第14話 同異



「話をそらさないで」


優香里とくじらが柊雨と瑠奈を探し、教室の扉をくぐろうとしたその時。


普段のぼんやりとした様子からは想像できないような、芯のある声が耳に入った。

クラスにいると思っていた彼女の声が、隣の空き教室から聞こえたのだ。

――――瑠奈だ。


そのことに気が付いたふたりは頷き合い、バレないよう静かに覗き込む。



「ごめん、でもこれだけは聞いてほしいんだ」


椅子に座ってみたり少し歩いてみたり、落ち着かない様子の瑠奈。

柊雨はそんな彼女を、まっすぐ見据えている。


「……なに」

その真剣さに答えざるを得なくなり、続きの言葉を求めた。


長らく使われていない空き教室ならではの、埃くさい空気。

破れ汚れたカーテンに光が遮られ瑠奈の顔に影が落ちており、表情はよく見えない。



「瑠奈の絵はお世辞抜きで、本当に素敵だよ」


「……ふ~ん。でもだからなに、良し悪しの問題じゃないよ」

褒められたら、普段ならばふわりと微笑むだろう。しかし今はわざとらしく、それを無視する。


生来彼女はのんびりとした人物で、きっと怒ることが得意ではないのだろう。

あからさまに、自分は今憤りを感じているというアピールに、遠巻きに見物するくじらはいじらしく思った。



「それは…ごめん、本当に悪かったと思ってる。俺、『人に知ってもらう』ことを望んでない人もいるってこと……気付かなかった」


先ほどまでの凛とした様子から一変して、水が足りない植物のように俯く。



「ねえくじらちゃん、やっぱ図書室戻らな――」

想像以上のシリアスな状況に、優香里は小声でそう言いかける。

しかし動揺がそれを遮った。



まるで何かに憑りつかれたかのように、一心不乱にふたりに視線を注ぐくじらに驚いたからだ。

いつだって掴みどころがなく、どこかふよふよと浮かんでいるような。真面目にに不真面目風を装っている彼女が、だ。


くじらを数秒見つめて、これ以上観察してもきっと呼吸とまばたきしかしないだろう、と優香里も視線を戻した。




「ちゃんと分かってるよ。柊雨くんのその気持ち自体はすごく嬉しかったの。でも……」

柊雨のしおれた様子に、瑠奈もいくらか冷静になる。


「……でも?」

そんな彼女に寄り添うように、柊雨も優しく続きを促した。



「不安に、なっちゃって。自信があってこそ輝けるのも分かってる。分かってるけど、またあの時と同じになるんじゃないかって」



俯き、消え入りそうな声でやっと紡がれたのは、瑠奈をきつく縛り付ける鎖――――すなわち過去であった。

かつて体験した苦汁を伴う出来事はやがて枷となり、未来ある少女の前進を阻む。


この場にいる全員が、それは自分にも当てはまることだと気が付いた。

いつまでも過去に囚われているという不甲斐なさと、それでも鎖を断ち切ることができないもどかしさ。


大小こそあれど、おそらく人である全員がそうだろう。

しかし四人がシンパシーを感じるのには十分だった。




「……めのいろ」

瑠奈がやっとの思いで発声したその言葉は、単体では意味をもたない。


もう一度声を出さなくてはいけない。しかし怖い。

そのはざまで揺れている今がとてつもなく不快で、下唇を噛んだ。


困ったように視線を泳がせる瑠奈に、柊雨はゆっくりでいい、と優しく頷く。



衝動的にたくさんの空気を吸い込んで、少し苦しくなったところで軽く吐き出した。

そして、恐る恐る口を開く。



「左右で目の色が違うって、みんなと違うって」


しかしそれを告白できたのは、きっと彼らがたちとは決定的にからで。



「変だとか気持ち悪いとか怖いとか。そういうの厨二病って言うんだろとか!!」


感情が溢れ叫ぶように吐き出した言葉が、空き教室に響く。

だけれどここには、今はふたり――否、四人しかいない。まるで自分たちだけの世界だ。「教室では静かにしましょう」だなんて咎める人は誰もいない。



瑠奈の言葉に、柊雨は悲しそうに微笑む。彼も同じで、きっと違う。


大声を出したことで肩を上下させるクラスメイトに、柊雨は優しく語りかけた。




――――さっきも言ったじゃん、僕は素敵だと思うよ





初めての言葉に瑠奈は動揺し、丸い目を更に大きくする。



「いやさ、他の人がどう思うとか実際の良し悪しとか分かんないし。これは僕の感性。でも瑠奈がオッドアイであるせいで誰かに迷惑かけた?」


「そ…それは――」


「少数派であるってことで多数派に迷惑がかかるって言うのは、ちょっと良くない気がするけど。でもこれって瑠奈悪くなくないじゃん」



いつもは飄々としている柊雨の、至って真剣な瞳に、瑠奈は言葉を失った。


「それに人間って数に流されるから。…同調圧力って言うんだっけ?瑠奈のこと悪く言ってきた奴の中には、本心ではそんなこと思ってない奴もいたんじゃないかな」


だからって酷いこと言ったのは許されないと思うけど、と付け加える。




「…………。」

優香里も同じようで、黙ったまま悲しそうな表情をしている。

くじらは彼女をちらりと見た後、すぐに視線をそらした。



「とは言え!!勝手に絵を晒したのは悪かったと思ってる!!!」

ほんっとうにごめん!!と両手を合わせ深く頭を下げる。





「そーだそーだ!!! 途中『うんうん、いいこと言うなー』って思ってたけど忘れてた!瑠奈ちゃんは柊雨にもっと怒れー!!」


聞き覚えのある声が突然教室に響き渡る。

瑠奈と柊雨がぎょっとして音のする方へ顔を向けると、そこには想像通りの人物が仁王立ちしていた。


「ちょっ、優香里ちゃん!?えっ突っ込むのそこなの!?」

ドアの影からしゃがんで、小声で彼女の名を呼ぶのはくじらだ。


「な、なんでふたりが!?!?」

そして柊雨は、これがドッキリだったとしたら満点であろうリアクションをする。




逆にこちらが申し訳なく感じてしまうほど必死な表情。

通常かなり上にある柊雨の頭が、自分と同じ高さにあること。

突然の乱入(まるで全力で走る犬とリードに引きずられる必死な飼い主)。


そのすべてがなんだか可笑しく思えてしまって、瑠奈はこらえきれずに笑い出した。



人はこれを混沌カオスと呼ぶ。



「ふふ…柊雨くんには…んふ、本気で怒ってたわけじゃないよ。善意だったのもわかってるし。でも必死だから面白くなっちゃって…あはは」


「瑠奈がいいなら、良かった…のか?」


「うん。っていうかどちらかというと盗み聞きしてた優香里ちゃんにの方が怒ってる」


「う、うそ!ちっ違うよくじらちゃんが言いだしたんだよ!!!」


「えっわたし!?わたし悪くないから!……いやちょっとは非があるかも…ちょっとは」


「はい今のは絶対悪いと思ってる言い方ですー」


「うそうそ、怒ってないよ~」


「嘘つきじゃん!!泥棒の始まりじゃん!!!」


「……俺は最初からふたりが盗み聞きしてるって気付いてたし!?」


「柊雨くん嘘つきだね~」



くだらないことで笑い合える友人とは、人が思っている以上に大切なものだ。

そしてそういった仲間とのくだらない日常は、いずれ狂おしいほど恋しく思える時がやってくる。

つまり、瞬きの間である春が青すぎるとはきっとこういうことなのだろう。




「そうだ、もうひとつ」


笑って笑って、呼吸を整えてから、瑠奈は落ち着いた声で言った。


三人は当たり前に耳を傾ける。

「なに?」


瑠奈にとっては、自分の話をまともに聞いてくれる友というのも多くはなかった。

そのためこの面子で過ごす毎日は新鮮で、そしてとても心地良いと感じている。


――――だからこそ。



「ちょっとうらやましかったんだ。ほら、三人ともオッドアイでしょ」


その言葉に三人は顔を見合わせてから、「あー…」なんて微妙な感嘆を漏らす。



「いやでもほら、俺は見ての通り人間じゃないから。俺らの種族じゃ人間ほど珍しくはないし」

なぜかくじらはそれに対して頷く。


「そう言えば僕はあんまり気にしたことなかったかも。瑠奈ちゃんと比べてあんま左右差ないからかな?」


確かに優香里の瞳はライム色と露草のような色。

遠目で見る分には違いがわからないかもしれない。




「そっか、そういう理由だったんだ」


「ん…?なにが?」


尋ねられその魅力的な目をぱちくりしてから、少しためらいがちに話した。



「さっき言った、うらやましかったって。僕と同じはずなのに、自分の目のこと気にしてる感じなかったから。この子たちはそれが原因でいじめられたりしなかったんだって分かる。だったらなんで僕だけ――――…なんてね」



不穏な雰囲気に全員が押し黙る。

気にならなかったどころか一種のチャームポイントとも思っていたからだ。

それが人によっては嫌いで苦しかったと考えると、それは切ない。



「羨ましいって言うのは分かります…すごく。わたし、誰かがいとも簡単に捨ててしまうものが欲しくて仕方なかったから。あー…違うな、『かった』じゃなくて、今も」


ぼんやりとした言い回しに、瑠奈はその本質を見極めようとしているかのように目を細める。

しかし彼女の瞳には、くじらのこの言葉に はなから本質などなくて、ただ悲しんでいるだけのように映った。



「だから。もしその瞳が嫌いで嫌いで捨てちゃいたいってなったら……その時は教えて。わたしの故郷にね、光加減で色が変わって見える鱗とか、左右で色の違う瞳とか――そういう珍しいものが大好きなおばあちゃんがいるの。きっと瑠奈ちゃんの目も喜んで買ってくれますよ」


くじらは興味があった。

過去と自分に呪われたその瞳の代わりに、彼女が何を得るのか。


しかし、それを知る日は来ないだろうとたった今確信した。

瑠奈はおそらく自分の目が嫌いなわけではない。

そしてきっと、鎖を作り上げた奴らを呪うこともないのだろう。




「ふふ、ありがとう! もしそんなことがあったら、そこに連れて行ってね」


ふわりと微笑む彼女には、見たところまだ鎖が付いているようだった。


それでも、それでも確かに一歩を踏み出した。

足枷を引きずりながら、小石が転がる大地を、裸足で。


進む代わりに伴う痛みを耐えることは容易ではない。痛みを覚悟の上で、右足を前に出すという挑戦ができた。まずはそれだけで満点なのだ。



くじらは、人間はその一歩を踏み出すのが上手だよなと思っている。

ここ一ヶ月の実体験はもちろんだが、歴史的に見ても大胆な挑戦の数々が教科書を埋め尽くしているからだ。



(それに比べて、わたしは――――)




「えなに、くじらちゃんの故郷ってそんな物騒なとこなの!?」


「しっ優香里、きっと聞いちゃダメなやつだよ。裏路地でマフィアが臓器売買とか……」


「そんな怖い所じゃないですよ!!柊雨くんも優香里ちゃんで遊ばないの!」


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