第5話 巡り会い


「あ、眠目先生おはようございます」

朝食を終え教室へ向かう廊下で、くじらと優香里は担任と会った。


「おぉ。はよう」


通学生はまだ来ていないので校内はがらんとしており、なんだかまるでいつもと別の場所みたいだ。

最近やっと暖かくなり始めたぬるい空気が肌を撫でる。この雰囲気を味わえるのは寮生の特権である。


挨拶をかわし、すれ違おうとしたその時。眠目は思い出したかのように振り返った。


「そうだ、くじら君」


「なんですか?」


優香里もくじらに合わせて足を止める。


「寮の個室のシャワールームを使っているようだな」


「あー…」

視線を泳がせる。


くじらはお湯が怖かった。

今は人間の姿をしているので問題はないのだが、風呂のお湯は元の姿ならすぐにやけどしてしまう温度なのだ。今なら大丈夫と頭で分かっていても、本能が警鐘を鳴らす。仕方のないことだ。


皆が普段使用している大浴場で冷水を使えば、きっと奇異な目で見られてしまうだろう。

当然眠目はそのことを察して黙認している。


「そろそろ慣れていくべきなんじゃないか? これから先ずっとこうって訳にもいかないだろ」


「‥‥‥」


自分でもそろそろまずいなと思っていたことを指摘されて、くじらは少々不愉快だった。

それにわざわざ他の人がいるところで言わなくても。

眠目のことをキュっと収縮した瞳孔で見つめても、ただ意地悪そうな笑みを浮かべるだけで何も言わない。


(こいつ楽しんでるな…!!)


「えっ何? なんの話!?」

ふたりの駆け引き(?)に挟まれた、何も知らない優香里は困惑していた。




*  *  *




「えー、皆さん学園生活にも慣れてきたと思いますしそろそろ通常授業日課になるので」


――――くじ引きで席替えをしまーす。


眠目の一声で1年7組の教室がどよめきに包まれた。


「くじらちゃぁあん! せっかく仲良くなれたのに席離れちゃう~!!」

優香里はくじらにそう泣きつく。


「ああ…うん。そうだね悲しいね」

くじらは悲しみや寂しさより優香里の剣幕に驚いていたため棒読みだった。


「くじらちゃんどこ寮!?」

そんなこと気にせず、優香里は更にまくしたてる。


「んっと…パンタソスだよ」


「そんなぁ! 僕ポベー…ぽ…ぽぺー…」


「ポベートール?」


「そうそれ!」



うわぁ~ん寮も違う~!と泣く優香里を、よしよしと宥める。

「まあほら、席離れちゃってもクラスは同じだし。話しかけに行きますよ」


するとさっきまでうつ伏せでいじけていたのに、すぐにパっと顔を上げて「ほんと!?」と目をキラキラせる。

ベタの尾びれが見えるなー、とくじらは遠い目をした。ちなみにベタの尾びれとは陸で言う犬のしっぽである。


「うん、ほんと」

くじらは「だって優香里ちゃんが初めての友達だし」と言おうとして、やめた。

皆に分け隔てなく優しいであろう彼女には、なんだかちょっと重たい気がして。



「はい。順番に引いてけー」

眠目はくじという名の紙切れが入った箱をブンブンと振り、混ぜる。


廊下側の前の席から順にくじを引きに行った。






「優香里ちゃん何番だった?」


「ちょっと待ってね、えっとぉ…」

縦に四人が四列、その中のどこになるか。四つ折りにされた小さな紙を恐る恐る開く。


3-3さんのさん!」


ということは――と、二人で机を数える。廊下側から横に三番目、黒板から縦に三番目。

優香里は窓から二番目に近く二番目に後ろの席だった。



くじらは目を丸くし、そしてすぐに微笑む。

「く、くじらちゃんは?!」


と聞かれてすぐに、紙を優香里の前にちらつかせた。

書いてあるのは――――


『4-4』



「ふふ、斜め後ろの席だよ。これからよろしくね、優香里ちゃん」


「えーっ嘘、すごいすごいやったぁ!! え、え、ズルとかしてないんでしょ!?」



「…さあ?」




万歳してはしゃいでいた優香里はピタリと動きを止め、怪訝な顔をしてくじらを見つめる。

「うそでしょ」






あはは面白い顔、と珍しくくじらは腹を抑えて笑った。


「うん、嘘だよ。正真正銘、偶然です」


「びびびっくりした~! やめてよ、『もう一回くじ引き直さなきゃいけない!?』って思っちゃったじゃん!」


「あは、ごめんごめん」




くじに書いてある場所へ席を移動する。


「あ! 瑠奈ちゃんもしかしてここの席?」

そこで優香里が話しかけたのは、淡いターコイズブルーの長髪をワンサイドアップにした少女。ベージュのカーディガンがとても似合っている。


「優香里ちゃんもしかして近くなの~?」

ふたりは会話を弾ませる。


くじらは瑠奈と呼ばれた少女と面識がなかったため、会話に混ざらずに周囲を見渡していた。


(やっぱり優香里ちゃんってみんなと仲良いのかな――…あ、あの人って)


目に留まったのは瑠璃のような髪色をした少年。

確か入学式の時、横でうとうとしていた人だ。



「きみ、今日から隣の席だよね。俺は柊雨、仲良くしてね!」

黒い手袋を外してから右手を差し出し、人の好さそうな笑みを浮かべる。


「わたしはくじらって言います。こちらこそ、よろしくお願いしますね」

萌え袖になっていた紺色のカーディガンの袖を捲り、握手を交わす。くじらもまた同じように微笑んだ。



「‥‥‥‥」


両者は笑顔の裏で思った。『この人、な』と。

それと同時に向こうにもそう思われたなとも感じた。


同じ穴の狢――と言うのは少々異なる気がするが、要は似ているので分かってしまうのである。


「この笑顔は変じゃないかな」「どのくらいの距離感が一番自然かな」

考えに考え抜かれた、自分なりの最適解をただなぞっているというのが。そして完璧であるが故の違和感が。

気づいてしまう理由なんて簡単、だって自分もそうだから。


さすがに双方、何故とか何を隠すためにとかは分からなかったが、これは確信だ。

そしてこれ以上探るつもりはなかったので、おとなしく席についた。気になりはするが、なにせ自分が探られたくないので。




 これにて、やっとメインキャストが出揃った。

今後この四人は苦楽を共にする良き友人となるわけだが――それはまだもう少し先の話。

学びて思わざれば則ち罔し、彼女らの研鑽の物語が幕を開ける。

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