第11話 一念発起


「瑠奈ちゃん柊雨くんおっはよ~う!!」


教室に着くや否やドアをばーんっと開け放ち、右手を高く上げ挨拶する優香里。

クラスメイトからの視線が痛い、とくじらは俯いた。


「おっ、おはようございます…」

最後の方が若干小声になってしまったが、既に教室にいた二人には聞こえていたようでおはようと返してくれる。


教室の後方をまっすぐ歩いて席に到着すると、優香里はどさっと鞄をおろした。


「二人で登校してきたってことは仲直りできたの~?」

ふわふわとした笑みで瑠奈が尋ねる。


「ふふんっ、そうなの! やっぱりくじらちゃんと仲いい柊雨くんに相談して正解だったね!!」

優香里は柊雨に感謝を述べた。



「ん、え? 仲いい…?」


身に覚えがない、というようにくじらは首をかしげる。



「えーっひどぉい! いろいろお話したじゃん、『はんだは鉛じゃなくてビスマス』とか『目が痛くならない玉ねぎの切り方』とか!!」


「何その話題???」



柊雨はそう目をかっぴらいて叫ぶと、瑠奈に「くじらは俺と友達じゃないんだって…」と冗談半分で泣きつく。



「そっかぁ、くじらちゃんにナルシスト認定されて友達リストから除外されちゃったんだね~。よしよし」


「それフォローになってなくない??」


「柊雨くん一瞬で泣き止むじゃん」



くだらない茶番に、くじらの頬は緩んだ。

「友だちじゃないとかじゃなくてあれは――」


あれは…なんだろう。友だちじゃないとするならば。



「えー、友だちになる基準とかそういうのやだぁ。『出会って握手したら友達』でよくない?」


「優香里ちゃん、それはちょっと早いと思います」


皆そろって笑い合う。



くじらは分かっていた。

世間一般ではこういう、くだらないことで笑い合える仲を友達というのだろう、と。

しかしまた潜在的に人間が怖いのもまた事実。

少女はずっと本能と理性のはざまで揺れているのだ。



「友だちかそうじゃないかとか知らないけど、実際くじらちゃんのこと一番分かってるのって柊雨くんじゃない?」

そう言いつつ優香里はまあ昨日僕が追い越したけどね、と謎に張り合う。



「「それはそういうんじゃなくて…」」


「ふふ、ハモったね~」


柊雨とくじらの声が重なると、二人は驚いてから気まずそうに顔を見合わせた。


(ほんとに、こればっかりはそういうのじゃないんだけどな…)

なるべく多くの人との仲を深めようとしていた柊雨だが、今回は少し違った。


他の人と同じようにくじらと仲良くしたいのは変わらないのだが、少々本性を知られすぎている。

類は友を呼ぶ――――あるいは、同族嫌悪。

似た者同士の化学反応で、互いの闇を察してしまったのだ。


これは単純に「距離を詰めてお終い」とはできない。



「僕、二人の気持ちわかるんだよね」

少し間をおいてから、瑠奈は続ける。


「人目って、気にしなくていいって理解してても気になっちゃうものだから」


伏せられ憂いを含んだその目は、彼女しか知らない世界を映している。

くじらは口をつぐみ、反対に柊雨は声を発した。


「僕、瑠奈の描く絵好きだけど?」

こてんと首を傾げ言うそれは、さも当前というような口ぶりである。


そんな柊雨が意外だったのか、瑠奈は珍しく表情を崩した。



「……ありがと」


切なげな表情の裏にあるのは素直な嬉しさか、あるいは柊雨の言葉を本気で信じることができない自分への嫌気か。



(やっぱり。柊雨くんの一人称の規則性は『本心か否か』……かな)


しんみりとした空気の中、くじらはまたそんなことを考えている。

偶にそういった思考が人間離れしていると悟り落ち込むこともあるが、今回は気付いてすらいない。


幸か不幸か。優香里や柊雨はそれを気にしそうだが、くじらにとっては心底些細な事だった。なぜなら己がどう感じるかなど、事実には関係ないからである。


(さっきの柊雨くんの言葉――もしわたしが口にしていたら、瑠奈ちゃんからの信頼が得られたのかな)




――――くじらちゃんのこと一番分かってるのって柊雨くんじゃない?



そんなはずはない。

だってわたしが彼の闇に眼を慣らすことができないように、彼だってわたしのことを何も知らない。


(知りたいだなんて思ってないし…)

思って、いない。



「ほんとなんで? 僕がちょこぉっと目離すとすぐ暗い話になるんだから!」


「そんな『ママが目を離すとすぐ迷子になるんだから』みたいな言い方」


「んふふ、優香里ママか~」


「やだよこんな手のかかる子どもたち」


「どの口が――んんっ、わたしも優香里ちゃんの娘はちょっと嫌ですね」



くじらは考える。

やっぱり、こういうくだらない茶番で十分だ。闇なんて知らなくていいし、教えなくていい。


(この三人には、わたしの綺麗なところだけが見えてれば……それで)


人はそれを重傷と呼ぶ。




「あっ、そうだ本題忘れちゃうとこだった!」

思い出したように手をぽんっと叩く。


改まってどうしたんだ、と三人は優香里に向かいなおした。



「僕ね、体育祭の企画・実行委員になることにしたんだ!!」



企画・実行委員ってなんだっけ。ああそうだ、一年のイベントを生徒が作り上げるとかなんとか――――

優香里以外の三人は完全に忘れていた、大事なことを。


「ああ…! そ、そっか頑張れ!」


「昨日職員室に行かなきゃって言ってたのは…その志願書を提出するためだったんですね」


「うわどうしよ~もうすぐ体育祭かぁ。僕運動あんまり得意じゃないんだよね~」


委員会や学園のモットーなどを思い出し、各々思いをつぶやく。

体育祭が近いということは体力測定も近いということで。柊雨と瑠奈は肩を落とした。



「あのねくじらちゃん、体育祭委員になろうって思った決め手はくじらちゃんなんだ」

昨日のような、真剣な瞳をして優香里は言う。


「……え?」


「分かり合えないどうこうって、まずは表舞台に立ってみないと分からないよなって!」


何かが吹っ切れたような彼女の眼には曇りひとつなく、潤い煌めいている。

口角も自然に上がっていて、なんだか少し愉しそうで。


表舞台。

優香里にとってそれは何でもよかった。派手でも地味でも、一番前の表じゃなくても。

大事なのはそれ自体ではなく、一歩でも前に踏み出すことだった。



「うん、そっか。……そうだよね」

応援してる、その一言が喉につかえて出てこない。

しかし優香里はそれを咎めることもせず、ただ未来を夢見るように微笑んでいる。



優香里は昨日、瑠奈はおそらく、少しでも前に進むことを決意した。

くじらは他人のその瞬間を、何度も何度も目撃してきた。


いつもなら笑って送り出せるのに。

何故か久しぶりに、それができない。




ゴクリと唾を飲み込む。

それはくじらにとって、ほんの少しばかり懐かしいことだった。

同じスタートラインから出発したはずなのに、気が付くと見えない程遠くに行ってしまう。

――――まるで自分だけ時が止まっているかのように。


今となりに立っているこの三人の背中も、いつかは遠くなってしまうのだろうか。




くじらは急に胸が苦しくなって、ふっと呼吸を止めた。


(また、に戻ってしまう)

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