第27話 赤き尖兵

「──や、やったの?」


 フラガリアが力なくしゃがみ込んだ。ジャドは手で制しながら光景に呆れ果てる。


「おっと、そいつは禁句だ。それにしてもなんてありさまだ。これじゃあどっちの味方をしたのか、わかったもんじゃない」


 地下空間はなにもかも取り散らかっていた。スプリジャンの集めた財宝が根こそぎなぎ倒され、ムリアンの繊細な品々はすべてひっくり返っている。

 アトラは全身の色が抜け落ちたようなひどい疲労感に襲われていた。力の抜けた四肢を踏ん張ってかろうじて立ち上がると、はっとして叫ぶ。


「レジーどこだ! どこにいる!?」


「おーい、ここだよ~」


 逆さになった杯からくぐもった声が聞こえてきて、持ち上げるとムリアンの王子が現れた。


「やれやれ、死ぬかと思ったよ。いつもイタズラばかりしてるブッカたちが、まさかこの地の守護神だったなんて」


 ほっと安堵したアトラは、地面で仰向けになって寝息を立てる二匹の仔山羊を見下ろした。


「今日は十一月一日。ほんらいブッカは、今日だけはおとなしいと云われているんだ」


「何の日だ?」ダウが首をかしげる。


「いにしえの新年よ。この子たち頑張ったのね」


「神の成れの果て、か。眠ったちからを呼び覚ますとは、すばらしい。得難き才能だ!」


 興奮を隠しきれない影占い師は、アトラに視線を向けるや唇を緩ませた。


「だが、いきなりすべてのエッセンスを使い果たすとは。これは鍛錬が必要だな」


「なんの話ですか?」


「アトラくん、頭が真っ白よ。まるで昔に戻ったみたい……」


「うん、あのころの君みたいだ」


「え? 本当だ。元に戻るのでしょうか……」


「なあに、よく食べてよく寝れば、そのうち元通りだ。大技を使ったんだから無理もない。お蔭であの厄介な連中を一掃できた」


「どうしてブギーマンなんかが、ワイルドハントと手を組んでいたのかしら」


「悪党のアジトにゃ恐ろしい化け物が出ると、相場が決まってるのさ。お子さまに来られたら困るからな。子供のしつけがブギーマンの役目とするならば、誰も叱ってはくれない大人のおイタをとがめるのがワイルドハントということで、馬が合うんだろうよ。

 ……それはそうとして。黒いのが雄で、白いのは雌だったんだな。ダウ、お前さん肩車してたけど、逆じゃなくて良かったな!」


 ジャドが下品に笑う。あまつさえ少女の目の前で。アトラは心底呆れ、ダウとため息をついた。


「ちょっと、どこ見てるのよ! それ、どういう意味……」


 言いかけて、笑顔だったフラガリアは急に真顔になる。


「キースリーさん、銃を貸して。こいつの頭をぶち抜くわ」


 ブッカの光は、今まで包み隠していた、美しい人形たちの見てはいけない裏側を暴いてしまったかのようだった。ともすれば、少年がともしてしまったのは、とんでもなく悪戯な神の燈火ともしびであったのかもしれない。

 ひどい冗談ではあったが、呼ばれた男は輪には加わらず、無反応だった。


「キースリーさん?」


 初老の男はじっと暗闇を見据えている。その視線の先に、燃えるような赤髪の青年は居た。すかさずダウが、怒りと驚きの混じる様相で声を荒げる。


「レドリー、てめえ!」


「よお、また会ったな。真打登場ってね。勝てぬ相手に立ち向かうのが、ここいらのさがなのか? たかが蟻が、山羊に敵うわけがなかろう。お前たちも運ぶのを手伝ってくれ。仲間が減って困ってるんだ」


 一行を尻目に白鑞びゃくろうの杯を拾い上げて高く掲げると、赤い光が照り返った。ジャドはひとり冷めた表情で、静かに問いかける。


「なぜ貴様らはこんなことをする? いったい誰に命じられているんだ」


「お前に教える義理はない。それが役目だからさ」


「哀れだな。下っ端は何をやらされているかも知らんのだろう」


「違う! これは崇高なる目的のためだ」


「ならば言え。誰の命でこんな狼藉ろうぜきを働く」


「黙れ! このインチキ霊媒めが」


「言えないのか?」


「俺は肉を喰らい、酒を呑み、永遠に終わることなき狩りをする……!」


 レドリーは片手をこめかみに当て、言葉を絞り出す。


「何のために?」


「何のため? なんのため……」


「蘇るためじゃないのか?」


 アトラはにらみながらたずねた。


「蘇る? 毎日蘇る豚を喰らい、毎晩元に戻る酒を呑み、終わることのない狩りをする。なぜ、俺の手はこんなにも青ざめているんだ?」


「何を言ってるんだ、お前は」


「なんだか様子がおかしいわ」 


 支離滅裂な言葉に、ダウとフラガリアがうろたえる。

 赤毛の男は杯を乱暴に地面へとたたきつけた。片耳を塞いでにらみ、よろめく。


「やかましい、黙れ! 俺は、俺は……!」


「もういい、殺してやる」


 キースリーが冷めた表情で銃を構えた。


「ああ、あんたはまた、俺にそんなもんを向けるのか──」


「くたばれ!」


 即座に発砲。アトラはその音に身をすくめた。


「終わらない、終わらないんだ! いつまでも!」


 レドリーは嘆くように叫ぶ。至近距離で頭を撃ち抜かれたにもかかわらず、何事もなく立っている。ワイルドハントと化した男は、やはり銃弾を受けても死ななかった。


「なぜだ……」


 信じがたい光景にたじろぐ姿を見て、レドリーは逆に落ち着きを取り戻していった。


「ああ、キースリー。何度やっても無駄だ」


 硝煙を上げる銃を力なく下ろし、初老の男は呆然と相手を見つめる。


「悔しいか? 苦しいか? 憎いか? ステフィーもあんたと同じ目をしていた」


 娘の名を聞いて、下がった肩が震えた。赤い瞳は輝いて、恍惚とした表情を浮かべる。


「教えてやろう。あの娘の最期を」


「やめろ!」


「俺の手に、あの首の温もりが残っている」


「やめろ! 聞きたくない!」


「お前には聞く権利がある。だから教えてやるんだ」


「やめてくれ!」


 しわの刻まれた左手からライフルが音を立てて滑り落ちる。力なく開かれた右手からはひとつの銃弾がすり抜けて、アトラの足元にまで転がってきた。


「あいつは俺に惚れていたんだ。俺が利用しているとも知らず」


「そんなはずがない……」


「あの女は、俺に許されざる言葉を吐いた。だから、俺はあいつを──」


「もうやめなさい!」


 堪らずに制止するフラガリア。

 キースリーは両耳を塞ぎ、額を地に付け、嗚咽した。こぼれ落ちた涙が広がっていく。四人は固唾を呑んで、年老いた仲間を見守るしかなかった。

 アトラはレドリーに向き直ると、その顔をねめつける。


「お前が……! お前がレジーも殺したのか!?」


「レジー? 誰だそれは」


「ぼくの友達だ!」


「トモダチ……? ああ、昔、どこかで聞いた覚えのある響き──」


「ぼくが聞いたんだ! 七年前、このムーアで!」


「お前が、七年前? うっ……。七年前、ムーアで、あの時、あの場所で、俺は何をしていた? そうだ、ランズエンドへ逃げようとしていたんだ。ガキに出くわした気がする。白銀の髪で翠の目をしてた。真夜中に真っ白な子供がいたから、最初は幽霊かと思った。たしかにお前からは、あのガキと同じ雰囲気を感じる……」


「お前がレジーを殺したのか? そうなのか!」


「わからん、知らん、思い出せん」


「思い出せ!」


 少年の怒りに、相手は片目をつむってこめかみを押さえる。


「あの時、俺は何かを見たんだ……」


おもい出すんだ!」


「うるさい、黙れ! 俺に指図するな!」


 炎の宿る瞳と蛇眼を潰す翠の瞳が火花を散らした。

 射し込む月明りが、互いの顔をはっきりと照らし出す。


「なんだ、その目は! その眼差しを俺に向けるな!」


 レドリーは明らかに恐怖を浮かべていた。アトラの瞳に映る相手は、まるで深淵を覗くかのようだった。毒沼に深く深く引きずり込む魔物ような赤い瞳。それは男のけがれた瞳なのか、あるいは火照る己の瞳を映したものなのか、次第によくわからなくなってきた。


「答えられないのか。ならば、最後に聞かせろ。なぜ、お前は連中に従っている」


 青年はなにも答えずに、ただ虚空を見つめている。


「もう、自分で考えることもできないのか……」


「やめろ! 蔑むような目で俺を見るな!」


 レドリーは悲鳴にも似た声で叫び、よろめいた。おびえるように赤い髪を抱え込んで身を震わせる。見かねたダウが少年を手で制し、落ち着いた声音でかつての友にたずねた。


「俺にはお前がステフィーを殺したなんて信じられない。いったい何があったんだ?」


「ダウ……お前とはわかり合えると思っていたんだがな。あいつが悪いんだ、あそこから逃げ出そうなんて言うから。ほかに居場所など無かったというのに。残酷だとは思わないか? 地をう蟻に羽を生やせと言うようなものだ」


「まだやり直せたはずだ」


「そんなチャンスはとうに終わってた。なにもかも手遅れだ。ゆくあてのない者が最後にたどり着いた小さな隠れ場。それをあいつは踏みにじった」


「あの人は、お前のことを助けようとしていたんだ」


「それは違う。この世は、あまりにもまぶしい。だが、暗闇でしか生きられない者もいるのだ。助けるなんて傲慢な戯言たわごとに過ぎない。


 俺はずっと思っていた、みんな同じなんだって。でもそうじゃなかった。お前たちは所詮、地に落ちただけの鳥なんだ。何不自由なく育ったくせに、翼を怪我したからと被害者面するだけの甘えたガキだ。俺らがすることを無駄な努力と蔑みながら、自分は戻る場所をちゃっかりと持っていたのさ。


 だが、俺には何がある? 蟻になんてなれなかった。ウジ虫? それも失礼だ。俺はいったい……」


「卑下するな。どうしてなんだ、エメット──」


「やめろ! 俺をその名で呼ぶな!」


 赤い激高に黒い肩が跳ね上がる。アトラには、ダウが親しみを込めたように思われた。


「異邦人とのあいだに生まれたガキだからと、『エメット』なんて名前をつけやがって。ムリアンだのエメットだの、この地の奴はよそ者をすぐ蟻扱いしやがる! そんなに物言わぬ奴隷を望んでいるのか!」


 レドリーはこめかみに手を当て感情を落ち着かせると、うめくようにつぶやいた。


「なにもかも終わった。俺には生きている価値も、生きていた価値もないんだ」


「それなら……!」


「それならなんだと言うんだ? 言ってみろ」


「ひとりで死ねば良かったんだ! なぜステフィーを殺して貴様は生きている!」


「あぁ……。おまえ、それを言っちまいやがった」


「当たり前だ!」


 浴びせられた非難に、レドリーは手で顔を覆う。


「魔が差したんだ。あの言葉を言われて、気づいたら殺してた。俺が殺したんじゃない、あいつが俺に殺されにきたんだ」


「この期に及んでそんな言い逃れを……」


「悔しくて悲しくて仕方ないのに、涙の一滴も出てきやしない」


「貴様には血も涙もないんだ」


「どうやらそのようだ。俺には血も涙もない……なにも、無い。生まれもった気質が邪悪だというのなら、もはや俺にはなんの罪もない。いったいどこからが俺の責任なんだ」


「そういうことを、考えられるようになったときではないのか」


「いつが事の始まりだったのか、それを遡るなど不可能だ」


「それでも、心を入れ替える機会は何度もあったはずだ」


「心を入れ替えたら、俺は俺でなくなってしまう! 何をもって己と成すのか。器どころか中身さえ、自ら選んだわけではないのかもしれない。境遇に抗う精神なんて、いったいどこから湧いてくるってんだ!」


「それでもお前には、考える力も差し伸べられた手もあったはずだ!」


「もう遅い、遅いんだよダウ。なんでお前までもそんなことを言う? 虚ろな瞳で、この俺を慕ってくれたあの男はどこへ行った?」


「あの人が俺を変えた。あの人の死が、俺に目を覚まさせたんだ!」


「なに? そうか、なるほど、そういうことか。それで合点がいった」


「どういうことだ? お前はステフィーになんと言われたんだ?」


「夢を聞かれ、それを扱き下ろされた。夢なんて、他人に語るもんじゃない……」


「夢? いったいどんな」


「《小人物リトル・ピープル》たる俺は、グレート……《大人物グレート・マン》となるのだ……!」


「それはどういう意味だ? レドリー、お前、その目!?」


 信じがたい光景だった。燃えるような赤い輝きが急速に失われ、氷のように冷たい青い瞳が現れる。アトラは全身が凍りつくのを感じた。


「憶い出した、すべてを。俺はワイルドハントの尖兵せんぺいとして、この上なくふさわしい」

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