第17話 カーター家

 輝く石の道を通って森を抜けると、前方に再び丘が現れた。十月の満月──狩猟月が淡く照らし出したトーは、ほんのわずか前に訪れたときと比べて、妙な違和感をいだかせた。

 何かが違う。それは妖精たちの出会いの場などではなく、もっと異質の、驚異と狂気が入り混じったような気配。純真無垢な魂と邪悪な魂が交錯する、風とかぜの衝突。

 五人と一匹は小さなピスキーに導かれるように、岩間を縫って慎重に進む。


「油断するなよ」


 影占い師を自称するジャドは、明らかに常人ではなかった。そんな彼に言われずとも、否が応でも感じるひりついた空気に、皆の口数が自然と減る。


 アトラが幼いころ想い描いたのは、満月の晩に繰り広げられる妖精たちの平和な祭典。神秘のちからが最も高まる時、丘は光とともにその口を開き、小さな人たちが現れる。とんがり帽子をかぶり、鮮やかな青の衣装に身を包む、美しい妖精ムリアン。

 彼らの王と后は臣下と共に、月明かりのもと歌と踊りを披露する。自分たちは片隅からその集いをそっと覗き見る──望んでいたのは、ただそれだけだった。


 巨大な岩陰に差し掛かったころ、先頭を歩くジャドがほかの者を手で制す。五人はその岩越しに、明るい丘の頂上を仰ぎ見た。

 そこは空を飛ぶピスキーたちでごった返している。先ほどの集団のほかに数えきれないほどの小さな人影が、おのおの貢ぎ物を運び込んでいた。


 彼らのゆく先には大きな人影──大の男ほどの者たちが、こちらに背を向けせわしなく動いている。古風な出で立ちを除けば、普通の人間と変わらない姿かたち。

 だがしかし、隠しきれない邪悪な気配は、彼らが人ならざる存在だと、見る者すべてに警鐘を鳴らす。


 一行の耳元に、北風と弦楽器を伴奏にして、奇妙な歌が聞こえてきた……。



   三方海の ケルノウに

    熱く交わした 腕ふたつ

   巨悪に向かえ 英雄よ

    我らが正義 知らしめよ


   奈落の民ダムノニアンは 腰抜けだ

    増派の波は 途絶えたり

   火砲無ければ 肝も無し

    無い無い尽くしの 反乱者リベリオン


   対する王イングランドは 倍の数

    もはやこれまで いざさらば

   まつられ英雄 置き去って

    コーンウォールへ 逃げ帰る



   ここは仕置場 タイバーン

    ダンスを踊れもがきくるしめ 罪びとよ


    王のお慈悲だ 吊るし首!

    とがのはらわた えぐり出せ!

    その身に刻め 四つ裂き!


     蛮地ロンドン 見せしめに

      かくて野ざらし 首ふたつ



 歌が終わると、騒ぎ始めた妖精たちの黄色い声に混じって、野太い怒声が響きわたる。


「黙れガキども、ちゃんと並べ!」


 ピスキーたちは男を恐れていないのか、おとなしく従っているように見えない。無造作に貢ぎ物を放り投げては次々と山にしていく。それらははたから見て、とうてい価値があるようには思えなかった。


「ガラクタばっかりなんだな」

 ふくよかな声が聞こえた。


「ふん、どうせ溶かすのだから構わんのだろう」

 昏く落ち着いた声が答える。


「キィー! 誰か羽虫どもを黙らせろッ! 五月蠅うるさくてかなわん」

 甲高い耳障りな濁声だみごえ


 彼らはいったい何人いるのだろうか。岩陰から様子をうかがう少年には、誰が話をしているのか、もはや見当もつかない。


「まぁまぁ、ピスキーなんてかわいいものじゃない。ピスキリーに比べれば」


「ピスキリー! あの裏切り者の名を口にするな! 野郎、俺たちを売りやがって!」


「イヒヒ。罪とはなんぞや? それはお上に従わぬことをいうのでさぁ」


「間抜けな王がおっぱじめた戦のせいで、割を食うのはいつだって下々のもんよ。だからちぃとばかし良心的な値段で流す。俺たちゃ英雄気取りだったものさ」


「ごもっとも。さあ、御託はいいから手を動かせ」


「へいへい。あーあ、これじゃ昔とやってること変わんねぇな」


「子分は荷運び、親分は酒飲み」


 男たちはげらげらと笑い、ぐだぐだと喋りながらも積み荷を運び続けた。

 よくよく見れば、ピスキーの群れの中に異なる種族も混じっている。小さな妖精たちの間から、二足歩行をする一匹の黒い仔山羊が現われ、恭しく男たちに帽子を差し出した。その存在は、なぜか付いて来た白い仔山羊と、ちょうど対を成すかのよう。


「またこんなもん持ってきやがって。もっとまともなモン持ってこい」


 受け取った男はゴミを捨てるかのごとく、粗雑に後方へ放り投げる。それはくるくると回転しながら積み荷の中へと混じっていった。


「あれ私の帽子じゃない。失礼ね!」


 フラガリアは帽子を盗まれたことよりも、けなされたことに腹を立てた様子だった。


「あれは……ブッカ・デュー!」


 アトラは食い入るように見つめる。あの妖精は風となって湖で待ち構え、通りかかる人にイタズラをしていたのだろう。昔、自分が帽子を失ったのも、おそらくあいつの仕業に違いない。もしあの一件が無ければ今ごろどうなっていたか、まるで想像もつかない。


 養蜂家の老婆が語った『悪魔の取り立て』とはこのことなのだろうか。男たちの態度はあまりにも横柄で、まるで強奪するかのように見えた。


「なんだ、このちんまい馬は?」


「アヒャヒャッ! ボスがこれに乗る姿を想像すると傑作ですなぁ!」


「お頭、これが最も美しき白馬、しらかげにございます。プハハハッ!」


「冗談ではないぞ。これではコピンジャーに何をされるか……」


「おい、女王様よ。こいつは返品だ。次はちゃんとした白馬を連れてこい」


 おびえる白い子馬ファラベラを見て、アトラは愕然がくぜんとした。


「そんな……まさかジョーン! フラガリア、あれがペドンさんの馬だ」


「あの子がジョーン? 私、もっと大きな馬だと思い込んでた」


「取り返せるだろうか」


「今は難しそうね。あの人たちいったい何者なのかしら」


「しー」


 ジャドが口元に指を添え、ふたりを制す。


 いつの間にかピスキーたちが静まり返っていた。幼い妖精たちの中央に、小さな女性の姿がある。大人の人間をそのまま縮小したような華奢きゃしゃな体つき。周囲とは明らかに異なる大きな羽をもった、ひときわ美しい燐光りんこうを放つ、異質な存在──


(ピスキーの女王、ジョーン・ザ・ワッド! そんな名前をつけたから、引き寄せられてしまったんだ……)


 男たちが女王に難癖をつけたことで、それまでふざけていたピスキーたちとのあいだに緊張が走る。散らばっていた配下の妖精たちは、女王の周囲に固まった。


「よいか、お前たちの首をへし折ることなど、造作もないのだぞ」


 響く非道な美声に、静かにうなだれる女王。ピスキーの群れはあるじが侮辱されたことに腹を立て、うなり声を上げ始めた。なかには恐れも知らずに小石を撃つ者までいる。


「待て、殺してはならん」


 ひとりたしなめる、冷静な声。

 残忍そうな集団にも、それなりの分別をもつ者が混じっているようだった。


「仕方ない。この失態は塚のチビどもに償わせる。あいつらはお前らと違って、いい物を持ってくるからな」


 塚のチビども──その言葉が何を指すかを察して、心が震える。幼いとき、それを求めてここに来た。あれがすべての始まりだった。だが探してもそれらしき姿はどこにも見当たらない。


 ふと視界に入った月を見上げて、アトラはぞっとした。

 無数の黒雲が満月を取り囲もうと四方八方から迫っている。闇に閉ざされたムーアの真ん中で、この丘だけが白く照らされていた。雲はまるで押し寄せる波のごとく小さな孤島を追い詰めていく。

 かろうじて顔を覗かせる狩猟月は、いったいどちらの味方なのだろうか。


 乱暴に荷物を扱う音がした。妖精とにらみ合う集団から外れ、やる気のなさそうな若い青年がひとり、適当に積み荷を降ろしていた。時代を感じるほかの者たちと比べて、やや今どきの印象を受ける。

 後ろ姿ではあったが、その赤い髪に、少年の心はざわめいた。


「おい、お前も晴れてカーター家の一員となったのだから、しっかりとやれ、レドリー」


(レドリーだって?)


 なんの前触れもなく飛び出た名前に、一行のあいだで緊張が走る。


「嘘だろ……」


 かすれるような声でダウがつぶやく。

 レドリーと呼ばれた者は、釘をさした髭面の男に顔も向けず、ぞんざいな言葉を返す。


「はいはい、やればいいんだろう、やれば」


「減らず口のガキめ」


 反抗的な態度を見せる若者。アトラはその横顔に見覚えがある気がした。いつどこで、彼を知ったのだろう。なぜか体が覚えている。全身が寒気立つ。

 そばの大男は怒りに震えていた。憎悪に満ちた瞳を向け、黒い拳を握りしめる。


「レドリー!!」


 突如として怒号がとどろきわたった。

 だが、その声の主はダウではなかった。それまで背後で静かにしていた者、ただ無気力にこの旅に付いて来た男、レドリーに娘を殺された父親──キースリーだった。

 その姿に仲間は驚愕する。なんと彼は銃を構えていた。銃身の短いライフル。少年はそのような物騒なものを、生まれて初めて生で見た。


「おい、待て!」


 ジャドの制止に耳を貸さず、初老の男は岩陰から身を乗り出すと、レドリーに向け銃口を突きつける。

 あれほど騒がしかった妖精たちが水を打ったように静まり返り、満月の光に照らされた石の丘が静寂に包まれた。


 男たちの動きが止まり、すべての視線がキースリーに注がれる。

 その瞳はみな、妖しく、赤く、輝いていた。姿かたちは人なれど、人ではない、何か。


「驚いた。まさかあんた、キースリーか!」


 赤毛の青年は目を丸くして言った。初老の男は銃を構えたまま無言でたたずむ。

 リーダー格と思われる黒髭の巨漢は、横の若者にたずねた。


「おい、これはいったいどういうことだ?」


「まあ任せてくれ。ちょっとした知り合いだよ」


 レドリーは軽く手で制すると、キースリーに目をやった。


「おっさん、そんなもん仕舞えよ」


 丘の上から見下すような笑みを浮かべる。銃を構える男はなにも答えない。


「どうしてそんな物騒なもんを俺に向ける。ひとつ屋根の下で暮らした仲だろう?」


「お前が私の娘を殺したからだ」


「やれやれ。いい加減、子離れしてくれよ」


「貴様が何をしたのか、私は知っている」


「そうかい。それじゃ、あんたの呼び名を親しみを込めたものに替えた方がいいかもな」


 わなわなと手を震わせるダウを必死にジャドがなだめる。頭から降りてきた白い獣が、不安げにその大きな手に触れていなければ、彼はせせら笑う男に飛びかかっていったことだろう。一方、キースリーはその言葉を受けても微動だにしなかった。


「いいから銃を下ろせ。そんなオモチャじゃ俺は殺せない」


「試してみるか?」


 引き金に指を掛ける音。


「よせ!」


 ジャドの叫びとともに、アトラは思わず耳を塞いで目をつむった。

 直後、ムーアの丘に銃声がとどろいた。


 ゆっくり目を開くと、そこには今しがたと変わらない光景が広がっていた。ただ一点、ライフルから硝煙が立ち消えていく以外は、なにも変わった様子はない。


「だから言ったろう?」


「そんな、信じられん!」


 震える手で再び銃を構えようとする男を、赤い瞳は憐れみの視線を向けるだけ。


「キースリー、もうやめろ!」


「おや、お前は……。館に出入りしていた霊媒か。後ろに居るのはダウ、お前なのか?」


「よぉ、久しぶりだな」


 大男はパキパキと指を鳴らす。呆れ顔のレドリーは傍らの髭面に尋ねた。


「ふむ。さて、どうしよう?」


「お前たちが何者かは知らんが、我らの邪魔立てはさせぬ。ものども、出会え!」


 ──その怒声を遮って、黒い仔山羊は空を飛び、甲高い口笛を吹き鳴らした。

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