第3話 ペラーの占い館

 館の扉が開かれると、辺りには澄んだ鈴の音が鳴り響いた。

 仄暗ほのぐらい室内には、わずかに射し込む陽光によって、いくつもの不可思議な木像が並んでいるのが見える。熊・牛・馬・豚・騾馬らば・穴熊……そして山羊やぎ

 それらはみな、人と動物とを掛け合わせたような奇妙な見た目をしていた。


「いらっしゃい。お待ちしておりました。わたしはアウレア、金色こんじきのペラー」


 ゆったりとした声がして、呪術めいた品の奥からベールをかぶった女性が現れた。

 黒い布地には星々が飾り付けられ、まるで新月の夜空を写し取ったかのよう。金色の髪と瞳を除けば、そのすべてが夜のとばりに隠されている。


「わぁ、きれい。なんだかわたしと似た名前」


「ふふ、そうですね」


 アトラはその美しいペラーと目が合った瞬間、全身が血の沸き立つような熱を帯びて、初対面であるはずなのにどこか懐かしさを感じ、ふとオレンジ色の花が思い浮かんだ。


「本日は何を占いましょう」


「わたしの将来の髪色を占ってほしいの」


「かしこまりました。ただ、あいにく席はひとつで」


 アウレアと名乗った娘は、申し訳なさそうに客用のソファーを見つめる。


「詰めればだいじょうぶ。お兄ちゃんは真ん中に座って、フラガリアは右、ハルは左」


「アズレアちゃんはどこに座るの?」


「お兄ちゃんの上!」


 アトラが言われたとおりに従うと、妹は遠慮なく膝上に乗ってきた。ぶらぶらと揺れる靴のかかとがすねに当たり、ズボンが汚れるのを覚悟する。

 左からは気を使わない親友の骨ばった膝が食い込んできて、右からはわずかに柔らかな温もりを感じた。


 占い師が厚いカーテンを閉め切ると、部屋はたちまち暗闇に閉ざされる。厳かな気配に包まれて、四人の子供はしんと静まり返った。


 ほとんど聞こえない足音が対面につくと、いかなるわざか、テーブルに据えられた燭台しょくだいに音もなく火が灯る。と同時に、輪取るように置かれた複数の鏡がひとつの炎を映し出し、暗闇にいくつもの赤い光が浮かび上がった。


 その光景に、アトラは思わずぞくりとした。


 清めのホワイトセージがくゆらせられると、たちまち部屋中に清々しい香りが広がって、入り乱れた少年の心を落ち着かせていく。

 恐れをいだかせた赤い灯火は、燭影しょくえいを四方八方に映し出しながら、互いに淡く打ち消し合っていた。


 中央に置かれた群青のベルベットがめくられると、下から大きな水晶玉が現れる。

 黒の手袋に包まれた細い指先をかざしながら金色の瞳がのぞきこむと、四色の瞳も一心に吸い寄せられていく。


 耳を澄ましていると、やがて羽が舞うような言の葉が降りてきた。


「雲ひとつない青い空、波ひとつない青い海。どこまでも広がる青が見えます」


「青!」


「青だって!」


 手を合わせて喜ぶアズレアに対し、ハロルドは腹を揺すって笑い出す。


「なにがおかしいの? 青い鳥だっているじゃない」


「あれは構造色と言って、本当の青ではないのだ。人の髪は、染めなきゃ青くはならないぞ」


「え~、つまんない……」


 落ち込んだ妹を慰めるために、アトラは頭の片隅にあった知識を引き出した。


「そういえば、鉱物の毒で髪が青くなる症状を聞いたことがあるよ」


「そんなのやだ!」


 不器用なやり取りにほほ笑みながら、アウレアはアズレアに語りかけた。


「わたしが見た青色はあなたの心の色なのです。いずれあなたが望む色になれますよ」


「ほんと?」


「はい、きっと」


「そっかぁ。ママとおんなじ今のままがいいけど、青もいいかな」


 気落ちしたのも束の間、切り替えが早くてさほど悩まない性格の少女は、すぐに楽しい未来を想像し始めたようだった。

 曖昧な言葉でけむに巻かれたようにも思えたが、アトラは妹の様子に安堵あんどして、後ろから優しく言葉をかけた。


「良かったね、アズレア」


「うん! お兄ちゃんも占ってもらおうよ」


「僕はいいよ」


「まだこんなに占いの道具があるのよ。ねえ、フラガリアとハルもお願いして!」


 碧い瞳で部屋中を見まわしながら、横に座るふたりの袖を引いた。


「私も興味ある! ね、ハロルドくん」


「せっかく来たんだし、やろうぜアトラ」


「もう、ふたりとも調子いいんだから」


 好奇に満ちた瞳に気圧されて占い師に目を移すと、心を見透かすような神秘的な視線が返ってくる。

 甘え上手の妹と年上の女性の美しさに負け、すぐにを折ってしまった。


「わかったよ。それじゃ──」


「タロット! ねえ、これにして」


「かしこまりました。アトラさまは何を占いますか?」


「え、ええと、人生のこと、とか……」


 返事を用意しておらず、しどろもどろになると、三人から笑い声が漏れた。


「それでは簡単なものにいたしましょう」


 アウレアはカードを扇状に広げ、慣れた手つきで素早くまとめ上げる。裏向きに三つの山に分け、順番を変えてひとつの束に戻すと、さっと横に広げた。


「一枚お選びください」


「うーん、これかな」


 アトラが直感でカードを指し示すと、占い師はしなやかな手つきで裏返す。

 そこには、金箔きんぱくの装飾を背景に、三日月を持つ女性が描かれており、逆さの状態で置かれていた。


「あ、リバース! わたし知ってる、これって反対の意味なんだよね。お月さまはきれいだから、不吉な意味になるのかな?」


「ふふ……さあ、どうでしょう。解釈はひとつだけではありません。それをどう受け取るのかも、あなた次第なのです」


(『月』はむしろ、正位置が良くない意味だったような……。はっきり言ってくれればいいのに)


 ひょっとしたら妹に気を使ってくれたのだろうか。確信のもてない少年は、なんだか悪い予言を受けたようにも思えてきた。


「次はこれ! この袋なあに?」


「これは文字占いロゴマンシーの一種。いにしえより残る賢人たちの金言が刻まれています。お手を差し入れて、ひとつ取り出してみてください」


 流されるままに、アトラは袋に手を入れた。ごつごつとした感触。中にあるのは小枝のようだった。

 早く終わらせようと悩まず適当に引き抜き、妹越しに覗き込む。枝は樹皮が削り取られており、断面に流麗な金文字が刻まれていた。


「ねえ、お兄ちゃん。なんて書いてあるの?」


「アビ・アド・フォ……? なんだいこれ、ラテン語かい?」


 ハロルドが顔を寄せると、フラガリアは知識があるのか読み上げる。


「蟻のもとへ去れ。おお、怠惰なる者よ」


「怠け者だって! お兄ちゃん最近ぼんやりしてるもんね~」


 口に手を当てて笑う妹に小さくため息をついて、アトラは枝をそっと袋に戻した。


「深くお気に留めることはありません。ほんの小さな関りがその言葉を導いたのです」


 子供たちが占いの余韻に浸っていると、ぺラーは翠の瞳をじっと見つめてささやいた。


「──くての向かつ のぼづき、有相無相のかなしごえ──」


(……うん?)


「俳聖のいわく、『月を待ちては影を伴い、燈火ともしびを取りては罔両もうりょうに是非をらす』」


 古びた言い回しに、アトラたちはわけもわからず首をかしげた。


「自ら暗闇を抜けた先に答えが待っていましょう。さあ、お行きなさい。皆さまに妖精のご加護があらんことを……」


 アウレアは群青のベルベットで水晶玉を再び覆い隠し、そっと蝋燭ろうそくの火を吹き消した。と同時に、鏡に映った赤い光も一斉に消える。

 暗闇の中を静かな気配が窓辺へと向かい、カーテンが開かれるや夕陽がまばゆく射し込んできた。


 顔を見合わせた子供たちは言葉の意味を考える間もなく、身支度を始めなくてはならなかった。

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