第7話 望蜀


 四限までの授業を終えた四人は、食堂で昼食をとっていた。

白を基調とした清潔感ある広間には人がごった返しておりにぎやかだ。


「ねーみんな、何の委員やる? あ、生徒会じゃなくてイベント企画の方」

口いっぱいにパンを頬ぼりつつ、尋ねる優香里。

もきゅもきゅと咀嚼してはまたすぐに口に放り込んでを繰り返している。


「先生、『企画にも時間がかかるから早めに伝えた』って言ってたよね~。大変そう」

瑠奈は優香里に、「ここにご飯ついてるよ」と拭いてやりつつ言う。

ふにゃりと下げられた眉尻からは迷いが見られた。


どうしようかと悩んでいるのが自分だけではないと知ったくじらは、心底安堵していた。


「そういえばすぐに体育祭じゃん」


「ん…確かに、体育祭の委員になる方は大変そうですね」


四人は揃って、うーむと考え込む。



「プリント見る~?」

瑠奈はふわふわと微笑みながら、イベントと委員の一覧が書かれたプリントを机に出した。


「さっすが瑠奈ちゃん、見る見る!」


「ありがとうございます」


またも四人は揃って、プリントを覗き込む。


「え~っと…僕たちに直接関係ありそうなのは――」


「体育祭、宿泊研修、音楽祭、文化祭、マラソン大会…この辺じゃない?」

柊雨が順番に読み上げると、瑠奈がマラソンか~と嫌そうな顔をした。


プリントには、何月・参加学年・イベント名・詳細が順に記されていた。

まだ四月中旬だというのに、既に緻密な計画が練られているのが分かる。


「っていうか、音楽祭と文化祭別にあるんだね!」


「ああ、音楽系の夢を持っている生徒が多いかららしいですよ」

かなり丁寧に活躍の場が設けられているんだとか、と付け足す。


くじらの解説に、一同は感嘆の声を漏らした。


「じゃあ俺、音楽祭の委員立候補しよっかな~!」

柊雨はわくわく、と目を輝かせる。

皆の興味が一気に移った。


「へえ! 柊雨くん歌とか好きなの?」

優香里の質問に、柊雨はよくぞ聞いてくれましたと言った感じで、嬉しそうに答える。

くじらはうどんを啜りながら、それを一歩引いた距離感で眺めていた。


「なんたって俺、アイドル目指してるからっ!」

実際にどう思っているかは別として、ふふんっと自信ありげに胸を張る。


「…そうなんだ、おっきい夢ですごいな~」

そんな柊雨を、瑠奈は優しく持ち上げた。


(柊雨くんが取り繕ってるのって、そういうビジネス的な理由なのかな)

理想の自分を演じるのがプロ意識とも言うし……なんて考えてから、深く探るのはやめよう、とくじらは思考を中断した。


「あんまり詳しくないわたしが言うのも無責任ですけど、柊雨くんならなれるんじゃないですか? 顔――んんっ、容姿いいし」


今顔って言おうとしたよね!?と二人は突っ込んだが、本人は嬉しそうにニコニコ笑っていた。やっぱり、十人中九人は振り返るだろうと言う程に整った顔立ちだ。


くじらは彼の頭部に生えた猫耳をかわいいな、なんてぼんやり眺める。

それに気が付いた柊雨は、じっと観察しなければ分からない程微かに眉をひそめた。


その僅かな変化を感じ取ってしまったくじらは、一瞬目を丸くし、すぐにそのヘテロクロミアを伏せる。

細かな仕草に込められた、「見なかったことにする」という意図は彼にしっかりと伝わった。


「そうだ、みんなの夢はなに? この学園に来たんだから、無いとは言わせないよ~」

柊雨はすぐに切り替えて、皆に問う。

しかし自ら口を開こうとする者は誰もいない。


三人は一瞬目を見合わせてから、食事に集中しはじめる。


「えぇっ!? もしかして夢って秘密にしておく物だった!?」

予想外の反応に、柊雨は慌てふためいた。


それを見かねた瑠奈が少しだけ考えてから話す。


「そういうことじゃないけど~。僕は、今は内緒かな」

人差し指を口に当て、やわらかく微笑む。

それと同時にわずかにこてんっと首が傾げられたことにより、空色の髪がふわりと揺れた。


柊雨はわざとらしく頬をぷくーっと膨らませ、くじらに話を振る。

さっきの仕返しだろうか。


「え、わたしですか?」

困ったように問い返す少女の表情の裏には、若干の焦りが滲む。

彼女の横に座る少年が不服そうに黙って頷くと、くじらは少々考えてからぽつりと話した。


「別に、秘密ってわけじゃないですけど。言ったらわたしが不利になっちゃうので……ああでも、強いて言うならば『長生きすること』――かな」


なにそれと笑おうとした寸前、柊雨は口を閉ざした。


彼の目には、いつもは気に入らない余裕そうな微笑みを浮かべ、浮世離れした雰囲気を漂わせる少女が、今は自分の夢を理解していないように映ったからだ。

きっとこれ以上詮索するべきではない、彼女がそうしてくれたように。

柊雨はそう判断したのだ。



(言われてみればわたし、なんでここにいるんだろう)

くじらは俯き考え込む。


『泡になりたくない』なんて抽象的な願いは、もともと比喩でしかない。


陸の恋した人間に、想いを無惨に引きちぎられ傷ついた友人だって、本当に泡になってしまったわけではないのだ。そもそも人魚が失恋すると泡になってしまうなんて迷信だし(愛が重すぎる故自害してしまう者は少なくないが)。

姫君の伝説から連想し、くじらの目に「泡になってしまった」と、そう映っただけで。


であるならば、くじらは何がしたい?どうなりたい?


自分で口にした「長生きしたい」という言葉も、少し違う気がする。別に百歳まで生きたいわけではない。

ならば、「失恋したくない」? 否、少女は恋路に無頓着であった。

はたまた「裏切られたくない」のだろうか? 別に誰に切り捨てられようが構わない。なぜなら所詮他人は他人でしかないし、いざ命の危機に瀕した時はどうしたってひとり孤独だ。


だけどもしわたしが人間だったのなら、「死ぬときにひとりぼっちはどうしても嫌だ」と駄々をこねることができたのかもしれない。そして、裏切られたくないというのを答えにできたのかもしれない。


しかし現実は、「もし心中などしてみたって結局ひとりだよな」と解るし、そもそもひとりが寂しいわけではない。

外界から飛び込んでくる残酷な現実を、いとも簡単に噛み砕いて呑み込めてしまう冷徹な怪物。

くじらは今ただひたすらに、ひとりを寂しいとも思えない自分を憎んだ。



――――わたしはここにいてはいけないのではないか。


噴水のように込み上げてきた不安感が胸を押しつぶす。



「ねえ、柊雨くんはどうして――」

無意識に零れてしまった言葉をやっとの思いで飲み込む。

いけない、彼の努力すら踏みにじってしまうところだった。


恐る恐る視線を上げると、柊雨はその言葉の続きを知っているかのような、寂しそうな笑みを浮かべていた。


それを見たくじらははっと我に返り、らしくないと心を落ち着かせた。

もしかしたら彼も、その言葉を口にしてしまいたいのかもしれない。



 ふたりは言葉ではない会話に参加しているのが自分たちだけであると信じて疑わなかった。

優香里がなんとも不思議そうな、だけど鋭い視線を送っていたことに気が付いていない。

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