第11話 養蜂家

 アトラとフラガリアは、まばゆい光が照らすリビングのソファーに座らせられていた。向かいには不機嫌そうな老爺ろうやが腕を組んでにらみつけている。少年はこうべを垂れて相手の顔色をうかがい、少女は部屋中に置かれた骨董品こっとうひんを熱心に見まわしていた。


「この蜂蜜、今年の夏に採れたものなのよ。おひとつどうぞ」


 老婆はほほ笑みながら、フラガリアに一本の瓶を差し出した。


「まあ、ありがとうございます」


 受け取った細い手が思ったより沈み、小ぶりながらもずしりと重そうだった。これから出かけるところなのに、荷物になる予感しかない。ありがた迷惑だとアトラは思った。


「うちのブラウニーはとっても働き者なのよ」


「ブラウニーって妖精ですか?」


「ええ、そうよ」


 押し黙る男たちとは対照的に、ふたりは笑顔を交えて二言三言ふたことみこと会話する。終わるのを見計らって、店の主が口火を切った。


「黙っていてはわからん。どこへ何をしに行くつもりだったんじゃ」


「ええと、ムーアの丘を見に──」


「お前さんには聞いとらん!」


 首を引っ込めるフラガリア。アトラは観念して顔を上げ、怒れる目を見て答えた。


「ペドンさん、ごめんなさい。家には連絡しないでください」


「わしはわけを聞いとるんじゃ」


「ですから、丘へ行こうとしていただけなんです」


「なんのために?」


「それは……」


「答えられんのか?」


「あのぉ」


 少女が申し訳なさそうに声を出すと、老爺はにらむ。傍らの夫人はそっと口を挟んだ。


「この子の話も聞いてあげたら?」


「ぬう……。言ってみなさい」


「アトラくんはレジーが亡くなったことに責任を感じているんです。このところ特に心を痛めていて、あまり眠れていないみたい……」


「ふむ。ところで、お前さんは誰じゃ?」


「私は二か月前に越してきた、キャムデンの者です」


「キャムデン? あの考古学一家の?」


「聞いたわ。お気の毒に」


 老夫婦は少女の事情をいくらか知っているようだった。


「いえ、私は平気です。でも……」


 フラガリアは隣に目をやりながら続ける。


「最近ずっとこんな調子なんです。いちどトラウマの場所に戻ってみたら、なにか変わるかもしれないと思って、私が連れ出したんです。荒療治かもしれませんが」


 ペドン夫妻は顔を見合わせる。老爺は思うところがあるのか、急に態度を軟化させた。


「ううむ……。おぬしに罪があるのなら、わしらにも罪がないとは言えぬ」


「どうしてですか?」


「小僧どもが丘へ行った理由をわしらは知っていた。なぜなら、そのきっかけをつくったのは、ほかならぬわしらなのだから。周囲には理由を告げなかったようじゃが──」


「あら、いけない。焦げちゃうわ」


 突然、老婆は部屋を去っていった。彼女の向かう先からかぐわしい香りが漂ってくる。しばしの静寂があって、フラガリアは新たな話で場をつなぐ。


「ところで、お爺さんはどうして外にいたんですか? 私が言うのもなんですが、こんな夜更けに」


「うむ。ジョーンがな、わしの自慢の馬が見当たらんのじゃ。白くて美しい娘なのじゃが……」


「どこに行ったんでしょう?」


「きっとムーアに迷い込んでしまったのじゃろう。あそこには野生化したのもおるから、すぐに命を落とすことはなかろうが、早く見つけてやらんと気が気でならん」


「そうだったんですか。それは心配ですね」


 また会話が途切れた。フラガリアはアトラを少し小突いて、声は出さずにどうするかを尋ねてくる。だが、少年は首を小さく横に振るだけだった。


 静まった部屋に老婆が戻ってくる。たちまち部屋いっぱいに良い匂いが広がった。


「せっかく来てくれたんだから、これも持っていって。わたし特製のパスティよ」


「コーンウォールのパイですね。わあ、とってもいい匂い。ありがとうございます」


「ジョーンが心配で、わたしも眠れなくてねぇ」


 進展しない三人の様子をもどかしく思ったのか、にこやかに話し始める。


「このパスティはね、わが家に伝わる自慢のレシピなのよ。その昔、悪魔がテイマー川を越えてケルノウへとやって来たとき、パスティの具にされると聞いて逃げていったというお話が残っているの」


「悪魔……ですか。ケルノウって、コーンウォール語でコーンウォールのことですね」


「ええ、そうよ。悪魔といえば、こんな話もあるわね。七年に一度、悪魔が妖精たちから税を取り立てに来るって。

 あの子がいなくなって今年でちょうど七年。わたしもなんだか胸騒ぎがしていたの。ねえ、坊や。あなたは本当に丘へ行きたいの?」


 会話を振られたアトラは言葉に詰まる。しばし考えを整理して、ようやく口を開いた。


「この子に言われて、最初はどうして行く必要があるのかと思っていたんです。ムーアをずっと避けてきて、想い出せない事も多い。このところ心がとても落ち着かないんです。あそこに行けば、何かおもい出せるかもしれない。

 今は自分から行きたいとおもっています。このまま戻っても状況は変わらない。レジーをおもわなかった日などありません。行かせてもらえませんか?」


 しかめ面の老爺は、腕を組んだまま答えようとはしなかった。


「私からもお願いします。ジョーンと言いましたか、お爺さんの馬も探してきますから」


 相手は悩むようにうなったが、それでも首を縦には振らない。老婆がまた口添えした。


「ジョーンはね、ピスキーに連れていかれたと思っているの」


「ピスキー? ピクシーではなくて?」


「そう、この辺りではピスキーと言うのよ。とてもイタズラ好きな妖精。今朝ジョーンを見た時、たてがみが三つ編みになっていたの。地面にも丸い輪の跡が残っていた。あれはピスキーが遊んだ後に残るというガリトラップに違いないわ。

 わたしにはこの子たちがあそこへ行った理由がよくわかる。あの子がどこに行ったのかも。だからわたしからもお願い。丘へ行くのを許してあげて」


 老爺は腕を組んだまま、じっと考える。

 静けさに古時計が刻む秒針の音が気になりだしたころ、ようやく口を開いた。


「わしは朝まで眠らないからな。ふん」


「ありがとう、お爺さん!」


「すみません、ペドンさん」


「でも、悪魔には気をつけてね」


「悪魔っていったい、なんなのでしょう」


「ケルノウは《小さな人たち》の住まう土地。悪魔はテイマー川を越えやってきて、ムーアや森で悪い人をさらっていくの……」


 ふたりは老夫婦にあらためて礼を述べると、養蜂場を後にした。満月はすでに天頂から落ち始めている。アトラは出遅れを取り戻すべく足早になった。


 フラガリアには伝えていなかったが、心に決めた時間があった。その時、あの場所で、ある事をする。それこそが今から七年前にレジーと行なった儀式であり、再び遂げようと頭に描いていることだった。


 いつの間にか連れてこられたという意識は消え、自らその地へと吸い寄せられるように足が動く。もはや迷いはなかった。

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