第7話 怪しい男たち

 乗り越えんばかりに草があふれる石垣と、つたの覆う壁に挟まれた緑ゆたかな道を北に進むと、家はしだいにまだらとなり、やがて石造りの小さな教会が見えてくる。古びた墓石が立ち並ぶ土地にはたくさんの草花が満ちていて、寂しさよりも安らぎを感じた。


 スクラレアの言ったとおり、もっとも高いイチイのすぐそばにその墓はあった。七つのときにいちど来たきりであったから、聞かなければ迷っていたかもしれない。


 墓の前に一輪の白い花が置かれていた。しおれてはいたが、供えられてからそう日にちが経っているようには見えない。思わぬ先客の跡に、少年は戸惑う。

 もしかしたら行方不明のフェレンさんが来たのかもしれない。つぶさに観察をしても、それ以上はわかりそうになかった。


 花束を供えると、家を出てからずっと肩に下げていた鞄を降ろし、深くため息をつく。無意識に持ってきてしまったが、その中にある本を妹から遠ざけるために持ち歩いていることを、頭の片隅でうすうす気づいていた。


 妖精の描かれた本を取り出すと、すでに何者かによって清められていた墓前に置く。


(この本にさえ出会わなければ……)


 物を大切にするこの少年にとって、幼いころから大事にしてきた本を外に持ち出すこと自体、珍しいことであった。もちろんここを去るときには持ち帰るつもりでいた。


 ひざまずいて、目をつむる。断じて祈るわけではない。心友はムーアで行方知れずとなり、二度と帰ることはなかった。この石は、子をおもう母が心の区切りにと建てたものである。ここにあの子はいない、それがアトラの考えであり、七年間来なかった理由だった。


(レジー、君はいったいどこへ行った? やはり沼に落ちたのか。今もまだ、冷たい水の底にいるのだろうか……)


 ふと陽光を遮り自らに影が差すのを感じて、アトラは顔を上げた。すぐ横に、音もなくひとりの男が立っている。その人物はじっと墓標を眺めながら、ゆったりと言葉を発した。


「七歳で亡くなったのか。かわいそうに」


 呆然とする少年をよそに続ける。


「しかし中身は空っぽ。こんなもの祈っても仕方ない、そうは思わないか?」


 そう言って振り向いた男は、時と場所を間違えて現れたような、古めかしい出で立ちをしていた。

 薄青の瞳をたたえた端正な顔は、まったく陽に当たっていないかのように白く、緩やかに波打つ長髪は、墨を流したように黒い。その身を包み込む上質そうな黒衣の外套がいとうは金色の刺繍ししゅうに縁どられ、立てられた襟元からは深紅の宝石が顔を覗かせる。


 薄気味悪さを覚えるも、無視するわけにもいかず、アトラはこわごわと言葉を返した。


「どうしてそんなことが言えるんですか?」


「わかるさ、墓碑銘エピタフを見ればな。『魂は、空を自由に飛びまわる……』」


 碑文についての知識がなくとも、さほど変わった言いまわしにも思えない。それだけでそう言い切るには無理がある。

 立ち上がって眺めると、男は今しがた見た時よりも小柄に感じられた。大人であることは間違いないが、どことなく童顔で威圧感がない。


「こんにちは。どちら様でしょう」


「おれか? おれは……そう、ジャド。サイオマンサーさ」


「サイオ……?」


 マンサーが意味するものはわかる。不敵な笑みに、なんだか嫌な予感がした。


占い師だよ」


「そう、ですか……」


 視線を合わさぬよう男の姿をうかがう。少年の目にその者は不審者、それも極めつきの怪しい人物に映る。薄青の虹彩こうさいに不釣り合いな漆黒の髪に加え、名乗る際の一瞬の間──おそらく髪は染めたもので、名前も偽名だろうと直感した。


「まあ、そろそろハロウィンだしね」


 心情を察したかのように、はぐらかされる。


「なるほど、そうですね」


「この辺りだとサウィンと言うのかな。いや、さっきアランタイドとあったか」


「僕らはノス・カラン・グワフと呼んでいます。遠くからいらしたのですか?」


「そうだな。アルビオンに来てそれなりに経つが、本当は海を越えたもっと北東の方だ。きみ、名前は?」


「アトラ……」


「ほう、『黒』か。家族名は?」


「……コズグレイヴ」


「ふふ、墓地グレイヴにコズグレイヴか。それはエリンの響きだな。意味は──『勝利』だ」


「え? えぇ、まぁ……」


 アトラは戸惑った。アルビオンにエリン、わざわざグレートブリテンやアイルランドを雅名に置き換えるとは、なんて気取った男だろう。それに出会ってすぐの人物に、名前ひとつで自身のルーツに触れられるとは、なんとも気味が悪かった。


 しかし自分から問うた以上、話を逸らしづらい。うっかり相手にした軽率さを悔やみ、いたたまれない気持ちになる。

 いつまでこの空気が続くのか不安に思っていると、不意に羽音が聞こえてきた。


「おや、きれいな鳥だな。なんて名前だろう?」


 ふたりの目の前で、小さな小さな鳥が墓上へ舞い降りた。体はオリーブ色で、背は淡い薄緑。黒い頭にはまるで王冠をかぶったような黄色い線がある。


「ゴールドクレスト」


 鳥好きの友人と付き合ううちに、いつの間にかその名を覚えていた。


「ほう。名前からして王さま、もとい、小さいから王子さまかな」


 十センチにも満たない丸い小鳥は、人を恐れずに本の上へ乗り、萎れた白い花と花束の香りを嗅いで、甲高くさえずっては愛らしい黒のくちばしでつつく。


 会話もせずに眺めていると、やがて生垣を超えてどこかへと飛び去っていった。

 ちょうどその時、遠くから粗暴な男の声がする。


「──おい、ジャド! どこにいる、早く戻ってきやがれ!」


「わかった、すぐに行く! ……あぁ、呼ばれている、すっかり忘れていた。邪魔をして悪かった。お前さんが悲しそうに見えたから、ついね。気を悪くしたならすまない。それじゃ」


 そう言うと軽く左手を上げ、墓地の奥へと去っていく。アトラがほっとしたのも束の間、ジャドと名乗った男は振り向きざまに言った。


「そうだ。お前さんも見に来ないか?」


「な、なんでしょう……?」


「来ればわかるさ」


 かげりを含む奇妙な笑みが返ってくる。流されやすい少年は断ることができず、仕方なく後ろを付いていくことになった。その占い師の足音は、影から響いてくる気がした。


 陽はだいぶ西に傾いていた。立ち並ぶイチイの裏には苔生した古い生垣があって、奥にいくつか人の気配を感じる。

 視界が開けると、長方形の穴とリタの姿が見えた。うつろな瞳でたたずんでいた警官は、従兄弟の存在に気づくとぱっと表情を明るくし、泣き真似をしながら近寄ってくる。


「やっと来たぁ」


 アトラは挨拶を先送り、穴を遠目に覗き込んだ。掘られた土の中には、とても眼下に居るとは思えないほどに背の高い黒肌の青年が、不機嫌そうにシャベルを動かしている。その逆側には、白髪が混じる初老の男が、道具にもたれて座り込んでいた。


「おせぇぞジャド。何してやがった?」


 坊主頭の青年は手を止めて、苛立ちをあらわにした。


「悪いね、なにしろ暇だったもので」


「てめぇ、手伝う気はないのか?」


「だってシャベルが二本しか無かったから。長旅でちょっと疲れたしな」


「ほほう。なら、ちょうどができるから、こいつの代わりに休むといい」


「おお、なんと恐ろしい」


 男たちのやり取りにあきれた様子で、リタはアトラの耳元にささやきかける。


「ずっとこんな調子なのよ。気味が悪いし不機嫌だし、ああ、早く帰りたい」


「急に墓に行けなんて、謀ったねリタ。いったい何するつもりなのさ」


「だまされる方が悪いのよ。歯形の確認か遺伝子調査でもするのかしら……」


 少年はただちに立ち去ろうとしたが、相手は逃がさんとばかりに首根っこをつかむ。


「なんて警官だ! 勘弁して、見たくないよ」


「私だって!」


 するとジャドは、笑顔を浮かべて意地悪そうに言った。


「それでは、ご開帳といきますか」


 アトラとリタはすくみ上がり、互いに寄り添い合う。生まれたときから自分を知る相手とはいえ、年頃の少年が若い女性とここまで距離を詰めるのは、恐怖の為せるわざだった。


 ふたりの男が棺桶かんおけの蓋に手を掛けると、木のきしむ音が辺りに響きわたる。アトラは流れに乗せられてここまで来たことを後悔した。すがりついてくるリタの横で必死に声を抑えるが精いっぱい。中身を想像し、思わず苦い顔で目をつむる。


「──は?」


 中を覗き込んだであろう青年が間抜けな声を発し、アトラはうっすらと瞳を開けた。


「なんで、どうして空っぽなんだ? おい、キースリーのおっさん、どういうことか説明してくれ!」


「そんなはずは……」


 初老の男は棺桶を見つめたまま、ただうろたえるばかり。


「待てダウ。キースリーの言うとおり、確かに遺体はここにあったようだ。ひょっとして盗まれたのかもしれん。見ろ、そこに血の手形が付いている。ずいぶんと趣味が悪いな」


「死体盗掘? いつの時代よ!」


 おびえていたはずのリタが声を荒げる。ダウという名の青年は坊主頭を抱えた。


「冗談じゃねぇ。死体が無きゃ、俺は……」


「仕方ない、とりあえず埋め戻すとするか。悪かったね、お嬢ちゃん」


「え、えぇ……」


(いったいなんだったんだ?)


 安堵してため息をつき、ふと視線を逸らした刹那、アトラに悪寒が走った。


 巨大な黒犬。


 驚きのあまりのけ反って、かたわらのリタにぶつかる。


「きゃ、なに、どうしたの?」


「あ、あれ……」


「何か居たの?」


「──あ、あれ?」


 自らが指し示すものをよくよく見れば、それは木蔭に浮かぶただの黝黒葉かぐろば


「黒い、大きな犬に見えたんだ」


「あははっ! たしかに、あれが頭でこれが脚。目の部分には光が射しててそれっぽい。きっとチャーチ・グリムの霊が出たのね」


 若い警官は恐怖の反動からか、葉っぱの影をさもおかしそうに笑った。


 チャーチ・グリムとは、墓地で最初に埋められた人間は天国に行けない、という迷信のために、身代わりの犠牲となった黒犬の霊であり、墓所を守護する善良な存在とされた。


「ほう、これは見事なパレイドリア」


 興味深そうに影をのぞく占い師を見て、少年は急に気恥ずかしさが込み上げてくる。


「はぁ、僕もう帰るよ」


「レジーに挨拶はした?」


「うん、それじゃぁ……」


「あんまり思い詰めないのよ」


 子供のころから相変わらずこんな感じだ。アトラは見透かされているような気がした。


 リタに軽く手を振り、三人の男たちを一瞥いちべつする。ジャドは先ほどと同じく、翳りのある笑みを浮かべながら左手を上げて挨拶した。あとの二人は振り返りもせずに、シャベルを黙々と動かしている。暗髪の少年は軽く会釈を返すと、足早に墓場を後にした。

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