第18話 丘の守護者

 悪魔たちの動きが止まった。黒い仔山羊の不可解な行動にアトラはいぶかしんだ。

 だが、待てども何も起きない。男らは顔を見合わせている。


 ピスキーたちが後ずさり始めた。女王は護衛を伴って、闇の中へと消えていく。

 北風と西風のざわめきとともに、岩陰から何か小さなものが跳び出してきた。


「デカぶつが来るぞ! お前ら下がっていろ!」


 新たに現れた小さな妖精たちを前に、ジャドはわけのわからぬことを言う。

 それらを見ているとなんだか目がおかしくなるような気がした。距離感がつかめない。ものは近づけば大きく見えるのが道理だ。だがしかし、その四つの人型は一歩進むたび、徐々に大きくなっていくように感じられる。

 少年は自らの目を疑い、こすった。


 彼らは手に槍や棍棒、弓を構えて迫ってくる。ピスキーよりも小さく見えていた姿は、今や大人の背丈よりも高く見えた。そしてそれは、更に大きくなっていく。

 もはや疑いようがない。それらは一歩進むごとに巨大化している。


「スプリジャン!!」


 アトラの叫びとともに、一本の巨大な矢が眼前に突き刺さった!

 ピスキーの襲撃とはわけが違う。たとえ原始的な武器だとて、簡単に人の命を奪う凶器であることに変わりはない。いまや完全に巨人と化した邪悪な妖精たちは、獣のような顔を残忍にゆがませた。


 左手に槍を持つ巨人が、右手からキースリーに向けて何かを放り投げる。それは蜘蛛が用いる遊糸かげろう。怪物は網闘士のごとく、絡め取られた人間を手繰り寄せて槍を構える。


 咄嗟とっさに飛び出た影はジャドだった。黝黒ゆうこくの衣をひるがえして仲間のもとへと疾走する。別の巨人が振り下ろした棍棒を屈んでかわし、腰元からキラリと光るものを抜き放つ。


 それは刃に紋様が描かれた一本の短刀。瞬く間に網を切り裂き、キースリーを真横に突き飛ばすと、自らはその逆に跳ぶ。

 直後、ふたりの居た場所に巨大な槍が突き刺さった。


 影占い師のその動きに、四体のスプリジャンは一斉に標的を変える。


「待て! おれたちが争う理由はない!」


 ──問答無用。


 弓持つ巨人は新たな矢をつがえた。


「こんなはないぞ! やるしかないか……」


 ジャドは走り出すと身をよじって矢をかわし、胸元から新たな短剣を抜き放つと、反動をつけて高く跳躍したかと思えば、大きく振りかぶって怪物へと投げつける。


 射手は咄嗟に顔を背けるも、男の狙いは別にあった。張り詰めた弓のつるが弾け飛んで、矢はあらぬ方向へ飛んでいく。


 その先に、脅威に身を寄せ合うピスキーたちが居た。たちまち阿鼻叫喚が沸き起こり、小さな妖精たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 落ちる矢の真下に、先ほどの黒い仔山羊が居た。風を司るこの妖精は、飛び上がって頬を膨らませ、すかさず息を吹きかける。矢は再度向きを変え、ゆく先にはアトラが──


「なっ!?」


 影占い師は面食らう。

 少年が逃げようとしてつまずき憐れにも尻もちをつくと、矢は股の間に突き刺さった。

 宙に浮かぶブッカ・デューは前後のひづめをたたき合い、その無様な姿をケラケラと笑う。ピスキーの群れは、角もつ妖精を称えて大歓声を上げ、拍手喝采した。


 小さなものたちの小さな騒動を尻目に、攻防はなおも続く。ジャドは無事を見届けるとすぐさま駆け出した。

 棍棒を握る戦士が立ちはだかり、脳天ごとたたき潰さんとばかりに大きく振りかぶる。だが悲しいかな、埋まった大岩を打ち砕く時にはすでに、影占い師はその股の間をすり抜けていた。

 屈辱に巨人は吠える。鼓膜を激しく震わせる怒声に、人の子は耳を押さえた。


 網を失った槍持つ闘士は、腰に下げる新たな網を取り外そうとしていた。ジャドの襲来に慌てふためいた怪物は、不自然な体制のまま左手の武器で突き刺そうとするも、男は槍の柄と丸太のように太い腕を駆け上がり、獣じみた鼻先を蹴って悠々と跳び越える。


 その先には、彼らの首領とおぼしき、杖を携える巨人が構えていた。明らかに高い知能をもつと見えるその導師は、得物を掲げ何かを唱える。

 ジャドの両脇に横たわる巨大な平岩が立ち上がったかと思うと、覆いかぶさるように倒れ、鈍い地響きが起こった。


 アトラはあんぐりと口を開け、フラガリアは目を覆う。


 だが占い師は何事もなく、岩影からすり抜けるように現れた。


 それを見た相手は何かを察し、大きな口の端を吊り上げる。巨頭の呼びかけに応えて、地に埋まる角ばった小石が震えだす。

 それらは砂利を撒き散らし、ジャドの足元へと次々飛びかかっていく。たまらず男は、一つひとつ跳躍しながら逃げ惑う。


「くそっ、足ばかり狙いやがって! このままじゃらちが明かん!」


 低く飛び交う鋭利な石は、とても視認できるものではなかった。破片の一個がブーツに触れると、ジャドは大岩に跳び乗って激高した。


「よくもおれのお気に入りを!」


 その足元までもが揺れ始める。この妖精の丘で、彼に味方する者はいなかった。

 首領を見守る三人の配下たちは、さもおかしそうに巨体を揺らして嗤笑ししょうする。


 ジャドは辺りを見まわした。呆然とたたずむアトラとフラガリア、震える白山羊。ダウは小さな者たちを守るようにその前に立ちはだかっている。キースリーは銃を構えようとしていた。


「撃つな! 子供を連れて先に逃げろ!」


 子供──その言葉にアトラはショックを受けた。なんにもできない、ただの子供。


 四体のスプリジャンが揃って喉から重低音を響かせ始めると、円状に埋まる岩々が再び震えだす。

 ジャドは仲間から離れるように、自らその中心部へと跳び込んだ。


 妖精の口から人の言語では表せないであろう呪言が紡がれる。砂埃すなぼこりを上げて中空へ浮遊した岩々が男のもとへと吸い寄せられていく。彼が大きく踊り上がって後転しながらこれをかわすと、はげしい音を立ててぶつかりあった岩塊は、微塵みじんに砕け散った。


「すごい」


 少女が感嘆の声を上げる。少年もまた、その曲芸的な動きに魅了されていた。

 だが、着地したジャドが対抗して何かを仕掛けようと左手を構えたその瞬間、それまで囲むだけだった黒雲がついに獲物の一端を捕らえる。見る間に満月が翳り、たちまち辺りは暗くなっていく。急速に光を失う空を見て、影占い師は叫んだ。


「しまった!」


 杖持つ巨人は同じをもつ者同士の戦いに勝利を確信したか、邪悪な笑い声とともにその得物を掲げる。導師の呼びかけに応えて、砕け散った石のつぶてが雨あられとなって男に襲い掛かった。


 全身を打たれ、ジャドはうめきながらガクリと膝をつく。囲んで見入っていた取り巻きたちは不気味な顔をゆがませて、小さな影となってうずくまる男をあざけり笑った。


 アトラは呆然とたたずんでいた。目の前で、想像だにしなかったことが起こっている。しかしそれに抗う力など持ち合わせてはいない。圧倒する怪物を前に、ただ優しいだけが取り柄の少年などまるで無力だった。


 突然ダウは、すがりつく白い仔山羊を引き剥がして、フラガリアに押し付ける。彼女が驚きながら抱きとめると、黝黒の肌をもつ男は石の舞台へと飛び込んでいった。


 怪力の巨人が振り下ろした棍棒をいとも簡単にかわし、鼻を擦る巨人が投げつけた槍を豪快に跳び越え、壊れた弓を抱える巨人を地面に張り倒し、杖持つ首領へと襲いかかる。


 いくらダウが二メートルを越す大男といえど、相手は三メートルを優に超す巨体。怪物はその剛腕で振り払おうとするが、負けじと背後に回り込み、ぎりぎり首を締め上げる。その俊敏な動きは、彼に絡み付いたブッカ・グウィデンが見せたものを思わせた。


 苦悶の表情を浮かべた導師の手から杖が抜け落ちて、岩に落下しガラガラと鳴く。

 劣勢を悟った配下のひとりは甲高い口笛を吹いた。するとスプリジャンたちが現れた岩の狭間から、新たに小さな叫び声が沸き起こる。

 巨体に張り付く男は声を大にして叫んだ。


「ジャド逃げろ! こいつはまずい!」


 苦しそうに長い黒髪を垂らしていた男は、片膝をついて立ち上がり、周囲を見まわす。巨人が三体、ダウと交錯する首領を取り囲み手をこまねいていた。ピスキーたちは岩陰に身を隠し、おびえて震えながら覗き見ている。


 ──いつの間にか、劫掠ごうりゃくを行う男たちの姿は消え失せていた。


 続々と救援に駆けつける新たなる小人たちが、瞬く間に巨人へと変貌していく。

 占い師は、我が身を撃った石の破片を拾い上げると、暗い大地に浮かぶ妖精のおぼろな影に鋭く投げつけ、残る三人に振り向いた。


「逃げるぞ!」


「でもダウさんが──」


「いいから今は逃げるんだ!」


 ジャドは左手でアトラの右手をつかむと、引きずるように走り出す。少年がかろうじて後方を振り返ると、ダウは先ほどの網に絡め取られて地面に転がるところだった。

 しかし最初の巨人たちはそれ以上身動きが取れないのか、こちらを口惜し気ににらむばかり。


「フラガリア、キースリー、走れ!」


 光景を見つめていた少女は一瞬戸惑った後、白い仔山羊を抱きかかえて駆け出した。


「ダウ、すまない……」


 銃を握るキースリーも、喧噪けんそうに乱れた丘に背を向ける。

 アトラが幼いころに夢見た妖精の丘は、今や黝黒の世界へと閉ざされていく。

 暗闇から伸びる白い手に導かれながら、息を切らしてひた走る。


(どうして、こんなことに……)


 少年は昔、この暗く物悲しいムーアで、同じ言葉をいだいた気がした。

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