漂泊のモクレン

八田甲斐

第1話 発端

 その日。

 呂之国ろのくにの首都「ウミヤ」の中心に位置する王宮は静まり返っていた。

 冬の空は低い雲に覆われ、月も星も隠れ、王宮の最深部ともいえる広い女王の間は、数本の松明たいまつの明かりだけがともされている。

 綺羅きらびらやかに装飾された玉座ぎょくざには、呂之国女王であるシュリが腰かけており、その周囲に側近六人、護衛の衛視十人余りが王の間各所に配置されているが、そこに居る皆は重く押し黙っており、女王のシュリだけが、面白そうに側近に瞳を走らせている。

 薄暗い女王の間ではあるが、玉座に腰掛けているシュリは美しさを通り越し、ある種、畏怖いふさえいだかせる雰囲気をかもし出していた。

 歳は三十を過ぎていたが、どう見ても二十代前半の色艶いろつやを保持している。それも取りたてて何もせずに、この美貌びぼうと姿である。天性のものと思われた。

「遅いな」

 女王シュリは左隣にたたずんでいた宰相のコズミに低い声で話しかけた。

「もう、参るでしょう」

 長い法衣をまとい白髪で大柄のコズミは身を屈ませるようにしてシュリの耳元で囁いた。

 それに頷いたシュリは、彼女らが待っている者が現れるはずの大扉に目を走らせる。

 彼女達は雇った暗殺者の到着を待っていた。

 呂之国の遥か北にハンと呼ばれる地域があり、そこに暮らす者達の多くは殺しを生業なりわいとしている。彼らは依頼があると、依頼者の許へ出向き、正式に指令を受け、任務を遂行する。

 ハンの者たちは、出身地域の名しか明かさず、顔も極力見せない。

 加えて、決してどちらに組する事はせず、たとえ敵対する二つの勢力の依頼を同時に受け、互いが殺し合う事になったとしても断らないという。

 しばらくし、音もなく大扉が静かに開き始め、衛視にともなわれて一人の男が現れた。背は高いが恰幅かっぷくが良いわけではない。寸鉄すんてつ一つ帯びていないらしく無腰で外套につながる頭巾を目深に被っているせいか表情は見えない。

 男は衛視から離れ、一人女王の前に片膝を立ててぬかづいた。

「名を申せ」

 シュリの声が広間に響き渡った。

「……モローと申します」

 そう答えた男の声は低く静かだったが、明瞭にその場にいる者達に伝わった。

「陛下の御前ごぜんである。頭巾を取り、顔を見せよ」

 宰相のコズミがとがめるように叫んだ。場に緊張が漂い始めた。

 モローと名乗った男が、静かに頭巾を外すと、長髪に鷹のような鋭い眼光をした若い男の顔が現れた。鼻筋が通り、薄めの唇を引き結んだ彼の顔は、見る者によっては精悍せいかん端正たんせいな顔立ちと感じる者がいるだろう。

 だが、表情を一切浮かべていないため、とてつもなく酷薄こくはくな人物にも見える。

 シュリはモローを興味深げに凝視ぎょうししていた。

「ハンの者ときいたが、まことか」

「はい」

「そなた、腕は確かなのであろうな」

 彼女の言葉にはわずかに揶揄やゆするような色があった。

 モローは表情を変えず、女王を見上げた。

御不信ごふしんならば、この場で数人をほふって見せしましょう」

 感情のない言葉だが、まわりを凍り付かせるような内容である。言葉に反応した衛視達が一様に一歩前に出ており、シュリの脇に控えていた護衛隊長が女王の玉座に続く階段を駆け上がった。

「分かった、戯言ざれごとじゃ。皆も控えよ」

 とゆらりと手を動かし、薄く笑みを浮かべシュリが言った。

 護衛隊長が深々と一礼すると元の持ち場に戻っていき、色めきだった衛視の周りにもホッとしたような空気が漂った。

「ふん、さすがハンの者だ。きもわっておる。聞いたところによると、お主は不思議な技を使うそうな」

 そう言い、モローを見つめた。

「これを技と言うのか、気は自由にあやつれ、人の思念を読みます」

 とつとつとモローは語った。

「コズミ、場を外せ」

 その言葉に驚いたようなコズミだったが、素直に一礼し、モローをにらみ付けるように見つめながら、赤い絨毯が敷かれた段を降りていく。

「モローとやら、ちこうまいれ」

 その言葉に慌てたコズミが「陛下、それは」と言いかけたが、その言葉をシュリは手を再びはらうように動かした。止めるなという合図である。

「構わぬ、ほれ、ここに参れ」

 シュリは玉座の前を指し示した。

 モローは音もなく、そして素早く彼女の前に進み、片膝を立てて再び額づいた。

「話は聞いておろうな」

 とシュリがそう言った。

うけたまわっております」

 そう言い、モローは小さく頷いた。

「二人、もしくは三人じゃ、二、三日で片を付けてくれるか」

「承知」

 その返答を聞き、シュリは玉座に腰掛けたまま身体を前に倒した。

「余の気持ちは読んだか」

「これが悪戯いたずらでなければ読んでおります」

 シュリは少しぎこちなく頷いた。

「後で寝屋に参れ」

 そう囁いた声は、僅かに臆した様な調子があり、彼女の瞳は異様にきらめいて見えた。

「承知いたしました」

 モローは何事もなかったように答えた。


 夜明けまではまだ間があると思われる頃、行燈あんどん一つだけが灯った暗いシュリの寝所にモローの姿が浮かび上がった。

 ぜいを凝らした寝所であるが、その僅かな明かりでは全容は眺める事はできない。

 豪華な天蓋てんがい付きの寝台が僅かに動き、横たわっていたシュリは自ら掛布をいだ。掛布の下には全裸の彼女がいた。

「待ちくたびれた」

 薄い明かりに浮かび上がったシュリの裸体は輝くようだった。

 頭巾を被ったままのモローがシュリに近づくと、彼女は半身を起こし彼を見上げた。

 彼を求めるように彼女は手を差し伸べ、モローはその手を掴んで、身体をシュリに寄せる。シュリの手がモローの頭巾を外し、そのまま腕を彼の首に巻き付けていく。そういった大胆な動きとは相反あいはんし、彼女の身体がおこりのように震えているのが分かった。

「口を吸っておくれ」

 わななき、懇願するように言ったシュリの唇にモローの唇が重なる。

 最初は軽い触れ合いだったのが、次第に熱を帯びたものに変わった。モローの体重に押され二人は寝台に倒れ込んでいく。

われは男を知らぬ、そなたが教えてくれ」

 自然とシュリの声があえぐようなささやきに変わっていた。

 密やかな衣擦きぬずれの音に続き、シュリの切迫せっぱくするような息遣いが大きくなり、二人の身体がからみ合う。

 どのくらい経ったであろう、悲鳴のような声をシュリは上げた。


 ―暗殺―

 ナカツノ国は「アマツ」でもっとも古い国である。

 領土の南に亥之国いのこく、東に呂之国があるのだが、両国ともナカツノ国から領土を割譲かつじょうされて誕生した国で、ナカツノ国の兄弟国きょうだいこくという位置づけである。

 またそれ以外に、十二ほどの小さな領主国りょうしゅこくが三国の隙間をめている。

 アマツはどちらかと言えば小高い丘陵きゅうりょう地帯が多い事から平地が少なく、東側は海が広がっている。だが、人々は決して海には近づかない。

 海は毒に満たされていて、近くにいるだけでも毒に犯されると信じられているからだ。

 そのため、このナカツでも浜辺から二陸里にりくり以内に住む者はいない。

 特に呂之国の北東の海は特に毒性が強く、海に生きる物全てが毒に犯されていると言われていた。そのため、国々に住む者で海を仕事場にする者はいないのだ。

 アマツの中心となっているナカツノ国領土の大半は山岳地帯であるため、農業には不向きだが、金や銀、鉄などの鉱物が豊富に採れることから鉱工業が盛んで国は富んでいる。

 人口は農業と軍事力に優れた呂之国や商業で潤沢な亥之国より少ないものの、昔から教育に力を入れており優れた人材を輩出はいしゅつすることに関しては抜きんでていた。

 自国はもちろん、二つの国の主要官僚や法・医学者、軍事専門家の多くはナカツノ国出身であることから、以前は「母なる王国」とさえ呼ばれていたのである。

 この国をおさめる現在の王であるクド国王は、穏健な事だけが取り柄と言われる程、目だたぬ王であった。当時の王としては家庭的で、妻のシャーロ王妃と一人娘で六歳になるモクレン王女をこよなく愛することでも有名である。

 何しろ側室そくしつは決して置かず、忙しい務めを終えた夕時は、親子水入らずで過ごすことをつねとしており、王族の仕来しきたりでは、後継者である王子や王女は自分の部屋で就寝するのが常識となっているが、クド国王は夫婦の寝所にモクレン王女を招き、大きな寝台に三人「川の字」になって休むのだ。

 およそ王らしくない王としてクドは側近や官僚たちに認識されていたが、執務は無難にこなすものの、優柔不断ゆうじゅうふだんな性格もあいまって何ら政治が動かないという弊害へいがいが国には生じていた。

 何とかしてくれという側近・官僚たちの思いは、亥之国や呂之国にも伝わり、亥之国は当たらず触らず静観の態度に終始していたが、国土拡張に目を向けていた呂之国の女王シュリは強い関心を示した。

 ナカツノ国の王都タカキは丘陵にあり地形に合わせた造りをしている。

 丘陵地帯であるため、坂道のやたら多い都市で、その標高の高い部分に曲線の多い屋根が特徴の王城がそびえていた。

 また、王都の背後は峻険しゅんけんな山脈が横たわっているため、攻めるには難しい王都となっている。

 それに安心しているのか、十年近く戦乱に巻き込まれた事がないためか、国王周辺の警備は思いのほか手薄てうすだった。一旦王宮に忍び込みさえすれば、案外容易あんがいたやすく城の心臓部へ入り込むことができるのだ。

 特にモローのような暗殺者が任務を遂行すいこうするのであれば、確実に目的を達成できるお膳立ぜんだてはできていたわけである。加えて密かにシュリ女王が送った数十名の特務隊とくむたいが、城門を突破していた。この部隊は城内に忍び込み敵兵を攪乱かくらんさせる訓練を積んでいる。

 誰にも誰何すいかされることなく、王の寝所に潜り込んだモローはしばらく身を低くし、辺りの気配を探っていた。聞こえるのは三つの寝息だけだ。本当に親子三人で眠りに就いていることを確信し、するするとクド王たちが眠っている寝台に近づいていった。

 寝息に変化はなかったにもかかわらず、クド王はモローに気付いていたようだ。やにわに身を起こすと、隠し持っている「懐刀ふところがたな」である、細身の短刀を投げつけてきた。短刀は狙いたがわずモローの胸へと走った。モローが並みの者であればクド王が放った短刀は彼の心臓を貫いていただろう。だが、彼の身体に刃が喰い込む直前、短刀は固い壁にはばまれたように、金属音を立てて弾き飛んでいた。

 モローにとって思いもしない王の反撃だった。静かに眠っている間に殺害しようと目論もくろんでいたモローの計画が狂った。

「モクレン、シャーロ、逃げよ」

 クド王はそう叫ぶのと、モローの身体が蝙蝠こうもりのように飛び、王の上にまたがるのが同時で、そして左手をクド王の顔に、右手をシャーロ王妃の顔に押し付けた。

 二人の間で眠っていたモクレン王女の何が起こっているのか判っていない表情をしている。モローは両腕に力をめた。鈍い音が二つし、クド王とシャーロ王妃の頭が潰れ、寝台の上を二人の血が汚していく。

 続いて、モクレンに同じ事をしようとモローは思った。モクレンは本当に可愛かわいらしい子だった。この可愛らしい幼女の命を縮めることに対して、モローの何処からか「だめだ」という声が聞こえている。王夫妻が顔を潰された際に飛び散った血糊と脳漿のうしょうがモクレンの顔に飛び散ったことでできた黒い斑点を見下ろしながら、モローは動かなかった。

 王達の異変を感じたのであろう、寝所の外が騒がしくなりつつある。

 突然モクレンは、完全に目が覚めたのか、大きな悲鳴を上げ始めた。

(こう騒がれては、殺せない)

 そう彼は思った。そんなことは無いのだ、モローがその気になれば、この幼い娘を殺すことなどわけもない事だ。だが、彼はそう自分に言い聞かせるように寝所を脱出した。

 クド王とシャーロ王妃が暗殺された王都タカキは混乱におちいった。その大半はシュリがはなった特務隊の起こしたことだ。

 それからのシュリの行動は早かった。ナカツノ国軍と共に治安を維持することを助けるという名目で新たな部隊をタカキに派遣し、王を失った国の宰相とはかねててからつうじており、シュリとの密約にのっとって、ナカツノ国の血を引く新たな王を、姉弟国でもある呂之国からいただくことをまたたく間に決めてしまった。そして、シュリの弟であるナウカワ公爵が新国王として即位した。

 ただ問題が一つあった。王女モクレンの行方ゆくえである。忽然こつぜんとモクレンは姿をくらませてしまったのである。両親と共に命を縮められたといった形跡はない。事実モローはモクレンを殺害していないし、それは呂之国の伝えられていた。

 暗殺者に殺されたのではないが王宮内には居ない。行方を捜索しているうちに、王女付きのサフランという侍女侍女の姿が消えていることが判明した。恐らく、サフランはモクレンを連れて城を逃げたのだろうと思われた。だが、二人の行方はようとして掴めなかったのである。

 新たな王にいたナウカワ公は呂之国の軍事力を後ろ盾に、国名をナカツノからナウカワ公国と改め、前の王の許で務め、国家転覆にも加わっていた宰相をはじめ、全ての閣僚を更迭こうてつしていった。彼らがさからい異をとなえれば処罰をし、呂之国から派遣された新たな評議議員と官僚が国政をることになったのである。


 ―モクレン―

 話は少しさかのぼる。

 城を抜け出したモクレンとサフランは亥之国の国境近くにいた。自分達の行方が探されているだろうと幼いモクレンを背負ったサフランは思っている。

 あの時、異変を真っ先に気付いたサフランが王達の寝所に駆け込むと、無残に殺害されたクド王とシャーロ王妃のむくろの間で、泣きじゃくっているモクレンを見つけた。二人の血に汚れていたが、モクレンは無事のようだった。

 そこでサフランはモクレンを連れて、侍女控室まで逃げようとした時、城内から「敵襲てきしゅう」という数多くの叫び声と悲鳴を聞いた。このままではモクレンの命もあやういと判断し、王宮を抜け出すことにしたのである。

 サフランは、城の警備隊長を務めている騎士であるラッツの娘であり、モクレン王女に仕えることが決まったおり、「もし、王に何かあれば、この道を使って王妃おうひと姫を護って逃げるように」と彼女は父親と王しか知らぬ抜け道のを聞かされていた。

 城を抜けると、モクレンの衣装を町民の子供と同じ服装に着替えさせ、モクレンを背負って南に逃げた。二人が南下したその辺りは、ナカツノ国と亥之国の間に小さな領主が納める国が存在するに加え、まだ誰も占有していない土地がかなりあり、その占有されていない地域は山賊が跋扈ばっこしていることを彼女たちは知らなかった。

 二人は簡単に三人組の山賊の目に止まることになった。亥之国国境の城壁都市であるオクタを目前にした時である。

 盗賊達は女と子供の二人だと油断したのか、二人を怪我けが無く捕らえとて、たっぷりと楽しもうと考えたのか、思いもしないサフランの反撃にった。騎士の娘である彼女は、一通りの武術を身に着けていたため、三人の内、二人に軽い手傷を負わせて逃げる事ができたのである。

 逃げることはできたものの、サフランの身体は致命傷に近い刀傷かたなきずを受けていた。自分の命が少しずつ抜けていくのを覚えながらも、サフランはオクタにもぐりり込み、ごちゃごちゃとした町屋の中で力尽ちからつき息絶えた。

 その場所はオクタの売春街ばいしゅんがいであり、その一軒の勝手口かつてぐち前であった。

 息絶えた若い女と幼女を見つけた店の者は大変驚いたものの、モクレンはその売春宿に引き取られた。十二を越え、彼女に初潮しょちょうがあった時から娼婦しょうふとして過ごすようになった。

 ナカツノ国の王女である彼女は、その素性だけは誰にも明かしてはならないと幼いながらも決意していた。彼女はモクレンではなく、自分を助けるため死んだサフランの名を借り、男を相手にする女として生きる生活が始まった。

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