第29話 抗う者たち

 現れたのは、黒い前掛けから筋肉質な腕を露出する奇妙な男。無感情な顔に浮かぶ燃え盛るような赤い双眸そうぼうは、彼もまたワイルドハントであることを物語っていた。

 名も知らぬ新たな人物に戸惑う一行に対し、その者は重低音の声を響かせる。


「あまりに帰りが遅いから見に来れば、よもや全滅していようとは思わなんだ。おっと、そう身構えないでくれたまえ。話は聞いていた。汝らはこの男の宿敵だったのだな」


「貴様は何者だ?」


 ジャドは皆の前に歩を進めた。

 アトラは呆然とワイルドハントの姿を見つめていた。自分だけがその者を知っている。七年前の記憶を取り戻し、あのとき現れた存在であると確信していた。


「名乗るほどの者ではない。《鍛冶屋》とでも言っておこうか。この惨状、我々にとっては悲劇だが、やむを得まい。この骨が必要なのだろう? どうぞ、持ち帰りたまえ」


「お前は連中の仲間なんだろう?」


「仲間。そちらからすればそうかもしれぬ。だが、我は敵ではない。汝らは仇を討った。それで満足するがよい」


「納得すると思うか?」


 《鍛冶屋》はすっかり荒れた宮殿を見まわすと、残念そうに言った。


「小さな人たちには申し訳ないことをした。以上だ。では、さらば」


 言うなり踵を返し、奥に向かって走り出す。


「待て!」


 すぐさまジャドが追うと、ダウが続く。アトラはレジーが髪をつかむのを感じ取ると、フラガリアと顔を見合わせてうなずき、すぐにふたりの後を追う。


 広間を抜けた先の通路は階段となって上へと伸びていた。光が射す出口を飛び出すと、そこは案の定、一行が儀式を執り行い、無数の妖精たちが騒ぐのを見た石の丘。沈みゆく満月は、黒雲に取り囲まれながらも丘に光を注いでいた。狩猟月は人のため、必死に光を地下まで届けてくれていたのだった。

 《鍛冶屋》が向かう先に、黒のローブをまとう赤い瞳の老人が静かにたたずんでいる。


(あれがレドリーの言っていた《弁護士》? 彼らはいつの時代の人間だ……)


 強風が轟音ごうおんを鳴らして吹きすさぶ。はるか頭上にはグースと思われる黒い影が飛び交い、不快な鳴き声を上げている。だが、それに気を留める者はいなかった。なぜなら、一行を取り囲むように、おびただしい赤い眼球が浮かんでいたから。仔牛のように巨大な黒犬。少女はわずかに悲鳴を上げて少年に張り付いた。

 ワイルドハントは群れの中で足を止めると、振り返って叫ぶ。


「ここで我らを仕留めてなんとする!」


「神々を蘇らせて、どうするつもりだ!」


 風に負けじとアトラは叫び返す。


「愚問。戦争だよ!」


「再び争いを起こそうと言うのか。なぜ!」


 屈強な男は大きく息を吸った。


「否! 戦いはまだ終わってなどいない! 汝らは自らの地が平穏ならばそれでよいかもしれぬ。いまだ火種のくすぶる地に目を背け、悠然と過ごしているのではあるまいか。

 明けぬ夜はなしと人は言う。だが、明けぬ夜がないというならば、沈まぬ陽もまたないのだ。汝らの夜明けは我々の黄昏、我々の夜明けが汝らの黄昏だ!


 必要だから夜は来る。ゆえに輪廻は繰り返されてきた。争いの残滓ざんしはなお尽きぬ。おそれ敬われてこそ神がある。あまたの戦が続くあいだ、我らには神々の祝福があった、加護があった、歓喜があった。争いの世になれば、戦神は望まれ顕現する。戦乱への渇望が神格を再び呼び覚ます。我らが父を求むるとき、父は我らにちからをお与え下さるだろう。


 そのためにこの営みが、魂が必要なのだ。だがそれは、英霊などでは事足りぬ。冥府にとらわる我らが父を助くるには、冥土に沈む魂でなければならぬ。そのため、我ら羽翼うよくとなりて、新たな兵士にふさわしき魂を狩り集めん──」


「いつまでそんな野蛮なことを続けるつもりだ!」


 忌々し気にジャドはにらみつけた。


「汝らが争うのをやめたとて、敵の手を止めることはできまい。そのとき誰が戦うというのだ。浸蝕しんしょくに誰が抗うというのだ。この世のなんと腑抜けて安寧なることか! 汝らは、同胞を殺された恨みすら忘れ去ったのか!」


「いったいいつが事の始まりだと言うの? 無意識の始まりを意識が終わらせる。それが人としての進歩よ!」


 フラガリアの毅然とした言葉に、《鍛冶屋》は怒りをあらわにした。


「黙れ! 汝らは、足元に眠る戦士たちをも愚弄するか! 誰がもたらした平穏か。偽りの無風を安逸に貪る貴様らは、我らを忌み嫌い、蔑み、排除する。戦いの血が流れる我らに世の有様は耐えきれぬ。労苦に身を置く屈辱。否! 我々は戦士だ!


 あふるる闘志がそなわる本能を刺激する。血だ、争いだ! 忠実なる下僕よ、新たなる血の杯を捧げよ! 親愛なる従者よ、次なる馬を引け! 世に再び破壊と混乱を巻き起こせ! 飛び交え怒号! 舞い散れ血潮! 吹き荒べ、亡者の嵐よ! 戦乱を求むる声が、我らにちからを与えるのだ!」


「……狂ってやがる」


 ダウがぼそりとつぶやいた。


「狂気? そうだ! ほとばしる狂気が我らを目覚めさせる。たぎる狂戦士の血を!」


「うわぁ、地獄耳。大声出す必要ないじゃない」


 フラガリアが首を引っ込める。ジャドは呆れるように吐き捨てた。


「結局は争いたいだけか、この戦闘民族め」


 オーディン、その名は『狂気』を意味する。目の前に立つ者は、いにしえの神に魅入られてしまったのだ。

 なにを説いても無駄だと悟ったアトラは、質問を変えることにした。どうしてもいておきたいことがあった。


「どうしてレドリーを殺したのですか?」


「むろん魂を得るためよ。我々にとっては悲しいことに、汝らは罪びとを殺めることすらやめてしまった」


「なぜ、ぼくのことは見逃した」


「小さな蟻など、我らが狩りの獲物ではない」


「いったいどういう基準で」


「罪の重さなど時代により変わる。裁く者によっても。あのような男が間引かれたとて、汝らにはむしろ好都合であったろう?」


「あなたにそんな権利が?」


「あるさ」


「なぜ?」


「……時代に、翻弄された者だからだ」


 粛々と任務を遂行するワイルドハントが、わずかに人間らしく見えた気がした。

 少年はさらに、レドリーの答えられなかった質問をぶつける。


「何が目的で、この地の妖精から奪うのです?」


「笑止。彼らが争いに敗れたからだ。弱き者は隷属せよ。強き者は歯向うがよい。誰しも抗う権利はある。父なる神は、戦う者には等しく手を差し伸べて下さるであろう」


 アトラはゲルマンの軍神テュールを思い浮かべる。神そのものを意味するテュールは、かつては天空を司る最高神であった。雷神トール、豊穣神フレイ、女神フレイヤもまた、元来はオーディンと同等以上の存在であったが、時代が下ると、狂飆きょうひょうを司るオーディンの下に列せられることになる。


「結局は神々の思惑どおりではないですか。人の世を争わせ、魂を頂く。あなた方はそれでよいのですか?」


「あの曇天どんてんに潜む輝きを見よ! 迫りくる軍靴ぐんかの音を聞け!」


 赤い瞳をらんらんと輝かせ、夜空に両の手を掲げて叫ぶ。


 『ストーム』が護る狩猟月は、『狂飆テンペスト』の引き連れる黒雲によって完全に取り囲まれていた。


 それが、うるさく鳴きわめく鳥の群れならば、どれだけ良かったことだろう。暖を求めて飛来した、グースの群れならば。


 だが、そうではなかった。

 上天の騒がしい音に気づいていなかったわけではない。上空を飛び交う何かが、視界に入っていなかったわけではない。誰しもが、その存在を認めたくはなかっただけだった。

 夜空を埋め尽くす黝黒ゆうこくの騎馬を。それに従う黒犬の群れを。


 これなるはワイルドハント。魂の掠奪者りゃくだつしゃ


 その光景は見る者を圧倒する。いったい人があの軍団を相手に、何ができるというのか。

 先頭に光り輝くしらかげが見えた。またがるのは羽根兜をかぶる乙女らしき姿。それは確認する間もなく空の彼方へと消えていく。


「すべては無駄なのだ。この営みは長きにわたり続いてきた。いつ、『狩り』が終わりを迎え、《神々の夜明け》がやってくるのか、もはや誰にもわからぬ。


 だが、覚悟しておくがよい。その刻は必ず訪れる。飲み込まれゆくしか道はない。死にたくなければ祈れ。来たるべき時が来るまで、せいぜい今ある生を全うするがよい。そのとき我らは再び相まみえることになるだろう。汝らが生きていればの話だが」


 かすかな月明かりの荒野にて、ワイルドハントが告げるは、黎明れいめい終焉しゅうえんの刻。


 どうすることもできなかった。人にできるのはただ、荒れ狂うかぜえるのみ。


「じきに夜は明ける。だが、夜はまた必ずやってくる。さらば、ケルノウの子よ」


 男はそう言い残すと、傍らに控えていた老人と共に、背を向けて歩き出す。

 四人は黙ってその後ろ影を見送るほかなかった。

 嵐のような言葉の終わりに、アトラは何か引っかかるものを感じた。


(──……?)


 少年はようやく気がついた。眼前のふたりの正体を。川を越えてきた『悪魔』が、その言葉を使うはずがない。彼らは決してオーディンを信奉する者などではない。いやむしろ逆らったがために、ワイルドハントとなったのだ。


「待ってくれ! まさか、あなたたちは……ゴフ! フラマンク!」


 手を伸ばして呼びかけるも、声は届かない。必死に記憶をたどり、言葉をひねり出す。


「──その名は永遠とわに、その名声は永久に不滅なり」


 《鍛冶屋》の動きが止まる。


「真実を語ればこそ、呪縛は汝を解き放つ──」


 ワイルドハントたちは振り返った。《弁護士》がその目を丸くし、しゃがれた声をもらす。


「……驚いた。まさか、我らが喚起の呪言を紡ぐとは」


 アトラを見据える彼らの双眸は、赤い輝きを失っていた。少年が唱えたのは、眼前の男たち──コーンウォールの反乱を率いたふたりの人物が遺した、末期の言葉だった。


「あなた方は罪人ではない、この地の英雄だ。違いますか?」


「否。我々は英雄などではない、罪人だ。バルデューを見たか。あれは我らの所業が生み出した怪物。ゆえに我が罪は終わらない。終わってはならぬのだ! その言葉につけ足すがよい。その罰は永劫えいごう、と」


「それでもあなた方がこの地に真の平和をもたらした。たしかに、ぼくらは享受するのみかもしれない。でも、忘れてはいない。忘れはしない!」


「もし、我らと時を同じくしていれば、汝もここにいたであろう。なればこそ、奴が命を摘みに来る。おお、人の子よ! もはや汝は知らぬとは言わぬ。だが、我らと共に来い。から穴をこじ開けてやろうではないか!」


 輝きを失っても消えない底知れぬ恐ろしさに、アトラは無言で小さく首を横に振った。


「うむ……」


 否定を肯定するかのごとく、相手はうなずいた。その瞳に輝かしい赤光しゃっこうが再び宿る。


「汝は汝の道をゆけ。では、さらば」


 ワイルドハントは角笛を吹き鳴らした。あるじに応えて黒犬たちが一斉にその足元へと駆け寄っていく。暗闇の中から新たに赤い眼光が浮かび上がると、背の高い二頭の黒馬が現れる。ふたりはそれに跳び乗るや、獣を引き連れ、一行に背を向け去っていく。

 黒馬は大地を蹴って大きく跳びはねると、中空に着地し、再び跳ぶ。それを幾度となく繰り返し、天高く明けゆく空に舞い上がっていく。彼方に消えゆくワイルドハントの集団を追って、反乱者の一団は北東へと飛び去っていった。


 冷たく吹き荒れていた北風がしだいに弱まると、満月は西風の助けで黒雲を蹴散らし、石の大地をぼんやりと照らし出す。丘の上には、呆然とたたずむ人影が取り残された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る