第17話 玲瓏



 うわさ話。


「ねえねえ、あの子知ってる?」


「確か別の区画から越してきた子だよね」


「見ない顔だと思ったら、そうだったんだ!……あの子、綺麗な髪と尾びれをしてるよね~」


わたしも綺麗だと思った。





 うわさ話。


「ねえねえ、何であんな普通の子があの子の隣なの?」


「さあ…強者の気まぐれってやつじゃない?」


「そんなことしても足手まといにしかならないのに……何考えてるんだろうね。まあ、そういうミステリアスなところも好きなんだけど!」



わたしも、そう思っていた。


あの流れる金髪と煌めくターコイズブルーの鱗の隣に、わたしは居られない。



*  *  *




「うん。月海ちゃんが見込んだ通り、似合ってるよ!まあ僕のメイクが上手だからってのもあるけどね!」


「思ったよりいい感じじゃない。綺麗よ、あんた。――――ちょっと、ぼうっとしてどうしたの」


月海の手が目の前でひらひらして、くじらは我に返った。


「えっあ、きれい…ですか?」


「何、あたしたちの腕を疑ってるの?鏡を見てみなさい」

彼女の隣に立つメイクアップアーティスト志望の少年は、そう言われくじらに手持ち鏡を差し出す。



ぶれることなくまっすぐに引かれた、ブルーグレイのアイライン。

それより少し淡いカラーのマスカラで上げられたまつ毛は、ふわりと優しげな印象を与えた。

淡いピンク色に染まった頬とぷるりと潤った唇があどけなさを演出している。


ラベンダーの髪は編み込み後ろにまとめられており、いつもは見えないうなじと計算されたおくれ毛が艶めかしい。



「‥‥‥‥」


これが自分だなんて信じられなくて、まるで別の誰かになったみたいで、くじらはただ鯉のごとく口をぱくぱくすることしかできなかった。



『綺麗よ』月海が発したその言葉がお世辞だとは思えなくて、だけど自分がこんな素敵になれるだなんて考えられなくて。

それは今朝お遊びで誰かさんに見せた白昼夢のようだったから、憧れ妬んだの術中なのではないかと疑ってしまう。



(……なんて、彼女はわたしにかまうような低俗なひとじゃないか)



「……浮かない顔ね、どこか気に入らないところでもあった?」


腕を組みドレッサーの前に座るくじらを見下ろす月海。

その言葉と仕草の割に、不快とは思っていなさそうなのが表情から分かる。



くじらは自分の小心さを少し恥じた。

月海たちの腕が素晴らしいことも、そして彼女らが着飾らせてくれた自分は少なくとも醜くはないことも、頭では理解していた。


しかしただ、信じることができないのだ。




『わたしなんて』


ずっと昔からこの短い言葉に呪われてきた。否、己を呪ってきた。

驕り高ぶる事勿れ。わたしのような弱者は自分の欠点と向き合った上で、謙虚に――慎ましく生きなくてはならないと。


それはきっと間違っていない。ならば何がいけなかったのか。

卑下するのはうわべだけで、ちゃんと内心で自分をまるごと愛してあげる必要があったのだ。

くじらも最初はできていた。しかし「わたしなんか~」などと口にするうち、いつのまにかそれが本当になってしまっていて。


気が付いた頃にはもう、後に引けなくなっていた。




「そうじゃ、なくて」

言葉が詰まる。


わたしは優れていないから綺麗だと思えない、だなんて言えるわけがなかった。


弱者であったくじらは、普通以上に自分の欠点を表に出すことを嫌っている。

そしてそれすら新たな欠点になってしまっていることに気が付いていたのだ。



「褒められ慣れてないんだね、そういうところかわいー」

少年は化粧品を片付けながら、さらりと言う。


「確かに。あんた雰囲気はあるんだけど、よく見れば見るほどパッとしないわよね」


「褒めてるの貶してるの??」


不服そうに眉をひそめるくじらを見て、月海はふっと微笑んだ。



「そんな人を誰よりも美しく魅せるのが、あたしが――あたしたちが目指す夢なのよ」


その言葉に奥の方で少年や他のチームメンバーも頷いた。


くじらの作った笑顔とは全く異なる、自然に上がった口角。

視線はメイクと衣装、セットしたすべて――すなわちくじらに注がれており、それには熱意が感じ取れる。


目の前の、ため息が出るほどの美しさは自分たちの手で作り上げられたのだという事を、とても誇らしく思っているのだ。



くじらは息を呑んだ。


(ああ、わたしもあなたたちみたいに成りたかった)

その思考こそが心の中の禍根であったが、同時に少女のオリジンでもあったから救えない。



そんな悲しいことを思考する反面『今の自分はかつての夢かもしれない』とも思えて、胸が締め付けられる。




「あ、そうだ。あんたのドレス姿を見たいって子がいるのよ。ほら、来たみたい」


部屋の入口に目をやれば、思った通りの面子が歩いてくる。



「わ~、こんな楽屋みたいなお部屋もあるんだね~」


「この学園すごすぎない?ここまでくると引くレベルなんだけど」


「失礼します!くじらちゃんと衣装を見に来たよ!!」


三者三様、それぞれ別のことを口にする様子は協調性がなさそうだが、そのいつも通りの様子がくじらには安心材料だった。

浜に打ち上げられ呼吸ができず、しまいにはビチビチ暴れることも諦め、ただ乾いた床を見つめている。


それも、今は悪くないと思うのだ。




 まるで誰かに操られるかのように、軽やかに立ち上がった。

まだ慣れない足で、ゆっくりと彼らに歩み寄る。くじらはそうすべきだと考えたのだ。




 夜を写した水面のようなイブニングドレス。


レースが揺れるネイビーブルーのスカート部分は、裾に向かうにつれて白く染まる。それはまるで夜空が星に溶けていくかのよう。

ヒールを履いて床にふれるマキシマム丈は、少女の身長から精密に計算されているのが分かる。


大胆に背中が見えたデザインだが、正面の布面積が多めであることで上品だ。


ヒトデのモチーフや真珠があしらわれた大き目の髪飾りも、後ろで編まれた髪から伸びる控えめなヴェールとよく調和がとれている。

それはかつてくじらに学生証を授けた魔女の物とは大きく異なる、重厚感ある黒ではなく薄く軽やかな白。



上品かつ華やかなこの正装は、まるで少女の内面を表現しているようだった。


うみのように、玲瓏たる麗しい姿だ。




「――――くじらちゃん…」


三人は褒め言葉が思いつかないほどに魅せられていた。

くじらは歌ってなどいない。それなのに、目を離すことができない。離したくない。


一挙手一投足、黒目がちなその瞳と刹那のまばたきすら見逃したくなくて――ただ、固唾を呑みこんだ。



 彼らはきっと、陸に溺れ死を待つだけの無様な魚に、酸素を分け与えようとキスをしてくれるような人たちだ。

エラ呼吸の魚にとってそれは意味のない行為で、彼らはそれを知らないから空回りし続ける。


だけれど。たとえ結果が伴わなくたってその気持ちに偽りはないのだ。

ならばもう、その無意味な慈愛に身を委ねてみよう。



「えへ……どう、かな」


きっとハッピーエンドにはなり得ない。

でも、虚しいバッドエンドを、甘くて苦いメリーバッドエンドに変えることならできる。



なんてくじらは相変わらずマイナス思考で、いつだって最高を掴み取ろうとするのではなく、無難な道を選ぼうとする。


しかし出会えた。

出会ってしまったのだ、ハイリスクハイリターンの道へ手招きする友と。




「‥‥‥‥‥‥」


何も言わずに見つめ続けられなんだか小恥ずかしくなって、目にかかった前髪を払った。

マスカラが塗られていることでいつもと違うまばたきの感覚が、緊張からか過度に気になってしまう。


我慢ならなくなって「あの、」と声をかけようとしたとき。



「す、すすすっごい!! んーっとえぇっと、なんて言えば伝わる!? 伝えたいのに語彙力がなくてうまくいえない…むずむずする!!」


突如優香里が百面相しだす。その横で瑠奈と柊雨も笑いつつ共感していた。


「ん…ぁ、えっと?」

彼女が何を言いたいのか理解できなかったくじらは、こてんと小首をかしげる。


それを見た三人は「スゥーーッ」っと息を吸い込んでから、目を泳がせたり俯いたり顔を仰いだり。

くじらは更にわけが分からなくなりあたふたしだした。




「もうさ、くじらちゃんが一番でいいよね!!!」


優香里の雑な結論に、瑠奈と柊雨は顔を見合わせてから言った。

「それだ!!」


「……へっ?」


二人は何それ、と笑うものだと思っていたから。まさか共感するなんて。

ぽかんとするくじらに二人は説明した。


「なんて言うか、すてきすぎて言葉が出てこなくて~…」


「いやさ、何と競ってんのって感じかもしれないけど。ほんっとくじらが一番だよ」


「でしょでしょ!やっぱ僕語彙力あるかも!?」


これからは生ける国語辞典と呼んで!なんて変なことを言う優香里と、意外と切れ味の良いツッコミをする瑠奈。

そしてそれを後方から見守るドレスアップチーム、という妙な構図が出来上がっていた。



「とにかく!今日のくじらちゃんはオンリーワンでナンバーワンだよ!!」

優香里はずいと顔を近づけ、目をキラキラと輝かせ言う。

その言葉が世辞だとか嘘だなんて言う人はどこにもいないだろう、という程興奮に満ちた表情だ。


「いち、ばん……」


じゅわりと目頭が熱くなる。

後ろから「メイク崩れるから泣くなよ!!」という大声が飛んできて、慌てて溢れそうになる何かを堪えた。



今、気が付いたのだ。

ずっとこの言葉が欲しかった。



どうしようもなく弱いけど、『誰よりも』という訳でなくほどほどに劣っていた、幼い少女。

彼女は生存本能だとかそんなのではなく、ただただ自分が欲しくて、だけど更に弱いふりをするのは嫌で。

『強か』という個性を欲した。だからダメな自分をまるで蝕むように、徐々に殺してきた。


それ故「それなりにかわいい」だとか「ふつうに賢い」だとか、本来褒め言葉であるはずのそれが嬉しくなかったのだ。

だって自分が欲しかったのだから、ふつうじゃダメで、量産型の自分を愛することができなくて。

「わたしはもっと上にならなくては、個に成れない」



今じゃそんなの勘違いで自分は自分でしかないと分かるけれど。

それでも承認欲とはそんなに簡単に満たせるものではなかった。




――――嘘でもいいから、一番が欲しかった


傲慢とも言えるそれは、伝承の姫に憧れる、かつて殺したはずの彼女から何も変わってなどいなかった。


もしも今彼女と対峙したならば、「わたしがなりたいぷりんせすだ!」と言われるだろう。しかしきっと「あなたになりたい」と言われることは無い。



でもいい。

それでいいのだ。



「泡になりたくないとは何か」というパズルのピースを、ひとつ見つけることができた気がした。




顔がほころぶ。

それは心の底からの安堵と歓喜から。


三人はくじらのこんなに柔らかい表情を初めて見たので、目をまるくした。



「えへ、いちばん……そっかぁ」


はじめての一歩。

ああわたし、今度こそ誰かと肩を並べて泳ぐことが――否、歩いていくことができる。


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