第12話 火種
「体力テストやりたくないよ〜⋯」
瑠奈は運動着に着替えながら嘆く。
「フレフレ瑠奈ちゃん、僕も頑張るから! へへ、去年より記録伸びるといいなー!!」
「なんでそんなに楽しそうなの〜」
くじらは二人の様子を一歩引いて眺めていた。
かつての友人マナは、人間に恋しただけあって陸の知識が豊富だった。それを惚気話と共に聞かされていたくじらもある程度詳しいのだ。
体力テスト――――それはある種の地獄であると彼女は語った。
その身が朽ちるまで走り、擦り傷ができるまで跳び、激痛に耐えられなくなるまで体を伸ばす。
そんなおどろおどろしい話、くじらは都市伝説程度にしか思っていなかったが、瑠奈と柊雨の様子を見るとあながち間違ってないのではないかと思う。
優香里は⋯⋯いつもあんな感じだから参考にならないな、と思考を切り捨てる。
くじらは未知の恐怖に身震いをした。
「テストって聞いて思い出したんですけど、もうすぐ中間ですね」
定期テストという概念はうみにも存在するため、くじらは自分も混ざれる話題を持ち出した。
本人は無意識だが、確かにその行動にはふたりと会話したいという思いが見え隠れする。
「ううう体力テストに定期テスト…テストばっかりでやだよ~」
「分かる、自信はあるけどやりたくはないよね!!」
「えっ、自信あるんですか!?」
さも当たり前かのように言うので、くじらは信じられないとでも言いたげな目で優香里を見た。
「ふふん、こう見えて僕頭いいから! ……ちょっと、何その信じてなさそうな顔!! ほんとなんだからね!?」
ぷんすこと怒る優香里とそれを宥める瑠奈、といういつも通りの図である。
「くじらちゃんは自信ないの~?」
「えっ、わたしですか」
突然自分の事を尋ねられ戸惑う。
人の事は根掘り葉掘り聞く癖に自分の事はしゃべらない、くじらは典型的な危ない人の例だった。
平均より上の点を取れる自信があったが、それは特定の教科以外の話。
社会科など陸の文化や政治を問われるものは全くわからないのだ。
しかし何から何まで話してしまうと、この世界に生きる人間としておかしいと気付かれてしまうだろう。
嘘は自ら弱みを作ると同義――――またもくじらは誤魔化し方を必死に思索していた。
「えっと……勉強の方はそこそこですけど、夢の方はだめそう…かな」
“夢の方”
ここ代理学園はやはり特殊で、定期テストでは学力だけでなく、夢にどこまで近づいているかなども問われる。
更に、夢を完全に諦めてしまうと、学園を去らなくてはならないのだ。
人によっては厳しすぎると思うかもしれない。しかしそもそもこの学園は「夢を叶える」がモットーなので、夢を失った者にとってはここに意義などないのだ。
くじらは当初それを聞いて、適当に学べることだけ吸収して早く湖に帰ろうと考えていた。
しかしいざ生活してみると、似た立場にある者同士が励まし合い競い合う、とても居心地のいい場所だと思えてしまうようになったのだ。
――――まだここを去りたくない。
「そもそも、なんで入学できたのかもわかんないし…」
ぽつりと零れた本音。
まずいと思ってももう遅い。
ふたりはそろって目を丸くし、視線をくじらだけに注いでいる。
くじらは困ったように眉尻を下げてから、無機質に目を伏せた。
聞こえていて欲しいな、なんてかまってちゃんじみた思考を伴った独り言は届かないくせに、こういう隠したい部分だけ剥がれ落ちてしまうのだ。
「わ~すごくわかる~! 周りにすごい夢を持った子ばっかりで…僕も自信なくしてたんだ」
「……え」
突然あらわになった瑠奈の弱音に、くじらは心底驚く。
彼女はいつだって、余裕があって自分のペースで突き進んでいく人だと思っていたから。
間違ってはいないのだが、いくら余裕そうに振舞っていても瑠奈だって所詮不完全な一人の人間でしかない。
それだけは皆平等なのだ。
「このカードがまだ煌めいてるって、それだけが頼り」
ブレザーの胸ポケットから学生証を取り出し、優しく、しかし切なげに見つめる。
理解していなさそうにぽかんとするくじらを見ると、優香里も話し出した。
「まっしろなカードに出会って、とつぜん『あなたの夢は?』って聞かれて――――。願ったら、その願いと同じくらい眩しくキラキラしてくれて…初めて
珍しくしっとりしている彼女の口調に、くじらは息を呑む。
「くじらちゃんもそうでしょ?」
ふとあの時の事を思い出す。
もう一ヶ月も前になるのか、時の流れがとても速く感じる。とても濃い一ヶ月だ。
魔女と名乗る老婆、まるでかの姫君のようなシチュエーション。
最も忌避する状況なのに、なぜかとてつもなく心が躍って。
「応えて…くれたのかな、わかんない。だって最初から煌めいてたから」
俯きぽつぽつと言葉を紡ぐくじらを見て、二人は顔を見合わせた。
(もしも優香里ちゃんの感じたことが本当だとしたら……。わたしは最初から、そして四六時中、何かを願っていたのかもしれない)
気が付きたくない、傷つきたくない、と目を背けていただけで。
だとすれば、あと必要なのは覚悟だけなのかもしれない。
* * *
体力テストが終了し、制服に着替え終わったくじら達は机に突っ伏していた。
「ぷはーっ! 久々にいっぱい体動かせて気持ちい!! みんなもそう思うでしょ――ってあれ。どうしたの?」
正確には、一人を除いて。
「無理無理無理! 意味わかんない!! 前から思ってたけど優香里バケモンじゃん!!」
「もう午後の授業受けられない~…寝ちゃうよ~」
「聞いてた通り地獄だった……」
HPバーが真っ赤どころかマイナスな三人は、まるで世界の終わりを体験してきたのかという程にぐったりとしている。
「うっわ、水全部飲んじゃったおわた」
これでもかと眉間にしわを寄せた柊雨は、空になったペットボトルを振る。
振ると言っても力が残っておらず、ゆるゆると揺すっているだけなのだが。
「僕が自販機行ってこよっか!!」
それを見た優香里はタオルで汗を拭いつつサムズアップする。
「あはは、怪物レベルがここまで来ると清々しいね~」
瑠奈はにこにこしているが、驚くほど息が上がっている。この様子を見るにまだしばらくは落ち着かないだろう。
「柊雨くん眉間に豆挟めそう」
くじらは脳が正常に働いていないのか、おかしなことを言いだす始末だ。
「ヘッ、豆挟んでも俺はイケメンだよ」
「ちょっと何言ってるのかわかんない」
水分補給をしたり、下敷きで仰いだり――ある程度クールダウンしてきたかという頃。
「結果発表が待ち遠しいね! ねね、みんな評価どうだと思う?僕
慌ただしく、いつもより早口ぎみに話す優香里は相当興奮状態にあるらしい。
アドレナリンくん、そろそろ落ち着いてもいいと思うよ。
「もう体力テストの話やめない~? 思い出したくもないんだけど――」
瑠奈がそう言おうとした時。
入口付近から大きな音が響いた。
先ほどまで喧騒に包まれていた教室が、一瞬で静まりかえる。
それは男子生徒が別の男子生徒の胸倉を掴み、壁に叩きつけた音であった。
彼らはクラスの全員がこちらを見ていることにも気が付かない程、真剣に互いをにらみ合っている。
「なにあれ、どしたの」
「わかんない」
数秒もすると、すぐに小声で話しだす女子生徒が現れた。
ちらちらと様子をうかがっては、手で口を隠しこそこそと会話する。
「あの子スポーツ選手になりたいらしいんだけど、結果あんま良くなかったっぽい」
「え、やば」
緊張感で張り詰めた空気は、一向に緩む気配がない。
なぜなら男子生徒二人だけでなく、クラス全員が心の奥で焦りを感じていたから。
この小さな綻びが、その積み重ねこそが――大きな波乱の幕開けである。
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