第18話 ゆめ、まぼろし



 一学期中間テスト

――――開幕





始めに筆記、次に面談という順にテストが行われる。




チャイムを合図に素早く紙をめくる音が次々と聞こえた。


問題用紙と回答用紙、それぞれ無機質な見た目。

声は全くなく、ただ息遣いとペンを走らせる音のみが鳴る。


そんな居心地が良いとは言えない時間をやっとの思いで五つ過ごし、今はとある教室のドアの前に立ち尽くしていた。



――――面談だ。

くじらは不安でしかなかった。

天敵の縄張りであるこの地で、唯一信頼できる仲間たちがいない。今までその時間は想像以上に短かったことに気が付く。

それと同時にくじらは、絆されてしまったなとも思った。


しかし今は、あの騒がしさが恋しい。

なぜならこの部屋から出てきた生徒の一部が涙を流しているのを見てしまったから。



(一体どんなことを聞かれるんだろう……)



少女は自らを偽る術に長けていたが、それでも身構えるほどの緊張感だ。

隣に座る、くじらの後に面談を受けるであろう少年は、俯いて震えることしかできなくなっている。


その様子を横目に見ながら扉をノックした。


(なんか受験の面接の練習を思い出すなあ。まあ、この学園に連れてこられちゃったから意味なくなっちゃったけど)



とても緊張しているはずなのにどこか冷静で、この後の苦難を正気シラフで耐えなければならないのかと思うと、今すぐ寮へ走り出したくなった。

時にはハイになることも己を守るためには必要なのだ。……おそらく。



先生からの返答が聞こえたのでドアを開き、学んだばかりの陸の礼儀で席についた。



「はは、そこまで畏まらなくていいんだよ。肩の力を抜いて。私はありのままの生徒たちを知りたいんだ」

校長の言葉に、くじらはただ小さく頷いた。


彼の隣には眠目と、親しくはない教師が二人が座っていた。

一人は「天城」と書かれたネームプレートを下げていて、もう一人は――黒づくめの不審者だ。


校長はにこにこと笑みを浮かべているが、それ以外の三人はなんだかそうでもなさそうだった。




「早速だが、夢について聞かせてもらうよ」


「あっ、はい」

改まった言い方をされ、背筋を伸ばす。




「まず、君は『泡になりたくない』それを強く願っているようだね」


それは眠目以外には言ったことがないことだったので、校長は彼女から聞いたのだろうか。

そうぐるぐると思索していれば、「何、君がこの学生証に願ったことじゃないか」と指摘される。



「……そうみたいですね」


くじらはこの学園のシステムを理解するには及んでいなかった。

それ故このように中途半端な返答をすることしかできない。


校長は「そう警戒しなくても、我々は夢を叶える手伝いをするにすぎないよ」などと微笑んだ。


(居心地悪いなぁ……)

それはよく考えれば当然のことなのだが、くじらは元々心の内を探られるのが嫌いな質だった。



「では、泡になりたくないとは、更に具体的に言うとどういう意味なんだい?」

その言葉に、くじらは僅かに眉をひそめた。


本当はそれを一番知りたいのは自分なのだ。


「……そうですね、魔境でも命をつなぎ留めたいとかでしょうか…」

試しに以前自ら否定した仮説を提唱してみた。


「もしそうならば君はこの学園に来ていないだろう」

そう、自らこんな敵地のど真ん中に来たりしない。



「ああもしかして。君が言う魔境とは海の方だったかな? ならば頷けるね。君はどんな手段をもってしてでも、あの怪物の巣窟から逃げ出したかった」


くじらはさらに顔をしかめた。



「君は、この大地においてはとても強いと言えるだろう、ただ不慣れなだけでね。…しかし」

「やめてください」


「しかし、魔境においてはただの弱者でしかなかった」


「やめて!!」




反射的に喉から飛び出した音が広い教室に響き、消える。

くじらは我に返り、恥じるような、そして怯えるような目を教師たちへ向けた。



眠目ははっとして、口を真一文字に結ぶ。

彼女のそんなに弱々しい瞳を初めて見たのだ。――否、二度目だろうか。


自分のことをうみの怪物だと自嘲的に言うが、この目は。




――――この目を、肉食魚に食われる寸前の小魚と、それ以外に何と言うのか。




「校長先生」

眠目はやや咎めるように言う。


「すまない、悪気はなかったんだ。ただ…余計なお世話かもしれないが少々心配でね。君が本当の目的を見つけられなかった時、道半ばで挫折してしまった時――君はどれだけを損失し嘆くのだろうか」



それは試すでもなく、ただ心の底から自分の生徒を案じ憂えているのだろうと伝わる声色だった。


だからこそくじらは足を止めてしまった。

冷静に考えれば、泡になりたくないのに陸に身を置くという行為がそもそも矛盾しているではないか。

泡になる前に陸を知ることで泡にならないようにする。そう思っていたが、そうこうしているうちに自分は溶けて消えてしまうのでないか?


これは比喩である。

くじらが表すそれが、実際には死なのかもしれないし、完全に自信を無くすことなのかもしれないし、周りからの信頼を失うことなのかもしれない。


そうならないよう試行錯誤している間に、不幸としか言いようのない何かそれらが降り掛かってきたら?



(私、なんのためにここに来たんだろう)




*   *   *





 面談後の教室は本当に重苦しい。


近頃グループ間で揉めているらしいギャルも、取っ組み合いの喧嘩をしてこっぴどく叱られた運動部員も、一言も声を発さない。



くじらも皆何を言われたのだろうと気になりはするが、様子を伺う気にはなれなっかった。

あまりの陰鬱さに、見たことを後悔しそうだったからだ。特に後ろの席が。





 ほぅっとため息をつけば、脳にどうしようもない記憶が泡のように浮かんできた。


世界一嫌いで、そして宇宙一美しかったあの鰭が、もう元には戻らないほどズタズタに切り裂かれていたこと。


共感も理解も及ばない。

なぜ? なぜ彼女はこの過酷な湖で生き残るための命綱を自ら捨てた?


ふざけるな。捨てるくらいなら譲ってくれ。

その美しい鰭を、髪を。




しかしくじらの頭には、その凄惨な光景以上に残っているものがあった。

彼女の――マナの、どこか愉しげな―――満たされたような瞳。



今もそれが、それを見たときの感情が焼き付いて離れない。


吐き気を催すほどに不快だった。気持ちが悪い、不気味でしかない。あんなの人じゃない。

――――それでいて、どうしようもなく奇麗で。


ずっと目を逸らすことができずにただただ見つめていた。

これこそが泡になるということで、あんな風になりたくないと本能的に感じたにもかかわらず。




彼女は人魚としての美しさと強さを失ったはずなのに。私は彼女と違い怪物の血を引いているはずなのに。

それなのに私は彼女よりも劣っていて、そして彼女の方がよっぽどバケモノだ。





*   *   *





「ほんっと教室お通夜じゃん~」


食堂。

ご飯を乗せたお盆を机に置いた瑠奈に、他三人全員が目を丸くした。



「えっちょ、瑠奈ちゃん??」


優香里と柊雨とくじらも、他の生徒と同じように落ち込んでいたので。



「もうめんどうだから全部言うけどさ、僕『世界一のイラストレーターになりたい!』ってこの学園に来たの」


三人は唐突すぎる瑠奈の言動に顔を見合わせてから、困ったように頷く。



「叶えられないかもしれない、とか。自分には大きすぎる夢だ、とか。そんなの分かり切ったことだったでしょ」


箸を弄ぶのは長い時間筆を握ってきたであろう細い指。

伏せられた、見惚れてしまうほどのヘテロクロミア。



「最初から上手くいく、簡単に叶えられるような夢…たぶんつまらないと思う。ちょっとずつだけどちゃんと僕は進んでる。たぶん、みんなも。それに気が付けるかそうじゃないかって思うんだよね~」


――――僕がそれに気付けたのは、みんなのおかげだよ~。


そう言って彼女は眩しいほどの笑みを浮かべた。





三人は少々面食らって、たっぷり三秒間フリーズする。



灯台下暗し。

そうだった、この学園に呼ばれた意味なんて決まっているじゃないか。

自分一人では叶えられないことも、皆で助け合えば運命さえ変えられるかもしれない。

きっと、そういうことだった。



柊雨の目が僅かに潤みだしたことにくじらは気が付く。


「えっあの…え、柊雨くん……!?」



「そうだよね…。僕、瑠奈に自分で君の個性は素敵だって言っておいて――自分のことは見てなかった」



『いやさ、他の人がどう思うとか実際の良し悪しとか分かんないし。これは僕の感性。でも瑠奈がオッドアイであるせいで誰かに迷惑かけた?』


――――誰かに迷惑かけた?



柊雨にとってその言葉は自分へ向けたものでもあった。

瑠奈と違って自分は、自分の個性のせいで感謝してもしきれないを傷つけた。そう、己を呪っていたのだ。


けれどもきっと彼女たちは、柊雨が瑠奈の個性を素敵だと思ったように、柊雨の個性も好きでいてくれていたに違いない。

もしかしたら、一緒にその苦しみを分かち合ってくれようとしていたのかもしれない。それ故自分が巻き添えを食らったとしても構わないほどに、柊雨のことを愛していた。


嬉しいことは二倍、悲しいことは二分の一に。




「僕はあの子たちが傷つくのが嫌だったけど、あの子たちも僕が傷つくのは嫌だったのかもしれない」


眉をひそめ苦しそうに俯く彼の背をさする優香里。




くじらはそれを、温度のない瞳で見つめていた。



「『みんな違ってみんないい』……つまり個性。そうじゃなくて、単なる優劣だったら?」


声に、言葉にするつもりはなかった。想像していたよりも低くて冷たい声が出てしまう。

くじらは一瞬まずいと踏みとどまったが、もうどうでもいいかとも思った。



「ど、どうしたのくじらちゃん。ちょっとおかしいよ…?」

優香里は本心から心配しているのだとすぐにわかる。


しかしそれも、どうだっていい。



おかしい? そう、おかしい。

いつから私はおかしくなったのだろう。


かつてどうしようもないほどに憧れた姫君のことも、愉悦すらも忘れて、ただ生きることだけに執着するようになったのは。

自分がどうあるべきかは愚か、今の自分がどうなっているのかすら見えなくなったのは。





「いいよねみんなは。夢破れても眩しいものを失うだけ」


言うな。



「こっちは生死がかかってるのに」



これ以上言ってはいけない。




「わたしは全く進んでないよ。自分の夢がなんなのかすら分からないんだもん」




本来白いままのはずなのに呑気に煌めく薄紫の学生証を、軋むほど強く握りしめた。


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