第24話 地下宮殿

 一行は再び三叉路に引き返し、残された道をゆく。その先に、長く続く直線が見えた。


「──!」


 突然、幼いピスキーが何かを発するやいなや、暗闇の中へと勢いよく飛び込んでいく。それはママと聞こえたように思えた。間の悪いことにちょうどその時、ランタンの灯火が不意に消える。辺り一面が真っ暗闇となり、皆はたちまち混乱に陥った。


「ちょっと待ってろ!」


 指を打ち鳴らす音とともに光が戻り、影占い師の持つ燭台に火が灯っていた。

 再び歩みだした足元には、平たく加工された石が敷き詰められ、道は次第に頑丈さを増していく。

 やがて前方に石積みの壁が見えてきて、遺跡のように立派な通路へとたどり着いた。ゆく手の右からは弱い光が漏れ出ていて、左の壁を奥深くまで照らしている。


 そこに映る影を見て、一行は立ち止まった。

 いくつもの人影が揺れている。それは互いに語らい、笑い、食事を楽しんでいるかのようだった。中には手を取り合って陽気に踊る姿まである。

 その大きさは人間とさほど変わらない。アトラたちは、丘で見たワイルドハントを警戒したが、とてもそうは思えなかった。影となって映る横顔は、どこか和やかに見える。


 彼らはいったい何者なのか。予感が正しければ、ここは丘のすぐ真下にある。妖精たちが悪魔に貢ぎ物を納めていた丘のすぐ足元に、まさかこのような場所が存在していようとは。心に渦巻く好奇心を止められず、奥へと踏み込んでみることにした。

 アーチをくぐった先には大広間があった。しかし、そこに人の姿などは見当たらない。その代わり、信じがたい光景が広がっていた。


 ぼんやりと差し込む月明りのもとに、《小さな人たち》がひしめき合っている。

 きらびやかな食器が置かれた長机の中央には、すぐに燃え尽きてしまいそうなほど繊細な燭台が立ち並び、そこから発せられたまばゆい光が、小さな彼らを大きく見せて、あの影をつくっていたのだった。


 最奥の壇上に、立派な玉座がふたつ据えられているのが見えた。

 左には誰もいなかったが、右には人間と同じ大きさの女性が立っている。その傍らには一本の石柱があり、凛とした小鳥が一羽、止まっていた。その周りを先ほど飛んでいったピスキーがうれしそうに飛び回っている。


「美しい方ね。ムリアンの女王さまかしら……」


「違う、あの人は!」


 幼いころアトラは、この光景を待ち望んでいた。だがそれは叶わなかった。

 七年の歳月を経てたどり着く。もちろんそこは生まれて初めて見る光景だった。それでもここに来た瞬間、多くのことを察した。正面に映る長い黒髪の女性には、見覚えがあった。


 彼女はにこやかに手招きする。ひときわ輝かしい燐光りんこうを放ち、周囲の妖精とは比べ物にならないほど大きい。

 一行は足元の妖精たちに気をつけながら、そばへと歩み寄った。


「やはり、とうとうここへ来たのですね。アトラ」


「フェレンさん……」


 驚いたフラガリアが聞き返す。


「どういうこと?」


「この方は、レジーのお母さんだよ」


「それじゃあ、このピスキーの女の子は……?」


「そう、私の娘です。わけあって今は森で暮らしていますが、大切なわが子」


 宙に浮かぶ妖精の子供を幸せそうに見つめる。少女はふたりの姿をじっと眺めた。


「こちらに御座おわすのがムリアンの王。私の夫です」


「…………? ええと、どこにいらっしゃるんでしょう……」


 少年らが当惑するのも無理はなかった。彼女が指し示す玉座には、人影など見当たらない。


「よくご覧になってください。王はとても小さいのです」


 目を凝らせばたしかに、かろうじて何かが手を振っているように見えた。


「ムリアンは自由に姿を変えることができます。でもその代償として、元の姿へ戻るたびに体が縮んでしまうのです。そして私も、今は人間ではなくムリアンです。かの妖精は、ムーアに迷い込んだ人々をずっと受け入れてきたのです」


 王妃は、傍らの柱に留まる小鳥を手で指し示す。その鳥はオリーブ色の体をしていて、黒い頭には王冠を載せたような黄色い線がある。


 ──嗚呼ああ……心が震える。今、すべてを理解した。


「そう、この鳥こそが、わが息子。レジー、お戻りなさい」


 ムリアンの王妃は包み込むように両手を広げる。

 美しい小鳥はまばゆく輝いたかと思うと、小さな人の姿となってその上に降り立った。


「レジー……」


「やっと会えたね、アトラ」


 小さな少年は、大きな少年にほほ笑んだ。

 その美しい子供は、オリーブ色の衣に淡い薄緑色のマントを羽織り、黒髪の上には極小のコロネットをいただいている。ピスキーとは異なり、その背には翼が無かった。


 ムリアンの王子は、王妃の手の上で恭しくお辞儀をする。

 フラガリアとジャド、ダウとキースリーもまた、彼が何者かを察したようだった。

 幼いころに亡くなったと思われていた心友は、姿を変えて、今、目の前に居る。


「うーむ、なんだか見覚えがあるな」


「ふふふ」


 影占い師が顎に手を当て覘き込むと、レジーは気品のある顔を崩していたずらっぽく笑う。

 アトラの顔は冴えなかった。フラガリアがその横顔を心配そうに見つめる。


「どうしたの? せっかく会えたのに、そんな悲しい顔をして」


「……レジー。君は僕を慰めるために、会いに来てくれていたんだね」


「そうじゃない。いや、もちろんそれもあるけど、僕はただ、君に会いたかったんだ」


「そんなに、小さくなって……」


 小さな人たちの物語を思い起こす。変身のちからを使ったムリアンは、元の姿へ戻るたびに背が縮み、それを繰り返して蟻の姿へと変わり、最後にはどこかへと消えてしまうのであった。


「アトラ、君に暗い顔は似合わないよ!」


「──あら? ふんふん、そうですね、そうしましょう」


 玉座に耳を傾けていた王妃が、息子の声を遮る。


「我々はあなた方を歓迎いたしますわ。支度はもうすっかり整っています」


 彼女の言葉を合図に、世にも小さな宴が始まった。

 それはアトラのみならず、ほかの四人にとっても心打たれるものだったに違いない。


 とんがり帽子をかぶり、鮮やかな青の服を着た小さな人たちが、歌や踊りを披露する。彼らを伝える物語のとおり、美しく、明るく、楽しい、まるで平和で幻想的であった。


 神秘の光景を五人は食い入るように見つめる。アトラはまじろぎもせず目に焼きつけるように、フラガリアはうっとり見惚れるように、ジャドは興味深く調べるように、ダウはときどき頬をつねり夢を疑うように、キースリーは救いを求めるかのように……。

 茨に傷ついていた心が、ゆっくりと癒されていくのを感じた。


 小さな人たちはその名にふさわしく、王妃を除いてみな小さかったが、身長はさまざまであった。ムリアンに与えられた宿命を思えば、さほど不思議なことではない。それでも彼らは、互いの違いを感じさせずに、相手を思いやり、気遣い、触れ合っていた。


 小さな人たちは大きな人たちに、目を見張るほど繊細な食事を勧めてくる。白い仔山羊は躊躇もせず喜んで口にした。だがこれまでの旅を鑑みるに、人間がそれを受け入れればどうなるかは、もはや考えるまでもない。


 広間を見わたす。

 王妃となったレジーの母は、おそらくもう元の世界に帰ることはないのだろう。すべてを失った彼女にとって、人の世はあまりにもつらいものだった。

 ここはずっと居てもよいのだろうか。ここに悲しみは存在しないのだろうか。


 仲間を見まわす。

 フラガリアはどう考えているのだろう。少女は失った自分の居場所を探し求めているようにうかがえた。もし自分がここに残ると言えば、ひょっとしたら彼女も残るのではないだろうか。


 ジャドとダウはよくわからなかった。彼らにとってここは、旅の通過点に過ぎないように思われた。

 キースリーはどうか。心に傷を負った男は、この空間をどう感じているのだろう。念願だった友との再会を果たした己とは異なり、彼にはまだやり残したことがあるに違いなかった。


 ふと、家族や友人の姿が脳裏をよぎる。初めから悩むことなどなかったのだ。

 一行は丁重に、親切な妖精の厚意を断った。


 ムリアンを統べる者の背後に、ひと際強い輝きを放つ光があった。振り返れば、宮殿の壁に小さな王の巨大な影が浮かび上がっている。それは妖精王としての威厳をも超えて、神性すらも感じさせるものであった。


 妖精たちの過去を想う。

 しばしば、不幸な死を遂げた人々が、妖精となって語り継がれてきた。集団という単位で転生を遂げたムリアンとは、いかなる者たちであったのだろう。


 それは、かつて古代ブリトン人と呼ばれた人々がこの地に入植した折に、すでにいた先住民なのではないだろうか。

 新たに上陸した民族が彼らと接触したとき、何が起こったかは定かではない。争いがあったのか、病が広がったのか、滅ぼされたのか、吸収されたのか、今となっては知る由もない。


 妖精たちが鉄を恐れること、それは鉄の文化が先立つ青銅の文化を駆逐した様子を思い起こさせる。その色を強く残すスプリジャンと異なり、ムリアンは何事も恐れない平和な妖精として描かれてきた。


 丘の下に住まう小さな妖精譚は、ゲルマン文化との邂逅により生まれたものだという。それはつまり、他民族の侵攻に追い詰められた古代ブリトン人が、僻地へ追いやられた自らと、消えていった者たちの悲哀を重ね合わせ、生まれたものではないだろうか。


 憐れむ心が、彼らを蘇らせた。


 ムリアンの王やピスキーの女王は、古代の神や女神であったようにも思われた。

 いにしえの巨人スプリジャンに守護され、平和に暮らす妖精の王族。彼らは、島に上陸した侵入者によって西へ西へと追いやられていく過程で忘れ去られた、かつての神々ではなかったか。

 時代とともに捨てざるを得なかった存在を、せめて記憶に残す手段として、丘や森で平穏に生き続ける物語を与えられたのだ。


 成長し現実を知ることで、少年の心の中にいた神々や妖精は次々と死んでいった。

 だが今、心の中、いや目の前で、彼らが存在を肯定され、息づくのを確かに感じとる。長く失っていた魂が、ようやくわがもとへと戻ってきたかのように思われた。


 この穏やかな時がいつまでも続けばいいのに、自分たちがここを去った後も、彼らにはずっと幸せでいてほしい。アトラはそう思わずにはいられなかった。


 この地の名は、《平和クリース》。


 内から自然と言葉が湧き出てくる。

 誰しもが安楽で、苦しみとは無縁の世界。たとえ悲しい過去があったとしても、それに耽るのではなく、ただ屈託のない笑顔でいられる場所。人々が追い求めた妖精郷とはここではないか。

 物悲しいムーアにたたずむ石の丘。その真下にこんな世界が広がっていようとは。


 ──だが、それは偽りの理想郷。


 このような、まるで害のない妖精たちにも、敵はいる。

 平和な世界を妬み、憎み、奪い、破壊するものが。

 それは、突然やってきた。

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