漂泊のモクレン
八田甲斐
第1話 発端
その日。
冬の空は低い雲に覆われ、月も星も隠れ、王宮の最深部ともいえる広い女王の間は、数本の
薄暗い女王の間ではあるが、玉座に腰掛けているシュリは美しさを通り越し、ある種、
歳は三十を過ぎていたが、どう見ても二十代前半の
「遅いな」
女王シュリは左隣に
「もう、参るでしょう」
長い法衣を
それに頷いたシュリは、彼女らが待っている者が現れる
彼女達は雇った暗殺者の到着を待っていた。
呂之国の遥か北にハンと呼ばれる地域があり、そこに暮らす者達の多くは殺しを
ハンの者たちは、出身地域の名しか明かさず、顔も極力見せない。
加えて、決してどちらに組する事はせず、たとえ敵対する二つの勢力の依頼を同時に受け、互いが殺し合う事になったとしても断らないという。
しばらくし、音もなく大扉が静かに開き始め、衛視に
男は衛視から離れ、一人女王の前に片膝を立てて
「名を申せ」
シュリの声が広間に響き渡った。
「……モローと申します」
そう答えた男の声は低く静かだったが、明瞭にその場にいる者達に伝わった。
「陛下の
宰相のコズミが
モローと名乗った男が、静かに頭巾を外すと、長髪に鷹のような鋭い眼光をした若い男の顔が現れた。鼻筋が通り、薄めの唇を引き結んだ彼の顔は、見る者によっては
だが、表情を一切浮かべていないため、とてつもなく
シュリはモローを興味深げに
「ハンの者ときいたが、まことか」
「はい」
「そなた、腕は確かなのであろうな」
彼女の言葉には
モローは表情を変えず、女王を見上げた。
「
感情のない言葉だが、
「分かった、
とゆらりと手を動かし、薄く笑みを浮かべシュリが言った。
護衛隊長が深々と一礼すると元の持ち場に戻っていき、色めきだった衛視の周りにもホッとしたような空気が漂った。
「ふん、さすがハンの者だ。
そう言い、モローを見つめた。
「これを技と言うのか、気は自由に
とつとつとモローは語った。
「コズミ、場を外せ」
その言葉に驚いたようなコズミだったが、素直に一礼し、モローを
「モローとやら、ちこう
その言葉に慌てたコズミが「陛下、それは」と言いかけたが、その言葉をシュリは手を再び
「構わぬ、ほれ、ここに参れ」
シュリは玉座の前を指し示した。
モローは音もなく、そして素早く彼女の前に進み、片膝を立てて再び額づいた。
「話は聞いておろうな」
とシュリがそう言った。
「
そう言い、モローは小さく頷いた。
「二人、もしくは三人じゃ、二、三日で片を付けてくれるか」
「承知」
その返答を聞き、シュリは玉座に腰掛けたまま身体を前に倒した。
「余の気持ちは読んだか」
「これが
シュリは少しぎこちなく頷いた。
「後で寝屋に参れ」
そう囁いた声は、僅かに臆した様な調子があり、彼女の瞳は異様に
「承知いたしました」
モローは何事もなかったように答えた。
夜明けまではまだ間があると思われる頃、
豪華な
「待ちくたびれた」
薄い明かりに浮かび上がったシュリの裸体は輝くようだった。
頭巾を被ったままのモローがシュリに近づくと、彼女は半身を起こし彼を見上げた。
彼を求めるように彼女は手を差し伸べ、モローはその手を掴んで、身体をシュリに寄せる。シュリの手がモローの頭巾を外し、そのまま腕を彼の首に巻き付けていく。そういった大胆な動きとは
「口を吸っておくれ」
わななき、懇願するように言ったシュリの唇にモローの唇が重なる。
最初は軽い触れ合いだったのが、次第に熱を帯びたものに変わった。モローの体重に押され二人は寝台に倒れ込んでいく。
「
自然とシュリの声が
密やかな
どのくらい経ったであろう、悲鳴のような声をシュリは上げた。
―暗殺―
ナカツノ国は「アマツ」でもっとも古い国である。
領土の南に
またそれ以外に、十二ほどの小さな
アマツはどちらかと言えば小高い
海は毒に満たされていて、近くにいるだけでも毒に犯されると信じられているからだ。
そのため、このナカツでも浜辺から
特に呂之国の北東の海は特に毒性が強く、海に生きる物全てが毒に犯されていると言われていた。そのため、国々に住む者で海を仕事場にする者はいないのだ。
アマツの中心となっているナカツノ国領土の大半は山岳地帯であるため、農業には不向きだが、金や銀、鉄などの鉱物が豊富に採れることから鉱工業が盛んで国は富んでいる。
人口は農業と軍事力に優れた呂之国や商業で潤沢な亥之国より少ないものの、昔から教育に力を入れており優れた人材を
自国はもちろん、二つの国の主要官僚や法・医学者、軍事専門家の多くはナカツノ国出身であることから、以前は「母なる王国」とさえ呼ばれていたのである。
この国を
何しろ
およそ王らしくない王としてクドは側近や官僚たちに認識されていたが、執務は無難にこなすものの、
何とかしてくれという側近・官僚たちの思いは、亥之国や呂之国にも伝わり、亥之国は当たらず触らず静観の態度に終始していたが、国土拡張に目を向けていた呂之国の女王シュリは強い関心を示した。
ナカツノ国の王都タカキは丘陵にあり地形に合わせた造りをしている。
丘陵地帯であるため、坂道のやたら多い都市で、その標高の高い部分に曲線の多い屋根が特徴の王城が
また、王都の背後は
それに安心しているのか、十年近く戦乱に巻き込まれた事がないためか、国王周辺の警備は思いの
特にモローのような暗殺者が任務を
誰にも
寝息に変化はなかったにも
モローにとって思いもしない王の反撃だった。静かに眠っている間に殺害しようと
「モクレン、シャーロ、逃げよ」
クド王はそう叫ぶのと、モローの身体が
二人の間で眠っていたモクレン王女の何が起こっているのか判っていない表情をしている。モローは両腕に力を
続いて、モクレンに同じ事をしようとモローは思った。モクレンは本当に
王達の異変を感じたのであろう、寝所の外が騒がしくなりつつある。
突然モクレンは、完全に目が覚めたのか、大きな悲鳴を上げ始めた。
(こう騒がれては、殺せない)
そう彼は思った。そんなことは無いのだ、モローがその気になれば、この幼い娘を殺すことなど
クド王とシャーロ王妃が暗殺された王都タカキは混乱に
それからのシュリの行動は早かった。ナカツノ国軍と共に治安を維持することを助けるという名目で新たな部隊をタカキに派遣し、王を失った国の宰相とは
ただ問題が一つあった。王女モクレンの
暗殺者に殺されたのではないが王宮内には居ない。行方を捜索しているうちに、王女付きのサフランという
新たな王に
―モクレン―
話は少し
城を抜け出したモクレンとサフランは亥之国の国境近くにいた。自分達の行方が探されているだろうと幼いモクレンを背負ったサフランは思っている。
あの時、異変を真っ先に気付いたサフランが王達の寝所に駆け込むと、無残に殺害されたクド王とシャーロ王妃の
そこでサフランはモクレンを連れて、侍女控室まで逃げようとした時、城内から「
サフランは、城の警備隊長を務めている騎士であるラッツの娘であり、モクレン王女に仕えることが決まったおり、「もし、王に何かあれば、この道を使って
城を抜けると、モクレンの衣装を町民の子供と同じ服装に着替えさせ、モクレンを背負って南に逃げた。二人が南下したその辺りは、ナカツノ国と亥之国の間に小さな領主が納める国が存在するに加え、まだ誰も占有していない土地がかなりあり、その占有されていない地域は山賊が
二人は簡単に三人組の山賊の目に止まることになった。亥之国国境の城壁都市であるオクタを目前にした時である。
盗賊達は女と子供の二人だと油断したのか、二人を
逃げることはできたものの、サフランの身体は致命傷に近い
その場所はオクタの
息絶えた若い女と幼女を見つけた店の者は大変驚いたものの、モクレンはその売春宿に引き取られた。十二を越え、彼女に
ナカツノ国の王女である彼女は、その素性だけは誰にも明かしてはならないと幼いながらも決意していた。彼女はモクレンではなく、自分を助けるため死んだサフランの名を借り、男を相手にする女として生きる生活が始まった。
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