第8話 試練
時は皐月、そろそろ体育祭の準備が始まるかという頃。
一学年の生徒には、今後の人生を左右すると言っても過言ではない重要な課題が出された。
「いいかお前たち、わかっているとは思うが夢は望むだけでは駄目なんだ。歌えば、神に祈れば叶うのは本や舞台、画面の向こう側だけ。私たちはこちらの世界の住人だ」
眠目はいつも以上に声を張り上げ言う。
生徒たちはその緊張感に、凍り付いたかのように背筋を伸ばし、ごくりと唾を飲んだ。
「望むだけでは叶わない、ならばどうするか。現実と自分の限界から目を逸らさず、着実に行動していくことだ。努力が報われるとは限らない。しかし、成功した者は漏れなく全員努力している」
独特の言い回しで語りつつ、黒板にチョークを滑らせる。
書かれたのは課題の内容だ。
・叶えたい夢をより解像度を上げ、具体的にする。
・それを叶えるためには何が、何をすることが必要か。
・目標が十だとするならば、現時点の自分は零から九のどこにいるのか。
・今の自分に足りないものは何か。
・そして改めて、その足りないものを補うためにどう行動するのか。
これらを具象的に、かつ明確に書き記す。
そしてすぐに行動を開始し、その内容や自分が感じた効果をレポートし続ける。
「本来ならば二年生からの学習なのだが、今年からは実験的に一年から開始することとなった。しっかり毎月提出するんだぞ、そうでなければ夢に対しての情熱はそこまでなのだと判断するからな」
そう言って詳細が記されたプリントを配っていく。
それには細かい字が裏まで続いており、読むだけでも気力が失せそうな程だ。
しかし「夢への情熱はその程度」なんて焚き付けられてしまったので、全員が真剣に目を通している。
くじらは周囲を見渡すと、小さくため息をこぼした。
「皆が躓いているのは二個目以降の質問だろう」と考えたからだ。少女は最初の質問で頭を悩ませていたのだ。
(わたし本当に、なんでこんなとこに来ちゃったんだろ)
初めは好奇心のおかげか、陸の生活も悪くはないなんて思っていたけれど。
そう、生活自体は悪くないのだが、この学園での人間関係や「夢」を叶えるためにどうこう、というのがいけない。
元々くじらは友人の一件で、「酔生夢死な生き方ができたなら」なんて柄にもないことを思っていたくらいなのだから。
人間に合わせて生活しているせいか、自分の感情や理性と人魚としての本能、それから人間を模した内なる自分が喧嘩をしている。
主張が完全に異なる三者は誰一人引こうとせず、今もなおぶつかり合いを続けているのだ。
「はぁ…いやだな」
来月分のレポートは書けそうにない。
* * *
同日、テスト返却の時間。
今回は前に受けた社会科の小テストが返ってくる。
「柊雨くんはテストどのくらいできた?」
出席番号順に呼ばれていく中、くじらは暇だったので隣の席である彼に尋ねてみた。
「うーん、どうだと思う?」
目を弧にし、いたずらっ子のようににやりと笑う。
頬杖をついた姿はとても絵になるため、くじらは「この彼を見たら恋に落ちてしまう女子もいるのではないか」なんて思いつつ、若干冷めた目で見つめていた。
「質問を質問で返さないでくださ~い。…でも、その様子を見るに自信はあるみたいですね」
「そう言うそっちは?」
「偉人とか全く分かりませんでした」
言い終えてから、この国なら誰もが知っている偉人だったのならどうしようなんて不安になったので「か、海外出身なんです」なんて付け足した。
「えっ、そうなんだ。どういうところなの?」
やっぱりそこ食いつくよな、と急いで誤魔化し方を考える。
『嘘は自ら弱みを作るのと同義』、うみ共通の教えであり常識だ。
実際くじらは嘘をついてあとあと痛い目を見た経験があるので、いつも「少し足りないが嘘ではない」を心がけている。
「世界で二番目に大きい湖がある国です」
そういえば同じことを優香里ちゃんにも言ったっけ、とぼんやり考える。
「ああ! 知ってる、昨日クイズ番組でやってた。カナダだよね」
確か――――『スペリオル湖』だっけ?
柊雨は自信ありげに答える。
「…え、それどこですか?」
想像していたのとは違う言葉が飛んできて、くじらは拍子抜けした。
少女の巣窟はファシノンと呼ばれる茫漠とした湖であり、正真正銘世界で第二の大きさを誇っている。
スペリなんちゃらという湖を、くじらは一度も耳にしたことがなかったのだ。
「ん、もしかして違った?」
「え…いや、どうでしょう。こっちの言葉だと違う言い方をするのかもしれませんね」
くじらは状況を理解するため思案に暮れる。
ただ地名が一致しないそれだけのことかもしれないが、慎重な彼女にとっては一大事だ。
脳内に幾つかの仮説が浮かび上がる。
(言い訳した通り言語の差か、柊雨くんの記憶違いか…)
この二つのうちどちらかが正しいことを祈った。
三つ目の仮説が、自分で考えておいてあまりにも信じ難いものだったからだ。
――――此処と故郷は、別の世界なのではないか。
「もしかして別の惑星だったりする?」
柊雨は普段、個人の――特にくじらの事情に首を突っ込まないのに、珍しく深堀りしてくる。しかもなぜか楽しげな様子だ。
「考えてること読まないでよ。……わたしが暮らしてたところ、ちゃんと地球ですよ」
「となると、異世界ってやつ? え何それファンタジーじゃん。
……そんな目で見ないでよ。あは、怖い怖い。かわいい顔がもったいないよ?」
珍しい行動とは裏腹に、態度はいつも通り飄々としている。
その様子が気に入らなかったのか、くじらは少々わざとらしいくらい怒った顔をしてみせた。まさにぷんぷん、と言った感じで。
「わたしがかわいい顔してるのは知ってるし、怖い顔しても変わらないよ」
「……え、そこ?」
一見くじらなりのネタにしか聞こえないが、柊雨はしばらくしてそうではないかもしれないなんて思った。
目の前の、自分と同じだと考えていた少女が、心の底から自信があると気が付いたのだ。
彼女に悪気がないことは分かっているし、第一不快に感じたわけではないけれど。
それでもほんの少しだけ羨ましく感じてしまった。
「わたし、『もしかしたら下と比べて自信にするタイプかも』って最近気づいたんだよね。あは、我ながらさいてー」
柊雨の目を見つめて離そうとしないその少女は、自虐している割に笑っていて。
先ほどの柊雨にも負けず劣らず楽しそうだ。
「考え読まないでって言ったの自分じゃん。……僕は…そういうのじゃないから」
柊雨はらしくもない重苦しい雰囲気を漂わせ、俯いた。
何を思ったのかくじらは緩やかに口角を下げる。
それからしばらく、妖しげに光るヘテロクロミアで息を凝らすように見つめてから、小さく口を開いた。
「……ふぅん?」
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