第6話 転換
「時間は有限だ。申し訳ないが班での自己紹介は各自行ってくれ。これから一年の大まかなスケジュールを発表する」
初対面の人も多い中の新しい班、ということで教室はざわついている。
とてもよく通る声でハキハキとしゃべるし、腹から出る大きな声は学年集会でマイクを必要としないほどだ。
「はい、先生」
そんな中、一人の生徒が発言の許可を求め挙手する。
くじらはそれを勇気あるな、なんて他人事のように眺めていた。
「なんだ優香里くん」
「先ほど先生は『時間は有限だ』とおっしゃいましたが、スケジュールなどそれを書いたプリントを配布すればよいのではないでしょうか」
発言した眼鏡の彼は、制服をピシっと着こなしていて、雰囲気からもいかにも真面目そうだった。
彼はどんな夢を抱いてこの学園に来たのだろうか、なんてくじらは考える。
……政治家とか?
考えた割に、出てきたのはあまりにもお粗末な想像だったが。
「うむ、良い質問だ」
眠目の一言に、教室の大半が「良い質問なのか」と拍子抜けした。
「この学園では年に一度巡ってくるビッグイベントを、生徒の手で作り出すことを重要視している。主に体育祭だとか文化祭だな。」
眠目は分かりやすいよう、黒板に書きながら話す。達筆というか、とても読みやすい字だ。
「実行はもちろん、生徒が企画や段取りをする事で、リーダーシップや『本番をよりスムーズに進められる力』を養ってほしい。本番をスムーズにもちろん必要とならば我々教師陣も力を貸すが、生徒のみで出来るのならばそれが一番だ」
重要そうな話だと思い、生徒は皆背筋を伸ばして聞く。
面白そうだと思う者も、不安だと思う者もいたが、面倒だと思う者は多くなかった。
くじらは少し胸が躍っていた。
皆で試行錯誤したりするのはもちろんだが、少女は成功させなければいけないというプレッシャーをも好んでいるのだ。
本人は知らないふりをしているが、「泡になりたくないので平凡な、退屈な日々を過ごしたい」なんていうのは、自分を騙すための建前でしかない。
比喩ではあるが、泡となってしまった友人を見た時のニヒリスティックな自分に気が付かないための。
少女は案外ギャンブラー…否、スリル好きであった。
建前の酔生夢死な生き方は、生来不向きだ。
「学校は学ぶ場所だ。それは勉強という意味だけではない。人を楽しませること、イベントを成功させるため計画を練ること――それらを練習することは、君たちが夢を叶える上できっと役に立つ」
教師は私は君たちに夢を叶えてほしいんだ、なんてらしくもなく柔らかな微笑みを浮かべた。
くじらは母との会話を思い出す。
あれは確か、エレメンタリースクールに通っていた頃だったっけ。
『あたしね、あんたが勉強できなくてもまあいいと思ってるのよ。いや良くないけど。』
『はあ…』
『なんて、テストで毎回高得点を取ってくるあんたに言うことじゃないかもしれないけど。でもだからこそ聞いてちょうだい』
いつもは変な歌をうたっているような母の真面目な顔に、かつてのくじらは唾をのんだ。
『勉強は出来なくてもいいけど、絶対に生きる上で賢くありなさい』
殴られたら殴り返してこいなんて言う少々血の気の多い母だが、過酷なうみを生き抜いたちゃんとした大人だ。
その言葉はくじらの胸にストンと落ちた。
――――ああ、なんか先生とお母さん、同じようなこと言ってるな。
くじらは思った。今までずっと不安だった私の生き方は、きっと間違ってなどいなかったのだと。
ずっと後悔してきた。
「あの時彼女に現実を叩きつけるべきだったのかもしれない」と。
だけれど当時の自分にとっては、きっと夢をみさせておくのが最善だったのだろう。
それにもしも恋は叶わないと伝えていたとしても、彼女が止まるようには思えない。
こうと決めたらてこでも動かないという彼女の一面を、長い付き合い故知っていた。
いつまでもタラレバに縋っていても意味はない。賢い少女は知っている。
「ああ、わたし…もしたら――――」
くじらの脳裏に浮かんだ、蕩けるような甘い思考は眠目のよく通る声によって遮られた。
「…と、いう訳で。企画するのには時間がいるからな、先に伝えておく必要があるんだ。猶予はたっぷりあるからな。自分がどのイベントの委員になるのか、じっくり考えておくように」
ちなみに、一人一回は必ず企画委員もしくは実行委員になるからな、という付け足しによって、教室は再びざわついた。
「ええ~~! どうしよどうしよ、体育祭の実行委員にだけはならないようにしないと~」
くじらの前の席に座る少女、瑠奈はあたふたしながらイベント一覧が書かれた黒板を見る。
「瑠奈ちゃん、運動苦手なの?」
「恥ずかしいんだけどあんまり得意じゃないな~。そういう優香里ちゃんは?」
「僕? 結構得意だよ!」
そう尋ねられた優香里は、ふふんっと誇らしげに胸を張る。
「そういえば、そろそろ体力テストもあるんだっけ」
くじらが零したつぶやきを拾った柊雨はあからさまに嫌そうな顔をした。
「あー…シャトルランとかやりたくな…。どうにかズルしたりサボったりできないかな」
くじらは柊雨くん運動得意そうなのに、と意外に思った。
「サボったら補習っていうか、別の時間に測りなおすらしいですよ」
眉尻を下げた微笑みには、意図的な自分も運動が苦手という色が滲んでいる。
「えっ、そうなの!? じゃーフツーに受けた方がいっか…」
視線を黒板に注いだまま、頬杖をついて不機嫌そうにする。
しかし彼の勿忘草と瑠璃のようなヘテロクロミアは、くじらの演技を見え透いているようだった。
――それはまたくじらも同様だが。
くじらは柊雨くん相手にはナチュラルでいた方がいいかな、なんてぼんやり考える。
彼がそれを言いふらすような真似をしないことは分かっていたので、別にどうでもいいかとも思うが。
それにあわよくば、認めてもらえたりしないだろうか。
人間の暖かさをどうしてもぬるいと感じてしまう、わたしの薄情さを。
なんて少し考えてやめた。
中途半端に甘い考えはいつだって自分の首を絞めるものでしかないからだ。
一人反省会を終えたくじらは、再び口を開いた。
「…で、『シャトルラン』ってなんですか?」
「え?」
「え…?」
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