第13話 洞窟

 コバシの言った通り、峠を三つ越えた途端とたん眼下がんかが急に開けた。

 二人が望むその景色は、穏やかの一言に尽きた。そこは薄いもやがたなびき、その中を豊富な水量を湛えた川幅の広い川がうねる様に流れている。川の両脇を山々がはさむように重なり、巨大な谷が形作られていた。谷間たにあいを流れる川の両岸は侵食しんしょく作用で形作られた河岸段丘かがんだんきゅうが続き、それを利用した畑とおぼしき物が点在しており、その土地の肥沃ひよくさを表しているようだった。

 だが、山を下るに連れ、それは遠目に見ただけの光景であったことを思い知ることとなった。実際は全てが「山の者」との戦いで荒れ果て、おびただしい乱闘の跡がそこかしこに残っており、死肉しにくの発する腐臭ふしゅうさえまだ残っているのではと思えるほど荒廃こうはいしていた。

 ナウカワ公国軍はあっけなく「山の者」の侵入を許してしまい、王都さえ蹂躙じゅうりんされ主要部隊はほぼ壊滅かいめつしている。だが「山の者」もナウカウ公国軍との戦いで勢いをげんじ、次いで進撃した先のオスダ国の国境沿いでオスダ軍に食い止められ瓦解がかいした。その後救援きゅうえんに駆けつけた呂之国軍と散り散りになった将兵をかき集めたナウカワ公国の連合軍は、かろうじて「山の者」が出現する洞窟入口を中心に三段かまえの防衛線ぼうえいせんを構築して、新たな侵入に備え、何んとか現状を維持している状況である。

 洞窟の入口は川の流れが形成した河岸段丘と山の重なる部分にあり、防衛線は段丘面だんきゅうめん木組きぐみの防壁ぼうへきと急激に川へと落ちる段丘だんきゅうの壁を利用したものだった。

 モローとアマリがまず向かったのは三重に造られた防衛線の一番外側に当たるツヨノという集落で、そこには軍の衛所えいしょが設けられている。その衛所で「探索者」の札を見せなくてはそれ以上進めないのだ。

 ツヨノは人影がなく、やはり荒れ果てていた。街の住人のほとんどは、「山の者」に襲われ亡くなるか街を捨てたという。衛所といっても、通常の頑健がんけんな石造りではなく、急あつらえで建築したらしい木造の衛所で物見台ものみだいも兼ねた物だった。どこからかかすかに腐臭ふしゅうが漂っていた。

 衛所の中は広く、そして涼しかった。その端に机が三たくほど並んでおり、ただ一人、中年の男性が手持ても無沙汰気ぶたさげに入ってきたモローとアマリを見つめていた。

「なんでしょうかな」

 中年の男は何とも気の抜けた口調で訊ねてきた。モローはそれに応えず、男に近づくとふところから木札を目の前に置いた。それにならってアマリも男の前に「探索者」の札を置くと、男は「おや、女か」というような顔を男がした。

「はあ、……珍しいですな」

 と男は木札と二人を交互こうご見比みくらべ、失笑しっしょうのような笑みを浮かべながら言った。

「我々が珍しいと……」

 アマリは、自分達を軽んじているような態度を示した男に腹を立てたようだった。

「いえいえ、まあ、あちらの状況は分かってないのでね、国としては禁じてはいませんが、精強せいきょうの兵士団でさえ戻ってはこない場所に、わざわざ向かうというのが、私としては不思議であり、やめた方が良いと思う訳です。ましてや、二、三日前にも洞窟を抜けてこちらに攻撃を仕掛けてきていますし」

「我々が珍しいということは、あちらへ行こうという者はいないということなのか」

 とアマリが訊ねた。

「ええ、……まあ」

 男は無神経にこちらの気持ちを逆撫さかなぜるように話す。

「来るのは奴らばかりです。守る方はたまったものじゃない」

 と男は続けた。

「まるで、我々が通るのは迷惑だとでも言うような口ぶりだな」

 「山の者」が現れると、この男まで戦いに駆り出されるらしく、彼がそれを嫌がっているのは間違いなさそうだ。

「いや、こちらはあなた方に正しい状況を説明し、思いとどまってもらう事も仕事の内でして……。現状、おすすめはしません」

 男はそう話した。男の言葉に「はい、そうですか」といって断念する訳にはいかないことを、アマリが告げようとすると、それまで黙っていたモローが重い口を開いた。

「許可しない訳ではないのだろう」

 そう事も無げにモローは言い、再び口を閉じた。

建前上たてまえじょうは、そうです。しかし、これまでの状況を見ると、めて置いた方が良いというのが、軍の認識なのです。以前ならいざ知らず、現状はおたくらが行方不明になったとしても、捜索や救援はしません。探索者は戻ってこなければ報酬ほうしゅうは出ないので、つまり死に損ということです」

 そして「それでも良ければ、許可します」と男は言った。モローとアマリは「それでも良い」と答え、男から一枚の許可証を手渡された。それでもまだ男は二人が洞窟入るのを気にしているらしく「止めておいた方が良い」と最後まで言い続けていた。


 三つある防衛柵ぼうえいさくの内、洞窟に最も近い柵は修復中しゅうふくちゅうであった。ここにいたあいだ、モローとアマリは傷つき疲れ果て士気の落ちた呂之国とナウカワ公国兵士が欲得よくとくもなく地面にへたり込んでいる姿を多く見た。一様いちように彼らの目には、これから洞窟へ向かおうとしている二人の姿を見ても、何の興味を示しておらず、ただ中空ちゅうくう腑抜ふぬけたような目で見つめているだけだった。

 どうやら、三番目の防衛柵近辺きんぺんで「山の者」と戦い傷ついた兵を、後方こうほうへ下がらせたのは良いが、傷の処置が追い付いていないと見受けられた。

 防衛柵の内側は、騎馬隊、弓兵、槍兵、歩兵が各々の隊を示す旗をかかげてまっており、かなりの陣容じんように見える。だが兵士達は戦闘に疲れ果て、士気は高くなさそうだった。休息も後方からの増員もままならないのかもしれない。

 柵から見る風景は、壁のような山脈を背景に、のどかな山野が広がり牧歌的ぼっかてきな風景が続いている。洞窟が発見され「山の者」達の侵入が始まる前は、畑などがいとまれていただろうことが分かる。

 兵たちのいぶかし気な視線を浴びながら、最前線にある駐屯処ちゅうとんしょ幕舎ばくしゃを二人はくぐった。ここで、洞窟に足を踏み入れることへの最終的な許可を受けなければならない。幕舎は、布と木を組み合わせた大きな物で、そこに呂之国軍の軍服を身に着けた男二人とナウカワ公国軍の軍服を着ている男の三人が地図が広げられた机をかこっており、幕舎に入ってきた二人の奇妙な出で立ちに興味をいたようだった。

 三人の男は、モローとアマリが「探索者」であるのに少し驚いたようだが、アマリが女であること、さらに彼女の立ち振る舞いからどこかの騎士であると看破かんぱはしたようだった。だが、「探索者」として来ていることから、モローとアマリは自分の名や身分を明かさなかった。

 呂之国の士官しかんと思われる一人の若い男がじっとモローを見つめていた。

 二人は「探索者」の木札と後方の衛所からもらった通行許可札を提示した。

「止はしないが、すすめもしないぞ」

 衛所の男と同じ事を五人の中で最もくらいが高く見える男がそう言った。

「構わない、許可さえもらえばいい」

 鼻で樹を括ったような物言いにしびれをきらしたようにモローが不愛想に答えた。

「お前たち、あそこに何が潜み、何を狙っているのか分かっておるのか。それにお前たちのような者が何組も入っていったが、一人として戻ってこないのだぞ」

「それは聞いている」

 とモローが答えた。それを引きいでアマリが言葉を続けた。

「こちらも行かざるを得ない訳があるのです」

「……その理由はあええて聞かんが、何が待ち受けているかは、覚悟の上なのだな」

「はい」

 アマリは頷いた。

 しばらく間があり、上官の男は手にした二人の木札をアマリに返しながら「良いだろう」と言った。

「お前たちが運よく戻ってこられれば、あっちの様子が分かるからな。まあ、無理だがな、無駄死むだじにだぞ」

「分かってます」

 許可が出そうであり、アマリはホッとした。

「分かった、許可しよう」

 そう言い、男は後ろに控えている若い男に向かって承認しょうにんを得るように見返した。どうやら、上官はこの男ではなく、若い男の方だったようだ。モローを凝視ぎょうしし続けていた若い男は、一つ小さく頷いて承諾しょうだくした。

「では、これからあちらに参りたいと思いますので」

 とアマリが答え、モローがきびすを返そうとしたとき、若い男が「ナガキと言います」と自分の名を告げて呼び止めた。

「モロー殿。以前、もう十三年も前ですが、ウミヤの王宮でお会いしたことがあります」

 モローが足を止め、アマリもそれにならった。

「あなたは、女王に呼ばれて王宮に参上さんじょうされた。私はその場の末席まっせきにおりました。今回のこれも、陛下の命ですか」

 あの荘厳そうげんで薄暗い謁見えっけんの間に、この若い男がいたというが、当のモローは顔を思い出せないでいた。

「名は同じだが人違いではないか。ウミヤの王宮に行ったことはない」

「まあ、そう言うでしょうな。私はタケキにも潜り込み、あなたの合図を待つ任務にも就きました」

 モクレンの両親を殺害し、彼の合図でタカキに忍んでいた呂之国の部隊は、タカキの街を荒らしまわり混乱をもたらした。国境をひそかに超えさせていた大軍にシュリの命が下り呂之国軍は、ナカツノ王国を転覆てんぷくさせている。

「人違いだ」

 モローはからみつくような視線を投げてくる若い男をいなすようにそう答え、不審げな顔つきをしているアマリに対し、顔色を消しながら「行くぞ」とうながした。

 もう誰も二人を止める者はいなかった。


 ―潜入―

 兵達が多く溜まっていた柵の内側とは違い、柵を抜けた外側はがらりと様相ようそうが変わる。暑い日が続いたせいか、夏の季節が終わりを迎えようとしているにも関わらず、残り少なくなった季節を取り戻そうとするかように蝉がうるさく鳴ききそっていた。辺りは血の匂いと腐臭が漂っていて、注意してあゆまないと至る所に無数のはえにたかられた兵士や「山の者」の手足や内臓、肉片などに加え、乾いた血溜まりなどに足を突っ込みそうになる。

 「山の者」が侵入する前までは、人が住んでいたらしく、空き家となった家が散見さんけんされ、畑らしき跡もあったが、今は荒らされと成りてていた。

 山を左手にしばらく進むと、大きな広場に出た。何か巨大な建物があったのではないかと思われる遺跡で、荒れてはいるが規則的に並んだ柱の跡のようなものと、びてち果ててしまった金属がかれた跡が八本伸びている。洞窟の入口までは、その痕跡を辿たどれば行き着くと教えられていた。

 錆びて朽ちた八本の錆による痕跡こんせきは、進むに従い四本に集合され、北東へ一直線で伸びている。そのまま進むと、切通きりとおしのような地形となった。元々は隧道すいどうのように天井もあったらしい。

 山を切り分け、道ではなく何かのために構築されたと思しき真っ直ぐに延びる切通の中を二人は歩いた。途中、何箇所か切通の壁が崩れ先を塞いていたが、すでに多くの者がそこを乗り越えたらしい獣道けものみちができていて、そこを辿たどれば、再び鉄の敷かれた跡に戻る事ができた。そして、ここにも「山の者」と兵士達の戦いの痕跡こんせきが生々しく残っている。

 とはいえ、それほど歩きにくい所でもないため、二人は黙々と足を運んでいく。  

 アマリは先の幕舎にいた若い士官がモローに話しかけた事が気になっていた。確かにモローは不確実な、掴みがたい部分が多い。ハンの者であるに加え、何を稼業にしてきたのかが分からない。武芸に一際優ひときわすぐれているので、その関係だとは思うものの、彼女はそれだけではないような気がしている。けれども、今、この時はそんな考えをする時ではないとも感じた。

 これから、二人して死地しちともいえる場所へ行くのだ。そういった懸念は、無事に帰ってこられたらにしようとアマリは決めた。それに、これまでの話から、自分達の生還はかなり難しいようだ。ならば余計な事を考えない方が良い。

 岩と土を取り除いた洞窟の入口が唐突とうとつに現れた。入口はそこを塞いでいた大量の土砂どしゃが、幾度かの大雨か何かで崩れたために偶然現れたもので、土砂を除いて広げて通りやすくしたものである。入口が発見された以来、当初とうしょこちら側からは多くの者が洞窟を分け入っていった。だが、一人として戻ってきた者はなく、逆にわらわらと湧いてくる「山の者」に悩まされることとなり、領地を荒らされ、多くの兵を失い、今やナウカワ公国は呂之国の力を借りなければ存立そんりつさえあやうい按配あんばいなのである。

 二人は暫く洞窟の入口で立ち尽くしていた。腐敗臭と獣臭けものしゅうが混ざったような冷ややかな風が洞の奥から噴き出しており、アマリはその匂いにたじろいだが、モローは顔色一つ変えていない。

「さて、行くか」

 モローは薄く笑みを浮かべながら洞窟内に足を踏み入れた。

「洞内では剣よりこいつを使う。そのつもりでいてくれ」

 そうアマリに渡した不可思議な武器を指さすと、「こう構えるのだ」というように自分の持つ武器の筒先を前に向けて見せた。モローの構え方をアマリも真似たが、自分は剣をあつかう方が良いと思った。

 ずっしりとしたこの筒が、どのような働きをするのか、彼女はそれ程理解していなかった。操作の方法は聞いた、だが、その操作をしてどうなるのか、理解の薄いアマリはまだ知らない。高速で矢が射出されると聞いてはいる。以前、モローから手渡された武器を使ったことがあり、あんな感じなのだろうかと思う。

「明かりは必要ないのですか」

 明るい地上から光の差さない洞内に入った為、アマリの視力はたように何も見えなくなった。それを聞き頭陀袋ずだぶくろから火打石のような物を取り出し、モローは洞窟の奥から吹いてくる風をよけながら携行用けいこうよう行燈あんどんに火を着火させた。鈍い朱色の光が辺りを照らし始めたが、それでも光量不足だった。アマリには十歩先の様子も見えない。

 洞内はかなり広い空間を保ちながら、ひたすら続いていた。先のどこかで水が湧いているのだろう、冷たい茶色く変色した水が壁際を音を立ててながれている。

 洞窟に入るまでは、鉄錆てつさびの帯が四本見え隠れしていたのが、中ではちかけてはいるものの、鉄の軌道きどうが四本残っている箇所かしょが増えている。

 洞窟の形状は一風変わっていて、下の部分は「とつ」型を二つ並べた形をしており、凸型が二つ並んだ隙間や壁側は深く切れ込んでいた。そこに洞窟内のどこかから湧きだした水が小さく音をたてて流れている。良く見ると、今進んでいる辺りは僅かに上り坂となっているようだった。どう考えても、巨大な何かが洞窟内を通っていたとしか考えられなかった。

 軌道きどうが敷かれている「凸型」の部分や滑らかな壁に続く天井などは、地下水などがしたたっているにも関わらず非常に頑健がんけんらしく、その壁や天井に二人の足音がひたひたとこだました。

 結構な距離を歩いていた。洞内を吹き渡るひんやりとした風はそのままだったが、鼻が馴れたのかアマリはいつしか腐臭や獣臭が感じられなくなっていた。その代わり、洞内の空気圧が変わったらしく、耳を圧迫あっぱくするような軽い痛みが始まっている。洞は上りながら緩やかに左に曲がる曲線となり、しばらくすると再び直線に戻った。そこで二人は巨大な廃墟はいきょ遭遇そうぐうした。今は多少片付けられているが、ここが大量の白骨が発見された場所だと分かった。

 見たことのないような金属の骨組みだけが残った塊が洞内を折り重なりのたうつように延々えんえんと続き、まるでらしたように回収しきれていない白骨が転がっている。何らかの理由で洞内を走っていた金属の塊が勢いそのままに転覆したと思えた。ひどく古い物であることは、散らばる白骨の状態を見れば分かるが、明らかに骨の主は人だった。それがいまだに何百体もあり、一見いっけん大量虐殺ぎゃくさつが行われたようにも見える。それら白骨は金属の塊に乗っていた者の遺体のようで、その中には頭蓋骨ずがいこつの大きさから幼い子供であろう骨も散見さんけんされた。

「無残な、どんな気持ちで死んでいったのか」

 アマリは白骨の散らばる様子を見つめ、声を潜めるように呟いた。

「おそらく、俺たちが持つ武器と同じ時代、この世が始まる前の時代の遺物だろうな」

 モローは明かりで辺りを照らしながら答えた。

「その時代は、今よりずっと技術が発展した時代だったのだろう。この武器を含め、誰も作れないようなものを、その時代は作れていたようだ」

「私たちと同じ人が、ですか」

「たぶんな。この武器だって俺たちがあつかかた会得えとくすればあつかえるよう、俺たちに合うように作られてある。そうとしか考えられない」

 モローは手に抱える武器を叩いて見せた。

「そんなことってあるのかしら、一体、何があったというの……」

 アマリは散らばる白骨と金属の遺物を見つめながらそう言った。

「俺も良く知らん。ただ歴史として残る前にも人は生きていたということだ。俺の里ではそう信じられている」

 故郷であるハンのことを挙げてモローは話した。

「どのような世界だったのでしょう」

「わからん、特殊な技術が発達していたとしか、俺からは言えない。なんせ当時の史料がほとんどのこされていないと聞いた」

 そう答え、モローは明かりを静かに消した。気配を感じたようだ。それはアマリも同じだった。

「現れたようだな」

 すぐに矢筒を撃てるよう構え、右にある爪を動し、身を低くしたモローはアマリを従える形で前に進み始めた。

「予備があるとはいえ、矢を無駄にするなよ」

 暗闇の中でも見えるのか、モローは走り始めた。その後に付いてアマリも駆けた。獣臭が強くなる、「山の者」は近くにいる。

 かわいた強烈な破裂音が連続して三度鳴り、モローの矢筒が火を噴いた。その轟音ごうおんが洞内を反響した。前方で、苦痛と驚愕きょうがくを伴う咆哮ほうこうが聞こえ、何かが転がる音がした。

「俺の後を走れ」

 モローが叫び、矢筒が再び火を噴き、行く手におどり出てきた「山の者」を撃ち倒すと、その死体を飛び越えて走った。種火の明かりを消したため、闇の中を走ることになるのだが、モローの目には辺りが見えるのだろう、障害物となっている遺物の隙間をすり抜け、乗り越えて前に進む。アマリは彼の後を辿ればよいのだが、問題が一つ起こっていた。モローとは違い矢筒が作動しない。いくら引き金を引いても、矢は射出しゃしゅつしてくれず、軽くて空虚な感触しか指に伝わってこなかった。

 自分たちに襲い掛かろうとする「山の者」をモローは的確に撃ち倒しており、アマリの出るまくは無かったのだが、それでも何度かは彼女も「山の者」を射程しゃていに入れていた。ただ、矢が射出しないのだ。

 洞内で待ち伏せしていたと思える最後の一体を打倒したモローは湧きだした水が流れる側溝そっこうに足を浸し、濡れている壁に背を持たれ掛け矢の収められている板を、空になった板と取り換えながら、アマリに顔を向けた。

「なぜ撃たない。矢を無駄にするなとは言ったが、撃つなとは言わなかったのだが」

 かなり激しく動いているのだが、モローは息一つ切れていない。

「引き金を引いても、発射しないのです」

 アマリは大きく息を吐きながら答えた。それを聞いたモローの腕が伸び、彼女の矢筒をぐいと自分の方へ引いた。その勢いでの背中に回したままの追い紐の影響で彼女の身体も引っ張られモローにぶつかるくらいに近づく形となった。

 彼女の矢筒を点検していたモローが、「ア」の位置にあった爪を「タ」の位置に動かした。

「爪をずらせと言わなかった俺がまずかったな」

 そう言い、右側にある槓桿こうかんを一度引くと指のような金属の矢が一発矢筒から吐き出され、渇いた金属音を立てて足元に転がり、水の流れの中に沈んだ。

「これで引き金を引くと一発づつ発射できる、撃てれば撃て」

 モローがアマリの矢筒から手を離した。

「大丈夫か。また走るぞ」

 まだ息が整わず、肩を上下させているアマリの肩にモローは軽く手を置いた。

 再び「山の者」の気配が濃くなり始めている。

「……大丈夫」

 アマリが頷くと、身をひるがえすようにモローは走り始めた。アマリがそれを追った。

 どれほどの数を倒したのだろう、最初、矢筒から射る時の発射音に戸惑ったが、何発か撃つうちにアマリは慣れ、文字通り矢継やつばやに引き金を引き、「山の者」を倒していた。矢筒に彼女は適応したようだ。その代わり、発射される矢の使用量が上がっていった。

 それと、アマリは矢の交換をする際にどうしてももたついてしまう。そのため何度か彼女のすきねらって「山の者」が襲い掛かってきたが、寸前に「山の者」が大きくはじかれるように排除されていく。アマリはモローが矢を撃ってくれていると思っていたが、どうもそうではない。モローはアマリに迫る「山の者」へ向けて、腕を差し出すような格好をしているだけだった。

 自分に殺到さっとうしてくる「山の者」を殺すだけで精一杯のはずだが、モローは敵をさばきながらアマリにも気を回し援護してくれている。それにむくいるためにも、アマリは無我夢中むがむちゅうで「山の者」に攻撃を加えた。

 とめどもなく二人に襲い掛かってきた「山の者」は、ある時点でしおが引くように退却たいきゃくしていった。モローとアマリに迫る前に次々と射殺されていくため、が悪いと思ったのかもしれない。

(これは戦いではない、虐殺ぎゃくさつだ)

 アマリは矢筒の引き金を引きながらそう思うようになっていた。剣を持っての対峙たいじではなく、現れた「山の者」をなかば一方的に殺戮さつりくしていく、そこに戦いの美学や作法さほう、相手に対する思いなど介在かいざいしない。ただ撃ち倒す、それだけだ。

 二人は倒れた「山の者」の死体を乗り越え、踏みつけて前に進んだ。やがて登り続けていた洞窟が下りに変わっていき、これまで足元を濡らしてきた不愉快な水の流れの向きが変わっていた。襲い掛かってきた「山の者」に出くわす前に見た同じような遺物と累々たる白骨に出くわしながら、出口を目指して進み続けた。

 どれほど時間が経ったのか、それは小さな光点に過ぎなかったものが、次第に光を増し、滑らかな洞窟の壁や辺りを明かりなしに見ることができるようになった。

「出口ですね」

 アマリは進む先に明かりを見て緊張を解いたようだ。

「そのようだな」

 辺りに目を配りながら頷き、モローは「少し休憩をとろう」と言った。そう言われた途端、アマリは自分がどれだけ疲労しているかに気づいた。衣服が汚れるのも構わず、彼女は床面に膝をついた。身体中からだじゅう硝煙しょうえんの匂いが染みついていて、あまりにも矢筒を強く握っていたためか、指が固まり矢筒から外すのに苦労した。

「矢は残っているか」

 彼女と同じようにその場に座り込んだモローが、身体の胴回りについている袋の中を確かめながらアマリに尋ねた。

 どうやらアマリは、全ての矢を射出し終えていたらしい。残っているのは、矢筒に装着した分だけのようだ。

「……あらかた、使い切ってしまったようです」

「どれ、見せてみろ」

 手を伸ばしてきたモローに、彼女は矢筒を手渡した。

 矢筒の下部に押し込まれている板を引き抜くと、モローは残数ざんすうを確認した。矢は三本しか残っていない。彼は自分の予備の矢を左脇に下げている袋から一つ引き出すと、矢筒と一緒にアマリに戻した。

「俺もこれしか残っていない。この先も必要になるかもしれない、使ってくれ」

「モロー殿はどうするのです。撃てないではありませんか」

「これがある」

 とモローは軽く笑みを浮かべ、彼の愛刀の柄を軽く叩いた。

「いけません、これはモロー殿が使って下さい」

 予備の矢が充填じゅうてんされている板をモローに返そうとするが、彼は首を横に振った。

「俺は大丈夫だ、それにこれ自体が好きではないからな」

 モローは矢筒の胴を軽く叩きながら答えた。「好きではない」と彼は言った、それは自分も同じだとアマリは思う。剣で戦う場合、そこに互いの生い立ちや性格といったものが加味されるが、この矢筒はそれらを一切関知かんちしない。ただ、圧倒的な力で相手をねじ伏せ、殺戮さつりくする道具だ。人が持つべき武器ではないとアマリは思っていたし、モローもまたそう思っているようだった。

「さてと、あの光の向こうはエグだ。ここまでは何とかなったが、この先は分からん。アマリ、今なら戻れるぞ」

「戻りません」

 即座にアマリはモローの勧めを拒絶した。冗談じゃない、ここまで二人でやってきたのだ、ここで身を引くわけにはいかない。絶対に嫌だ、彼女はそう思っている。

「では、行くか」

 モローの言葉にアマリは小さく頷いた。暗闇の中、出口の僅かな光に彼の瞳が一瞬光った。

 のそりと立ち上がったモローは矢のない矢筒を背中に背負い、緩やかに下る洞窟をゆっくりとした速度で歩み始めた。洞窟内は腐臭と獣臭が濃かったが、出口が近くなったせいだろう、そういった不快な匂いはせず、しだいにすがすがしい緑の香りが強くなっていく。香り自体は危険とは程遠い物に感じられるが、香りのもとには退却していった「山の者」が潜んでいると考えた方が良い。

 それでもアマリは延々と続く漆黒しっこくの洞窟を進むことに飽き飽きとしていた。洞窟の外がここより危険なのは間違いないが、背後に伸びる闇の禍々まがまがしさから本能的に明かるさを求める気持ちがまさり始めていた。


 ―ハコ―

 この季節は晴れ間が多くて助かる。太陽光でもたらされた電力で動く彼にとって、周囲を山に囲まれ小型の発電システムを稼働させるための溜池や設備の調整をするにも、曇天と雨の続く季節となると非常に難儀なんぎなことになる。

 それでも陽光が注がれる機会を逃さず、彼は自身を充電し、何とか動ける様になるといそいそと手入れに向かうことになる。彼は主人にそうしろと言われていたのである。

 当の主人は地軸ちじくのずれに伴う大崩壊だいほうかいから何とか生き延び、彼を伴って、ここに逃げた数十年後に亡くなった。その後も、彼は発電用の溜池と発電システム、半永久的にもつと言われる強化プラスチックでできた家屋を「山の者」から護るために働いてきた。彼のつとめには周囲に巡らせた高圧電流(今では大分弱くなっている)の罠を見て回ることも含まれている。

 だが、今の季節は比較的動きやすい。彼が製造されて主人の許に届けられてから、五百年以上の年月を経ている。耐久性が優れていることで大量に生産された彼も、発電システムが老朽化したのと同じく、経年劣化けいねんれっかと高い放射線からのがれられないでいた。色々な所にガタがきている。高度な自己修復じこしゅうふく機能を持っているとしても、彼の耐用年数たいようねんすうはとっくに過ぎている。

 彼は人を世話するために造られた。設備の補修などは本来彼の仕事ではない。人の側に仕え、補助するのが仕事で、彼の人工知能は絶えずそれを待ち望んでいた。だが、主人が亡くなりこの方、人は現れず、大小様々な動物の奇形種を見てきた。やがて、それら奇形種は姿を現さなくなり、人の形をしているが人ではない「山の者」しか現れなくなった。

 奴らが他の種族を駆逐くちくしたのだと、人工知能を搭載とうさいする彼はそう理解していた。

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