第13話 洞窟
コバシの言った通り、峠を三つ越えた
二人が望むその景色は、穏やかの一言に尽きた。そこは薄い
だが、山を下るに連れ、それは遠目に見ただけの光景であったことを思い知ることとなった。実際は全てが「山の者」との戦いで荒れ果て、おびただしい乱闘の跡がそこかしこに残っており、
ナウカワ公国軍はあっけなく「山の者」の侵入を許してしまい、王都さえ
洞窟の入口は川の流れが形成した河岸段丘と山の重なる部分にあり、防衛線は
モローとアマリがまず向かったのは三重に造られた防衛線の一番外側に当たるツヨノという集落で、そこには軍の
ツヨノは人影がなく、やはり荒れ果てていた。街の住人のほとんどは、「山の者」に襲われ亡くなるか街を捨てたという。衛所といっても、通常の
衛所の中は広く、そして涼しかった。その端に机が三
「なんでしょうかな」
中年の男は何とも気の抜けた口調で訊ねてきた。モローはそれに応えず、男に近づくと
「はあ、……珍しいですな」
と男は木札と二人を
「我々が珍しいと……」
アマリは、自分達を軽んじているような態度を示した男に腹を立てたようだった。
「いえいえ、まあ、あちらの状況は分かってないのでね、国としては禁じてはいませんが、
「我々が珍しいということは、あちらへ行こうという者はいないということなのか」
とアマリが訊ねた。
「ええ、……まあ」
男は無神経にこちらの気持ちを
「来るのは奴らばかりです。守る方は
と男は続けた。
「まるで、我々が通るのは迷惑だとでも言うような口ぶりだな」
「山の者」が現れると、この男まで戦いに駆り出されるらしく、彼がそれを嫌がっているのは間違いなさそうだ。
「いや、こちらはあなた方に正しい状況を説明し、思い
男はそう話した。男の言葉に「はい、そうですか」といって断念する訳にはいかないことを、アマリが告げようとすると、それまで黙っていたモローが重い口を開いた。
「許可しない訳ではないのだろう」
そう事も無げにモローは言い、再び口を閉じた。
「
そして「それでも良ければ、許可します」と男は言った。モローとアマリは「それでも良い」と答え、男から一枚の許可証を手渡された。それでもまだ男は二人が洞窟入るのを気にしているらしく「止めておいた方が良い」と最後まで言い続けていた。
三つある
どうやら、三番目の防衛柵
防衛柵の内側は、騎馬隊、弓兵、槍兵、歩兵が各々の隊を示す旗を
柵から見る風景は、壁のような山脈を背景に、のどかな山野が広がり
兵たちのいぶかし気な視線を浴びながら、最前線にある
三人の男は、モローとアマリが「探索者」であるのに少し驚いたようだが、アマリが女であること、さらに彼女の立ち振る舞いからどこかの騎士であると
呂之国の
二人は「探索者」の木札と後方の衛所からもらった通行許可札を提示した。
「止はしないが、
衛所の男と同じ事を五人の中で最もくらいが高く見える男がそう言った。
「構わない、許可さえもらえばいい」
鼻で樹を括ったような物言いに
「お前たち、あそこに何が潜み、何を狙っているのか分かっておるのか。それにお前たちのような者が何組も入っていったが、一人として戻ってこないのだぞ」
「それは聞いている」
とモローが答えた。それを引き
「こちらも行かざるを得ない訳があるのです」
「……その理由は
「はい」
アマリは頷いた。
しばらく間があり、上官の男は手にした二人の木札をアマリに返しながら「良いだろう」と言った。
「お前たちが運よく戻ってこられれば、あっちの様子が分かるからな。まあ、無理だがな、
「分かってます」
許可が出そうであり、アマリはホッとした。
「分かった、許可しよう」
そう言い、男は後ろに控えている若い男に向かって
「では、これからあちらに参りたいと思いますので」
とアマリが答え、モローが
「モロー殿。以前、もう十三年も前ですが、ウミヤの王宮でお会いしたことがあります」
モローが足を止め、アマリもそれに
「あなたは、女王に呼ばれて王宮に
あの
「名は同じだが人違いではないか。ウミヤの王宮に行ったことはない」
「まあ、そう言うでしょうな。私はタケキにも潜り込み、あなたの合図を待つ任務にも就きました」
モクレンの両親を殺害し、彼の合図でタカキに忍んでいた呂之国の部隊は、タカキの街を荒らしまわり混乱をもたらした。国境を
「人違いだ」
モローは
もう誰も二人を止める者はいなかった。
―潜入―
兵達が多く溜まっていた柵の内側とは違い、柵を抜けた外側はがらりと
「山の者」が侵入する前までは、人が住んでいたらしく、空き家となった家が
山を左手に
錆びて朽ちた八本の錆による
山を切り分け、道ではなく何かのために構築されたと思しき真っ直ぐに延びる切通の中を二人は歩いた。途中、何箇所か切通の壁が崩れ先を塞いていたが、すでに多くの者がそこを乗り越えたらしい
とはいえ、それほど歩きにくい所でもないため、二人は黙々と足を運んでいく。
アマリは先の幕舎にいた若い士官がモローに話しかけた事が気になっていた。確かにモローは不確実な、掴みがたい部分が多い。ハンの者であるに加え、何を稼業にしてきたのかが分からない。武芸に
これから、二人して
岩と土を取り除いた洞窟の入口が
二人は暫く洞窟の入口で立ち尽くしていた。腐敗臭と
「さて、行くか」
モローは薄く笑みを浮かべながら洞窟内に足を踏み入れた。
「洞内では剣よりこいつを使う。そのつもりでいてくれ」
そうアマリに渡した不可思議な武器を指さすと、「こう構えるのだ」というように自分の持つ武器の筒先を前に向けて見せた。モローの構え方をアマリも真似たが、自分は剣を
ずっしりとしたこの筒が、どのような働きをするのか、彼女はそれ程理解していなかった。操作の方法は聞いた、だが、その操作をしてどうなるのか、理解の薄いアマリはまだ知らない。高速で矢が射出されると聞いてはいる。以前、モローから手渡された武器を使ったことがあり、あんな感じなのだろうかと思う。
「明かりは必要ないのですか」
明るい地上から光の差さない洞内に入った為、アマリの視力はめしいたように何も見えなくなった。それを聞き
洞内はかなり広い空間を保ちながら、ひたすら続いていた。先のどこかで水が湧いているのだろう、冷たい茶色く変色した水が壁際を音を立ててながれている。
洞窟に入るまでは、
洞窟の形状は一風変わっていて、下の部分は「
結構な距離を歩いていた。洞内を吹き渡るひんやりとした風はそのままだったが、鼻が馴れたのかアマリはいつしか腐臭や獣臭が感じられなくなっていた。その代わり、洞内の空気圧が変わったらしく、耳を
見たことのないような金属の骨組みだけが残った塊が洞内を折り重なりのたうつように
「無残な、どんな気持ちで死んでいったのか」
アマリは白骨の散らばる様子を見つめ、声を潜めるように呟いた。
「おそらく、俺たちが持つ武器と同じ時代、この世が始まる前の時代の遺物だろうな」
モローは明かりで辺りを照らしながら答えた。
「その時代は、今よりずっと技術が発展した時代だったのだろう。この武器を含め、誰も作れないようなものを、その時代は作れていたようだ」
「私たちと同じ人が、ですか」
「たぶんな。この武器だって俺たちが
モローは手に抱える武器を叩いて見せた。
「そんなことってあるのかしら、一体、何があったというの……」
アマリは散らばる白骨と金属の遺物を見つめながらそう言った。
「俺も良く知らん。ただ歴史として残る前にも人は生きていたということだ。俺の里ではそう信じられている」
故郷であるハンのことを挙げてモローは話した。
「どのような世界だったのでしょう」
「わからん、特殊な技術が発達していたとしか、俺からは言えない。
そう答え、モローは明かりを静かに消した。気配を感じたようだ。それはアマリも同じだった。
「現れたようだな」
すぐに矢筒を撃てるよう構え、右にある爪を動し、身を低くしたモローはアマリを従える形で前に進み始めた。
「予備があるとはいえ、矢を無駄にするなよ」
暗闇の中でも見えるのか、モローは走り始めた。その後に付いてアマリも駆けた。獣臭が強くなる、「山の者」は近くにいる。
「俺の後を走れ」
モローが叫び、矢筒が再び火を噴き、行く手に
自分たちに襲い掛かろうとする「山の者」をモローは的確に撃ち倒しており、アマリの出る
洞内で待ち伏せしていたと思える最後の一体を打倒したモローは湧きだした水が流れる
「なぜ撃たない。矢を無駄にするなとは言ったが、撃つなとは言わなかったのだが」
かなり激しく動いているのだが、モローは息一つ切れていない。
「引き金を引いても、発射しないのです」
アマリは大きく息を吐きながら答えた。それを聞いたモローの腕が伸び、彼女の矢筒をぐいと自分の方へ引いた。その勢いでの背中に回したままの追い紐の影響で彼女の身体も引っ張られモローにぶつかるくらいに近づく形となった。
彼女の矢筒を点検していたモローが、「ア」の位置にあった爪を「タ」の位置に動かした。
「爪をずらせと言わなかった俺がまずかったな」
そう言い、右側にある
「これで引き金を引くと一発づつ発射できる、撃てれば撃て」
モローがアマリの矢筒から手を離した。
「大丈夫か。また走るぞ」
まだ息が整わず、肩を上下させているアマリの肩にモローは軽く手を置いた。
再び「山の者」の気配が濃くなり始めている。
「……大丈夫」
アマリが頷くと、身を
どれほどの数を倒したのだろう、最初、矢筒から射る時の発射音に戸惑ったが、何発か撃つうちにアマリは慣れ、文字通り
それと、アマリは矢の交換をする際にどうしてももたついてしまう。そのため何度か彼女の
自分に
とめどもなく二人に襲い掛かってきた「山の者」は、ある時点で
(これは戦いではない、
アマリは矢筒の引き金を引きながらそう思うようになっていた。剣を持っての
二人は倒れた「山の者」の死体を乗り越え、踏みつけて前に進んだ。やがて登り続けていた洞窟が下りに変わっていき、これまで足元を濡らしてきた不愉快な水の流れの向きが変わっていた。襲い掛かってきた「山の者」に出くわす前に見た同じような遺物と累々たる白骨に出くわしながら、出口を目指して進み続けた。
どれほど時間が経ったのか、それは小さな光点に過ぎなかったものが、次第に光を増し、滑らかな洞窟の壁や辺りを明かりなしに見ることができるようになった。
「出口ですね」
アマリは進む先に明かりを見て緊張を解いたようだ。
「そのようだな」
辺りに目を配りながら頷き、モローは「少し休憩をとろう」と言った。そう言われた途端、アマリは自分がどれだけ疲労しているかに気づいた。衣服が汚れるのも構わず、彼女は床面に膝をついた。
「矢は残っているか」
彼女と同じようにその場に座り込んだモローが、身体の胴回りについている袋の中を確かめながらアマリに尋ねた。
どうやらアマリは、全ての矢を射出し終えていたらしい。残っているのは、矢筒に装着した分だけのようだ。
「……あらかた、使い切ってしまったようです」
「どれ、見せてみろ」
手を伸ばしてきたモローに、彼女は矢筒を手渡した。
矢筒の下部に押し込まれている板を引き抜くと、モローは
「俺もこれしか残っていない。この先も必要になるかもしれない、使ってくれ」
「モロー殿はどうするのです。撃てないではありませんか」
「これがある」
とモローは軽く笑みを浮かべ、彼の愛刀の柄を軽く叩いた。
「いけません、これはモロー殿が使って下さい」
予備の矢が
「俺は大丈夫だ、それにこれ自体が好きではないからな」
モローは矢筒の胴を軽く叩きながら答えた。「好きではない」と彼は言った、それは自分も同じだとアマリは思う。剣で戦う場合、そこに互いの生い立ちや性格といったものが加味されるが、この矢筒はそれらを一切
「さてと、あの光の向こうはエグだ。ここまでは何とかなったが、この先は分からん。アマリ、今なら戻れるぞ」
「戻りません」
即座にアマリはモローの勧めを拒絶した。冗談じゃない、ここまで二人でやってきたのだ、ここで身を引くわけにはいかない。絶対に嫌だ、彼女はそう思っている。
「では、行くか」
モローの言葉にアマリは小さく頷いた。暗闇の中、出口の僅かな光に彼の瞳が一瞬光った。
のそりと立ち上がったモローは矢のない矢筒を背中に背負い、緩やかに下る洞窟をゆっくりとした速度で歩み始めた。洞窟内は腐臭と獣臭が濃かったが、出口が近くなったせいだろう、そういった不快な匂いはせず、しだいにすがすがしい緑の香りが強くなっていく。香り自体は危険とは程遠い物に感じられるが、香りの
それでもアマリは延々と続く
―ハコ―
この季節は晴れ間が多くて助かる。太陽光でもたらされた電力で動く彼にとって、周囲を山に囲まれ小型の発電システムを稼働させるための溜池や設備の調整をするにも、曇天と雨の続く季節となると非常に
それでも陽光が注がれる機会を逃さず、彼は自身を充電し、何とか動ける様になるといそいそと手入れに向かうことになる。彼は主人にそうしろと言われていたのである。
当の主人は
だが、今の季節は比較的動きやすい。彼が製造されて主人の許に届けられてから、五百年以上の年月を経ている。耐久性が優れていることで大量に生産された彼も、発電システムが老朽化したのと同じく、
彼は人を世話するために造られた。設備の補修などは本来彼の仕事ではない。人の側に仕え、補助するのが仕事で、彼の人工知能は絶えずそれを待ち望んでいた。だが、主人が亡くなりこの方、人は現れず、大小様々な動物の奇形種を見てきた。やがて、それら奇形種は姿を現さなくなり、人の形をしているが人ではない「山の者」しか現れなくなった。
奴らが他の種族を
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