第15話 見通す瞳

 向かった先は、草はらに埋もれながら長方形の石が積まれていた。かろうじて人の手によるものだと判程度で、屋根も無ければ壁も無い。風雨にさらされて欠けた基礎石から、とても古い時代のものであるとうかがえた。


「どんな人たちが住んでいたのかしら」


 少女は月の光を頼りにハット・サークルの周囲を熱心に調べまわる。ほかの者はさほど興味もなさそうに、丈夫そうな石へ腰を下ろしていた。


「もう、みんな遺跡に座らないでよ」


「この程度のもの珍しくもないだろう。それに、家でくつろいでなにが悪いのかね」


「勝手に上がり込んでるだけでしょ」


「お邪魔してまーす。はい、これでいいか。ちょっとは休ませてくれ。こう見えておれは結構な年なんだ」


 不服そうなフラガリアを適当にあしらうジャド。アトラの目にはせいぜい三十代ほどに見えた。たとえ若作りだとしても、少し走った程度で不満を言う年齢には思えない。


「どうして急に走ったんだ?」


 長い足を休めながらダウが尋ねた。


「ハリネズミを追いかけたんです。七年前、レジーはあれを追い、僕は見失いました」


「少し思い出したことがあったのか。来た甲斐があったじゃないか」


「でも、それだけです……」


「ここに居るのはみんな、大切な人をうしなった者たちだ。奇妙な縁だな」


 うなだれる少年に対し、巨漢は上に向けた手のひらを励ますように動かした。

 観察を終えた少女は、灯火の消えたランタンを地に置き、自身も石の上に腰掛けると、胡散臭い男を正面にとらえて問いかける。


「あなたたち、いったい何者なの?」


「ふたりはある組織に属している。おれはそこに用があって、出入りしていただけさ」


「抜けるところだ。レドリーの死体と引き換えにな」


「ここで何があったのかしら。獣に殺されるなんて」


「当然の報いだ。この国はとうに死刑が廃止されてしまったからな。俺からすると裁きが下されたようなもんだ」


「どういう人だったんですか? そのレドリーという人は」


 アトラはダウに向かって尋ねる。彼はキースリーをちらりと見てから答えた。


「繊細なようで時に大胆なことをしたり、矛盾してて理解するのが難しかった。出会った当初はいい奴だと思っていたよ。だがそのうちろくでもない連中とつるむようになって、汚れ仕事を引き受けるようになった。

 俺はレドリーがステフィーを殺したなんて今でも信じられない。他人に気を配り、おとなしかったあいつが……」


 少年には、その言葉がまるで自分に向けられているかのように感じられた。


「レジーはその人と会ったのかしら」


 その問いに答えられる者はいない。考えたくもなかった。


「ところで、ジャドは占い師と言ったけど──」


「影占い師だ」


「影? それって何のこと?」


 フラガリアの素朴な疑問に、アトラも興味が湧いた。


「亡霊のことさ。死者を【喚起】し、お伺いを立てる。それがサイオマンサーだ」


 癖か演出か、男は月明かりを利用し、巧みに首の角度で表情に影をかける。生者と死者のあいだをさまよう人形じみたその笑顔は、少年の心をざわつかせた。


「幽霊好きのお国柄か、この地の妖精は死者に起源があるものが多い。幽界と冥界のさかいことにして、哀れな魂を救済するとは、じつに興味深い。まあ、おれのことなんてどうでもいいのさ。それよりも……」


 体を向き直し、真面目な顔でアトラを見据える。


「七年前の再現をして、心は晴れたかね?」


「お、おい、そんな言い方しなくてもいいだろ」


「いいんです。初めからわかっていたことですから」


「初めとは、七年前からか?」


「それは、自分でもわかりません」


「どうして信じてもいないのに、そんな儀式をした。いないと証明したかったのか?」


「アトラくんは詳しいのに、まるで好きじゃないみたい」


「どうして求めるものを自ら否定するんだ」


 フラガリアに続き、ダウまでもがその流れに加わる。


「そうじゃない、そうじゃないんです」


 アトラは首を横に振った。続きを待つ者たちを前に、言うべき言葉を脳内で組み立て、ゆっくりと話し始める。


「僕は昔から神話や伝説、民間伝承が好きでした。フラガリアはさっき歴史の話をした。僕だって歴史について多少知識があります。新しい科学にだって興味がある。

 でも学べば学ぶほど自分の好きだったものが否定されていく。神々や妖精たちが死んでいくんです。それが何を指していたのかわかるたびに、ひとりまたひとりと彼らが消えていくんだ! それでいったいどう信じろというのです?」


 みな沈黙した。草を揺らす風音が、ムーアの奥にまで広がっていた。

 しばらく天を見上げていたジャドが、おもむろに話し始める。


「たしかにそれは否定できない。現代に生きる以上、昔とは事情が異なるかもしれない。しかしだ。夜空の星は神々から名前を頂いたものばかりではないか。彼らがいなければ、それらは無機質な記号で呼ばれていたかもしれない。

 魔法と科学、その境界線はなんだ? わからないものを魔法と言い、わかるものを科学と呼んできた。存在そのものを否定する必要はないだろう」


 明るい満月の光に遮られて、星々は本来の輝きを失っている。少年の心に、男の言葉はさほど響かなかった。


「それは信じる理由にはなりません。なにも肯定するものがない」


「じゃあ、お婆さんのお話も否定するの?」


「歴史や科学は嘘にまみれている。探究者はその中からひとつの真実を探し出すために日々努力している。いずれ人間は見つけ出すだろう。それはどんな汚れや傷にも堪えうることができるからだ。

 では、妖精というものの真実はなんだ。たとえ空想であったとしても、妖精と呼ばれる存在が生まれ、物語が受け入れられてきた。その流れにこそ意味があるのではないのか。それは頭ごなしに否定されてよいものなのか」


「作られたものは作られたものです」


「やれやれ、なにが儀式だ。そんな奴になんざ、妖精がえるはずもない」


 苛立った大男が放った一言に、全員が押し黙ってしまう。場は完全に白けてしまった。

 静かに虚空を見つめるアトラをフラガリアは心配そうに見つめ、ダウはあぐらに肘をつきそっぽを向く。キースリーに至っては、あくびをかいて退屈そうにしている。ジャドだけは余裕ぶって、顎に手を当てながら次の言葉を待っていた。


「今、なんと言いました?」


 ダウは一瞬とまどってから、それが自分に向けられたものと察したようだった。


「信じてないのに、どうして儀式なんてしたんだと言ったんだ」


「そのあとです」


「うん? 存在を否定してる奴なんかに妖精が視えるわけがない、と言った」


える……?」


 少年は右目に手を当てて考え込む。大男はわけがわからないというように首をかしげ、大きな黒い両手を広げてみせた。


「隠された妖精を視るには、妖精を見通す瞳が必要だ。妖精が人間の産婆に助けを求め、わが子にそのちからを付与する塗り薬を渡す話がある。そんな物とうぜん用意できない。

 だから、僕らは四葉のクローバーを探した。それを頭に載せると、妖精を目にすることができるという話を信じて」


 アトラの脳裏に、湖での出来事が思い起こされる。フラガリアがふざけて自分の帽子をダウにかぶせ、それが風で飛ばされた。心の底にずっとそのことが引っかかっていた。


「憶い出した。レジーはそれをポケットに入れ、僕は帽子に付けていた。あの日、あの湖の近くで、僕もつむじ風に帽子を飛ばされて諦めたんだ。でもクローバーの存在を忘れていた。知らぬ間に、僕は妖精を見る条件を失っていたのか……」


「四葉のクローバー……」


 少女はきょろきょろと辺りを見まわし、無駄な努力をする。


「それがあれば、不完全だった儀式は完成するのかね」


「僕らが考えたものなら」


「妖精が見えると」


「見えるかもしれませんね」


 それが手に入らないのをわかっていて、アトラは冷ややかに答えた。


「そうそう、すっかり忘れていた。お前さん、墓場で忘れ物をしただろう。預かっていたのを返すつもりが、うっかり渡しそびれていた」


 そう言ってジャドは、古ぼけた鞄から一冊の本を取り出した。見間違えるはずもない。それはレジーとの想い出の本だった。養蜂家のペドン夫妻から聞いた話が載っていると、読書好きの姉から教わり、六つの誕生日に贈られた宝物であった。


「それは……」


「興味があったんで読ませてもらった。そういや、こんな物が出てきたな」


 差し出された左手の中指と人差し指の間に、一枚の栞があった。そこには少し色あせたもののいまだ緑を失っていない、押し花となった四葉のクローバーが挟まれていた。


「それは、レジーと摘んだ余りで作ったもの……」


 忘れていた記憶が瞬時に蘇る。


「なあ、これ貰ってもいいか?」


「え? いいですけど……」


「どうしてジャドが貰っちゃうのよ。アトラくんもなんであげちゃうの」


「これじゃひとり分にしかならんと思ってね。せっかく似た者同士が集まったんだ。儀式を共有した方が面白かろう」


「どうするつもり?」


 気取った男は優雅に白手袋を外すと、鞄から小さなコンロを取り出した。


「何が始まるのよ」


「体も冷えたことだし、お茶でも飲もうかとね」


「うーん?」


 占い師は小さなケトルをその上に置き、水を注ぎ入れる。突然、パチンと指を鳴らしたかと思えば、ぱっと火が点いた。


「どうやったの!」


 目を丸くするフラガリア。


「魔法だよ」


「ほんの手品だよ、かわいいねぇ」


 驚くアトラたちを小馬鹿にするダウの横で、ジャドは栞の上部を引き裂いた。


「ちょっとあんた、何してるのよ!」


「仕方ないだろう。全員が恩恵にあずかるには煎じるしかない。だが、エッセンスが枯れかけているようだ。ふふ、美味しくなあれのおまじない……」


 子供じみた呪文を唱えながら、四葉のクローバーを指ですり潰してケトルの上にいていく。光の加減か、舞い落ちる粉はうっすらと緑に光るようにも見えた。


「それはレジーとの思い出の品なのよ。どうしてそんなひどいことするの? アトラくんも黙ってないで何とか言いなさいよ!」


 翠の瞳は、信じられないと言わんばかりの視線を占い師に向けていた。


「ジャドさん……手を洗ってない……」


『そっち!?』


 三人が揃って抗議する。キースリーは眠そうにあくびをかいた。



 細かいことを気にする少年には譲れないものがあったが、やがて草のさざ波に混じって水の沸き立つ音が聞こえ始め、見た目にはなんの変哲もない紅茶が出来上がった。


 ジャドは、木をくり抜いて作られたマグカップを、平たい石の上に四つ並べた。取っ手には輪状の革紐がぶらさがっていて、軽薄そうなこの男の私物にしては、ずいぶん小洒落ているようにも感じられる。


 それらに茶色い液体が注がれていく様子を、アトラはじっと見つめていた。そんな視線を気にかけることなく、男は得意げに自慢する。


「いい器だろう?」


「うーん……」

「何か浮いてるわ……」

「これ、飲んでもだいじょうぶなのか……」


「クローバーなんて食べられるんだから平気だよ。気にすんなって、ちょっとばかり年季が入ってるだけだから。ほいよキースリー、温まるぞ」


 初老の男はのそりと立ち上がり、無言でマグカップを取り上げた。


「これは白樺かしら」


「そう、ククサっていうんだ。ほら遠慮するな」


 アトラは器を満たす液体を疑わし気に見つめた。キースリーはくだらないとばかりに目をつむって飲み始める。それを見てフラガリアもそっと口を近づけた。


「この香りすごく落ち着く。とてもいい葉を使っているわね」


「わかるか? おれは少々うるさいんだ。あまり食わないぶん、お茶ぐらいしか楽しみがなくてね。さあ、お前さんらも冷めないうちに飲め」


「俺は猫舌なんだよ……」


 黒豹くろひょうは不安げに口をすぼめる。

 少年はなおもじっと、白樺の器に注がれた紅茶を見つめていた。湯気の中に緑の小さな破片がひとつ浮いていて、中心でゆっくりと回っている。


「怖いのか?」


 ジャドの言葉に、アトラは黙って唇を噛んだ。


「それを飲んだら【儀式】が完成してしまうものな。本当は失敗だったとわかってほっとしてるんじゃないか? 幼いころの夢が壊れてしまうぐらいならそのほうが良かったと。まあそれならそれで、おれはべつに構わないがね」


 男の言うとおりだった。虚しさで覆った心のかさぶたが剥がれ、傷口が開き、悲しみの血が流れ出る。いちど終わらせた話を蒸し返された気分だった。


 飲むのは簡単だ。だが、存在を信じぬ者に視えるはずがないという、核心をつくダウの言葉が胸に突き刺さっていた。


 これを飲めば自分の夢が終わってしまう。そう思うこと自体、自らが夢を描いていない証だった。恥ずべきことと思っていた節はあった。だがそれよりも、大切にしてきた世界が、時とともに、己の成長とともに、壊されていく悲しみに耐えかねていたのだ。


 だからそれ以上壊されないために、心を閉じた。壊されるぐらいなら、存在そのものを否定し消し去ってしまえばいい。そうして七年ものあいだ、楽しかったレジーとの想い出を忘却した。心友を忘れたことなどないとうそぶいて、彼と築いた物語という宝物をひつぎに入れて埋めたのだ。


 しかし、その封印は強引に破られた。考古学者の娘と三人の男たちによって。ひとたび蘇った記憶は、幼いころに想い描いた純粋な心を喚起させる。


 器に注がれたかぐわしい液体の水面に、風に吹かれる暗色の髪が揺れ動く。映る自分の姿に、黒髪だった友が重なった気がした。


 アトラは飲んだ。ただレジーのことだけを想って。己の心に秘めていたものがようやく理解できた。自分はもう一度、あの心優しい少年に会いたかっただけなのだ。


 瞳を閉じて、苦悶くもんの表情を浮かべた。

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