるんだな」

「はい」

 アマリはモローの瞳を見つめ頷いた。

「さてと、ならば準備をしよう」

 見つめてくるアマリの視線を外し、モローは少し照れたように答えた。その言葉を聞いていたのか、そろそろ自分の仕事が始まると思ったのか、空き地で白爪草しろつめぐさんでいた馬が、ゆっくりと二人に近づいてきた。

 二人のすぐ側で立ち止まり、大きな瞳を向け馬は鼻面をモローに近づけてくる。馬は明らかに撫でてくれと要求しているのだが、彼はスッと馬に背を向けると馬車の荷台に向かってしまい、当てが外れた馬が、寂し気にモローの背を追っているのがいとしくなり、アマリは代わりに馬の鼻面を撫でてやった。

 荷台に昇り、何かをしていたモローが、ほろから顔を出した。

「ちょっとこっちに来てくれ」

 そうアマリに声を掛けると、すぐに荷台の中に顔を引っ込めてしまった。呼ばれたアマリは、馬車に近づき、荷台の中を覗き込んだ。モローは荷台の羽目板はめいたを外し、以前、「山の者」と戦った際に使用した鉄の矢が入っている床下収納庫から、あの時の武器とどこか似ているが、もっと携行けいこうに便利な形状で手槍てやりのような物体を二つひっぱり上げている。

「それは……」

 何とも武骨ぶこつ代物しろものだった。見た目、魚にも似た形状をしている。モローが持っているのだから、何らかの武器には違いないだろうが、どういった種類の武器なのかは分からなかった。その二つを並べて床に置くと、再び身体を床下収納庫に潜らせ、モローは迷彩柄めいさいがらの衣類二点と古びて茶色に変色したと思われる頭陀袋ずたぶくろを取り出してきた。

「これを着て欲しい、ハンではこの手の武器を使用するときに着るものだ」

 モローが防具の胴に似た迷彩柄めいさいがらの衣類を一つとり、アマリに頭からかぶせた。両肩部分に幅の広い帯が着いた物で、彼女が被ると胸や腹の部分を覆ってくれるそれは、鎧程よろいほどではないが多少重たかった。その前部分にはざらざらした帯がい付けられているのだが、そこの部分にモローは同じような迷彩柄でずっしりとした袋を四つ付けた。不思議なのだが、その袋は紐等で固定しなくても、衣服に張り付くことができるようだった。

「この袋はなんでしょう」

 そう言い、アマリが洞に装着された袋の蓋を空けると、黒い板状の物が二つ入っており、その一部分から、以前モローが「山の者」に使用した物に似た指状の金属が、その板の中に仕舞われているようだった。

「予備の矢だ。それがこの二つの袋に二つ、こちらの袋には一つずつ入っている。それと、こちらには……」

 モローが二つある槍のような武器の一つを手に持つと、アマリに手渡した。

「予備の矢と同じものが、これの、ここの部分に付いている。矢の数は三十本、それを放ち終えるとこの板を取り外し、胸の袋に入っている板と交換する」

 モローは槍をアマリに持たせると、もう一つを手に取り、武器の構え方や、発射する場合は一本ずつ、三本ずつ、板に収まる矢が無くなるまで連続して発射するかを決めることができることを話した。そのためには「タ」、「3」、「レ」と刻印こくいんされている部分へ附属ふぞくする爪を動かせばよいこと、発射しない時は必ず爪を「ア」に合せておくことなどをモローは説明した。

「百年前、ハンの者達が海沿いの崖でこれらが埋まっていた遺跡を見つけてな、我々はそれを利用する事にしたのだ」

 モローは自分の武器を撫でながらそう言った。

 ハンは亥之国、呂之国などが林立りんりつするアマツの北、百二十陸里離れた所にある。

 彼らが発見した遺跡は厳重に密閉みっぺいされ、め隠された巨大な箱状のもので、苦労して遺跡をあばいたところ、様々な武器とおぼしき物が収納されていたのだ。

 見た事もない、そして非常に発達した技術から生み出されたと思われる武器類をハンの者は使いこなそうとした。暴発ぼうはつ、誤動作などで多くの人命を失った果て、何んとか一部の使い方は習得しゅうとくできたが、まだどう使う物なのかが分からぬ武器が数多く残っている。

 ハンの土地一帯いったいは、土に塩分が多量に含まれているため農作物は育たず、かつ平地も少なく、人が生活をいとなむには都合つごうの悪い土地であった。

 そのため、ハンの人々の多くは、過ごしやすい土地に流れて行き、残った一部の者は、各々小さな集落を形成し、集落のおさが集まり合議ごうぎでハンの方向性を決めていた。

 モローらハンで生まれた者は武術を身に着け、周囲の国に雇われたり、または暗殺など影の仕事をこなすなどをし、その対価たいかに高額な報酬ほうしゅうを得ることで部族集合体しゅうごうたいを運営している。

「これも、ハンで見つかった遺物いぶつなのですか」

 とごつごつした魚のような金属の矢筒が見た目以上に軽いのを驚きながら訊ねた。魚の尾びれの形状をした部分に「89式5.56mm小銃」と読めないものの文字らしきものが刻印されている。

「そのようだな。以前使った物と同じ頃見つかったと聞いている」

 そう答え、モローもまた、アマリと同じように迷彩柄の服を頭から被った。

 自分もそうだろうが、非情に似合わない野暮やぼったい服だとアマリは思った。

「誰がのこしたのでしょうか」

「さあな、歴史が始まる前に存在していた何者かだろうな」

 興味無さげにモローは答え、自分の持ち物を馬車から降ろすようアマリに伝えた。

 馬車を降りたモローは、彼の指示を待っている馬に近づいていく。アマリもモローの後に付いて馬の所へ行くと、馬がじっとモローを見つめていた。

 馬の首筋を軽く叩いたモローは、手綱を握ると空き地から道へと馬を曳きだした。進んできた方向に馬首ばしゅを回し、手綱とみを馬から外した。そして、もう一度馬の首筋を叩いてやり、突然、馬の尻をかなりの強さで叩いた。大きな打擲音ちょうちゃくおん谷間たにあいに反響し、痛みと音に馬は驚いて駆け出し、馬はこちらを振り向かないまま、左に折れていく坂道を駆け降り、視界から消えていった。

 馬を放つと、モローは次に馬車に火をかけた。燈明とうみょう用の油をかけられ火を点けられた馬車はたちまち盛大な炎を上げて燃え始めた。あまりにもあっけなく燃え上がったなとアマリは感じた。

 ようやく山のから朝の太陽が顔を覗かせ辺りは明るくなり、雲一つない空が高かった。今日も良い天気になりそうだった。その空へ、煙が立ち上って行く、それをモローは一人見つめていた。

 そこへアマリが近づいてきた。

「さあ、行きましょう」

 肩に下げたモローから渡された魚のような形をした矢筒をゆすり上げ、アマリは彼を促した。

 炎を見つめていたモローがアマリに軽く頷き、焼けて崩れ出した馬車に背を向けた。彼は自分の刀に加え、アマリと同じ矢筒に、何が入っているのか分からぬ頭陀袋ずだぶくろを肩に下げている。

「それは何です」

 アマリはモローが下げている頭陀袋ずだぶくろを指さした。

「俺にも良く分からんが、火薬の一種だ。威力は強い」

「それが必要になるのでしょうか」

「なるかもしれない」

 そう答え歩き始めたモローと肩を並べたアマリは、彼の横顔を見上げた。二人して死地しちに出向く、そんな気持ちがアマリに湧き上がっている。自分はモローにとって特別な存在になれるのだろうか、そんな想いにもられていた。

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