第四章 荒野の悪魔

第16話 白き妖精

「なんだかひと雨きそうな気配だなぁ」


 ダウがぼんやりと空を見上げながらぽつりとつぶやく。月下で催されたお茶会に、一行のあいだで心穏やかな雰囲気が広がっていた。


「う~ん。明るい夜ねぇ」


「おいおい、暗くなっていくぜ? 眠いんじゃないのか」


「そんなことないわよぉ」


「はぁ、ステフィー……。お前なのかい?」


「へ?」


 突として娘の名を口にした初老の男に、青年はいぶかしむ瞳を向ける。


「キースリーさんも見える?」


「う、うむ……」


「お、おい、からかうなよ。悪い冗談だぜ」


 ダウは慌ててアトラに視線を送った。しかしフラガリアとキースリーはうっとりとした表情で、崩れた石の囲いを見つめている。


「ジャド! お前、なにか変なもん入れたんじゃないだろうな?」


「おかしな物なんて入ってないぞ。単なる水と茶葉にクローバー、それと愛情を少々ね」


「最後のが原因だな……」


 だがしばらくすると、ダウの挙動も怪しくなり始めた。巨体を縮め、目をしばたたかせる。


「ううむ、なんだか月の光がまぶしくなってきた。認めたくない、認めたくはないがあれはいったい……」


 アトラは三人の様子を冷ややかに見つめた。彼らはいつの間にそのような打ち合わせをしていたのだろう。人をからかってなにが楽しいのか。まったくもって面白くない。


 クスクスと小さな笑い声が聞こえた気がして、顔を上げてにらみつける。しかし彼らはぼんやりとの内側を眺めるばかり。

 ジャドは相変わらずだった。崩れかけた石に座して、暇そうにしている。


 月の位置から察するに三時を過ぎたころか。《魔女の刻》が脳裏をよぎる。温かい飲み物のお蔭か、寒さはさほど感じない。風がいだ草の匂いが鼻をくすぐった。

 固く目を閉じ、気分を逸らす。眠気はない。来る前に四、五時間ほど眠れただろうか。何かほかに考えることはないか。なぜかそわそわして落ち着かない。 


 ふと辺りが明るくなるのを感じた。月が雲に覆われた暗さに、フラガリアがランタンの灯火を点けたのかもしれない。

 瞳を開ければ今度こそ、すべての夢が終わってしまう。二度とその存在を確かめぬようにしてきた妖精たちは死に、物語は壊れ、友との想い出は消えて無くなる。

 いつもの否定的な考えが頭に浮かび、かぶりを振る。


 また子供のような笑い声が聞こえた。あんな声を出せるのはフラガリアぐらいだ。


(馬鹿にするな! 僕のをあざ笑うな! もう、我慢の限界だ──)



 アトラは目を開いた。


 まるで真昼のように明るかった。

 いくつもの白い花びらが宙を舞っている。


 石造りの家に居た。


 部屋の隅で、手のひらにも乗りそうなくらい小さな、羽の生えた子供がほほ笑みを浮かべてこちらを見つめている。

 見まわせば、イタズラそうな瞳がぐるりと取り囲んでいた。


「……ピスキー?」


 寝巻のような服を着た、はだしの子供たち。あんな薄着で寒くはないのだろうか。皓々とした満月の暖かな光が、ガラスの無い窓から注がれている。それは、ムーアを遠くまで見通せるほどに明るかった。


「あの子たちがそうなの? 洗礼前に亡くなった子供の生まれ変わりなんだっけ」


「それはあとから話をつけ加えただけ。ピスキーは、はるか昔から存在していた……」


 この目の前に広がる儚い光景は、はたして現実なのだろうか。これが夢ならば覚めないでくれ、これが現実ならばそのままであってくれ。そう願わずにはいられなかった。


「そういやキースリー。さっき娘の名を呼んでいたな」


「あの子は天に召された。こんな所にはいない」


 初老の男は落ち着きを取り戻したのか、否定してうつむく。

 一行は妖精たちを刺激しないよう、静かにその様子を見守った。


「なあ」


 ジャドは薄青の眼差しをアトラに向けた。


「もう一度、あの丘へ行ってみないか?」



 扉の無い玄関から表に出ると、家は鬱蒼とした森に囲まれていた。丘のあった場所へと向かって、石の敷かれた道がまっすぐに続いている。つい先ほどまで存在しなかった木々の出現に、フラガリアとダウが驚嘆した。


「なんだか夢の中にいるみたい」


「俺たちは集団幻覚でも見ているのか」


 アトラもまた、一変した光景には圧倒されるしかなかった。これは本当にさっき通った石の道なのだろうか。戸惑いながらゆっくり歩み出すと、それまで遠巻きに見つめるだけだった小さな妖精たちが、面白がって後ろを付いて来る。


 平和で幻想的な光景に皆がうっとり見惚れていると──


「ブー!」


 突然、茂みから白い何かが目の前に飛び出して来た。


「ぎゃー!」


 それに一番の驚きを見せたのは、ほかならぬジャドであった。気取り屋が見せた間抜けな様相に、アトラたちは思わず吹き出してしまう。


「そこまで驚かなくても……」


「なによ、ただのかわいい仔山羊じゃない」


「ち、違う! 気をつけろ、来るぞ!」


 顔を赤らめながら影占い師が叫んだ直後、それまで友好的に見えていたピスキーたちが一斉に襲い掛かってきた。アトラは迫りくる小さな手に奪われないよう荷物を抱え込む。不意討ちの失敗した小妖精は、悔しがって金切り声を上げる。


「いきなりどうして。アトラくん、どうしよう?」


「善悪の区別がついていないだけなんだ。取られないようにするしかない」


「──くそっ、こいつ、離せ!」


 振り返れば、キースリーが先ほどの仔山羊に襲われていた。いったい何が入っているのかは不明だが、彼は大きな荷物を背負っていた。獣はその荷を奪おうと必死に張り付く。苛立った男が乱暴に振り払うと、それは茂みの中へと吹っ飛んだ。


 その時、立ち往生する五人の背後から、ガラガラと石を踏む車輪の音が聞こえてきた。駁毛ぶちげの子馬に引かれた粗末な荷車がやってきて、ピスキーたちが泣きつくように飛んでいく。


「今度はなんなの?」


 うずたかく何かを積んだその馬車には、緑の服を着た小さな御者の老人が腰を下ろしていた。かれぬように慌てて道端へ避け、すれ違いざまに積み荷を眺めると、そこには壊れたヤカンや割れた瓶、錆び付いた空き缶など、どれも役に立ちそうにないガラクタが山積みになっている。


 ふと少年の脳裏に、養蜂家の老婆が語った話が思い浮かぶ。七年に一度、悪魔が妖精に税を取り立てに来る。今年はその年なのだと、彼女は言いたげだった。


「あんな物をどうするつもりなのかしら。子供じゃないピスキーもいるのね」


 さしあたって危機が去り、ほっと胸をなでおろす。不意に背後からモゴモゴと音がして振り返ると、顔面に白い獣が張り付いてもがき苦しむダウの姿があった。

 ようやく顔から引きはがされると、それはするりと首の後ろに回って肩車のようになった。


「何をしているんだよ、お前さんは」


「はぁ、なんなんだよ、まったく……」


 振りほどくことができず、大男が根負けする。獣は背中で子供のようにはしゃいだ。


「ふふ、懐かれちゃったみたいね」


「この妙ちくりんなケダモノはいったい何だ?」


 影占い師が問うそれは、小さな角と羽を生やした、二足歩行の仔山羊だった。


「サテュロス? いえ、『真夏の夜の夢』に出てくるプーカかしら」


「これはブッカブー。白いからブッカ・グウィデン。いたずら好きだけど、い妖精だよ」


「うん? それって……。あらアトラくん、横に……」


 振り向けば、ほかのピスキーよりいくらか幼い女の子が、好奇に満ちた視線をこちらに投げかけている。トゲトゲとした黒髪にどんぐりまなこ。その整った顔立ちには、なぜか懐かしさが感じられた。


「もしかしてこの子、さっきのハリネズミに化けていたのかしら」


「そのようだ。やれやれ、丘の周りで有象無象が騒がしくなってきたな」


 ジャドのつぶやきに、アトラはフラガリアと顔を見合わせる。以前どこかで、似たような言葉を耳にした気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る