第10話 友誼
「どっどどどどどどうしよう柊雨くんっ!!!!」
少年の机にバンッと大きな音を立てて手を叩きつけるのは、空色をポニーテールにした少女。
彼女は文字通り顔面蒼白といった様子で、冷や汗が噴き出しているかと思えば涙ぐんでいるようにも見える。
「えっ何、工事用ドリル?」
そんな優香里を笑うのは、柊雨と呼ばれた瑠璃の権化のような少年だ。
確かに焦りからか「ど」を震えるように連呼する優香里の声は、建設用のドリルを連想させ――――なくもなくもなくもない。
「で…何かあったんだよね?」
込み上げてくる笑いを堪えつつ、目の前の少女にと向き合う。
しっかり目を合わせて話を聞いてくれるのには、彼の根の優しさが表れている
「じっ、じじじじ実はくじらちゃんと喧嘩しちゃったんだよっどうしよう!!!」
「…クビキリギスってさ、ジージーって鳴くよね」
* * *
「くじらちゃ~ん、そろそろ顔上げなよ~」
一方屋上。体育座りでうずくまるくじらを慰めようの会が開催されていた。
参加者は本人であるくじらと瑠奈、以上二名である。
「…わたし結構ひどいこと言っちゃった気がします」
「まあ誰だって喧嘩はするし、傷つかせちゃったなら謝ればいいんだよ~。…それで解決するとは限らないけど」
口には出さないが、くじらは優香里を傷つけてしまったことで落ち込んでいるのではなかった。いやまあ一つの要因でありはしたが。
(どうしよう…ひどいくらいボロ出しちゃった気がする!!)
そっちかーい。
つくづく薄情で利己的な少女である。
「そういえば~、屋上解放されてるのって珍しいよね~。僕の中学は封鎖されてた」
『そう言えば』の意味を問いたくなるほど飛躍した話題。
こちらも、つくづくマイペースな少女だ。
「…青春体験を重視しているかららしいですね」
「そうだったんだ~。…思ったより元気そう?」
瑠奈が心配している方面では元気いっぱいである。
強いて言うなら、「自分は傷つけてしまったことを気にしていない」その事実がくじらを追いつめていた。
幼少期はセイレーンという偉大なモンスターの血をひいていることが誇りだったのに。
随分感傷的になってしまったな、なんてしみじみ考える。
「くじらちゃんはなんて言ったの?」
さっきまで雲の数をふわふわ数えていたのに、瑠奈は急にくじらを覗き込み、問うた。
「『同じ人間なんだから分かり合えないはずない』って言いました」
くじらの言葉の意味を理解するため、手を顎に当てて考える瑠奈。
「う~ん、それは『それなのに分かり合えてなくて苦しんでるのはお前の努力が足りてないせいだ』的なニュアンスで?」
「そうです」
「わぁお」
普段ふわふわしている彼女が珍しく眉を顰める。
第三者が話を聞いただけで事態の深刻さが分かる、それほどに少女が吐き捨てた言葉の棘は鋭かった。
「ま、まあでもそんなこと言っちゃったのには理由があるんだよね…?」
「……ちょっとむかついただけです」
「んふ、ダウト~」
先ほどとは一変し、いつも通りの緩んだ表情に戻る。
その様子はなんだか少し楽しんでいるようにも見える。
人を観察し、ある程度その性格などを掴まないと安心できないくじらは、瑠奈のことが少々苦手だった。
しかしそれと同時に、『必要以上に踏み込んでこない』『口は堅い方』ということだけは分かっていたので、今回の事を彼女に相談したのだ。
まあ、その分助言をくれるというよりは雑談なのだが。
「……瑠奈ちゃんは、今にも襲い掛かってきそうなライオンに『話し合えば分かる』って言う?」
随分と回りくどい比喩だ。
瑠奈はその質問の意図を少々考えてから答えた。
「動物だし百獣の王だしきびしそう~、言わないかな。ふつう
「それってライオンのような猛獣と人間の間には線引きが必要って考えですよね」
「それはそうでしょ~、はなしが通じないもん」
その言葉はくじらにとって想定内だったし、なんなら同感だった。
しかしその理性とは裏腹に次の言葉が出てこない。
黙り込んでしまった彼女を横目に見た瑠奈は口を開く。
「でもはなしの通じる相手だったら、もしかしたら『はなしをしよう!』って言うかも。例えば悪魔とか吸血鬼とか~? ゾンビは…無理そうだねぇ」
「たとえそれが、簡単に自分を殺せてしまうほどの脅威でも?」
「それは~そっちに敵意があるかないかによるんじゃないかな。ね、くじらちゃん」
意味ありげな瞳で見つめる。
瑠奈が視線に明確な意思を宿らせているのを初めて見たくじらは息を呑んだ。
「たぶん優香里ちゃんが言いたいのは『差別をなくす』んじゃなくて『悪意のある差別をなくす』ってことなんじゃないかなぁ。名探偵瑠奈ちゃんの推理だよ~」
* * *
同日、放課後。
寮に帰るため教室を出ようとしたくじらのスカートを誰かがつまみ、引き留める。
「…ゆ、ゆかりちゃ」
「くじらちゃん!! 昨日は酷いこと言ってごめんね!!!!」
気まずい相手と遭遇してしまってたじろぐくじらの言葉を、隣の教室まで聞こえそうな大声が遮った。
「僕あの時、嫌なこと思い出して…ついカッとなっちゃって」
しぼむように徐々に小さくなるその声は、申し訳なく思ってしまうほどしおらしくて。
「ち、違うの。わたしが…優香里ちゃんの言葉の意味をわざわざ辛い方に解釈しちゃったせい」
――――『差別や理不尽を無くしたいって思ったんだ』
優香里の決意にあふれたその言葉はあまりにも眩しくて、余裕のなかったくじらを焼いてしまった。
人間と人魚の差を、それによる周りからの目を変えられるはずないだなんて、嫌な妄想をしたのだ。分かりきっていたことだから尚更。
彼女が本当に伝えたかったのは、『誰かが自分と違う人とその部分をほじくり虐げることがあってはならない。だから無くしたい』そんな優しさに溢れた夢だったのに。
悪い言い方をすれば、くじらの勝手な被害妄想だ。
(わたし、一体マナから何を学んだんだろう)
そう。人間がエラ呼吸を出来ないのと同じように、人魚だって肺呼吸ができないのだ。
それを彼女の一件で痛感したはずなのに――――。
人はあやまちを繰り返す。それは人間も人魚も変わらない。
くじらは双方の異なる点ではなく、類似点をフォーカスすべきだったのだ。
「くじらちゃんだけが悪いわけじゃないよ。僕もずっと、同じ人なんだからいつか分かり合えるはずって信じて…今まで頑張ってきたから」
「…え」
くじらは予想外の事実に驚いた。
彼女は最初から、話が通じる人だけを選んできたのだと思っていたから。
「でも途中で気付いたんだ、価値観の差っていうのはなかなか超えられないなって。それが嫌になって…気付かなきゃ良かったって思った日もある。だからそれを言われちゃって――焦ったんだ」
――――僕は何かを諦めたのかもしれないって。
* * *
「僕くじらちゃんが分かんない。何日か見ててさ、普通怒るでしょって時もにこにこしてるの」
「うん、俺も知ってる」
「おかしいよ! だって嫌ならそうハッキリ言わないと関係は長続きしないって…あれ、それは恋人だっけ? まーどっちでもいっか」
柊雨に相談するにあたって、優香里はしれっと隣であるくじらの席に座っている。
頬杖をついて盛り上がった箇所がもちもちしていて、食べたらおいしいかななんて柊雨はぼんやり考えた。
「そんなくじらちゃんがさぁ、初めて怒ったんだよね」
優香里もうっそりと窓の外を眺めつつ、つぶやくように言葉を発する。
物憂げな表情は彼女らしくない。
「推測でしかないけど」
「うん、いいよ」
柊雨は一呼吸おいてから話し始める。
「いつも『そこそこ優等生です』みたいな顔して立ってるけどさ、もしかしたらいろんなことを諦めてきたんじゃないかって」
――――理不尽だなんて思ったことないよ。
くじらの言葉が優香里の脳内にこだました。
確かに、柊雨の推測を正しいと仮定して今までを考えると、綺麗な一本の糸につながるのだ。
「そっか…。くじらちゃんは自分の弱いとこを殺してきたのかもしれないね」
* * *
しばらくの沈黙が教室の空気を包む。
くじらにとってそれは、普段なら早く次の話題を振らなければと焦るものだったが、なぜか今回は心地よく感じた。
そして惜しみなくたっぷりと時間を使って、義務感なく口を開いた。
「仲直り。――というか、お友だちに…なれるかな」
返答が怖いのはもちろんだが、なんだか気恥ずかしくて小さくなってしまった声。
しかし優香里はちゃんと受け取ってくれたようで、まるで花が咲くかのように表情を明るくした。
「うん。……うん!! ともだち!!!」
となりどころかそのまた隣まで響いていそうな大きな声で歓喜した。
そんな彼女を見たくじらもなんだか嬉しくなって、頬が緩んでしまう。
――――友だち。
数秒優香里の曇りない眼を見つめてから、くじらはふわりと抱き着いた。
「!? えっ、くじらちゃんっ!?」
前触れもなく突然ハグされた優香里は、くじらの背に手を回すこともなくただ戸惑う。
「…? 友だちや親しい人にはこうやってぎゅぅってするんだって…え、違うんですか!?」
抱き着いたまま、くじらより少しばかり背の高い優香里を見上げる。
海水のように爽やかで、しかしどこか甘みも感じる不思議な香りが優香里の鼻をかすめた。
「そそそっか、くじらちゃん海外出身だもんねっ!! これがかるちゃーしょっくってやつ!?」
否、カルチャーショックではない。
かつて人間に恋をした友人――マナがくじらをからかうためについた嘘を、彼女は信じて実行したのである。
この世界で言うと、大げさな例えだが『こんにちはは英語でアイラブユーって言うんだよ』的なものだ。
「えっえっ!?」
ハグは普通ではないと気が付いたくじらは秒で優香里から離れ、両手を肩の高さまで上げた。
「ぎゅーもいいけど、日本では握手が一般的…かな?」
「そ、そうなんですね。ゴホン…失礼しました」
ふたりは右手どうしをぎゅっと握り微笑み合う。
初めて手に触れた時よりも、心なしか体温の差がなくなっている気がした。
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