第25話 七人の悪魔

 怒号とともに何かを殴るような音が聞こえてきたかと思うと、通路の右手から傷を負ったスプリジャンが転がり込んできて、大広間はたちまち騒然となった。


「どけ、お前たち。いったい何を隠していやがる」


 月の光が射し込む空間に、赤い瞳の男たちが次々と現れた。うずたかく積み上げられた財宝に目をつけるや、興奮して口々にわめき始める。


「あれは? 山羊面どもめ、まだこんなものを隠していようとは!」

 ぶ厚い胸筋を震わせる髭の巨漢。


「ヒュゥゥ! なんとぉ、これは見事な銀食器!」

 いやらしい目で揉み手する猫背の眼鏡男。


「こいつはピューター。錫の合金さ」

 昏い声音を奏でる好色の男。


「さすがはディンプシー。お高いのかい?」

 おどおどとした様子の痩せ男。


「酒が美味くなるって話なんだな!」

 うれしそうに杯を掲げるでっぷりとした男。


「なんだっていい、かき集めろォ!」

 跳び上がって濁声を上げる毛を逆立てた男。


「待て、そんなことをしては獄卒どのが黙ってはおるまい」

 ひとり制する太眉の男。


 その正体を察してアトラたちは身構えた。ダウが巨体を縮こまらせながら、小さく舌打ちする。


「チッ、あいつら戻ってきやがった」


「どうするの?」


「どうするったって……」


 フラガリアの問いに、ジャドは歯切れの悪い言葉を返す。


(ディンプシーはたぶんコーンウォール語だ。意味はたしか──)


 乱暴に財宝を扱う耐えがたい騒音に、少年の思考は掻き消された。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……七人か、多いな」


 ジャドが言葉を漏らすのも束の間、荒らしまわる亡者たちは足元の存在に気づく。


「こいつはたまげた! これが小さな人たちの王宮か」


「ウヒョー! 繊細で今にも壊れてしまいそうですなぁ」


「凄い! あのきらきらした飾りを見なよ」


「こんな器と杯じゃあ、腹の足しにはならないんだな」


「フッ。相変わらず食いしん坊だな、バズガット」


「いいからじゃんじゃん集めようぜェ!」


「待てティージー!、お前は触るんじゃない!」


「うるせぇスティクラー! 兄貴の俺に指図するなァ!」


「フヒヒッ、一匹ぐらい持ち帰ってもバレませんかねぇ?」


「おい、ビンパー!」


「やかましい!」


「いだっ! なんでボクが殴られるの?」


「そいつはウィシュトだぜ、スタッギー……」


 男たちが乱暴に触れようとすると、ムリアンたちは慌てて逃げ出した。

 ジャドは人差し指を口に添えながら、暗がりに身を潜める仲間たちにささやく。


「連中こっちには気づいていないみたいだし、ご丁寧に自己紹介してる間にずらかろう」


「ちょっと、薄情すぎるでしょ!」


「ここでは分が悪い。奴らは影そのもの」


 おぼろな月明かりに照らされた七人の男には、影が存在しなかった。


「なにか言ってやってよ、アトラくん……?」


 少女がそっと腕に触れる。少年は怒りに震えていた。憎悪に満ちたその顔は、これまで見せたことのない厳めしいものだった。


「やめといた方がいいぞ……」


 占い師の諭す言葉に耳を貸さず、陰から身を乗り出す。


「やめろ、お前たち!」


 ワイルドハントたちの十四の赤い瞳が一斉に向けられた。


「おや……これはこれは誰かと思えば、先ほどの御一行様ではないか」


 《黄昏ディンプシー》と称する男が、昏い笑みを浮かべながら手を差し向ける。逆の手にはリュートを携えていた。


「なぁんだ、新入りのお友達か」


 自分たちの優位を確信してか、《軟弱者ウィシュト》の言葉に先刻とは打って変わって自信が宿る。


「泣く子も黙るカーター家に盾突くとはいい度胸なんだな」


 ビール腹を震わせて威嚇するのは《大食漢バズガット》。言うなり両手に握る骨付き肉を交互に喰らう。


「何だあいつら! 何だあいつらァ!」


 知性の欠片も感じさせない《癇癪玉ティージー》が吠える。単純な思考はかえって読むのが難しい。


「ほう。仲間を見捨てなかったか」


 リーダー格と思われる《偉丈夫スタッギー》が少年を見下ろす。豪胆で勇ましい姿は、敵対するものに畏怖の念を与える。


「エヘヘッ、我々もあなた方を見ておりましたぞぉ」


 《覗き魔ビンパー》が少女を見て舌なめずりした。その不気味なほほ笑みは、決して優しさからくるものではない。


「お前ら、手を出すなよ?」


 《審判者スティクラー》は仲間に釘をさす。その警戒心はわずかに残る正義感か、あるいは悪事を遂行するためのものなのか。


 七人の悪魔たちは横一列に並び、赤い瞳をらんらんと輝かせた。


「あーあ、おれは知らないぞ」


「やだ、なにあの人、気持ち悪い……」


「やめなさい、そういうことを言うのは。傷つくだろう、本当のことは」


 ジャドは、自らの影に隠れて悪態をつくフラガリアをたしなめた。


「ヒヒヒ。どうしてやりましょうかねぇ」


「ふっ。おいティージー、手が止まってるぞ。早くチビどもの宝をかき集めろ!」


 《黄昏》が笑いながら仲間をけしかける。はっとした《癇癪玉》は、黄金の装飾に手を伸ばす。その近くには、逃げ遅れたひとりのムリアンが地べたにいつくばっていた。

 アトラはすぐさま飛び出ると、小さな人に覆いかぶさった。背中に指をぶつけ逆上したトサカ頭は、奇声を上げて服につかみ掛かり、地団太を踏んで少年を乱暴に打ちのめす。

 ただえるしかなかった。眼下で妖精が転がるように逃げていく。


「アハハハッ! 何しようってんだい? 弱いくせにしゃしゃり出てくるなよ!」


 《軟弱者》はからかうように、顔の横で指先をうごめかせた。


「ジャド、なんとかしてよ!」


 フラガリアに腕を揺すられても、影占い師は《覗き魔》に目をやるだけだった。ダウとキースリーもまた、ほかの男たちを前に、手をこまねいていた。


「つまらんな。兄者よ、もっとスマートなやり方を教えてやろう」


 しびれを切らした《黄昏》は、懐から得物を取り出すや、一瞬のうちにアトラを羽交い絞めにし、喉元にナイフを押し付けた。月光に、抜き身の刃がギラリと光る。


「よせ! そいつに手を出せばただでは済まんぞ!」


 彼らの中でただひとり、《審判者》がおびえるように制止しようとした。



 ──その時。

 何かが、天井から激しい水音を立てて落ちてきた。



 すべての視線が一点に注がれる。


 ぶくぶくと泡立つ、赤黒い血溜まり。

 突然、飛沫しぶきを上げて血塗ちまみれの腕が飛び出し、赤い影が這い出してきた。

 深紅に染まった埋葬布をかぶる人型のそれは、ゆっくりと立ち上がる。


「誰が……、誰が殺していいと言った! そいつの魂は、吾輩のものだ!」


 伸ばした腕から液体を飛び散らせ、顔面でもろに受けた《黄昏》が悲鳴を上げる。

 赤い体を震わせて叫んだ拍子に、頭の覆いがずり落ちた。

 フラガリアが絶叫する。その姿に、一同は驚愕せざるを得なかった。


 肌の無い、剥き出しの頭ローヘッド。ずり落ちそうな目玉、滴り落ちる血。


「こ、これは血骸卿けつがいきょう、申し訳ございません……」


 《黄昏》はすぐさま武器を捨てた。


「何者だ?」


 しものジャドにも恐れが混じる。


「オールド・ブラッディ・ボーンズ……」


 アトラがつぶやくと、血骸卿と呼ばれた怪物は満足そうに口の端を吊り上げる。


「グハハハハッ! しかり、わが名はバルデュー! 《虐殺されしもの》なり!」


 少年は痛みをこらえて立ち上がり、そのおぞましい顔に叫ぶ。


「お前が奴らの親玉か!」


「赤の他人ということになっておる。死者の世界も複雑でね。取り合いなのだよ、魂の」


 眼孔からずり落ちそうな眼玉をぎょろつかせるバルデュー。

 少年はその魔物に既視感を覚えていた。いつどこであれ、危険な場所にはこいつが潜んでいる。親が子を脅すために創ったブギーマン。闇にチラチラとかげろう、赤き影の正体。


「……虐殺?」


「左様、勝てぬ戦などするものではない。己の力を過信した、無謀な輩の所為が、我らを死に追いやったのだ!」


 アトラはコーンウォールの反乱を思い起こした。かつて起きたいくつもの反乱。言語の強制や厳しい税を課した圧政に対する強い抵抗。だが、そのいずれもが敗北に終わった。逆らった見せしめは、決して軽いものではなかった。


「潜在的な危険因子。お主のような命は摘まなければならない。これまでも幾度となく、吾輩は命を狙ってきた。時とともにずいぶんと慎重になったものよ。もう少し幼いころに仕留めておけば良かったと、後悔しておるわ」


「レジーが死んだからこうなった。僕は、死んでいった者たちに生かされているんだ!」


「より吾輩の駒にふさわしき器となるには、これも必要な巡りだったのやもしれぬ……。いざ、時は来たれり! さあ、我がしもべとなるがよい!」


「断る!」


 招き入れるかのごとく両のかいなを広げた魔物に、アトラは憎悪の眼差しを向けた。


「ジャド、どうにかしてよ!」


「傍観せよと、わが影が告げる」


「こんな時にまで、なに言ってるの!」


「と、ここまでは俺にも視えていたんだがな」


「え?」


「またお前さんか、トリックスター。今度はいったい何をするつもりだ」


 占い師の視線の先に、いつの間にか黒い仔山羊の妖精が立っていた。獣は呑気に少年のそばをひょこひょこと歩きまわる。アトラは驚いて言った。


「ブッカ・デュー! なぜここに?」


 さらに、少女の背後から白い仔山羊の妖精が顔を覗かせ、一行の前へと進み出る。


「ブッカ・グウィデン……」


 二匹の妖精は互いに目を留めると、相手の顔をまじまじと眺め始めた。うなり声を上げてひづめを打ち鳴らし、角を向けて威嚇し合う。にらみ合いながら、徐々に距離を詰めていく。


 そして急に、取っ組み合いのけんかを始めた。噛みつき合い、入り混じって転げ回る。


「ど、どういうことなの……」


「何をしに来たんだよ、こいつら……」


 フラガリアとジャドが、皆の感情を代弁した。


「ええと……」


 カーター家を率いる《偉丈夫》は困惑するように頭を掻く。


「そいつらは放っておくとして。ガキはあんたに譲るが、それ以外のおこぼれは、こちらが頂戴しても構わんのだろう?」


「好きにするがよい」


 バルデューは興味もなさげに言った。


「──見てくれ。奴らの王子を捕まえたぞ!」


 いつの間にか、《軟弱者》はひとりのムリアンの首根っこを摘まんでいた。彼らの仲間もそれぞれが、白鑞びゃくろうの杯や器、金の装飾を抱えている。アトラは愕然として叫んだ。


「レジー!」


「放せ、このやろう!」


 小さなムリアンが小さな抵抗をする。《軟弱者》はそれを歯牙にもかけず、妖精の王子を握り潰そうとした。卑劣に満ちた赤い瞳が輝きを増し、人の子は友の悲鳴に青ざめる。


「や、やめろ!」


 万事休す。もはや為す術はなかった。ムリアンはおろか、その守護者たるスプリジャンでさえ、目の前の光景に絶望している。

 小さな地下宮殿に、悪魔たちの哄笑こうしょうが響きわたった。

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